蝦夷生計図説

検索結果

"ミ": 93 件ヒット

第1巻, 6ページ, タイトル:
イナヲは 本邦にいふ幣帛の類なるにや、 都て蝦夷の俗は質素純朴なるによりて、天地の 事より初め神道を尊ひおそるゝ事、其国第一の 戒めたり、然るゆへに何事を為すにつきても、まつ 神明を尊ひ祭る事をつとめとして、是をカモイ ノと称す、  カモイは神をいひ、ノは祈る事をいひて、 神を祈るといふ事也、日本紀に神祈とかきて カイノと訓したると同し事なるにや、 委しくはカモイノの部に見ゑたり、カモイノの部未成 其カモイノを行ふには、かならす此イナヲを用る 事故、神明を祭るにさしつひて大切なる物と イナヲとは、わが国でいう幣帛の一種のことと考えられる。「蝦夷」の風俗は、概ねにおいて質素純朴である。彼らの国の開闢以来一番の戒めとして、神道を尊び畏怖することを挙げているほどだ。従って、何事をするにつけても、まず神明を尊び祭ることを旨としており、それをカモイノと称している。 *カモイは神を意味し、ノは祈るという意味であり、神を祈るという意味である。『日本紀』(『日本書紀』)に「神祈」とかいて「カイノ」と訓ませている事例と同じことであろうか。詳しくは本書「カモイノの部」を参照されたい。<割注:カモイノの部未成>  カモイノを行なうには、必ずこの図にあるようなイナヲを用いることになっている。それゆえ彼らにとってイナヲは、神明を祭るにあたって重要なものと
第1巻, 7ページ, タイトル:
する事也、是を製せんとすれは、潔斎ともいゝつ へきさまに、まつ其身を慎いさきよくす る事をなして、それより図の如くに製する也、    潔斎ともいふへき事は夷語にイコイコイと いひて、身を慎いさきよくする事のある也、委し くはカモイノの部にえたり、 是を製するに、小刀よふの器も、よのつねのは 用ひす、別にイナヲを製するためにたくハへ置 たるを取りいてゝ用ゆ、イナヲに為すへき木ハ何の 木とさたまりたるにもあらねと、いつれ質の白く して潔き木にあらされハ用ひす、其の削り出し たる木のくすといへとも妄にとりすつる事は 位置づけられている。 イナヲを作製するにあたっては、まるで潔斎でもするかのような様子で、その身を慎み清める行ないをしたうえで、図のような作業にかかるのである。  *潔斎でもするかのような行為のことについてであるが、彼らの言葉でイコイコイという、身を慎み清める行ないがある。イコイコイについての詳細は、本稿「カモイノの部」を参照されたい。  イナヲを作製するにあたっては、日常用いている小刀は使用されない。特別にイナヲ作成用としてしまってあるものを取り出して用いるのである。イナヲとなる樹木の種類についてであるが、定まった決まりがあるわけではない。ただし、どんな種類であっても材質が白く清潔な木でなければ用いられることはない。こうした木からイナヲを作製する過程で生じた削りくずといえども、妄りに捨ててしまうことは
第1巻, 8ページ, タイトル:
あらす、 ことーーく家のかたハらのヌシヤサンにおさめ 置事也、    ヌシヤサンの事、カモイノの部にえたり、 其製するところの形ちは、神を祭るの法にした かひて、ことーーくたかひあり、後の図を見て知へし、 凡て是をイナヲと称し、亦ヌシヤとも称す、此二つの語 未さたかならすといへとも、イナヲはイナボの転語 なるへし、 本邦関東の農家にて正月十五日に 質白なる木をもて稲穂の形ちに作り糞壤にたてゝ    俗にいふこひつかの事也、 五穀の豊穣を祈り、是をイナボと称す、此事いか ない。 それらは一つ残らず家の傍らにあるヌシヤサンに納め置かれるのである。 *ヌシヤサンのことについてであるが、本稿「カモイノの部」を参照されたい。 作製されたイナヲの形状についてであるが、神を祭るに際しての法に従って、ひとつひとつに相違がある。後掲の図を参照されたい。 これらを総称してイナヲまたはヌシヤという。この二つの語源は未詳であるが、うちイナヲはイナボ(稲穂)の転訛と考えられよう。我が国の関東農村において、正月一五日に材質の白い樹木を用いて稲穂の形にこしらえたものを糞壌に立てて *俗にいう「こひつか」(肥塚)のことである。 五穀豊穣を祈る儀礼があるが、その木製祭具を「イナボ」と称している。 この儀礼は、
第1巻, 9ページ, タイトル:
にも太古よりの遺風とこそえたれ、さらは この事の転し伝りてイナホをイナヲとあやまり 称するにや、またヌシヤといへる事はとりもなを さすヌサの転語にして大麻の事なるへし、 此稲穂と大麻の二つは 本邦にしても、今の 世に及ひては形ちもかハり事も同しからぬよふに 思ひなさるれと、いつれも天地の神明を祭るか ために設るところの物にして、其用ゆるの意は ひとしく今の幣帛也、今の幣帛は専らに 紙を用ひ、麻をもちゆれとも、上古の時紙麻とふ の物流布せさりしには、木のをもて製せし 事の有けんもしるへからす、其時にあたりてハ稲穂も いかにも太古からの遺風であるとの印象を受ける。そうだとすれば、こうした儀礼が転じ伝わって「イナホ」が「イナヲ」と誤って称されることになったのではなかろうか。また、「ヌシヤ」と称するのは、これはとりもなおさず「ヌサ」(幣)の転訛であり、大麻を指す言葉が伝播したと考えてよいであろう。 いま稲穂と大麻の二つについて言及したが、我が国について考えるならば、現在ではその形状も用いる儀礼も、太古のそれに比べ変化してきていると思われる。しかし、元来は両者とも天地の神明を祭る目的でつくられたものであり、その用途はいずれも現在の幣帛の持つ機能と同様である。現在幣帛は専ら紙や麻で作製されるが、上古にあって未だ紙や麻が流布していなかった時代には、樹木のみを素材としてつくられていた可能性がある。そう考えると、当時我が国では稲穂も
第1巻, 10ページ, タイトル:
大麻もひとしく木をもて製せし事にて、其  本邦太古のさまの転し伝りたるよりして、自ら イナヲ、ヌシヤとふの称は存するなるへし、是等の 事によらんには、まさしくイナヲは幣帛の 事をいふか如く、あまりに 本邦の事に近くきこ えて、蝦夷の事に熟せさらん人は附会のことのよふに のそ思ふへけれ、されと此事計りにはあらす、 奥羽の地にして蝦夷の風俗そのまゝ存し残り たる事多く、又は今の蝦夷にしては失ひたる 事のかへつて奥羽の地に存し残りたる事も 少からす、これらの事委曲に此書の奥にしるし たれは、此書全備するの日にいたらんには自らかく 大麻も等しく樹木により作製されていた、ということになる。こうした太古の我が国において行なわれていた方式が転じ伝わったために、イナヲ、ヌシヤという二つの呼び方が併存しているものと思われる。 以上のことから考えると、イナヲと幣帛とは、まさしく同義のものであると位置付けられよう。イナヲをこう位置付ける事に関しては、あまりに我が国の風俗と同質の性格であると捉えていることから、蝦夷の事情に通じていない向きには牽強付会の説であるとの思いを抱かせるかもしれない。しかし、ことは独りイナヲだけの問題ではない。 例えば奥羽の地である。奥羽地方の習俗に蝦夷のそれがそのまま残存している事例は多い。のみならず現在の蝦夷が失ってしまった習俗が、かえって奥羽地方に残っていることも少なくないのである。こうした事例の様々は、本書の随所で仔細に触れているつもりである。従って、本書の全巻に目を通された暁には、おのずから我が国と蝦夷の風俗が同質であるという説がことごとく
第1巻, 11ページ, タイトル:
いふ事のことーーくよりところありといふ事は しらるへき事にこそ、    すへて夷人の言語のことーーく 本邦の語に 通する事は語解の部に委しく論したるゆへ、 其地のところにありてはな欠て録さす、ひとり 此イナヲの部に限りては事により其語解を なさすしては会すへからさる事多きか故に、 やむ事を得すして録せし也、此部の中、語解を 論せし事はな此ゆへと知へし、 論拠のあるものだということを御理解いただけるはずである。 * 夷人の言葉がことごとく我が国の言葉に語源を有していることについての様々は、本稿「語解の部」に詳述してある。従って、本書の他の部分に関しては一々それを指摘することをしていない。但し、この「イナヲの部」に限っては、語源解釈をせずに論を進めることが困難だったため、やむを得ず触れた次第である。「イナヲの部」において語源解釈を論じているのはこうした理由からであることをご理解いただきたい。
第1巻, 13ページ, タイトル:
此イナヲは火の神を祭る時に奉け用ゆるなり、 アべシヤマウシイナヲと称する事は、アベは火の事をいひ、 シヤマは物のそばをいひ、ウシは立つ事をいひて、 火のそはに立つイナヲといふ事也、此語なとハまさ しく 本邦の語にも通するにや、アベは火の事 をいふにあたれり、    此事ハ語解の部に委しく論したり、こと 長けれはこゝにしるさす、 シヤマはソバの転語にして、ウシはアシの転語なる へし、アシといへる事は、もと立つ事をいふとゆる也、 人の脚をあしといへるも立つ事より出たるにや、 机案の類のしたに立たるところをあしといひ、  このイナヲは、火の神を祭るときに奉げ用いるものである。アベシヤマウシイナヲとは、「アベ」が火を、「シヤマ」が物のそばを、「ウシ」が立つことをそれぞれ表わし、合わせて「火のそばに立つイナヲ」という意味である。この語などはまさしく、我が国の言葉にも通じているように思われる。「アベ」とは、まさに火のことを言うのに当たっている。 * 「アベ」が火のことを指すということについては、本稿「語解の部」で詳しく論じている。長くなるのでここには記さない。 「シヤマ」は「そば」の転語であり、「ウシ」は「あし」の転語であろう。「あし」というのは、元来立つことを指していたと考えられる。人の足を「あし」というのも、立つことから出た言葉であろう。机などで下に立ててある部分を「あし」といい、
第1巻, 14ページ, タイトル:
其外雲あし、雨あしなといへる事も、なその 立るかたちをいへる也、かく見る時はアベシヤマウシ は火のそばに立つといふ事に通するなり、この イナヲは夷地のうちシリキシナイといふ所の辺 よりヒロウといへる所の辺まてにもちゆる也、 またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「アベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリキシナイ(尻岸内)という所からヒロウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。
第1巻, 18ページ, タイトル:
義にて、たゝ陰陽の二つを男女と分ちたる事なる へし、これらの事誰おしへたるにもあらねと、用る ところのイナヲ男女のなるにしたかひて、其削れ るかたち自ら仰伏のたかひありて、陰陽の象を 表したること誠に天地の自然に出たるにてそある へき、委しくは図を見てしるへし、夷語に男子を ビンといへる事は、其義いまた詳ならす、婦女を マチといへる事は、まさしく日本紀に命婦とかきて マチと訓したり、此マチ子アベシヤマウシイナヲを一には メノコアベシヤマウシイナヲともいへり、メノコといふも女の 事にて、是はとりもなをさす女子なるへし、 此二つのイナヲはヒロウといへる所の辺より 意味合いで、単に陰陽の二つを男女として分けたのではないか。こうした区分を誰が教えたというわけでもなかろうが、用いられるイナヲが男女のみであり、また、その削られた形状も自然と仰伏の相違があり、陰陽の象を表わしている。こうした区分は、誠に天地の自然が為さしめたものであろう。詳しくは、図を御参照ありたい。アイヌ語で男子を「ビン」という訳は、いまだ詳らかではない。しかし、婦女のことを「マチ」というのは、まさしく『日本紀』に命婦と書いて「まち」と訓じているのと通じている。また、このマチネアベシヤマウシイナヲは別にメノコアベシヤマウシイナヲともいう。「メノコ」という語も女を意味しており、これはとりもなおさず女子のことであろう。この二つのイナヲは、ヒロウという所辺りから
第1巻, 27ページ, タイトル:
ハルケとは縄の事をいひて、縄のイナヲといふ事 なり、又一つにはトシイナヲともいふ、トシは舩中に 用ゆる綱の事をいひて、綱のイナヲといふ事 なり、是はこのイナヲの形ち縄の如く、又綱の如く によれたるゆへに、かくは称する也、此イナヲはすへて カモイノを行ふの時、其家の四方の囲ひより初め 梁柱とふに至るまて、 本邦の民家にて 正月注連を張りたる如く奉けかさる也、按るに、  本邦辺鄙の俗、注連にはさむ紙をかきたれと 称し、又人家の門戸に正月あるひは神を祭る 事ある時は、枝のまゝなる竹を杭と同しく立て、 注連を張り、其竹につけたる紙をも又かきたれと  「ハルケ」とは縄のことを表わし、「縄のイナヲ」という意味である。また、別にトシイナヲともいう。「トシ」とは船で用いる綱のことをいい、「綱のイナヲ」という意味である。これは、このイナヲの形状が縄のように、あるいは綱のように撚れているために、こう称されるのである。このイナヲは、カモイノを行なうときに、家の四方の囲いからはじめ、梁柱などに至るまでの隅々を、我が国の民家において正月に注連縄を張るように奉げ飾るのに用いられるのである。按ずるに、我が国の辺鄙の地における風俗に、注連縄に挟む紙を「かきたれ」と称し、また人家の門戸に正月あるいは神事がある時に枝のままの竹を杭のように立て注連縄を張るのであるが、その竹につけた紙のことも「かきたれ」と
第1巻, 28ページ, タイトル:
称す、かきたれといへる事はもと削り垂ると いはんか如き事なるを、紙にて製せし物に称する 事、其義あたれりとも思はれす、これは古へ紙 製の事いまた流布せさりし時にハ、辺鄙の 民家とふにてハ、これらの物な質白なる木を 用ひて製せしより、おのつからかきたれとふの 名は唱へしなるへし、今夷人の俗に此イナヲ を用ゆる事は、まさしくかの 本邦上古の 時、木にて製せしかきたれの遺風を伝へし 事とゆる也、 いるものがある。 「かきたれ」という言葉は、元々は削り垂れるというような意味だったのであろうが、それを紙でつくったものを表わす言葉として用いるのは、意味的に言ってあたっているとは思われない。これは、紙がまだ流布していなかった古い時代に、辺鄙の地の民家などにては、材質の白い木を用いてこうしたものを作っていたため、自ずから「かきたれ」という名が唱えられたものと考えられる。現在アイヌの人々がこのイナヲを用いているのは、まさしくわが国における上古の時代に木でつくられた、かの「かきたれ」の遺風を伝えているものと見ることができるのである。
第1巻, 30ページ, タイトル:
シユトといへるは、もと杖の名にして、ウカルを行ふ 時にもちゆる物也、    ウカルといふは、夷人の俗罪を犯したる者あれハ、 それをむちうつ事のある也、シユトは其むち うつ杖の事をいふ、委しくは、ウカルの部にえたり、 此イナヲを製するには、まつ木をシユトの形ちの 如くにして、それより次第に削り立る事をなすに よりて、かくは名つけし也、 本邦の語に 罪人をうつ杖の事をしもとゝいふ、さらはシユトは しもとの転語にして、これ又 本邦の語に 通するにや、このイナヲはいつれの神を祈るにも 通し用ゆる事也、 「シユト」とは、もと杖の意味であり、ウカル( )を行なう時に用いられる。 * ウカルといって、アイヌの人々のなかで俗罪を犯した者がいた場合、その者を鞭打つことがある。シユトは、その際に用いられる杖のことをいう。詳しくは、本稿「ウカルの部」に記してある。このイナヲを作製するときに、まず木をシユトの形のように加工してから順次削っていくことにより、こう名づけられたのである。わが国の言葉で罪人を打つ杖のことを「しもと」という。つまり、「シユト」は「しもと」の転語であり、これまたわが国の言葉と通じていることになろう。なお、このイナヲはどの神を祈るにも共通して用いられるものである。
