蝦夷生計図説

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第3巻, 3ページ, タイトル: ヲツタシツカシマの図
第3巻, 4ページ, タイトル:
是は剪り採りし穂を収め置事をいふなり、 フヲツタシツカシマといへるは、フとは 本邦にしてハ 蔵なといへる物のことく、物を貯へ置ところ をいふ、    其造れるさまも常の家とは事替りて、 いかにも床を高くなして住居より引はなれたる 所に造り置事也、委しくハ住居の部に ミえたり、 ヲツタは前にいふ如くにの字の意也、シツカシマとハ 大事に物を収め置事をいひて、蔵に収め置と いふ事也、其収め置にはサラニツといへる物に 入れて置も有、あるは俵の如くになして入れ置 これは、刈り取った穂を収め置くことをいう。フヲツタシツカシマという語のうち、「フ」はわが国でいうところの蔵のように、物を貯え置く場所を表す。 * その建築形態は通常の家とは異なり、何とか工夫して床を高くしつらえ、住居から引き離れた場所に建てられるものである。詳しくは本稿「住居の部」に記してある。 「ヲツタ」は前述の通り「~に」という語を表す。「シツカシマ」とは大事に物を収め置くことをいう。合わせて「蔵に収め置く」という意味である。収めておくに際しては、サラニツという物に入れておくことがある。また、俵のようにこしらえて入れておく
第3巻, 26ページ, タイトル:
あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の 事をもて意となさゝる事とミゆる也、 一椀を喰ふことに粥をはアマヽトミカモイと唱へ、 魚肉及ひ汁をはチエツトミカモイと唱へてより喰ふ なり、アマヽトミカモイといへるは、アマヽは穀食をいひ、 トミは尊き事をいひ、カモイは神をいひて、穀食 尊き神といふ事也、チエツトミカモイといへるは、チエ ツは魚をいひ、トミカモイは上と同し事にて、魚の 尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地 神明のたまものにて、人の身命を保つところの 物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を 一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、アイヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。 こうした椀は、一椀ごとに、粥をアママトミカモイと唱え、魚肉および汁をチヱツトミカモイと唱えてから食される。アママトミカモイとは、「アママ」が穀物を、「トミ」が「尊い」という語を、「カモイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。チヱツトミカモイとは、「チヱツ」が魚を表し、「トミカモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。アイヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を
第3巻, 27ページ, タイトル:
尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中 魚を喰ふにもチエツトミカモイと唱へ、汁を喰ふ にもまた同しくチエツトミカモイと唱ふる事は、 前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を 用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを 入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと いふのこゝろにて、同しくチエツトミカモイと唱ふる なり、    これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと 唱へて食する事、夷人の習俗なり、 一日に両度つゝ食するうち、朝の食は   拝むために唱えられるのが、 この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツトミカモイと唱えているのである。 * これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。 一日に二度の食事のうち朝食は、
第4巻, 27ページ, タイトル:
夷語にチイタと称す、チは舟をいひ、ラは羽をいひ、イタは板の事にて、舟の羽板といふ事なり、 アイヌ語でチイタという。チは舟をいい、ラは羽をいい、イタは板のことで、「舟の羽板」ということである。
第4巻, 33ページ, タイトル:
夷語に是をヒンラリツと称す、ヒンは物のすき まあるをいひ、ラリはふさくをいひ、は器も のをいふ、すきまをふさく器といふ事なり、 夷人の舟は釘を用ひす、ミな縄にて縫ひ あハするゆへ、いつれ板と板とのあひたすき まある事也、それを此図に出せる苔を下に置き、 その上に木をあて、縄にて縫ひ合る也、 苔は草とたかひ、物のすきまなとにあつる にはいとやハらかにて、 本邦の工家に 用る巻桧皮<俗にまへはたといふ>と同しさまに用ひらるゝ ゆへに、是をよしとする也、苔を夷語にムンと 称す、ムンはもと草の事なるを、夷人苔をも アイヌ語でヒンラリツという。ヒンとは物に隙間があることをいい、ラリは塞ぐことをいい、は器物をいう。「隙間を塞ぐ器物」ということである。 アイヌの舟は釘を用いず、すべて縄で縫い合わすので、どのみち板と板とのあいだに隙間ができるのである。それをここに図示した苔を下に置いてその上に木をあてて、縄にて縫い合わせるのである。苔は草と違って、物の隙間に詰めるのはとてもやわらかいので、日本の工芸家が使う巻桧皮<まきひわだ=俗に「まへはた」という>と同じように用いるので、そのすぐれていることがわかるのである。 苔をアイヌ語でムンと称する。ムンはもと草のことであったのを、アイヌの人びと苔も
第5巻, 4ページ, タイトル:
舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。 チは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る 舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今   本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其 祈る詞に、チカシケタウエンアンベイシヤマヒリ カノイカシコレと唱ふ、チは舟をいひ、カシケタは 上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは 有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、 ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、 コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事 ある事なくよく守護を賜へといふ 事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の 安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
