蝦夷生計図説

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"ロ": 24 件ヒット

第1巻, 14ページ, タイトル:
其外雲あし、雨あしなといへる事も、ミなその 立るかたちをいへる也、かく見る時はアベシヤマウシ は火のそばに立つといふ事に通するなり、この イナヲは夷地のうちシリキシナイといふ所の辺 よりヒウといへる所の辺まてにもちゆる也、 またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「アベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリキシナイ(尻岸内)という所からヒウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。
第1巻, 18ページ, タイトル:
義にて、たゝ陰陽の二つを男女と分ちたる事なる へし、これらの事誰おしへたるにもあらねと、用る ところのイナヲ男女のミなるにしたかひて、其削れ るかたち自ら仰伏のたかひありて、陰陽の象を 表したること誠に天地の自然に出たるにてそある へき、委しくは図を見てしるへし、夷語に男子を ビンといへる事は、其義いまた詳ならす、婦女を マチといへる事は、まさしく日本紀に命婦とかきて マチと訓したり、此マチ子アベシヤマウシイナヲを一には メノコアベシヤマウシイナヲともいへり、メノコといふも女の 事にて、是はとりもなをさす女子なるへし、 此二つのイナヲはヒウといへる所の辺より 意味合いで、単に陰陽の二つを男女として分けたのではないか。こうした区分を誰が教えたというわけでもなかろうが、用いられるイナヲが男女のみであり、また、その削られた形状も自然と仰伏の相違があり、陰陽の象を表わしている。こうした区分は、誠に天地の自然が為さしめたものであろう。詳しくは、図を御参照ありたい。アイヌ語で男子を「ビン」という訳は、いまだ詳らかではない。しかし、婦女のことを「マチ」というのは、まさしく『日本紀』に命婦と書いて「まち」と訓じているのと通じている。また、このマチネアベシヤマウシイナヲは別にメノコアベシヤマウシイナヲともいう。「メノコ」という語も女を意味しており、これはとりもなおさず女子のことであろう。この二つのイナヲは、ヒウという所辺りから
第1巻, 19ページ, タイトル:
クナシリ島の辺にいたるまてにもちゆる なり、    但し、此イナヲ、まつはビウの辺よりクナシリ 島の辺まてに限りて多く用ゆれとも、ことに よりては、シリキシナイの辺よりビウまての 地にても用ゆる事のあるさまなり、追て糺尋 の上、たしかに録すへし、 クナシリ島の辺りまでの地域で用いられるものである。 * 但し、このイナヲは、概ねにおいてビウの辺りからクナシリ島の辺りまでの地域で多く用いられるものであるが、ことによってはシリキシナイの辺りからビウの辺りまでの地域でも用いられることがあるようである。追って聞き取りのうえ、確実な情報を記したい。
第1巻, 22ページ, タイトル:
これは家中の安穏を祈るに用ゆ、キケとは 物を削る事をいひ、チは助語なり、ノイといふは 物を捻る事をいひて、削り捻るイナヲといふ事也、 此等の語もほゝ 本邦の野鄙なることはに 通するにや、 本邦の詞に物を削る事をカク といふ、カクはキケと通すへし、ノイはねへと通して ねちといふの転語なるへし、さらはキケノイヽナヲは かきねちるイナヲといふ事と聞ゆるなり、二種のうち 初の図はシリキシナイといへる所の辺よりビウと いへる所の辺迄に用ゆ、後の図はビウの辺より クナシリ島の辺まてに用ゆる也、其形ちの少しく たかへる事は図を見てしるへし、  これは、家中の安穏を祈るのに用いられる。「キケ」とは物を削ることをいい、「チ」は助詞、「ノイ」は物を捻ることを表わし、合わせて「削り捻るイナヲ」という意味である。これらの語も、ほぼ我が国の田舎の言葉に通じているようだ。我が国の言葉では、物を削ることを「かく」という。「かく」は「キケ」に通じるだろうし、「ノイ」は「ねえ」と通じ、「ねじ」という言葉の転語であろう。そうであるならば、キケチノイイナヲとは、「かきねじるイナヲ」という意味に聞こえるのである。なお、二種の図のうち、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。その形状に少々相違がある点は、図によって確認されたい。
第1巻, 23ページ, タイトル: キケハアセイナヲの図二種 
第1巻, 25ページ, タイトル:
これは何とさたまりたる事なくすへて神明を 祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて 削る事をいひ、ハアは物の垂れ揺くかたちをいひ、 セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、 此ハウといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく 垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは ハウはフアリと通して、キケハウイナヲといふは 削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、 二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のキケ チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ キシナイの辺よりビウの辺迄に用ひ、後の図はヒウ の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、  これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハア」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。 この「ハア」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウ」は「ふあり」と通じて、キケハウイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。 なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
第2巻, 4ページ, タイトル:
