蝦夷生計図説

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"モウ": 8 件ヒット

第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなハりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、カンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、 是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをアイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビロウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 38ページ, タイトル:
用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、 今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を 伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの 転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也 、 其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地 にしては舟の事をチプといふ事よのつねな れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の 実称にして、チブといへるは略していふの詞なる よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る 用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。 船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、 四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、 シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 4ページ, タイトル:
本邦よりわたるところのものにて、古き絹の 服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、 殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは   本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用 して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、 もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、 ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮 にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも 下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
第6巻, 6ページ, タイトル:
地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の 便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽 せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ 教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、 もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人 物とならん事、何の疑かあるへき、 右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人 熟知するところの物、シヤランベ、チミツプの二種ハすな はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、 ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣 皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に 録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種のミハ
第6巻, 28ページ, タイトル: モウウリの図
第6巻, 29ページ, タイトル:
此衣は水豹の皮を縫ひ合せて造れるなり、これ をモウウリと称す、モウとは二つあるものの一つに 合ふよふなる事をいひて、 本邦の語にもろ ともなといふか如し、されは夷人は夫婦の事をも モウといへり、ウリといふは裘の事也、これは此製し かた外の裘とたかひて、前のところにて左右の衽 より下まてひしと縫ひ合せ、袋の如くにつくりたる ゆへ、左右の衽ひとつに合ひたる裘といふ心にてかくハ 称するなるへし、其形ちのたかひたる事ハ外の 裘の図と合せ見てしるへし、これは夷人のうち、 多く女子の下著に用る事なり、
第7巻, 7ページ, タイトル:
ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱 とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を はかり、きりそろゆるさまなり、チセチクニパツカリと いへるは、チセは家をいひ、チクニは木をいひ、パツカリは 度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と 指とにて長短を度る也、手をもて度るをチムといひ、 中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、 追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のミに 限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ 同しく手と指とを用てはかる事なり、 ☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。 チセチクニパツカリというのは、チセ【チセ:cise/家】は家の意味、チクニ【チクニ:cikuni/木】は木の意味、パツカリ【パカリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、アイヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをチム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。  これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。

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