第5巻, 11ページ, タイトル: アシナの図
第5巻, 12ページ, タイトル:
是は 本邦の舩に用るかちと同し 事につかふ也、アシナと称するは、アシナとは 水をかきて舟をすゝむる事をいひ、フとハ 器をいひて水をかき舟をすゝむる器といふ 事也、奥羽の両国ならひに松前とふの猟 舩に此具を用るもありてねりかひと称す、 たゝし是ハかちに用る計に限らす、時に よりてかひの代りともなす故の名なる へし、 これは日本の船で用いる梶と同様に使うものである。アシナというのは、アシナとは「水を掻いて舟を進めること」をいい、フとは「物」のことで、「水を掻きながら舟を進める物」ということである。奥羽の両国と松前の漁船にこの道具を使うものがあってねりかい(練り櫂)という。ただし、これは梶に使うばかりではなく、時には櫂のかわりにもするからこの名がついたのであろう。
第5巻, 16ページ, タイトル:
夷語にこれをワツカケと称す、ワツカは水をいひ、 ケはとる事をいひ、フは器をいふ、水を取器といふ 事也、奥羽の海辺ならひに松前とふにて、 右の形ちしたるあかとりをへけと称す、是を 夷語に解するに、ヘは水をいひ、ケはとる事 にて、水とりといふ事也、水を夷語にヘとも いひ、ワツカともいふ、今の夷人は専らワツカとのミいひて、ヘといふも のは稀也、されとも二つのうちヘと称するは夷人の古語にして、 ワツカと称するは近き頃よりのことはなるよし、 老年の夷人はいひ伝へたり、是とふの事、 夷地にしてハ其古言を失ひ、奥羽ならひに アイヌ語でこれをワツカケと称する。ワツカとは水のことをいい、ケはとるということをいい、フは物をいう。「水を取る物=あかとり」ということである。  奥羽の沿岸ならびに松前などでは図のような形のあかとりを「へけ」という。これをアイヌ語で解釈するとヘは水をいい、ケはとるということで「水取り」ということである。水をアイヌ語で「ヘ」といい、「ワッカ」ともいう。今のアイヌの人びとはワッカとのみいっていて、ヘというのは稀になっている。しかし、ふたつのことばのうち「ヘ」というのはアイヌ語の古語であって、ワッカというのは近年のことばであるとは老アイヌのいうことである。  このように、蝦夷地ではその古語を失い、奥羽や
第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなハりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、カンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、 是を夷語にチモウといふ、チブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをアイヌ語でチモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビロウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 35ページ, タイトル: イタシヤキチの図 
第5巻, 36ページ, タイトル:
是は前に出せる舟敷の事也、夷語に イタシヤキチと称するは、イタは板をいひ、シヤ キは無きをいひ、チは舟の事にて、板なき 舟といふ事也、もと舩の敷なるをかくいふ ものは、丸木をくりたるまゝにて左右の板を 付す、夷人河を乗るところの舟とことならさる故、 時によりては其まゝにて川を乗る 事も有ゆへにかくはいえるなり、万葉集に 棚なし小舟といへるはこれなるにや、今に 至りて舩工の語に、敷より上に付る板を 棚板といふ、さらは無棚小舟は棚板なき舟と いふの心なるへし、今 本邦の舩の これは前述した船体のことである。アイヌ語でイタシヤキチというのは、イタは板のことをいい、シヤキは無いということ、チは舟のことであって、「板の無い舟」ということである。もともと船体であるものをこのようにいうのは、丸木を刳りぬいたままで左右の板をつけず、アイヌの人びとが川で用いるところの舟と変らないし、場合によっては、そのままで川で乗ることもあるのでこのようにいうのである。 万葉集に「棚なし小舟」というのはこれではなかろうか。現在の船大工のことばに、船体より上につける板を棚板という。それならば「無棚小舟」は「棚板なき舟」といういみであろう。今、日本の船の
第5巻, 37ページ, タイトル:
製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より にか有けん、カシキヲモキなといふ事の 舩工ともの製作に初りしより、    カシキといへるもヲモキといへるも、少し つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、 格別にたかふところは非す、いつれも敷を 厚き板にて作り、それに左右の板を釘 にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ ヤキチの如くになし、それより上に左右の 板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、 今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、 其製の堅固なるを利として専らそれのミを 製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。 カシキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、    <註:カシキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に 変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で 作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ シヤキチのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付 けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。 今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。> その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
第5巻, 38ページ, タイトル:
用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、 今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を 伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ チを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの 転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也 、 其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは モウイヨツの略にして、舟の事也、凡そ夷地 にしては舟の事をチといふ事よのつねな れとも、その実はモウイヨツといへるが舟の 実称にして、チブといへるは略していふの詞なる よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る 用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。 船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツ」というのが舟の実称であって、チというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
第5巻, 42ページ, タイトル:
これ俗にいふ丸木舟の事也、製作すること イタシヤキチとことなる事なし、形ちの小し くたかひたるハ、図を見て考ふへし、二種の中、 前の図は流の緩き川ならひに沼とふを乗る 舟なり、後の図は急流の川をのり、または 川に格別の高底ありて水の落す事飛泉の 如くなるところをさかさのほる事とふある時、 水の入らさるかために、舟の舳に板をとち付たるさまなり、 これは俗にいふ丸木舟のことである。製作する方法はイタシヤキチとことなることはない。形が少しく違っていることは、図を見て考えてほしい。二種類の中、前の図は流が緩い川ならひに沼などで乗る舟である。後の図は急流の川で乗ったり、または川にとくに高低があって、水が落ること飛泉のようなところをさかのぼることなどがある時、舟に水が入らないようにするために、舳に板を綴じつけたところである。
第5巻, 43ページ, タイトル: ウイマムチの図 
第5巻, 45ページ, タイトル:
蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ 松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし 事也、その貢物を積むところの舟をウイマム チと称す、其製作のさまよのつねの舟と替 りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の 人に初てまみゆる事をいふ、    此義いまた詳ならす、追て考ふへし チは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる 舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は 松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて 貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル 蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。    この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。 チは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。 アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ シリへもウイマムチで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
第5巻, 47ページ, タイトル:
らの人の嶋と称せし也、其貢物を献せしと いへる事を夷人のいひ伝へたるは、いかにもさた かなる事にや、日本紀の中に此事をのせたる ところあまた見へたり、 ウヘマムチよそをひの具三種 「かしらの人の嶋」といっていたのである。貢ぎ物を献上したということをアイヌの人びとがいいつたえるのは、いかにも確かなことではないか。日本書紀にはこのことにふれた記事はたくさん見えている。 ウイマムチ装おう道具 三種類
第5巻, 51ページ, タイトル:
三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に 出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、 追て考ふへし、ウヘマムチに用る此よそをひの 三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、 家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり すつる事ハあらす、    ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく 見えたり かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと 称す、 三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。 ウイマムチで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。    <註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ る> このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツといひ、 四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラリといひ、九をケラといふ、 シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラリ【ラ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 4ページ, タイトル:
本邦よりわたるところのものにて、古き絹の 服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、 殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは   本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用 して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、 もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、 ウリ、ラリ、ケラこの六種の衣はいつ れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮 にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも 下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
第6巻, 5ページ, タイトル:
するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の 製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも  本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を 致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに 平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは 貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツ 三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、 其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁 断して服する事を許さす、    凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥 獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ 礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の 属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
第6巻, 6ページ, タイトル:
地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の 便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽 せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ 教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、 もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人 物とならん事、何の疑かあるへき、 右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人 熟知するところの物、シヤランベ、チミツの二種ハすな はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、 ラリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣 皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に 録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種のミハ
第6巻, 8ページ, タイトル: アツカの図 
第6巻, 9ページ, タイトル:
アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の 皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに 堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、 こゝに図したるところは、すはハちヲヒクの皮にして、 山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を アツカフと称する事は、すへてアツトシに織る木の 皮をさしてアツといひ、カはたゝの木の皮の事 にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は 海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山 中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも 平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、 幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
第6巻, 31ページ, タイトル: ラリの図
第6巻, 32ページ, タイトル:
リとは、すへて鳥の羽にて製する衣をいふ、 ここに図したるさまは鵜の羽にて造れるなり、 其造りよふは羽をとるに皮をつけてまるむきに なし、それをいく枚も縫ひ合せて造るなり、鵜のミに かきらす何鳥の羽にてつくれるも、其製しかたは ことなる事あらす、いつれも称してラブリといふ、 其義解しかたし、
第7巻, 22ページ, タイトル:
リキタフニと称する事は、リキタは天上といはんか 如し、フニは持掲る事をいひて、天上に持掲ると いふ事なり、是は前にいふか如く、柱を立ならふる 事終りてより、数十の夷人をやとひあつめてくミたてたる 屋を柱の上に荷ひあくるさま也、屋を荷ひあくる事終れハ、それより柱の根を はしめ、すへてゆるきうこきとふなきよふによ くーーかたむる事なり、 ☆リキタフニということ、リキタ【リ*ク タ:rik ta/高い所 に】は天上という意味であり、フニ【ニ:puni/を持ち上げる】は持ち上げることをいって、天上に持ち上げるということである。これは前にいったように、柱を立て並べることがおわってから、数十のひとを雇い集めて、組み立てておいた屋根を柱の上にかつぎ上げるさまである。屋根をかつぎ上げることが終ったら、それから柱の根をはじめ、みんな揺るぎ動くことがないようによくよく固めるのである。
第7巻, 23ページ, タイトル: キタイマコツの図 
第7巻, 24ページ, タイトル:
是は家のくミたてとゝのひてより、屋をふくさま也、 キタイマコツといへるは、キタイは屋をいひ、マコツは葺 事をいひて、屋をふくといふ事也、屋をふかんとすれは、蘆 簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくミたてたる 木の上に敷て、其上に前に録したる葺草の中いつれ なりともあつくかさねてふく也、こゝに図したるところハ 茅を用ひてふくさま也、この蘆簾あるハ網とふのものを 下に敷事ハ、くミたてたる木の間より茅のこほれ落るを ふせくため也、家によりては右の物を用ひす、木の上を すくに茅にてふく事もあれとも、多くは右のものを 下に敷事なり、    ここにいふ蘆簾は夷人の製するところのものなり、 網といへるも同しく夷人の製するところのものにて、 木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり、 すへて夷人の境、障壁とふの事なけれハ、屋のミにかき らす、家の四方といへとも同しくその屋をふくところの ☆これは家の組み立てができてから屋根を葺くようすである。キタイマコツというのは、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、マコツ【アク*プ?:akup?/葺く】は葺くことをいうので、屋根を葺くということである。屋根を葺こうとするには、芦簾あるいは網の破れ損じたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前述の葺き草のうち、どれでも厚く重ねて葺くのである。ここに図示したのは茅を用いて葺いているようすである。  この芦簾あるいは網などのものを下に敷くことは、組み立てた木の間より茅が零れ落ちるのを防ぐためである。家によってはそれらを使わず、木の上に直に茅で葺くこともあるけれども多くは右にあげたものを下に敷くのである。    <註:ここでいう芦簾アイヌの人びとが造ったものである。網も同じくアイヌ製のもので 木の皮を綯って造ったものである。> 総じてアイヌの人びとの国には障子や壁などというものがないので、屋根ばかりではなく、家の四周さえも同様にその屋根を葺く茅で囲うの
第7巻, 36ページ, タイトル: トツラツキタイチセの図
第7巻, 37ページ, タイトル:
この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて ふきたる也、これをトツラツフキタイチセと称す、 トツは竹をいひ、ラツは葉をいひ、キタイチセは 前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、 これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、 やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て 堅固なりといへとも、力を労する事多きにより て、造れるものまつはまれなりとしるへし、 ☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツラツフキタイチせという。トツ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。 これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
第7巻, 40ページ, タイトル: の図 
第7巻, 41ページ, タイトル:
は夷人の物を入れ置ところにして、   本邦にいはゝ蔵の如きもの也、といへるはもと器の 事にもいへり、たとへは矢を入る筒をアイイヨツ といふか如し、アイは矢をいひ、イヨツは入るをいひ、は 器をいひて、矢を入る器といふ事也、又物といふ事にもきこ ゆるにや、アイイヨツといふを矢を入る物とも解すへし、然れ とも物といふ語は別にベといふ事ある時は、いつれ器と 解するを得たりとす、しかれハ何の某のといふときは 器の事になり、たゝと計りいふときは蔵の事になる也、これは 蔵といへるも、もと物を入れをくところゆへ同しく 器の類といふ心にてかくいふと見ゆるなり、    といへるの解は、委しく語解の部にミえたり、 すへて此等の事、夷人の境言語のかすすくなく して、物をかねていふゆへなり、    言語のかす少して、言は一つにて物をかねていふ といへる事は、アユシアマヽの部に委しくミえたり、 :pu/倉】はアイヌの人びとが物を入れておくところで、わが国でいう蔵のようなものである。というのはもと器のことにもいう。たとえば、矢筒をアイイヨツというように、アイ【アイ:ay/矢】は矢、イヨツ【オ:o/に入っている】は入れるをいい、【*プ:p/もの】は器をいって、矢を入れる器ということである。また、は物ということという意味があるのかもしれない。アイイイヨツを矢を入れる物とも解釈できる。しかしながら、物という語はほかにベ【ペ:pe/もの】という語もあり、どのみち器という意味に解釈することができる。だから、「何の」「だれそれの」というときは器のことになり、ただ、とだけいうときは蔵のことになるのである。これは蔵といえども、もともと物を入れておくところなのでおなじく器のたぐいという意味あいがあってこのようにいうのであろう。     <註:の解釈は、詳しくは「語解の部」にある。> 【●校訂者註:厳密に言うと、puと*プpは別の単語である。また、「もの」という意味の*プpとペpeは、直前の音が母音の場合は*プp、子音の場合はペpeのかたちをとる】 総じて、これらのようなことおこるのは、アイヌの人びとの国では語彙のかずが少ないので物を兼ねていうからである。 <註:語彙数が少ないのでことばひとつでいくつかの物をかねていうことは「アユシア マヽの部」に詳しい。>
第8巻, 16ページ, タイトル:
ケフヲイシユトといへるは、ケは毛をいひ、フはま はらなる事をいひ、ヲイは在る事をいひて、 毛のまハらに在るシユトといふ事なり、これは 海獣の皮を細長く切りて図の如くにシユトの かしらに巻たるゆへ、其毛のまハらに在るを以て かくはいへるなり、    ここに海獣としるしたるは、奥羽松前とふの 方言にトヾといへるもの也、夷人の言葉に何と いひしにやわすれたるゆへ、其名をしるさす、追て 録すへし、 右に図したる六種の外にも形ちのかはりたる シユトさまーーあるよしをいひも伝ふれと、まさし く見たる事にあらさるゆへしるさす、追て糺尋 のうへ録すへし、 ☆ケフヲイシユトというのは、ケ【ケ*ル:kepur/毛皮の毛を抜いたもの?】は毛のことをいい、フはまばらなこと、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、毛のまばらに在るシユトのことである。これは海獣の皮を細長く切って図のようにシユトの頭に巻いているので、(海獣の皮に)毛がまばらにあるのでこのようにいうのである。    <註:ここに海獣と記したのは、奥羽、松前などの方言にトドというもののことである。アイヌ語でなんというのか忘れたので、その名は記さない。おって記録することにしよう。 右に図示した六種類のほかにもかたちの変ったシユトがいろいろあると伝えているが、確かに見たことがないので記録しない。いずれ聞きただしたうえで記録することにしよう。>    

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