夷人の食は、鳥獣魚とふの肉を専らに用ると いへとも、不毛の地にして禾穀の類のたえて 生する事なしといふにはあらす、又禾穀の 類をうへて食する事なしといふにも非す、 こゝに図する所はすなハち稗の一種にして、 烏禾の類也、これは蝦夷のうちいつれの地 にても作りて糧食の一助となす事也、    但し、極北の地子モ・クナシリ島なといへる所の 夷人の如きは、かゝる物作れる事あらす、これは ひとしく蝦夷の地なりといへとも、殊に辺辟 たるにより、その闢けたる事もおそくして、 未かゝる物なと作るへきわさは知るに及ハさる アイヌの人々の食についてであるが、専ら鳥や獣や魚の肉をそれにあてている。しかし、だからといって彼らの住む土地が不毛であり穀類の生育を見ないというわけではない。 ここに掲げた図は稗の一種「烏禾」の仲間である。この作物は、蝦夷地一円に栽培されているもので、糧食の一助として用いられている。 * 但し、蝦夷地の内でも最も北に位置するネモ(根室)やクナシリ(国後)島などといった地域のアイヌの人々は、こうした作物を栽培することはない。なぜならば、同じ蝦夷地とはいえ、根室や国後島は格別辺鄙な地であり、その開闢も遅く、いまだに作物を栽培する技術を知るに至っていない
第2巻, 11ページ, タイトル:
ラタ子と称する事は、ラタツキ子といへるを略せるの 言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ ツキ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、 これは此草の形ちによりてかくは称するなり、 是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、 アユシアマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、 ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り て糧食の助けとなす事なり、    但し、極北の地子モ・クナシリ島とふの夷人作る 事のなきは、アユシアマヽに論したると同しき ゆへとしるへし、 是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すなハち ラタネとは、「ラタツキネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツキネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。 この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、アユシアママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。 *但し、極北の地であるネモ・クナシリ島等のアイヌの人々がこれを栽培することがないのは、アユシアママのところで論じたのと同じ理由であろう。 ラタネとは、
第2巻, 22ページ, タイトル:
草を焼てより其地の土を平らかにならす也、 是をトイラヽツカと称す、トイは前に同しく、 ラヽツカとはすへて物を平らかにする事をいひ て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境 釆槌とふの器もなけれハ、地をならすといへるも、  本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事にハ非す、 唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物 の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく タシとふのものにてきり除くのミの事也、    タシといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、 委しくは器材の部にミえたり、 草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツカという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツカ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。アイヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシという用具で切り除くだけのことである。   *タシというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
第3巻, 10ページ, タイトル:
ユウタとは舂事をいふ也、ヒウなといへる所の 辺より奥の夷地に至りてはウタとも称する なり、是は前の図のことく囲炉裏の上にてほし たる穂をそのまゝ臼にいれてつく事なり、 其つく所は常に小棟屋にて為す事多し、    小棟屋は夷語にチセセムといひて、住居の側に 立てつきたる小き家をいふ也、 晴天の日なとは、家の外に出てつく事も ある也、  ユウタとは、搗くことを意味する。ヒウ(広尾)とかいう所の辺りより奥の蝦夷地に行くと、ウタとも称している。これは、前の図に見えるような囲炉裏の上で干した穂を、そのまま臼に入れて搗くことを指している。これを搗く場所であるが、常に小棟屋で行なわれることが多い。 * 小棟屋とは、アイヌ語でチセセムといって、住居のそばに建てられる小さな家のことである。 晴天の日などは、屋外に出て搗かれることもある。
第4巻, 22ページ, タイトル:
て見聞したる事にあらさる故しる さす、後来たしかに見聞するの日に及んて記さんとす、後凡エトフ・ラツコ とふの事に至りては、ミな欠て録せさるものこのゆへとしるへし、 親しく見聞したことではないのでここでは記さない。  のちに確実に見聞できる日がきたら記すことにしよう。この後、エトフ島やラッコ島のことを記録していないのはそのためであることを知っておいてほしい。
第4巻, 24ページ, タイトル:
とだては舟の艫なり、図に二種出セる事ハ、 所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、 二種のうち前の図はシリキシナイよりヒウ まての舟にもちゆ、    すへて所により用る物のたかふ事なと、此所 より此所迄とくハしく限りてハいひ難し、 こゝにシキリシナイよりヒウまてといへ るも、シリキシナイの辺よりヒウの辺 まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる 事はミな此類と知へし、 夷語に是をイクムと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし 「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからヒウまでの舟で用いている。   <註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと 詳しく限定していうことはできない。ここでシキリシナイからヒ ウまでといっても、それはシリキシナイのあたりからヒウのあた りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ とはすべてこの類と知っておいてほしい。> アイヌ語でこれをイクムという。  このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