第1巻, 32ページ, タイトル:
イコシは守りをいひ、ラツケは物を掛け置く事を いひて、守りを懸け置くイナヲといふ事なり、    守りといへるは夷人の身を守護するところの 宝器をいふ也、その宝器はなを 本邦の俗に 小児の守り袋なといはんか如く、身の守りになる よしいひて、殊の外に尊ふ事也、委しくハ宝器の 部にえたり、 時ありて此イナヲに其宝器をかけ、住居のヌシヤ サンにかさり置て祈る事のある也、其祈る事は ことーーく意味深きよしなれは、夷人の甚秘する 事にて、人にかたらさるゆへ、其義いまた詳ならす、 追て探索の上録すへし、  「イコシ」はお守りを、「ラツケ」は物を掛けて置くことを表わし、合わせて「お守りを掛けて置くイナヲ」という意味である。 * お守りというのは、アイヌの人々の身を守護してくれる宝器のことである。その宝器は、わが国で俗に小児の守り袋などのように、身の守りになるといって、大変尊ばれるものである。詳しくは、本稿「宝器の部」に記してある。 時折、このイナヲにその宝器を掛け、住居に附属するヌシヤサンに飾り置いて祈ることがある。何を祈っているかについては、その悉くについて深い意味があるとのことで、アイヌの人々は甚だ秘して他人には語らないため、いまだ詳らかにすることはできない。追って探索の上記すこととしたい。
第1巻, 37ページ, タイトル:
ハシとは木の小枝の事をいふ、すなハち  本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、 是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯 を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ サンなとにも奉け用る事もあり、    コタンコル、ヌシヤサンの事は、カモイノの部に えたり、 右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、 其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、 今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の 詳なるをまちて録すへし、  「ハシ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。 * コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「カモイノの部」に記してある。 右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
第2巻, 6ページ, タイトル:
食するに至るまてのわさことに心を用るなり、 其次第は後の図に委しく見へたり、是より 出たる糠といへともたりにする事あらす、 其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ カモイと称して、神明の在るところとなし、尊 おく事也、これまた後の図にえたり、此稗を 奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には 似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、 荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する 事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷 の地より伝へ来りたるによりてかく称すると 食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。 棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。 この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて
第2巻, 7ページ, タイトル:
いふ事にはあるへからす、 是を 本邦禾穀のうちに考るに、今いふ田稗なるへし、田稗と いへる物は田のに限らす、すへて痩湿の地 には、植る事をまたすして生熟するものにて、 今の世の人はたゝよのつねの野草と同しもの よふにおほへたる事也、されと上古の時、禾穀の類の いまた豊穣ならさりしには、これらの類をも 作り用ひたる事なるへし、其後禾穀の類の ゆたかになりしよりおのつからこれらの類は 麁細なる物として作れる者もなく、たゝ奥羽 ならひに松前とふの辺地にての稀に作れる 事にハなりたるとゆる也、蝦夷稗の名を得たる いる。他の穀類とは異なり、土地の肥瘠に関わらずよく稔り、凶作知らずであるという。 「蝦夷稗」という呼び名は、これが本邦原産ではなく蝦夷地から伝来したものであることによって、そう称されているという訳ではないだろう。我が国に生育する禾穀類のなかに、現在「田稗」というものがあるが、おそらくそれを指すものと考えられる。「田稗」は田にのみ生育するのではなく、湿地でさえあれば、手をかけるまでもなく成熟するものである。従って今では、普通の野草と同じもののように考えられている。しかし、禾穀類がまだ豊穣ではなかった上古の時代には、「田稗」の類も栽培され用いられていたことであろうと考えられる。その後禾穀類が豊かになったことにより、「田稗」の類は取るに足らないものとして、自然と栽培する者もいなくなり、僅かに奥羽ならびに松前といった辺境の地で稀に作られるのみとなったと見ることができる。「蝦夷稗」という名がついたのは
第2巻, 8ページ, タイトル:
事は、今に及ひては専ら蝦夷の地にての 作り用ゆる事よりして、おのつからかゝる名を 唱ふるなるへし、其形ちの如きまさしく田稗と 露たかふ事なしといふにハあらねと、これハ人の 手によりて其生熟の性をとくると、たゝ原野荒 草のうちに混して生するによりておのつから 形ちに少しくかハれるさまのあるなるへし、しか りといへともひとしく稗の一種にして、  本邦の地にも生し、蝦夷の地にも生するといへ る事はいさゝか疑うへき事に非す、是のにあらす、 近き頃に至りてハ、蝦夷のうち極北の地に あらさるところは粱・稗・大根・菜とふを 現在ではそれが専ら蝦夷地でのみ作られることから、自然とその名が唱えられるようになったためであろう。「蝦夷稗」の形状は、「田稗」とまったく同様というわけではない。しかし、これは栽培により成熟したものか、原野で野生の植物の中に混じって生育するものかによって、自然とその形状に少々の相違が生じてきたためと捉えられる。但しそうであっても両者は稗の仲間の同一種であり、我が国の土地にも生育し、蝦夷地にも生育するものであるということは、まったく疑う余地がないのである。 なお、近年では蝦夷地で栽培される作物のはこれのみではなく、極北の地を除き、粱・稗・大根・菜などを
第2巻, 16ページ, タイトル:
作れる地にして場圃のさましたるところをも、又 称してトイタといふ也、凡これらの事、  本邦の事に比しては論し難きところなり、 これより後、其言葉は一にして、其事のたかひ ある事は皆この故としるへし、 夷人のならひ、これらの事をなすに地の美悪を えらふなといへる事はえす、山中の不平なる 地あるは樹木の陰なとおもトイタとなして作れる 事なり、    但し、地をえらふ事のなしといへるはさたかなる 事にはあらす、外より打見たるさまハかく見 ゆれとも、すへて夷人の性は物事深くかんかへて 栽培地である場圃様の所をもまた、トイタと称するのである。こうした事情につき、我が国における事例を挙げ、比較して論じるのは難しい。以下、本稿において同一語であるにもかかわらず、その示す意味が異なっているのは、皆こうした理由によるものと御承知置き願いたい。 アイヌの人々の慣習として、栽培をするに際しては土地の美悪を選ぶことはしない。山中の平らではない土地や樹木の陰になっている土地などをもトイタとなして栽培を行なっている。 * 但し、地を選ぶことがない、という見方は、実ははっきりしたことではない。傍から見ればそのように見えるのであるが、アイヌの人々は物事を深く考える
第2巻, 22ページ, タイトル:
草を焼てより其地の土を平らかにならす也、 是をトイラヽツカと称す、トイは前に同しく、 ラヽツカとはすへて物を平らかにする事をいひ て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境 釆槌とふの器もなけれハ、地をならすといへるも、  本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事にハ非す、 唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物 の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく タシロとふのものにてきり除くのの事也、    タシロといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、 委しくは器材の部にえたり、 草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツカという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツカ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。アイヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシロという用具で切り除くだけのことである。   *タシロというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
第2巻, 24ページ, タイトル:
土をならす事終りて、それより種を蒔なり、 是をピチヤリパと称す、ピはすへて物の種を いひ、チヤリパは蒔事をいひて、種をまくといふ 事也、凡トイタの事、地の美悪をえらふと いへる事もえす、又こやしなと用るといふ 事もなけれと、たゝこの種を蒔事の殊に 心を用ひて時節をかんかふる事也、その 時節といへるも、もとより暦といふ物もなけ れは、時日をいつの頃と定め置といふ事には あらす、唯ふりつし雪の消行まゝ、山野 の草のおのつから生しぬるをうかゝひて 種を蒔の時節とはなす事也、 土を均す作業が終わると、それより種蒔きとなる。これを「ピチヤリパ」という。「ピ」は種子一般を、「チヤリパ」は蒔くことを表し、合わせて種を蒔くことを意味する。全体的に見て、トイタの作業は、土地の美悪を選ぶということも確認されず、また肥料を用いるということもない。しかし、この作業、即ち種を蒔くことについてだけは、その時期をどうするかの判断に心を用いるのである。その時期であるが、もとより暦を持たないため、日時をいついつの頃とあらかじめ定めて置くわけではない。ただ降り積もった雪が消え行き、山野の草が自ずから芽吹いてくるのに接して、種を蒔く時節を見計らっているのである。
第2巻, 25ページ, タイトル:
すへて夷人の境時候ひとしからす、寒暖の 遅速によりて種を蒔の時節も又かハれり、 先つおほよそは 本邦の時節に見んにハ四月の 半より五月の半にあたるへし、 こゝに図したるところは、種を蒔とハいへとも たゝ地上にうち散らしたるのにて、土を覆ふと いふ事もなけれは、雀なとの小鳥ひろひ喰 ひて自然生のさましたるをしるせるなり、 * アイヌの人々の住んでいる土地は、地域によって季候が異なっている。寒暖の遅速によって、種を蒔く時節もまた一様ではない。一般的には、わが国の季節でいうと四月の半ばから五月の半ばに相当するだろう。 ここに掲げた図は、種を蒔くとはいいながら、ただ地上に散らしているだけで、土をかぶせるということもしないため、雀などの小鳥がそれを拾って食べてしまう。結局自生と同じ有様であることを示したものである。
第2巻, 27ページ, タイトル:
是も初めにしるせしムンカルと同しく、草を かるといふ事也、されと其義はたかひ有事にて、 前にしるせるは、たゝ草を苅る事をいふ也、こゝに いふところも蒔置たる二種のものゝ芽を出せし より、其たけもやゝのひたる頃に及ひ、其間に 野草の交り生して植し物のさハりとなる故に、 其草を抜きすつる事をいふ也、されハ同しく 草を除くといふにも、其わけはたかひてあれ とも、上に論する如く、夷人の言語は数少く して物をかねていふ事のあるゆへ、これらの 類もひとしくムンカルとの称する也 、 本邦にて禾菜の類を作るにハおろぬくと これも、初めに記したムンカルと同様、草を刈るという言葉である。しかし、その意味内容は異なっている。前に記したものは、ただ草を刈ることをいうのみであった。ここでいうムンカルは、蒔いて置いた二種の作物が発芽し、丈もやや伸びた頃に、その間に交じって生えてきて成長の妨げとなる雑草を取り除く作業をいう。従って同じく草を除くという言葉ではあるが、その意味するところは異なっているのである。これは、前述のように、アイヌの人々の言葉は単語の数が少なく、物事を兼ねていうことがあるためである。いま述べた二つの作業について、同じくムンカルと称するのは、そのためである。
第2巻, 28ページ, タイトル:
いふ事ありて、蒔たる種の一つに叢生したる をは其間をすかし、長し易からん事をはかりて ぬき去る事なとあれと、夷人のするところハ 聊かさよふの事もあらす、唯こゝに図する如く 野草なとのはひこり生する事あれハ、それを 抜き去るのにて、其余はたゝ生したるまゝにて 打すてをけとも、自然によく生熟する 事なり、
第2巻, 30ページ, タイトル:
是はアユシアマヽ熟するの時に及て、その穂を きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ ツタセイコトクといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト クは附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、    これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀 を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ は別に貝類の部にくハしくえたり、 凡穂をきるにはなこれを用ひてきる事也、 決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事ハ あらす、奥羽の両国の中まれにハ穂をきるに右の 如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、 これは、アユシアママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトクというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コトク」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。 * これに用いられる貝を、アイヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
