蝦夷生計図説

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"ムン": 10 件ヒット

第2巻, 14ページ, タイトル: ムンカルの図
第2巻, 17ページ, タイトル:
かろーーしき事をハせす、さらハ此等の事にも 別に意味のありてかくはなせるにや、其義 未詳ならす、追て糺尋の上録すへし、 是に図したるところは、トイタとなすへき ためにまつ初めに其地の草をかるさま也、ムンカル と称する事は、ムンは草をいひ、カルは則ち苅る 事をいひて、草をかるといふ事也、すへて 此のトイタの事は、初め草をかるより種を蒔き、 其外熟するに至て苅りおさむるとふの事 に至るまて、多くは老人の夷あるハ女子の 夷の業とする事也、     草をかるには先つ其ところにイナヲを奉けて 軽々しい行いはしないものだ。そうしたことから考えるに、或いは別の意味があってトイタの地を定めているのかも知れず、その判断基準はいまだ詳らかではない。追って聞き取りの上、後考を期したい。 ここに掲げた図は、トイタとするために先ず初めにその地の草を刈る様子を示したものである。この作業をムンカルというのは、「ムン」が草を、「カル」が刈ることを表わし、あわせて草を刈ることを意味することによっている。トイタに関わる作業には、草を刈ることから始まり、種蒔きや稔ってからの収穫に至るまで、その多くに老人や女性が携わることとなっている。 * 草を刈るには、まず刈る場所にイナヲを捧げて
第2巻, 19ページ, タイトル: ムンウフイの図
第2巻, 20ページ, タイトル:
刈りたる草をハ其所にあつめ置て図のことく 火に焼く也、これをムンウフイと称す、ムンは草を いひ、ウフイは焼く事をいひて、草を焼といふ 事也、これは草をやきて地のこやしとなすと いふにもあらす、唯かりたるまゝにすて置ては トイタのさまたけとなる故にかくなす事也、 もし刈るところの草わすかなる事あれハ、 そのまゝ其地のかたハらにすて置く事も あるなり、 刈り取った草は、その場に集めて、図のように焼却を行なう。これをムンウフイという。「ムン」は草のことを、「ウフイ」は焼くことを表し、合わせて「草を焼く」という意味である。この行為は草を焼いて肥料をつくることを目的としたものではなく、ただ刈ったまま放置しておいてはトイタの妨げになるため行なわれるまでのことである。もし刈った草が僅かの量であった場合には、焼却せず、そのまま畑地の傍らに放置しておくこともある。
第2巻, 26ページ, タイトル: ムンカルの図
第2巻, 27ページ, タイトル:
是も初めにしるせしムンカルと同しく、草を かるといふ事也、されと其義はたかひ有事にて、 前にしるせるは、たゝ草を苅る事をいふ也、こゝに いふところも蒔置たる二種のものゝ芽を出せし より、其たけもやゝのひたる頃に及ひ、其間に 野草の交り生して植し物のさハりとなる故に、 其草を抜きすつる事をいふ也、されハ同しく 草を除くといふにも、其わけはたかひてあれ とも、上に論する如く、夷人の言語は数少く して物をかねていふ事のあるゆへ、これらの 類もひとしくムンカルとのミ称する也 、 本邦にて禾菜の類を作るにハおろぬくと これも、初めに記したムンカルと同様、草を刈るという言葉である。しかし、その意味内容は異なっている。前に記したものは、ただ草を刈ることをいうのみであった。ここでいうムンカルは、蒔いて置いた二種の作物が発芽し、丈もやや伸びた頃に、その間に交じって生えてきて成長の妨げとなる雑草を取り除く作業をいう。従って同じく草を除くという言葉ではあるが、その意味するところは異なっているのである。これは、前述のように、アイヌの人々の言葉は単語の数が少なく、物事を兼ねていうことがあるためである。いま述べた二つの作業について、同じくムンカルと称するのは、そのためである。
第4巻, 4ページ, タイトル:
凡夷人の舟は敷をもて其基本とす、しかるか 故に舟を作んとすれは、まつ初めに山中に 入て敷となすへき大木を求むる事也、    夷人の舟は、敷をもて本とする事、後に くハしく見へたり、 其山中に入んとする時にあたりてハ、かならす先つ 山口にて図の如くイナヲをさゝけて山神を祭り、    イナヲといへるは、 本邦にいふ幣帛の類也、 くハしくはイナヲの部にミえたり、 埼嶇□嶢のミちを歴るといへとも、身に 恙なくかつは猛獣の害にあはさる事とふを 祈る也、其祈る詞にキムンカモイヒリカノ ☆すべてアイヌの舟は船体が基本である。だから舟を作ろうとすれば、まずはじめにおこなうのは山に入って船体とする大木を探し求めることである。  <註:アイヌの舟は船体が基本であることは、後に詳しく述べられている> ☆そのために山の中に入ろうとするときには、かならず最初に山の入り口で図のようにイナウを捧げて山の神を祭り、 <註:イナウというのはわが国でいうところの御幣のたぐいである。詳しく は「イナヲの部」に述べられている> ☆ 崖や@@の道を歩きまわっても、自分のからだにつつがなく、さらに猛獣に襲われないことを祈るのである。その祈りことばに「キムンカモイヒリカノ
第4巻, 5ページ, タイトル:
イカシコレと唱ふ、キムンは山をいひ、カモイは 神をいひ、ヒリカは善をいひ、ノは助語なり、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く 山神を祭り終りて、それより山中に入る也、 木を尋る時のミに限らす、すへて深山に入んと すれハ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、 こゝに雪中のさまを図したる事ハ、夷人の 境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、 多くは酷寒風雪のうちにありて、その 艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の 雪のさまを図したるはミな是故としるへし、 イカシコレ」と唱える。キムンというのは山をいい、カモイは神をいい、ヒリカは善くをいい、ノは助詞である。 イカシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてアイヌの人びとの習俗なのである。 ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、アイヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。
第4巻, 33ページ, タイトル:
夷語に是をヒンラリツプと称す、ヒンは物のすき まあるをいひ、ラリはふさくをいひ、プは器も のをいふ、すきまをふさく器といふ事なり、 夷人の舟は釘を用ひす、ミな縄にて縫ひ あハするゆへ、いつれ板と板とのあひたすき まある事也、それを此図に出せる苔を下に置き、 その上に木をあて、縄にて縫ひ合る也、 苔は草とたかひ、物のすきまなとにあつる にはいとやハらかにて、 本邦の工家に 用る巻桧皮<俗にまへはたといふ>と同しさまに用ひらるゝ ゆへに、是をよしとする也、苔を夷語にムンと 称す、ムンはもと草の事なるを、夷人苔をも アイヌ語でヒンラリツプという。ヒンとは物に隙間があることをいい、ラリは塞ぐことをいい、プは器物をいう。「隙間を塞ぐ器物」ということである。 アイヌの舟は釘を用いず、すべて縄で縫い合わすので、どのみち板と板とのあいだに隙間ができるのである。それをここに図示した苔を下に置いてその上に木をあてて、縄にて縫い合わせるのである。苔は草と違って、物の隙間に詰めるのはとてもやわらかいので、日本の工芸家が使う巻桧皮<まきひわだ=俗に「まへはた」という>と同じように用いるので、そのすぐれていることがわかるのである。 苔をアイヌ語でムンと称する。ムンはもと草のことであったのを、アイヌの人びと苔も
第6巻, 7ページ, タイトル:
其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼 の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末 子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理 なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り 用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に 製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも 多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を 日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末 全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて 此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、 イタラツペのかたは略せるなり、

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