第4巻, 25ページ, タイトル:
後の図はヒウよりクナシリまての舟 に用ゆ、夷語に是をウカキと称す、    此語解しかたし、追々考ふへし、 あとの図はヒウからクナシリまでの舟で用いるもので、アイヌ語でウカキという。   このことばの意味もわからない。やはり追って考えることにしよう。
第4巻, 36ページ, タイトル:
夷語に是をキウリと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし シリキシナイよりヒウまての舟にハことーーく 此具を用ゆ、これハ北海になるほと風波あら きか故に、舟の堅固ならん事をはかりて なり、シリキシナイよりビウまてハさのミ 北海にあらすして、風波のしのきかたも やすきゆへ、まれには此具を用ゆる舟も あれと、多くは用ひす、 アイヌ語でキウリという。    このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。 シリキシナイからヒウまでの舟にはことごとくこの道具を用いている(訳註:ヒウからクナシリまでの誤記か?)。これは北の海になるほど風波が荒いので舟を丈夫にするための工夫である。シリキシナイからヒウまではそれほど北の海ではなく、風波から守る方法も容易なので、まれにこの道具を用いる舟もあるけれども多くの舟は使用しない。
第4巻, 38ページ, タイトル:
これ舟を造るに板を縫ひあハするの縄なり、 テシカと称するハ、テシは木をとちあはする 事をもいひ、又筵なとをあむことをもいふ、カは糸の 事にて、物をとちあハする糸といふ事也、テシカ に三種あり、一種はニベシといふ、木の皮をはき縄 となして用ゆ、一種は桜の皮をはきて其侭 もちゆ、一種は鯨のひけをはぎて其まゝ 用ゆ、いつれも図を見て知へし、三種の中 鯨のひげをハ多くビウよりクナシリまての 舟にもちゆ、シリキシナイよりビウ迄の地は 鯨をとる事まれなる故、用るところのテシカ 多くは桜とニベシとの皮を用ゆる也、 これは舟を造るとき、板を縫い合わせる縄である。テシカと称するのは、テシは木を綴じ合わせることもいい、またむしろなどを編むこともいう。カは糸のことで、「物を綴じ合わせる糸」ということである。  テシカに三種類あって、ひとつはニベシという。木の皮を剥いで縄に作って用いる。ひとつは桜の皮を剥いでそのまま使う。いまひとつは鯨の髭を剥いでそのまま用いる。いずれも図で見てほしい。三種類のうち、鯨のひげはビウからクナシリまでの舟で多く使用される。シリキシナイからビウまでの地方は鯨を捕ることがあまりないので、使用するテシカの多くは桜とニベシの皮である。
第4巻, 45ページ, タイトル:
これ舟の製作全く整ひし所也、二種の うち前の図も、シリキシナイよりビウ迄に 用る舟也、後の図はビウよりクナシリ まてにもちゆる舟なり、くハしくハ図を 見てかんかふへし、 これは舟の製作が完全に終ったところである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからビウまでのあいだで用いられる舟である。のちの図はビウからクナシリで用いられている舟である。詳しいことは図を見て考えてほしい。
第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなハりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、カンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、 是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをアイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 45ページ, タイトル:
蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ 松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし 事也、その貢物を積むところの舟をウイマム チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替 りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の 人に初てまみゆる事をいふ、    此義いまた詳ならす、追て考ふへし チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる 舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は 松前氏へ貢する如くシヤモモリへも右の舩にて 貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル 蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。    この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。 チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。 アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモモ シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
第5巻, 46ページ, タイトル:
の略也、シヤハはかしらだちたる事をいふ、クルは 人といふ事にて、かしらたちたる人をいふ、は 語助也、モシリは島をいふ、此義ことに意味有 事なり、夷語に水の流るゝ事をモムといふ、 地の事をシリといふ、モシリはモムシリの略にして、 流るゝ地といふ事也、そのゆへは、凡島の水上に うかひたるを遠くよりのぞめは、流れつ へき地のさましたるゆへに、嶋の事をモシリと 称する也、さすれはシヤモモリとは、かしら たちたる人の島といふ事にて、 本邦をさして いへるなり、古のとき蝦夷といへともことーーく 本邦に属せし事故、 本邦をさしてかし の略である。シヤハは人の上にたつことをいい、クルは人ということであって、だからシヤハクルは「人の上にたつひと」ということをいう。は助語である。モシリは島をいう。モシリはことに意味あることであって、アイヌ語で水が流れることをモムという。地のことをシリという。 モシリはモムシリの略であって、「流れる地」ということである。その理由は、そもそも島が水上にうかんでいるのを遠くからのぞめば、流れゆくべき地のようすをしているので、嶋のことをモシリというのである。だからシヤモモシリとは、人の上にたつひとの島ということであって、日本をさしていう。 古い昔は蝦夷といえどもすべて日本に属していたので、蝦夷は日本をさして
第7巻, 11ページ, タイトル:
トンドは柱の事也、図に二種出せる事は、上 下の品あるゆへなり、上に図したるは岐頭の木に して、桁のくゝみに其まゝ岐頭のところを用る也、 是をイクシベトンドと称す、イクシベは岐頭の木を いひ、トンドは柱をいひて、岐頭の木の柱といふ事也、 是を下品の柱とす、下に図したるは常の柱にして、 桁のくゝみを筥の如くなして用る也、これをバ ウシトンドと称す、バは口をいひ、ウシは在るをいひて、 口のある柱といふ事なり、是を上品の柱とす、 すへて夷人の境、居家の製はその形ち大小広狭の たかひありて一ならすといへとも、柱の製はこの 二種に限る事なり、 ☆ トンドは柱のことである。二種類を図示したのは、上下の品があるためである。上に図示したのは頭が分かれた二股の木で、桁のくくみ?にそのまま二股のところを使うのである。これをイクシベトンドという。イクシベ【イク*シペ:ikuspe/柱】は二股の木をいい、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱のことで二股の木の柱ということである。これを下品の柱とする。 下に図示したのは通常の柱で、桁のくくみ?を丸い箱のようにして使うのである。これをバウシトンドという。バ【パ:paro/その口】は口のことをいい、ウシ【ウ*シ:us/にある】は在るといって、口のある柱という意味である。これを上品の柱とする。総じてアイヌの人びとの国は、家の製法はその形、大小、広狭の違いがあって、同一ではないといっても、柱の製法はこの二種類に限られているのである。
第7巻, 25ページ, タイトル:
茅をもてかこふ事なり、其かこひをなすに二種の ことなるあり、シリキシナイの辺よりビウの辺ま てのかこひは、 本邦の藩籬なとのことくに ゆひまハして、家の四方を囲ふなり、ビウの辺より クナシリ嶋まてのかこひは、屋を葺てより其まゝ 家の四方にふきおろして囲ふ也、委しくハ後の 全備の図を見てしるへし、其茅をふく次第は、家の くミたてとゝのひてより、まつ初に四方の囲ひをなし、 それより屋をふく事也、    凡屋をふくにつきてハ、其わさことに多して、 此図一つにして尽し得へきにあらす、別に器 財の部のうち葺屋の具をわかちて録し 置り、合セ見るへし、 右の如く屋を葺事終りて、其家の右の方に 小きさげ屋を作りて是をチセセムといふ、チセは家 をいひ、セムはさげ屋といふ事なり、 である。その囲いをするのには二種類の方法のちがいがあって、シリキシナイあたりよりビウあたりまでの囲いは、わが国の垣根などのように茅を結いまわして家の四方を囲うのである。また、ビウのあたりよりクナシリ嶋までの囲いは屋根を葺いてから、そのまま家の四方に葺き下ろして囲うのである。詳しいことは後に示した全備の図をみて理解してほしい。  その茅の葺き方の順序は、家の組み立てがおわってから、まず四方の囲いを造り、それから屋根を葺くのである。    <註:大体において、屋根を葺くための技術はとりわけ多く、この図ひとつでいいつくす ことはできない。別に「器財の部」の中に屋根葺きの道具を分けて記録しておいた ので合わせてみてほしい。>  以上のように屋根を葺き終ると、その家の右のほうに小さな「さげ屋」を造って、これをチセセムという。セム【セ*ム:sem/物置】はさげ屋ということである。
第7巻, 32ページ, タイトル:
此図はシラヲイの辺よりヒウの辺にいたる まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて 葺たるなり、是をシヤリキキタイチセと称す、シヤリ キは蘆をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家を いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家 にては多く屋をふくに蘆のミをもちゆ、下品 の家にてはまれに茅と草とを用る事もある なり、 右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし たるなり、 ☆この図はシラヲイのあたりからヒウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリキキタイチセという。シヤリキ【サ*ラキ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。 右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。
第7巻, 35ページ, タイトル:
是はビウの辺よりクナシリ島にいたるまての 居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて 葺たるなり、是をヤアラキタイチセと称す、ヤア ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、 木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の 皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは 木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け 破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて 重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て 堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる さまは、後の図にミえたり、 ☆ これはビウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
第7巻, 37ページ, タイトル:
この図もまたビウの辺よりクナシリ嶋に至る まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて ふきたる也、これをトツプラツフキタイチセと称す、 トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイチセは 前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、 これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、 やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て 堅固なりといへとも、力を労する事多きにより て、造れるものまつはまれなりとしるへし、 ☆ この図もまた、ビウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。 これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。

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