第3巻, 4ページ, タイトル:
是は剪り採りし穂を収め置事をいふなり、 フヲツタシツカシマといへるは、フとは 本邦にしてハ 蔵なといへる物のことく、物を貯へ置ところ をいふ、    其造れるさまも常の家とは事替りて、 いかにも床を高くなして住居より引はなれたる 所に造り置事也、委しくハ住居の部に えたり、 ヲツタは前にいふ如くにの字の意也、シツカシマとハ 大事に物を収め置事をいひて、蔵に収め置と いふ事也、其収め置にはサラニツプといへる物に 入れて置も有、あるは俵の如くになして入れ置 これは、刈り取った穂を収め置くことをいう。フヲツタシツカシマという語のうち、「フ」はわが国でいうところの蔵のように、物を貯え置く場所を表す。 * その建築形態は通常の家とは異なり、何とか工夫して床を高くしつらえ、住居から引き離れた場所に建てられるものである。詳しくは本稿「住居の部」に記してある。 「ヲツタ」は前述の通り「~に」という語を表す。「シツカシマ」とは大事に物を収め置くことをいう。合わせて「蔵に収め置く」という意味である。収めておくに際しては、サラニツプという物に入れておくことがある。また、俵のようにこしらえて入れておく
第3巻, 5ページ, タイトル:
もある也、    サラニツフといへるは草にて作れる物也、俵に するといへるも多くは夷地のキナといへる物を 用ゆる也、二つともに委しくハ器財の部にへたり、 此中来年の種になすへきをよく貯へ置にハ、 よく熟したる穂をゑらひ、茎をつけて剪り、よく たばねて苞となし、同しく蔵に入れをく也、 是にてまつアユウシアマヽを作り立るの業は 終る也、すへて是迄の事平易にして、格別に 艱難なるさまもなきよふにゆれとも、ことに 然るにあらす、夷人の境よろつの器具とふも心に まかせすして力を労する事も甚しく、また 場合もある。 * サラニツフというのは、草で作られたものである。俵にこしらえる場合も、多くは蝦夷地のキナというものが用いられる.詳しくは本稿「器材の部」に記してある。 このなかから来年の種とするものを良い状態で貯えておくには、よく熟した穂を選び、茎をつけたまま刈り、よく束ねて包みとし、他の穂と同様に蔵に入れておく必用がある。 これでアユウシアママを作りたてる作業は終了である。全般にこれまでの作業は平易であり、格別に困難な様子などないように見えるが、そうではない。アイヌの人々の住む地では、諸種の農器具なども手に入らず、従って労力を費やすことが甚だしい。また、
第3巻, 8ページ, タイトル:
ルシヤシヤツヽケと称する事は、ルシヤとハ蘆をあ て簾の如くなしたる物をいひ、シャツヽケとは干す 事をいひて、簾にほすといふ事也、是は蔵に 入れ置たる穂を食せんとする時に及ひて蔵より とりいてゝ簾にのせ、囲炉裏の上に図の如くに 干す事也、いかなるゆへにやいとま有時といへとも 残らす舂てそれを貯へ置といふ事ハあらす、 いつれ穂のまゝに蔵に収め置て、食するたひ ことに蔵よりとり出し図の如くに干して、 それより舂く事をもなす事なり、  ルシヤシヤツツケとは、「ルシヤ」がアシを編んで簾のように作ったものを、「シヤツツケ」が干すことを表し、合わせて「簾に干す」という意味である。これは、蔵に入れておいた穂を食しようとする時に、蔵から取り出して簾に乗せ、囲炉裏の上に図のように干すことを指す。どういうわけか、いくら時間があったとしても、蔵の穂をすべて搗いたうえで貯えるということは行なわれない。 穂のままで蔵に収めておき、食する度ごとに取り出して図のように干したうえで搗くことになっているのである。
第3巻, 14ページ, タイトル:
ムルとは糠の事をいひ、ヲシヨラとは捨る事を いひて、糠をすつるといふ事也、またムルクタと も称す、是は簸事終りてより、その出たる 糠を捨るさま也、此糠をすつるにハことに意味 ある事にて、委しくハ後の図にえたり、 「ムル」とは糠を、「ヲシヨラ」とは捨てることを表し、合わせて「糠を捨てる」という意味である。また別にムルクタともいう。この図は、箕を用いて籾殻をあおり屑を取り除く作業を終えた後、その際に出た糠を捨てる様子である。糠を捨てることは、大変意味のある行為なので、次の図に詳しく示しておいた。
第3巻, 16ページ, タイトル:
ムルクタウシウンカモイと称する事は、ムルクタは前に いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、 糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は 聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の 罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに 定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊 をく事也、唯糠のに限らす、凡て二種の物の ムルクウタウシウンカモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。 そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の
第3巻, 17ページ, タイトル:
朽たる根、あるは枯たる葉、其余二種の物に あつかるほとの器具は、臼・杵・鐺・椀より初め、炉上 に穂を干すの簾、あるは自在とふの物に至る まて、破れ損する事あれはひとしく是を右の 所に捨置て他にすつる事決てあらす、ことに其 破れたる器具を水を遣ふの事に用ひ、及ひ 水中に捨る事なとは甚忌きらふ事也、 其神を祭るの事はカモイノの部に委しく 見ゑたり、 すべての部分、 たとえば根や枯れた葉、またその接触したすべての器具、たとえば臼・杵・鍋・椀を始め囲炉裏の上で穂を干す簾や自在鈎などの物に至るまで、破損してしまったものがあるとすべて同じ所に捨てることとなっており、決して他の場所に捨てられることはない。特に破損した器具を水をつかう作業に用いたり、水中に捨てることは、大変忌み嫌われている。 こうした神を祭ることについては、本稿「カモイノの部」に詳しく記してある。
第3巻, 20ページ, タイトル:
なり、但し寒気の甚しくして土地の氷れる 時に至れは、やむ事を得すしてな掘り出して 貯へ置く也、 それを根菜ともにきりて、魚の肉と同しく鍋に 入れ、水をもて少しく塩けの有よふに烹て 食する也、是をラタ子ヲハワと称す、ヲハワトは 汁の事をいひて、ラタ子を入れたる汁といふ事也、    すへて汁の実に魚を用ゆる事、夷人の常 食にて、ラタ子は其助けに用ゆる也、然るゆへに、 いつれ魚と雑へ烹る事にて、ラタ子計り烹ると いふ事ハあらす、唯根の格別に大なるは、湯煮 になして食事の外に喰ふ事あり、  のである。 そして寒気が甚だしくなり、地面が凍ってしまうような時に至り、やむを得ず皆掘り出して貯え置くのである。 根と葉を取り除いた上で、それを魚の肉と一緒に鍋に入れ、水により少々塩気がきくように煮て、食するのである。この料理をラタネヲハワという。「ヲハワ」とは汁のことを表し、「ラタネを入れた汁」という意味である。 * 概ねにおいて汁の実に魚を用いるのがアイヌの人々の常食であり、ラタネは付け合わせとして用いられる。従って、魚に交えて煮られるものであり、ラタネ単独で煮られるということはない。ただし、格別に大きな根は、そのまま茹でて食事とは別に食されることがある。
第3巻, 21ページ, タイトル:
本邦にいはんには、なを菓子なとに用ゆるか如し、 其汁の実の助となす物は、ラタ子の外にも 海苔あるは草とふを用ゆる事有、其草のかす 又多し、委しくは食草の部にえたり、 右のうちアユウシアマヽは 本邦の事に 比していはんには、なを飯の如く、ラタ子はなを 菜汁とふの如き物なれとも、夷人の習ひ然る 事にさたまりたるにハあらす、二つともにいつれも 糧食となす事也、すへて此等の類の飲食に かゝはりたる事は、専ら女の夷人の業となす事、 本邦にことなる事あらす、其食するさまの 委曲は後の図にえたり、 わが国でいうと、ちょうど菓子などとして用いるようなものである。なお、汁の実のとして付け合わされるものには、ラタネの他に、海苔や草などが挙げられる。その草の種類は少なくない。詳しくは、本稿「食草の部」に記されている。 二種の作物のうちアユシアママは、わが国でいうならば飯のようなもので、ラタネは同じく菜汁のようなものといえる。しかし、アイヌの人々の流儀では、そのように定まっているわけではない。両者ともに等価の糧食としているのである。なお、こうした飲食に関わる作業が専らアイヌ女性の領分であることは、わが国のそれと同様である。食事の様子の詳細については、次に掲げた図に示した通りである。
第3巻, 25ページ, タイトル:
粥計りを食しをく事もあり、又あるときは 魚はかりを食しをく時もある也、ここに図する ところは粥を食するさまゆへ、アマヽイベと題表を しるせし也、右三種のものを食するに、  本邦の人の如くいく椀をもかへて喰ふという 事はあらす、いつれも一椀をもて其限りとす、 三種の物の中あるは二種あるは一種の物を 食する時も、又各一椀つゝをもて限りとする也、    是等の事いかなるゆへによりてかくハ定め たりけん、三種の物な次第して烹るときハ、一種を 一椀つゝ喰ひても凡て三椀の食にあたるへし、三種の 物の具さらんにハ、あるは二椀を食するにとゝまり、 あるいは粥だけの食事もある。またある時は魚だけの食事もある。ここに掲げた図は、 粥を食する様子なので、「アママイベ」と表題をつけたのである。いま記した三種類のものを食するに際して、わが国の人のように、幾椀もお代わりして食べるということはない。すべて一椀ずつで済ませてしまう。 三種類のもののうち二種類あるいは一種類だけの食事の場合も、同じく一椀ずつで済ませるのである。 * どうした理由で、こうしたことを定めているのだろうか。三種類のものを皆そろえて煮ることができる場合は、一種類を一椀ずつとしても三椀食することになろう。一方、三種類のものが揃わなかったときは、二椀もしくは
第3巻, 26ページ, タイトル:
あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の 事をもて意となさゝる事とゆる也、 一椀を喰ふことに粥をはアマヽトカモイと唱へ、 魚肉及ひ汁をはチエツプトカモイと唱へてより喰ふ なり、アマヽトカモイといへるは、アマヽは穀食をいひ、 トは尊き事をいひ、カモイは神をいひて、穀食 尊き神といふ事也、チエツプトカモイといへるは、チエ ツプは魚をいひ、トカモイは上と同し事にて、魚の 尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地 神明のたまものにて、人の身命を保つところの 物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を 一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、アイヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。 こうした椀は、一椀ごとに、粥をアママトカモイと唱え、魚肉および汁をチヱツプトカモイと唱えてから食される。アママトカモイとは、「アママ」が穀物を、「ト」が「尊い」という語を、「カモイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。チヱツプトカモイとは、「チヱツプ」が魚を表し、「トカモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。アイヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を
第3巻, 27ページ, タイトル:
拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中 魚を喰ふにもチエツプトカモイと唱へ、汁を喰ふ にもまた同しくチエツプトカモイと唱ふる事は、 前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を 用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを 入る事はな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと いふのこゝろにて、同しくチエツプトカモイと唱ふる なり、    これのにあらす、すへて食するほとの物ハ何に よらす其物の名を上に唱へ、某のトカモイと 唱へて食する事、夷人の習俗なり、 一日に両度つゝ食するうち、朝の食は   拝むために唱えられるのが、 この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトカモイと唱えているのである。 * これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。 一日に二度の食事のうち朝食は、
第3巻, 28ページ, タイトル:
本邦の時刻にいはんにハ、いつも四ツ時頃より九ツ 時頃に至る也、其ゆへは朝にとく起て其まゝ食 事するといふ事はあらす、いつれの業にても一般 の務をなして、それより朝の食事につく也、 是は男女ともにことなる事なし、たとえは男子 漁獵に出れは、女子も又家に在りてアツシにても 織るなといふ如きの事也、食事の時にあたりて 家中の者他に行て其座にあらされは、まつし ハらくひかへて帰るをまち、もし帰る事の晩けれは、 その者の喰ふへき分を椀に盛りてそなへ置、 それより家中の者な食事をなすなり、 又食事の時外より人来る事あれは、其人数の わが国の時刻でいえば通常四ツ時頃から九ツ時頃までの間に行なわれる。つまり、朝早く起きて、何らかの一般的な作業を行い、その後に朝食をとることになるのである。 これは、男女ともに同様である。たとえば男子が漁に出れば、女子は家にあってアツシなどを織るなどといった具合にである。食事の時に際しては、家族の誰かが他所へ行っていてその座に居合わせなかった場合、まず暫くは帰宅を待ってみる。もし帰ってくるのが遅かった場合は、その者の食べる分を椀に盛って分けておいて、その後に家のもの皆が食事をとるのである。 また、食事のときに外から人が訪ねてきた場合には、その人数の
