蝦夷生計図説

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"ラスケ": 2 件ヒット

第8巻, 6ページ, タイトル:
戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子 たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと 生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し 起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の 死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く 戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、 能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の 病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り 立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の 病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠 するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる 者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、 二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、 慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。    よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。  この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。  ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。  ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、
第8巻, 7ページ, タイトル:
イトは鼻をいひ、ラスケは截るをいひて、鼻を截るといふ 事也、是ハ不義に女を犯したる者を刑する也、凡夷人の 境風俗純朴なるによりて、盗賊とふの事もすくなく、 其あやまりの証として宝器を出さしめ其罪を償ハする なり、此三種の刑罰其義未詳ならさる事共多き ゆへ、まつ其大略をこゝに附して記せる也、追て糺尋のうへ、 部を分ちて録すへし、 イト【エトゥ:etu/鼻】は鼻をいい、ラスケ【ラ*シケ?:raske/を剃る?】は切るという意味だから、鼻を切るということである。これは不義密通で女性と関係もった男へのしおきである。おしなべて、アイヌの人びとの国ぶりは心が素直で人情が厚いので、盗賊などのことも少なく、まして殺人などはまれなので、刑罰の種類も多くはない。ここでいう鼻を切るなどはもっとも重罪にあたるのである。  サイモニというのは、このことばの解釈はまだよくわからないが、その方法は例えば罪を犯したものがあって、取調べをつくしてもあえてその罪を認めないとき、熱湯を用意してそれに手を入れさせて嘘か誠かただすのである。古い記録に武内宿祢がおこなったとある探湯の法というものであろう。この刑を行なうのは多く女性に対してである。  ツクノオイというのは、とりもなおさず、償うという意味で、前述のように、罪を犯したことがあればそのお詫びのしるしとして宝物を差し出させて罪を償わせるのである。この三種類の刑罰については、その意味がまだよくわからないことも多くあるけれども、まず、そのおおよそをここにあわせて記しておく。おって聞きただしたうえで、部を分けて記録することにしよう。

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