第4巻, 4ページ, タイトル:
凡夷人の舟は敷をもて其基本とす、しかるか 故に舟を作んとすれは、まつ初めに山中に 入て敷となすへき大木を求むる事也、    夷人の舟は、敷をもて本とする事、後に くハしく見へたり、 其山中に入んとする時にあたりてハ、かならす先つ 山口にて図の如くイナヲをさゝけて山神を祭り、    イナヲといへるは、 本邦にいふ幣帛の類也、 くハしくはイナヲの部にえたり、 埼嶇□嶢のちを歴るといへとも、身に 恙なくかつは猛獣の害にあはさる事とふを 祈る也、其祈る詞にキムンカモイヒリカノ ☆すべてアイヌの舟は船体が基本である。だから舟を作ろうとすれば、まずはじめにおこなうのは山に入って船体とする大木を探し求めることである。  <註:アイヌの舟は船体が基本であることは、後に詳しく述べられている> ☆そのために山の中に入ろうとするときには、かならず最初に山の入り口で図のようにイナウを捧げて山の神を祭り、 <註:イナウというのはわが国でいうところの御幣のたぐいである。詳しく は「イナヲの部」に述べられている> ☆ 崖や@@の道を歩きまわっても、自分のからだにつつがなく、さらに猛獣に襲われないことを祈るのである。その祈りことばに「キムンカモイヒリカノ
第4巻, 5ページ, タイトル:
イカシコレと唱ふ、キムンは山をいひ、カモイは 神をいひ、ヒリカは善をいひ、ノは助語なり、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く 山神を祭り終りて、それより山中に入る也、 木を尋る時のに限らす、すへて深山に入んと すれハ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、 こゝに雪中のさまを図したる事ハ、夷人の 境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、 多くは酷寒風雪のうちにありて、その 艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の 雪のさまを図したるはな是故としるへし、 イカシコレ」と唱える。キムンというのは山をいい、カモイは神をいい、ヒリカは善くをいい、ノは助詞である。 イカシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてアイヌの人びとの習俗なのである。 ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、アイヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。
第4巻, 7ページ, タイトル:
山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、 たつね得るにおよひて、其木の下に至り、 図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その 地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、 シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは 此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ 事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、 この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の 如し、敷の木のに限らす、すへて木を伐んと すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て 後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、 ☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。 この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
第4巻, 16ページ, タイトル:
木の精を祭る事終りて、其大概作りたる 舟敷を山中より出し、住居のかたハらに移し 置て、それより作り立るの工夫にかゝる也、 まつ前の図のことくに敷の両縁のうちに 横木をいれ、内へしほまさるよふになし、また 舳・艫に筵よふの物をあつく巻き、ひゝの入り 損せさるよふにして、幾日といふ 事なく日にさらし置く也、その木のよくーー乾きか たまりてゆかくるいとふの出さるをまち、夫より 後の図の如く地に角木をならへしき、其上に 敷をすへ、うちに大小の石を入れ、すハりの穏か なるよふになし、さて水を十分にもる也、此水の ☆ 木の霊をまつる儀礼が終わると、おおよそできあがった船体を山からおろして、家のそばに移しておく。そうして完成までの工程にとりかかるのである。 まず、前の図のように、船体の両縁の内側に横木をいれて内側に船体がしぼまないようにし、またみよしとともには筵のようなものを厚く巻いてひびがはいって壊れないように手当てをしておいていくにちも日にさらしておくのである。そしてその木がよく乾燥してゆがみや狂いが出なくなるのをまつ。それから、後の図のように、地面に角材を並べて敷いてその上に船体を置きそしてその中に大小の石ををいれてすわりを整えてから水を十分にいれるのである。 この水の
第4巻, 17ページ, タイトル:
おもむきにて、舳・艫両縁より初めすへて形ちの 善悪を考へ、其外水上往来の遅速、波濤を 渉るの便利、あるひは出岸着岸、またハ陸にあけおろ しの事とふまて、子細に舟の様子を 熟慮して、其高低曲直を漸々に削りなをす なり、すへて夷人の境いまた規矩といふものも あらす、唯かゝる工夫のにて作り出せるゆへ、 心を労し、思を焦し、数月をかさぬるにあらすし ては、敷一つを作り得る事もならさる也、その うち月日を重ね、纔に作りたる数にも彼是の 便利あしけれハ、徒にすつるもありて、其辛苦を きハむる事言葉に尽しかたし、 状態によって、みよしやとも、両側の縁などをは12じめ、船体すべての形を考え、そのほか水上往来の早さ、波をこえる性能、あるいは岸を離れるときや着岸、おかへ上げたりおろしたりといったことにまで、ことこまかに舟の状態を熟慮し、船体の高さかげんや曲がりなどを少しずつ削りなおしていくのである。 アイヌの人びとには物差しというものがないので、こういう工夫だけで舟を造り上げていくため、心労やいろいろ考えること数ヶ月にもおよぶことなくしては、船体ひとつを造りだすこともできないのである。そうして月日を重ねてわずかに造った数のうちにもいろいろの不具合があれば、捨ててしまうのもあるようにその辛苦をきわめること、実にことばにいいつくすことは出来ない。
第4巻, 20ページ, タイトル: よしの図二種 
第4巻, 22ページ, タイトル:
て見聞したる事にあらさる故しる さす、後来たしかに見聞するの日に及んて記さんとす、後凡エトロフ・ラツコ とふの事に至りては、な欠て録せさるものこのゆへとしるへし、 親しく見聞したことではないのでここでは記さない。  のちに確実に見聞できる日がきたら記すことにしよう。この後、エトロフ島やラッコ島のことを記録していないのはそのためであることを知っておいてほしい。
第4巻, 24ページ, タイトル:
とだては舟の艫なり、図に二種出セる事ハ、 所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、 二種のうち前の図はシリキシナイよりヒロウ まての舟にもちゆ、    すへて所により用る物のたかふ事なと、此所 より此所迄とくハしく限りてハいひ難し、 こゝにシキリシナイよりヒロウまてといへ るも、シリキシナイの辺よりヒロウの辺 まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる 事はな此類と知へし、 夷語に是をイクムと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし 「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからヒロウまでの舟で用いている。   <註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと 詳しく限定していうことはできない。ここでシキリシナイからヒロ ウまでといっても、それはシリキシナイのあたりからヒロウのあた りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ とはすべてこの類と知っておいてほしい。> アイヌ語でこれをイクムという。  このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
第4巻, 33ページ, タイトル:
夷語に是をヒンラリツプと称す、ヒンは物のすき まあるをいひ、ラリはふさくをいひ、プは器も のをいふ、すきまをふさく器といふ事なり、 夷人の舟は釘を用ひす、な縄にて縫ひ あハするゆへ、いつれ板と板とのあひたすき まある事也、それを此図に出せる苔を下に置き、 その上に木をあて、縄にて縫ひ合る也、 苔は草とたかひ、物のすきまなとにあつる にはいとやハらかにて、 本邦の工家に 用る巻桧皮<俗にまへはたといふ>と同しさまに用ひらるゝ ゆへに、是をよしとする也、苔を夷語にムンと 称す、ムンはもと草の事なるを、夷人苔をも アイヌ語でヒンラリツプという。ヒンとは物に隙間があることをいい、ラリは塞ぐことをいい、プは器物をいう。「隙間を塞ぐ器物」ということである。 アイヌの舟は釘を用いず、すべて縄で縫い合わすので、どのみち板と板とのあいだに隙間ができるのである。それをここに図示した苔を下に置いてその上に木をあてて、縄にて縫い合わせるのである。苔は草と違って、物の隙間に詰めるのはとてもやわらかいので、日本の工芸家が使う巻桧皮<まきひわだ=俗に「まへはた」という>と同じように用いるので、そのすぐれていることがわかるのである。 苔をアイヌ語でムンと称する。ムンはもと草のことであったのを、アイヌの人びと苔も
第4巻, 36ページ, タイトル:
夷語に是をキウリと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし シリキシナイよりヒロウまての舟にハことーーく 此具を用ゆ、これハ北海になるほと風波あら きか故に、舟の堅固ならん事をはかりて なり、シリキシナイよりビロウまてハさの 北海にあらすして、風波のしのきかたも やすきゆへ、まれには此具を用ゆる舟も あれと、多くは用ひす、 アイヌ語でキウリという。    このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。 シリキシナイからヒロウまでの舟にはことごとくこの道具を用いている(訳註:ヒロウからクナシリまでの誤記か?)。これは北の海になるほど風波が荒いので舟を丈夫にするための工夫である。シリキシナイからヒロウまではそれほど北の海ではなく、風波から守る方法も容易なので、まれにこの道具を用いる舟もあるけれども多くの舟は使用しない。
第5巻, 4ページ, タイトル:
舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。 チプは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る 舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今   本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其 祈る詞に、チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリ カノイカシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、カシケタは 上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは 有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、 ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、 コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事 ある事なくよく守護を賜へといふ 事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の 安穏を願ふのにあらす、新たに造れる
第5巻, 5ページ, タイトル:
舟に神霊を招き移すといふ心もありて、 ことーーく意味ある事也、委しくは神 祈りの部に見えたり、    これにて先舟の製作は全く備る也、 これより後に出せる器具はな舟中に もちゆるところの物にして、此しなーー とゝのひてより海上をはしる事も乗る事も なる也、くハしくは後の図を見てしるへし、 舟に神霊を招き移すという心でもあって、すべて意味のあることなのである。詳しくは本書の『神祈りの部』(この部門はない)で述べてある。 これで舟の製作は完了する。こののちにだした器具はみな舟の中で用いるもので、この品々がそろってから海上を走ることも乗ることもできるのである。詳しくはのちの図を見てほしい。    
第5巻, 7ページ, タイトル:
図の如くに木を製し、舟の左右の縁に とち付てこれにカンヂといへる物をさしこ て舟をこく、    カンヂの図後に見へたり、 是をタカマヂと称す、タカマは跨く事をいふ、 ヂはすへて小なる物の高く出たるは乳の 如くなるをいふ、此タカマヂと称する事、其義 いまた詳ならす、夷人のいふところは、舟を こくにあはら木のある舟はそれに左右の 足をふあて、左右のタカマヂにカンヂをさし こて、跨り居てこぐ、あばら木のなきハ舟 底に横木をいれ、それに足をふかけ跨り 図のように木で作り、舟の左右の縁に綴じつけて、これにカンヂという物を挿し込んで舟を漕ぐ。    <註:カンヂの図はのちに出している> これをアイヌ語で「タカマヂ」と称する。タカマは跨くことをいう。ヂはとは小さなものが高く突出して乳のようになっているものをいう。これをタカマヂということの意味はまだよくわからない。アイヌの人びとがいうには、「あばら木」のある舟はそこに両足を広げて踏みあてて、左右のタカマヂにカンヂを挿し込んで漕ぐ。「あばら木」のない舟は舟底に横木をいれてそれに両足を広げて踏み
第5巻, 10ページ, タイトル:
是をカンヂと称し、左右のタカマヂにさし こて舟をこぐ、カンヂと称する事其義 未た詳ならす、考ふへし、たゞし奥羽の 両国ならびに松前とふの猟船に此具を 用るもありて、くるまかひといふ、これハその 形ちかひに似て、左右の手にてまはしーーー 水をこぐ事、車のめくるか如くなる故、 かくはいへる也、 これをカンヂと称して、左右のタカマヂに挿し込んで舟を漕ぐ。カンヂと称することの意味はまだはっきりとはわからない。考えておくことにしよう。ただし、奥羽の両国と松前などの漁船にはこのような道具を用いるものがあり、それをくるまかい(車櫂)という。これはその形がかい(櫂)に似ていて左右の手で回すように漕ぐようすが、車が回るようなのでこの名がある。
第5巻, 16ページ, タイトル:
夷語にこれをワツカケプと称す、ワツカは水をいひ、 ケはとる事をいひ、フは器をいふ、水を取器といふ 事也、奥羽の海辺ならひに松前とふにて、 右の形ちしたるあかとりをへけと称す、是を 夷語に解するに、ヘは水をいひ、ケはとる事 にて、水とりといふ事也、水を夷語にヘとも いひ、ワツカともいふ、今の夷人は専らワツカとのいひて、ヘといふも のは稀也、されとも二つのうちヘと称するは夷人の古語にして、 ワツカと称するは近き頃よりのことはなるよし、 老年の夷人はいひ伝へたり、是とふの事、 夷地にしてハ其古言を失ひ、奥羽ならひに アイヌ語でこれをワツカケプと称する。ワツカとは水のことをいい、ケはとるということをいい、フは物をいう。「水を取る物=あかとり」ということである。  奥羽の沿岸ならびに松前などでは図のような形のあかとりを「へけ」という。これをアイヌ語で解釈するとヘは水をいい、ケはとるということで「水取り」ということである。水をアイヌ語で「ヘ」といい、「ワッカ」ともいう。今のアイヌの人びとはワッカとのみいっていて、ヘというのは稀になっている。しかし、ふたつのことばのうち「ヘ」というのはアイヌ語の古語であって、ワッカというのは近年のことばであるとは老アイヌのいうことである。  このように、蝦夷地ではその古語を失い、奥羽や
第5巻, 23ページ, タイトル:
シヨは座する事をいひ、イタは板の事にて、 座する板といふ事也、是を舟敷の上に 横に入れ、舟をこく時足を左右のあハら木に ふかけ、腰を此板に掛てこぐ也、    右七種の具は、舟の大小によりて製作も また大小あり、此具備りてより初て舟に 乗る事、後の図のことし、 シヨは坐ることであり、イタは板のことで、「坐る板」ということである。 これを船体のなかに横に入れて、足を左右のあばら木に踏み掛けて腰をこの板におろして漕ぐのである。    <註:以上の七種類の器具は舟の大小によりまた作りかたにも大小があ る。この器具がすべて備わってはじめて舟にのることができる。 そのようすはのちの図に出しておいた>
第5巻, 27ページ, タイトル:
本邦の舩師にことなる事はあらす、まづ 舟を出さんとするには、其日の天気、風波の 善悪をかんかふるの述もあり、舩中にて忌 憚るの詞もあり、或は風波にあふときハ海神に 祈るの法も有、其外海上を走るといへとも、 凡そ一日に着岸なるやならさるやの程を 計りて、格別に遠く岸を離れて乗る事ハ あらす、常に海岸にそふて走る也、是ハ 北方の海上風波のあらき事甚しきゆへ、 舩を海上に泊する事ハ夷人ことに恐れきらふ か故也、此外舩中にての事は夷人すへて秘密の 事となして、かるーーしくハ人に語らさるゆへ それは日本の船乗りと異なることはない。まず、舟を出そうとするには、その日の天気、風波の良し悪し考えてつげるということもあり、船中での忌み言葉もあり、また風波に遭ったときは海の神に祈ることもある。そのほか、海上を航行するときであっても、およそ一日で着くことができるかできないかの距離をおしはかって、とりわけ遠くまで岸を離れて乗ることはなく、常に海岸に沿って航行するのである。これは北方の海上は風波の激しいことはなはだしく、舟を海上に停泊させることはアイヌの人びとのことに恐れ嫌うためである。このほか船中のことはすべて秘密のことであってアイヌの人びとは軽々しく人には語らないので、
第5巻, 37ページ, タイトル:
製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より にか有けん、カシキヲモキなといふ事の 舩工ともの製作に初りしより、    カシキといへるもヲモキといへるも、少し つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、 格別にたかふところは非す、いつれも敷を 厚き板にて作り、それに左右の板を釘 にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ ヤキチプの如くになし、それより上に左右の 板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、 今の舩工の用る敷の法なこれ也、 其製の堅固なるを利として専らそれの 製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。 カシキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、    <註:カシキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に 変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で 作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ シヤキチプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付 けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。 今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。> その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
第5巻, 45ページ, タイトル:
蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ 松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし 事也、その貢物を積むところの舟をウイマム チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替 りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の 人に初てまみゆる事をいふ、    此義いまた詳ならす、追て考ふへし チプは舟の事にて、官長の人に初てまゆる 舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は 松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて 貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル 蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。    この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。 チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。 アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
第5巻, 51ページ, タイトル:
三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に 出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、 追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの 三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、 家の側のヌシヤサンに収め置て、たりにとり すつる事ハあらす、    ヌシヤサンの事はカモイノの部にくハしく 見えたり かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと 称す、 三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。 ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。    <註:ヌシヤサンのことは「カモイノの部」(これも欠)に詳述してあ る> このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと いひ、二をシヤランベといひ、三をチツプといひ、 四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、 シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチツプ【チ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 4ページ, タイトル:
本邦よりわたるところのものにて、古き絹の 服なり、チツブといへるも同しく 本邦より わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、 殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは   本邦官役の人に初て謁見するとふの時にの服用 して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、 もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、 ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮 にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも 下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
第6巻, 5ページ, タイトル:
するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の 製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも  本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を 致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに 平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは 貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チツプ 三種の衣なきものは、な此アツトシのを服用する事也、 其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁 断して服する事を許さす、    凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊、鳥 獣の羽皮とふにて製したるを賤し、かつ 礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の 属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
第6巻, 6ページ, タイトル:
地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の 便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽 せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ 教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、 もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人 物とならん事、何の疑かあるへき、 右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人 熟知するところの物、シヤランベ、チツプの二種ハすな はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、 ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣 皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に 録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種の
第6巻, 7ページ, タイトル:
其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼 の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末 子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理 なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り 用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人の稀に 製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも 多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を 日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末 全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて 此書にはたゝアツトシの製しかたのを録して、 イタラツペのかたは略せるなり、
第6巻, 9ページ, タイトル:
アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の 皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに 堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のをもちゆる事也、 こゝに図したるところは、すはハちヲヒクの皮にして、 山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を アツカフと称する事は、すへてアツトシに織る木の 皮をさしてアツといひ、カプはたゝの木の皮の事 にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は 海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山 中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも 平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、 幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
第6巻, 14ページ, タイトル:
しな太布といふは、しなといへる木の皮にて織し ものなり、是は奥羽の民家にて此布をもて 衣に製し、農務およひ力を労する業をなす時 に服するものなり、とりもなをさす今蝦夷の 人服用するアツトシは、此製の遺風を伝へたると 見ゆるなり、 凡衣服を製する業のうち、此糸を績事尤かた き事にて、日かすを重ぬるにあらされは就しさる ゆへ、昼夜のわかちなく、聊のいとまもすてをかす して勤る也、時ありて旅行する事なとあれハ、 そのアツの皮を持行て夜々投宿のところおよひ 途中休息のところにても是を為す、其業を 勤るの心純一にして辛苦をかへりさる事憐に たへたり、
第6巻, 20ページ, タイトル:
是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し たるなり、アツトシカルといへるは、アツトシはすなハち 製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、 アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイキとも いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、    本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、 其織る事の子細は、この図のにしては尽し難き ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委 しく録し置り、合せ見るへし、
第6巻, 26ページ, タイトル: アツトシアンベの図
これは前にしるせし身衣と袖とを縫ひ合セ、背の ところに刺繍の文をつけ、其外袖と裾との縁にもかさりを
第6巻, 27ページ, タイトル:
なして衣の製全くとゝのひし図也、是をアツトシアンベ と称す、は著る事をいひ、アンベは物といふ事にて、アツトシ の著るものといふ事也、すへて此衣は夷人の平日服するものなれ とも、他の獣皮・鳥羽とふにて製したる衣とは格別に たかひて、礼式の服のことくに尊ふ事也、ことに女子なとは 時により下に鳥羽・獣皮とふの衣を著する事ありても、 いつれその上にこのアツトシの衣を 本邦の 俗にかいとりともいふへきさまに打かけて服す、もし しからすしてたゝ鳥羽・獣皮とふの衣のを服する をハ、甚の無礼となして戒る事なり、その厳密なる 事、女子衣服の製度ともいふへし、たゝ女子のにあらす、 総説にもしるせし如く、男子といへともまた此衣を尊て、官 長の人にま見へおよひ、祭祀とふよろつ謹の時にのそては、シツ トク・シヤランベとふ装束ともいふへきものなきものは、なこの アツトシのを服用す、其外鳥羽・獣皮とふの衣はかたく 禁止して著用する事なし、
第6巻, 32ページ, タイトル:
ラプリとは、すへて鳥の羽にて製する衣をいふ、 ここに図したるさまは鵜の羽にて造れるなり、 其造りよふは羽をとるに皮をつけてまるむきに なし、それをいく枚も縫ひ合せて造るなり、鵜のに かきらす何鳥の羽にてつくれるも、其製しかたは ことなる事あらす、いつれも称してラブリといふ、 其義解しかたし、
第6巻, 33ページ, タイトル: ケラの図 
此衣は草をあて造れる也、是は寒気の 強きころ風雪をしのかんために、 本邦の人の 蓑を用ることく著用するなり、ケラと称す 事、其義解しかたし、
第7巻, 3ページ, タイトル: 居家経営の総説
居家経営の総説 凡夷人の境には郷里村邑の界といふ事もあらす、 然るゆへに住居をなすところといへとも人々自己の 地とさたまりたる事なし、いつれの地にても 心にまかせて住居をかまへ、又外に転し移る事も 思ひーー、いつれの地になりとも住居をかふるなり、た ゝ家を造るに至ては殊に法ある事多し、 まつ家を造らんとすれハ、其処の地の善悪を かんかふるをもて造営の第一とす、地の善悪といへ るも猟業ならひに水草とふのたよりよき地を えらふなといふ事にはあらす、其地にて古より人の 変死なとにてもありしか、あるは人の屍なと埋し 事にてもなきか、其外すへて凶怪の事とふありて 清浄ならさる事にてもなかりしにやといふ事をよくーー たゝしきハめ、いよーー何のさはりもなき時ハ、其外は 居家経営の総説 一般にアイヌの人びとの住む土地には、生まれ育ったところとか村里の堺ということもなく、だから住まいをかまえるところといっても、人びとそれぞれの所有する土地と決まったことがない。。どの土地であっても、心のままに住居をつくりまた外の土地に移転することも思いのままで、どこの土地であっても住居をかえるのである。   ただ、家を造ることに及んでは、とくにきまりあることが多い。 まず家を造ろうとすれば、それを建てるところの土地の善悪を判断することをもって家造りの第一とする。   地の善悪というのも狩猟などのなりわいや水草などの便利がいい地を選ぶということではない。その地において昔、人が変死したことはないか、あるいは人の死体を埋めたことはなかったか、そのほか、総じてまがまがしいことやあやしいことなどがあって、清らかではないことなどもなかったかということを、よくよく聞きただして、いよいよ何のさわりもないとなったときには、そのほかは
第7巻, 5ページ, タイトル:
家を焚焼せる事ハ甚意味のある事にて、委し くハ葬送の部にえたり、 居家の製、其かたちのかハりたる事、東地にしてハ南方 シリキシナイの辺より極北クナシリ島に至るまての間、凡 三種あり、其うちすこしつゝハ大小広狭のたかひあれとも、 先つは右三種のかたちをはなれさる也、三種のかたちハ後の 居家全備の図に其地形をあハせて委しく録せり、    但し、居家のかたちハ三種の外に出すといへとも、其製作の 始末は所によりて同しからぬ事も有也、此書に図したる ところはシリキシナイの辺よりシラヲイ辺まての製作 の始末なり、シラヲイ辺よりクナシリ島に至るまての 製作は、また少しくたかひたるところ有といへとも、図に わかちてあらハすへき程の事にあらさるゆへ、略して録せす、 たゝ屋を葺にいたりては茅を用るあり、草を用るあり、 あるハ竹の葉を用ひ、あるハ木の皮を用るとふのたかひ有て、 其製一ならす、いつれも後に出せる図を見てしるへし、 家を燃やすことはとりわけ意味があること で、そのことは「葬送の部」に詳述してある。> ☆家の造りかた、そのかたちが変化すること、東蝦夷地にあっては南はシリキシナイのあたりから、最も北はクナシリ島に至るまでの間に、おおよそ三種類ある。そのうち、少しづつは大小や広い狭いの違いはあっても、まず大体は右にいう三種類の形から離れることはない。三種のかたちについては後に出す「居家全備の図」に敷地の形をあわせてくわしく記録してある。   <註:ただし、家のかたちは三種類のほかに出しているけれども、その造りかたの始末は場 所によっては同じではないこともある。この本で図示したものはシリキシナイのあた りからシラヲイあたりまでの製作技法の始末である。シラヲイあたりからクナシリ島 に至るまでの技法は、またちょっと違っているところがあるけれども、図をそれぞれ 区別して示すほどのことでもないので略して記さない。> ただ、屋根を葺く技法は、茅を使う場合があり、草を使う場合があり、あるいは竹の葉を使い、あるいは木の皮をつかうなどの違いがあって、その製作技法は同一ではない。そのいずれも後出の図をみて理解してほしい。
第7巻, 7ページ, タイトル:
ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱 とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を はかり、きりそろゆるさまなり、チセチクニパツカリと いへるは、チセは家をいひ、チクニは木をいひ、パツカリは 度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と 指とにて長短を度る也、手をもて度るをチムといひ、 中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、 追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のに 限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ 同しく手と指とを用てはかる事なり、 ☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。 チセチクニパツカリというのは、チセ【チセ:cise/家】は家の意味、チクニ【チクニ:cikuni/木】は木の意味、パツカリ【パカリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、アイヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをチム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。  これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。
第7巻, 9ページ, タイトル:
トントベレバといへるは、トンドは柱をいひ、ベレバは 割事をいひて、柱を割といふ事なり、是は伐り 出せし木の長短を度りて、よりよくーー切り 揃へ、細きは其まゝ用ひ、太きは二つに割て柱と なす事也、すへて夷人の境、器具とほしくし て鋸よふの物もなけれは、かゝる事をなすにも図の 如く斧をもて切りわり、その上を削りなをす也、 柱のならす板を製するといへとも、又同しく 斧にて切りわる事ゆへ、其困難にして力を 労する事いふはかりなし、 ☆トントベレバというのは、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱の意味、ベレバ【ペ*レパ:perpa/割る】は割ることで、柱を割るということである。これは伐り出した木の長短を測ってよりよくよりよく切り揃えて、細い木はそのまま用い、太い木はふたつに割って柱とするのである。総じて、アイヌの国では道具に乏しくて鋸のようなものもなければ、木をふたつに割るのにも図のように斧でもって切り割り、その上を削りなおすのである。 柱ばかりではなく、板を造るときであってもまた同様に斧で切り割るのでその作業の困難でかつつかれることについてはいうこともできない。
第7巻, 14ページ, タイトル:
さすといへるは、もと 本邦の言葉にして、 茅葺の屋を造る時図の如く左右より木を合せ たるものをいふ也、是を夷人の語に何といひしにや 尋る事をわすれたる故、追て糺尋すへし、    本邦に用るところとハ少しくたかひたるゆへに図し たる也、此外屋に用る諸木のうち、棟木は造れる さま常の柱とたかふ事あらす、是を夷語にキタイ ヲマニといふ、キタイは上をいひ、ヲマは入る事をいひ、ニは 木をいひて、上に入る木といふ事なり、梁は前に図し たる桁と同しさまに造りて用ゆ、是を夷語に イテメニといふ、其義解しかたし、追て考へし、又   本邦の茅屋にながわ竹を用る如くにつかふ物をリカ ニといふ、是は細き木の枝をきりてゆかくるいとふ有 ところは削りなをして用る也、此三種のもの大小のたかひ あるのにて、いつれも常の柱とことなる事ハなきゆへ、 別に図をあらハすに及はす、 ☆ 「さす」というのはもともとわが国のことばで、茅葺きの家を造るとき、図のように左右から木を合わせたものをいうのである。これをアイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。 (さすは)わが国で用いているものとはすこし違っているので図示したのである。このほか、家で使う種々の木のうち、棟木を造るようすは通常の柱と違うことはない。これをアイヌ語でキタイヲマニという。キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は上ということ、ヲマ【オマ:oma/にある、に入っている】は入ることをいい、ニ【ニ:ni/木】は木をいうから上に入る木ということである。 梁は前に図示した桁と同じように造って使う。これをアイヌ語でイテメニ【イテメニ:itemeni/梁】という。その意味は解釈できない。改めて考えてみたい。 また、わが国の萱葺きの家でながわ竹?を用いるように使うものをリカニという。これは細い木の枝を切って、ゆがみや狂いなどがあるときは削りなおして使うのである。これらの三種類のものは、大小の違いあるのみで、どれも通常の柱と違いはないので、格別、図示することはしない。
第7巻, 15ページ, タイトル: ハルケの図 
ハルケは縄をいふ也、此語の解いまた詳ならす、追て かんかふへし、凡夷人の縄として用るもの三種有、 其一は菅に似たる草をかりて、とくと日にほし、 それを縄になひて用ゆ、この草は松前の方言に ヤラメといふものなり、    此草の名夷語に何といひしにや尋る事をわすれ たるゆへ、追て糺尋すへし、夷人の用る筵よふのものにて キナと称するものもな此草を編て作れる也、夷地の ☆ ハルケ【ハ*ラキカ:harkika/縄】は縄のことをいうのである。このことばの解釈はまだよくわからないので、改めて考えることにしたい。総じて、アイヌの人びとが縄として使うものには三種類がある。そのひとつは、 菅に似た草を刈って、よく日に干してそれを縄に綯って使う。この草は松前の方言でヤラメというものである。   <註:この草の名をアイヌ語でなんというのか聞くことを忘れたので、改めて聞きただす ことにしたい。アイヌの人びとが用いる筵のようなもので、キナ【キナ:kina/ござ】というものもすべ てこの草を編んで作るのである。蝦夷地の
第7巻, 16ページ, タイトル:
うち卑湿なるところに多く生するもの也、 二にハ藤葛を用ゆ、三には野蒲萄の皮をはきて其侭 用ゆ、藤葛を夷語に何といひしにや尋る事をわすれ たるゆへ、追て糺尋すへし、野蒲萄の皮はシトカフといへり、 シトは蒲萄をいひ、カフは皮をいふ也、此三種のうち草を なひたる縄と藤葛の二つは材木を結ひ合セ、屋のく たてをなすとふの事に用ひ、野蒲萄の皮ハ屋を葺に用 ゆる也、まれにハ前の二種を用て屋を葺事あれとも 腐る事すやかにして便ならす、たゝ野蒲萄の皮のハ ことに堅固にして、数年をふるといへとも朽腐する事なき ゆへに多くハ是のを用る也、三種のさまのかハりたるは図を 見て知へし、屋を葺の草すへて五種あり、一つにハ 茅を用ひ、二にハ蘆を用ひ、三には笹の葉を用ひ、四にハ 木の皮を用ひ、五にハ草を用ゆ、此五種のうち多くハ草と茅 との二種を用る也、五種のもの各同しからさる事は、後の 居家全備の図に委しくえたる故、別に図をあらはすに及ハす、 なかで土地が低くて湿気が多いところに 多くはえているのである。>   ふたつめは藤葛を使用する。みっつめは野葡萄の皮を剥いで使う。藤葛をアイヌ語で アイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。野葡萄の皮はシトカフという。シト【ストゥ:sutu/ぶどうづる】は葡萄をいい、カフ【カ*プ:kap/皮】は皮をいうのである。この三種類のうち、草を綯った縄と藤葛のふたつは材木を結び合わせて家屋の組み立てをするなどのことに用い、野葡萄の皮は屋根を葺くのに用いるのである。まれには前のふたつ(草と藤葛)を使って屋根をふく事があるけれども腐ることが早いので都合がよいとはいえない。わずかに野葡萄の皮だけがとりわけ丈夫で、数年たっても朽ちたり腐ったりすることがないので、多くはこれだけを使うのである。三種類のようすの違いは図を見て理解してほしい。  屋根を葺く草はみんなで五種類ある。ひとつには茅を使い、ふたつには芦を使い、みっつめは笹の葉を使い、四つめは木の皮、いつつめは草を使う。このいつつのうち、多くは草と茅の二種類を用いるのである。この五種がおのおの同じでないことは後の「居家全備の図」に詳述したのでここではかくべつ図示はしない。
第7巻, 18ページ, タイトル:
前に図したるものな備りてより、家を立る にかゝるなり、先つ初めに屋のくたてをなす 事図の如し、是をシリカタカルと称す、シリは下の事 をいひ、カタは方といはんか如し、カルは造る事をいひ て、下の方にて造るといふ事なり、これは夷人の境、 万の器具そなハらすして、梯とふの製もたゝ独木に 脚渋のところを施したるのなれは、高きところに 登る事便ならす、まして 本邦の俗に足代 なといふ物の如き、つくるへきよふもあらす、然るゆへ に柱とふさきに立るときは屋をつくるへきた よりあしきによりて、先つ地の上にて屋のく立を なし、それより柱の上に荷ひあくる事也、これ屋の下の 方にて造れるをもてシリカタカルとはいふ也、右屋の くたて調ひ荷ひあくる計りになし置て、其大小 広狭にしたかひて柱を立る事後の図のことし、 ☆ 以上に図示したものがみんなそろってから、家を建てるのにかかるのである。まずはじめに屋根の組みたてをすること図のとおりである。これをシリカタカルという。シリ【シ*リ:sir/地面】は下のことをいい、カタ【カ タ:ka ta/の上 で】は方というのとおなじであり、カル【カ*ラ:kar/作る】は作ることをいって、下の方で造るということである。 これはアイヌの人びとの国ではたくさんの有用な道具がそろっていないので、はしごなどをこしらえるのもただ丸木に足がかりを彫っただけなので高いところに上るには向いていない。まして、わが国のならわしにある足がかり?などというようなものを造ることもしない。だから、柱などをはじめに建ててしまったら、屋根を造るのにぐあいが悪いので、まず、地上で屋根の組み立てをおこなって、それから柱の上にかつぎ上げるのである。このように、屋根を下の方で造るのでシリカタカルというのである。右のように、屋根を組み立て整えておいて、かつぎ上げるばかりにしておいて、その家の大小や広い狭いにしたがって柱を建てるようすは後の図に示しておいた。
第7巻, 20ページ, タイトル:
屋のくたてとゝのひてより、それを地上に置て 其形の大小広狭にしたかひ柱をならへ立るなり、 是をトンドアシといふ、トンドは柱をいひ、アシは 立事をいひて、柱を立るといふ事也、其柱を たつるに図の如く根のかたを少しく外の方に 斜に出して立る事は屋を荷ひ上るの時、頭の ところのよく桁と合ん事をはかりて也、柱を 立る事終りてより屋をになひ上る事、後の 図の如し、 ☆屋根の組み立てが整ってから、それを地上に置いておき、そのかたちの大小広狭によって、柱を並べて建てるのである。 これをトンドアシという。トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱をいい、アシ【アシ:asi/を立てる】は立てることをいって、柱を立てるということである。その柱を立てるのに、図のように根の方をすこし外の方に斜めに出して立てるのは、屋根をかつぎ上げるとき、頭のところと桁とがよく合うように考えているからである。柱を立て終わってから屋根をかつぎ上げることは後の図に示した。
第7巻, 22ページ, タイトル:
リキタフニと称する事は、リキタは天上といはんか 如し、フニは持掲る事をいひて、天上に持掲ると いふ事なり、是は前にいふか如く、柱を立ならふる 事終りてより、数十の夷人をやとひあつめてくたてたる 屋を柱の上に荷ひあくるさま也、屋を荷ひあくる事終れハ、それより柱の根を はしめ、すへてゆるきうこきとふなきよふによ くーーかたむる事なり、 ☆リキタフニということ、リキタ【リ*ク タ:rik ta/高い所 に】は天上という意味であり、フニ【プニ:puni/を持ち上げる】は持ち上げることをいって、天上に持ち上げるということである。これは前にいったように、柱を立て並べることがおわってから、数十のひとを雇い集めて、組み立てておいた屋根を柱の上にかつぎ上げるさまである。屋根をかつぎ上げることが終ったら、それから柱の根をはじめ、みんな揺るぎ動くことがないようによくよく固めるのである。
第7巻, 24ページ, タイトル:
是は家のくたてとゝのひてより、屋をふくさま也、 キタイマコツプといへるは、キタイは屋をいひ、マコツプは葺 事をいひて、屋をふくといふ事也、屋をふかんとすれは、蘆 簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくたてたる 木の上に敷て、其上に前に録したる葺草の中いつれ なりともあつくかさねてふく也、こゝに図したるところハ 茅を用ひてふくさま也、この蘆簾あるハ網とふのものを 下に敷事ハ、くたてたる木の間より茅のこほれ落るを ふせくため也、家によりては右の物を用ひす、木の上を すくに茅にてふく事もあれとも、多くは右のものを 下に敷事なり、    ここにいふ蘆簾は夷人の製するところのものなり、 網といへるも同しく夷人の製するところのものにて、 木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり、 すへて夷人の境、障壁とふの事なけれハ、屋のにかき らす、家の四方といへとも同しくその屋をふくところの ☆これは家の組み立てができてから屋根を葺くようすである。キタイマコツプというのは、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、マコツプ【アク*プ?:akup?/葺く】は葺くことをいうので、屋根を葺くということである。屋根を葺こうとするには、芦簾あるいは網の破れ損じたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前述の葺き草のうち、どれでも厚く重ねて葺くのである。ここに図示したのは茅を用いて葺いているようすである。  この芦簾あるいは網などのものを下に敷くことは、組み立てた木の間より茅が零れ落ちるのを防ぐためである。家によってはそれらを使わず、木の上に直に茅で葺くこともあるけれども多くは右にあげたものを下に敷くのである。    <註:ここでいう芦簾アイヌの人びとが造ったものである。網も同じくアイヌ製のもので 木の皮を綯って造ったものである。> 総じてアイヌの人びとの国には障子や壁などというものがないので、屋根ばかりではなく、家の四周さえも同様にその屋根を葺く茅で囲うの
第7巻, 25ページ, タイトル:
茅をもてかこふ事なり、其かこひをなすに二種の ことなるあり、シリキシナイの辺よりビロウの辺ま てのかこひは、 本邦の藩籬なとのことくに ゆひまハして、家の四方を囲ふなり、ビロウの辺より クナシリ嶋まてのかこひは、屋を葺てより其まゝ 家の四方にふきおろして囲ふ也、委しくハ後の 全備の図を見てしるへし、其茅をふく次第は、家の くたてとゝのひてより、まつ初に四方の囲ひをなし、 それより屋をふく事也、    凡屋をふくにつきてハ、其わさことに多して、 此図一つにして尽し得へきにあらす、別に器 財の部のうち葺屋の具をわかちて録し 置り、合セ見るへし、 右の如く屋を葺事終りて、其家の右の方に 小きさげ屋を作りて是をチセセムといふ、チセは家 をいひ、セムはさげ屋といふ事なり、 である。その囲いをするのには二種類の方法のちがいがあって、シリキシナイあたりよりビロウあたりまでの囲いは、わが国の垣根などのように茅を結いまわして家の四方を囲うのである。また、ビロウのあたりよりクナシリ嶋までの囲いは屋根を葺いてから、そのまま家の四方に葺き下ろして囲うのである。詳しいことは後に示した全備の図をみて理解してほしい。  その茅の葺き方の順序は、家の組み立てがおわってから、まず四方の囲いを造り、それから屋根を葺くのである。    <註:大体において、屋根を葺くための技術はとりわけ多く、この図ひとつでいいつくす ことはできない。別に「器財の部」の中に屋根葺きの道具を分けて記録しておいた ので合わせてみてほしい。>  以上のように屋根を葺き終ると、その家の右のほうに小さな「さげ屋」を造って、これをチセセムという。セム【セ*ム:sem/物置】はさげ屋ということである。
第7巻, 29ページ, タイトル:
此図はシリキシナイの辺よりシラヲイの辺に 至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を もて葺さる也、是をキキタイチセと称す、キは 茅をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家をいひて、茅の 屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら 茅と草との二種にかきりて用るなり、チセコツと いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、チセは家を いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、 総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす からんかためなり、後に図したる二種はな此故と しるへし、 ☆ この図はシリキシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをキキタイチセという。キ【キ:ki/カヤ】は茅をいい、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。    チセコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。チセは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はナこの理由によるのである。
第7巻, 32ページ, タイトル:
此図はシラヲイの辺よりヒロウの辺にいたる まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて 葺たるなり、是をシヤリキキタイチセと称す、シヤリ キは蘆をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家を いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家 にては多く屋をふくに蘆のをもちゆ、下品 の家にてはまれに茅と草とを用る事もある なり、 右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし たるなり、 ☆この図はシラヲイのあたりからヒロウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリキキタイチセという。シヤリキ【サ*ラキ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。 右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。
第7巻, 35ページ, タイトル:
是はビロウの辺よりクナシリ島にいたるまての 居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて 葺たるなり、是をヤアラキタイチセと称す、ヤア ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、 木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の 皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは 木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け 破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて 重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て 堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き ゆへ、まつはたゝ草と茅とのを用ひふく事多し と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる さまは、後の図にえたり、 ☆ これはビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
第7巻, 37ページ, タイトル:
この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて ふきたる也、これをトツプラツフキタイチセと称す、 トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイチセは 前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、 これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを ふれは竹の葉な枯れしほて雨露を漏すゆへ、 やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て 堅固なりといへとも、力を労する事多きにより て、造れるものまつはまれなりとしるへし、 ☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。 これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
第7巻, 39ページ, タイトル:
此図は木の皮にてふきたる屋の上を草と茅 とにてかさね葺たる家のさま也、竹の葉にて ふきたる屋の上を草と茅とにてふきたる家も、 又たゝ草と茅とはかりにてふきたる家も、其形ち 図にあらハしたるところにてはいさゝかかはれる事な きゆへ、此図一を録して右二の図をは略せる也、 右に録せる数種の家、いつれにても経営の事全く 終りてより移住セんとするには、まつ爐を開きて 火神を祭り、また屋の上にイナヲをたてゝ日神を 祭り、それより 本邦にいふわたましなとの 如き事を行ふよし也、然れともこれらの事いまた詳 ならさる事多きゆへ、子細に録しかたし、追て糺尋 の上録すへし、    火神・日神とふを祭る事ハ、委しくカモイノ の部に見えたり、 ☆ この図は木の皮で葺いた屋根の上に草と茅とを重ねて葺いた家のさまである。竹の葉で葺いた屋根の上を草と茅とで吹いた家も、また、ただ草と茅ばかりで葺いた家も、そのかたちを図にあらわしたら、すこしもかわるところはないので、この図ひとつを記してあとのふたつは略してある。 右に記した数種の家はいずれも建築がおわってから移り住もうとするには、まず、炉をきって 火の神をまつり、また屋根の上にイナヲをたてて日の神をまつり、それからわが国でいう「わたまし?」などのようなことをおこなうのだという。しかしながら、これらのことはまだよくわからないことが多いのでくわしくしるすことはできない。いずれ改めて聞きただした上でき記録することにしよう。    <註:火の神・日の神などを祭る事は、詳しく「カモイノの部」に記してある。>
第7巻, 41ページ, タイトル:
プは夷人の物を入れ置ところにして、   本邦にいはゝ蔵の如きもの也、プといへるはもと器の 事にもいへり、たとへは矢を入る筒をアイイヨツプ といふか如し、アイは矢をいひ、イヨツは入るをいひ、プは 器をいひて、矢を入る器といふ事也、又物といふ事にもきこ ゆるにや、アイイヨツプといふを矢を入る物とも解すへし、然れ とも物といふ語は別にベといふ事ある時は、いつれ器と 解するを得たりとす、しかれハ何のプ某のプといふときは 器の事になり、たゝプと計りいふときは蔵の事になる也、これは 蔵といへるも、もと物を入れをくところゆへ同しく 器の類といふ心にてかくいふと見ゆるなり、    プといへるの解は、委しく語解の部にえたり、 すへて此等の事、夷人の境言語のかすすくなく して、物をかねていふゆへなり、    言語のかす少して、言は一つにて物をかねていふ といへる事は、アユシアマヽの部に委しくえたり、 ☆プ【プ:pu/倉】はアイヌの人びとが物を入れておくところで、わが国でいう蔵のようなものである。プというのはもと器のことにもいう。たとえば、矢筒をアイイヨツプというように、アイ【アイ:ay/矢】は矢、イヨツ【オ:o/に入っている】は入れるをいい、プ【*プ:p/もの】は器をいって、矢を入れる器ということである。また、プは物ということという意味があるのかもしれない。アイイイヨツプを矢を入れる物とも解釈できる。しかしながら、物という語はほかにベ【ペ:pe/もの】という語もあり、どのみち器という意味に解釈することができる。だから、「何のプ」「だれそれのプ」というときは器のことになり、ただ、プとだけいうときは蔵のことになるのである。これは蔵といえども、もともと物を入れておくところなのでおなじく器のたぐいという意味あいがあってこのようにいうのであろう。     <註:プの解釈は、詳しくは「語解の部」にある。> 【●校訂者註:厳密に言うと、プpuと*プpは別の単語である。また、「もの」という意味の*プpとペpeは、直前の音が母音の場合は*プp、子音の場合はペpeのかたちをとる】 総じて、これらのようなことおこるのは、アイヌの人びとの国では語彙のかずが少ないので物を兼ねていうからである。 <註:語彙数が少ないのでことばひとつでいくつかの物をかねていうことは「アユシア マヽの部」に詳しい。>
第7巻, 43ページ, タイトル: エリモシヨアルキイタの図 
エリモシヨアルキイタといふは、エリモは鼠を いひ、シヨアルキは来らすといはんか如し、 イタは板の事にて、鼠の来らさる板といふ事なり、 是は前に図したる如く、蔵の床を高くなし て鼠をふせくといへとも、なを柱をつたひ上らん事を はかりて、床柱の上に図の如くなる板を置、のほる 事のならさるよふになす也、すへて夷人の境、鼠 多して物をそこなふゆへ、さまーーに心を用ひて ☆ エリモシヨアルキイタというのは、エリモ【エ*レム、エル*ム:ermu, erum/ネズ】はねずみをいい、シヨアルキ【ソモ ア*ラキ:somo arki/ない 来る→来ない】は来ないというような意味、イタ【イタ:ita/板】は板のことで、ねずみが来ない板という意味である。 これは前に図示したように蔵の床が高くなっていてそれでねずみを防ぐのではあるけれども、さらに柱を伝いあがってくるかもしれないことを考えて、床柱の上に図のような板をおいて、登ることがないようにするのである。総じて、アイヌの人びとの国はねずみが多くて物が被害にあうのでさまざまに用心して
第7巻, 44ページ, タイトル:
ふせく事なり、アツクウなといへる物を製して 鼠を捕る事もあり、    アツクウの図は、器財の部にえたり、 しかれともいまた猫をやしなふ事流布なさる ゆへ、心を労するのにして物をそこなハるゝ事 多しと知へし、此板を床柱の上に置ところの さまは前に出せる蔵の図を合セ見てしるへし、 防ぐのである。アツクウ【アック:akku/弓のついた罠】などを造ってねずみを捕らえることもある。      <註:アツクウの図は「器財の部」にある。>    しかしながら、いまだに猫を飼うことが広まっていないので、心労のわりには物の害が多いことを理解してほしい。この板を床柱の上に置いたところのようすは前に図示した蔵の図とあわせ見て理解してほしい。
第8巻, 4ページ, タイトル:
夷人のうち悪事をなす者あれハ、其所の夷人 ならひに親族のもの集りて、図の如くに其者を 拷掠し、罪を督す事也、是をウカルといふ、此語の 解未さたかならすといへとも、夷語に戦の事をも ウカルといふ事あり、    戦の事をイトともいひ、またウカルとも いふ也、夷人の戦といへる事ハ、意味殊に深き事にて、 委しくハ戦の部にみえたり、 これハ 本邦辺鄙の人の言葉に、人を強く うち倒す事をウチカスムルといふ事あり、戦は いつれ人をうち倒すをもて事とするゆへ、此 言葉を略してウカルとはいふなるへし、さらは 此処にて人の罪あるを督すも、又拷掠するを 以てのゆへに同しくウカルとハ称するにや、    ここにウカルのさまを図したる事ハ、夷人に 望て其行ふさまをなさしめて其侭を図し ☆ アイヌのなかで悪事をはたらくものがあれば、そのところのアイヌの人びとやかれの親族のものが集まって、図のようにかれをむち打って罪を責めとがめることがある。これをウカル【ウカ*ラ?:ukar?】というが、このことばの意味はまだよくわからないけれども、アイヌ語にいくさのことをウカルということがある。    <註:いくさのことはイト【イトゥ:itumi/戦争】ともいい、またウカルともいうのである。アイヌの人びとの いくさというのは、その意味にことさら深いものがあるが、詳しくは「いくさの部」 に述べてある>  これはわが国の辺鄙な土地に住んでいる人びとのことばに、人を強く打ち倒すことをウチカスムルということがある。いくさはどのみち人を打ち倒すことが目的なので、このことばを略してウカルというのであろう。そうであるならばこのところで人の罪をただすのも、また、むち打って罪を責めとがめるということであるからおなじくウカルというのではなかろうか。    <註:ここにウカルのようすを図示したのは、アイヌの人びと頼んでそれを行なうようす をしてもらってそのままを描い
第8巻, 5ページ, タイトル:
たる也、是を行ふ事、たゝに刑罰の事のとも きこえす、時によりてハ其者を戒め慎ましめんか ために行ふ事もありとゆる也、後にしるせる 六種の法を見て知へし、 これを行ふの法、すへて六つあり、其一つは前に いふ如く、悪行をなしたるものを打て其罪を督す也、 二つにハ夷人の法に、喧嘩争闘の事あれハ、負たる 者のかたよりあやまりの証として宝器を出す也、 是をツクノイと称す、    此宝器といへるは種類甚多して事長き故に、 こゝにしるさす、委しくハ宝器の部に見へたり、 其ツクノイを出すへき時にあたりて、ウカルの法を 行ひ拷掠する事あれハ、宝器を出すに及ハすして 其罪を免す事也、三つには人の変死する事有 とき、其子たる者に行ふ事あり、是ハ非業の死なる ゆへ其家の凶事なりとて、其子を拷掠して恐懽 たものである。これを行なうことはただ刑罰のため だけとも解釈できない。時によってはその者を戒めてつつしませるために行なうこ ともあるらしい。後述する六種の法を見て考えてほしい>  ウカルを行なうしきたりにはみんなで六種類ある。  そのひとつは前述のように、悪いことをしたものを打ってその罪をただすことである。ふたつめはアイヌの人びとのおきてに、けんかや争い事があれば、負けた方からお詫びのしるしとして宝物を差し出すことがある。これをツグノイ【トゥクナイ?:tukunay?/償い】という。     <註:この宝物というのは種類がとても多く、説明すると長くなるのでここには述べな い。詳しくは「宝器の部」に記してあるので参照されよ。>  そのツグノイを差し出すに際して、ウカルを行なってむち打たれることがあれば、宝物を差し出す必要はなくして、その罪が許されるのである。みっつめは、人が変死したときにその子に行なうことがある。変死というのは非業の死なので、その家の凶事であるから、その子をむち打って怖れ
第8巻, 6ページ, タイトル:
戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子 たる者親の非業の死をかなし憂苦甚しく、ほとんと 生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し 起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の 死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く 戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝし、 能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の 病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り 立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の 病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠 するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる 者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、 二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、 慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。    よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。  この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。  ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。  ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、
第8巻, 9ページ, タイトル:
是はウカルを行ふの時、拷掠するに用る杖なり、 シユトと称する事はシモトの転語なるへし、    本邦の語に□笞をしもとゝ訓したり、 これを製するには、いつれの木にても質の堅固 なる木をもて製するなり、其形ちさまーー変り たるありて、名も又同しからす、後に出せる図を 見てしるへし、此に図したるをルヲイシユト と称す、ルとは樋をいひ、ヲイは在るをいひて、 樋の在るシユトといふ事也、後に図したる如く 種類多しといへとも、常にはこのルヲイシユト のを用ゆる事多し、夷人の俗、此具をことの 外に尊ひて、男の夷人はいつれ壱人に壱本 つゝを貯蔵する事也、人によりてハ壱人にて 三、四本を蔵するもあり、女の夷人なとには 聊にても手をふるゝ事を許さす、かしらの ところにハルケイナヲを巻て枕の上に懸置也、 ☆ これはウカルをおこなうとき、むち打つのに用いる杖である。シユトという語はシモトの転語であろう。    <註:わが国のことばで楉笞を「しもと」と訓じている>  これを作るには、どんな木でも木質の堅い木を用いる。そのかたち、いろいろ変ったものがあって、名称も同じではない。あとに出した図を見て理解してほしい。  ここに図示したものをルヲイシユト【ruosutuあるいはruunsutu→ruuysutuか?】という。ル【ル:ru/筋】は樋をいい、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、樋の在るシユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】ということである。後に図示したように種類は多くあるが、通常はこのルヲイシユトのみを使うことが多い。  アイヌの人びとのならいでは、この道具をことのほか尊んで、男はみなひとり一本づつもっているのである。ひとによっては、ひとりで三、四本をもっているものもあるが、女などにはわずかでも手を触れることを許さない。その頭のところにはハルケイナヲ【ハ*ラキ● イナウ:harki inaw/●】を巻いて、枕の上に掛けておくのである。
第8巻, 10ページ, タイトル:
またチセコルヌシヤサンの棚の上に納め置事も あり、旅行する事なとあれハかならす身 をはなさす携へ持する事なり、年久しく家に 持伝へたるなとにハ、人をたひーー拷掠なしたるに よりて、打たるところに皮血とふ乾き付て、 いかにもつよく拷掠したるさまゆるなり、 それをは殊に尊敬して家に伝へ置事也、 またチセコルヌシャサン【チセコ*ロヌササン:cisekornusasan/屋内の祭壇】の棚の上に納めて置くこともあり、また、旅行をすることがあれば、かならず身からはなさず携えているのである。長年、家に伝世したものなどには、ひとをたびたびむち打ったので、打ったところには皮や血などが乾き付いていて、確かに強く打ったようすがみえるのである。それをまことに尊敬して家に伝えていくのである。

全1ページ中の第1ページ, 全93件のレコード中1-93を表示中

< 前ページ 次ページ >