蝦夷生計図説

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"ハ": 120 件ヒット

第1巻, 3ページ, タイトル:
事あたわす、依之  朝廷諸官吏を遣て政教を 布しむるに、蝦夷 聖恩の厚を仰き、日ならすして 全島□て投下し、風俗・言語・飲食・衣服・居家・器械之類 本邦の造に従ふもの少からす、古来未曾有の事にして、  聖代の鴻業実に仰くに堪たり、顧て思ふに往昔 奥羽の蝦夷今悉く帰化し、其時の遺風今絶て見 る事あたはす、然るに島夷の化に向ふ事、前件の如くなる 時は、風を移し俗を変し、日々に新にて奥羽の夷変し て今日に至るか如きこと立て待へし、且其国元より文字を しらす載籍の後世に伝ふへきなく、其今日之遺風百年の後 烏有に帰せん事、亦今日の奥羽の如くなるへし、故に家翁村上島之允 秦檍丸島夷の風俗・言語・飲食・衣服・居家・器械を写し、是の 説を作りて不朽に伝へ、百年之後天下後生をして、蝦夷の古態 を見る事を得セしめんと欲し、此図説を草創セり、其後間宮 林蔵倫宗是を潤色し、遂に八巻をなすといへとも、其後檍 丸早く死し、倫宗は地図を撰するの忙しき、遂に篇を 全くする事あたはす、僅に木幣・造舩・衣服・耕耘之類、 四五条にして業を廃す、然も八巻之書、亦其作業の大概を
第1巻, 7ページ, タイトル:
する事也、是を製せんとすれは、潔斎ともいゝつ へきさまに、まつ其身を慎ミいさきよくす る事をなして、それより図の如くに製する也、    潔斎ともいふへき事は夷語にイコイコイと いひて、身を慎ミいさきよくする事のある也、委し くはカモイノミの部にミえたり、 是を製するに、小刀よふの器も、よのつねのは 用ひす、別にイナヲを製するためにたくへ置 たるを取りいてゝ用ゆ、イナヲに為すへき木何の 木とさたまりたるにもあらねと、いつれ質の白く して潔き木にあらされ用ひす、其の削り出し たる木のくすといへとも妄にとりすつる事は 位置づけられている。 イナヲを作製するにあたっては、まるで潔斎でもするかのような様子で、その身を慎み清める行ないをしたうえで、図のような作業にかかるのである。  *潔斎でもするかのような行為のことについてであるが、彼らの言葉でイコイコイという、身を慎み清める行ないがある。イコイコイについての詳細は、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。  イナヲを作製するにあたっては、日常用いている小刀は使用されない。特別にイナヲ作成用としてしまってあるものを取り出して用いるのである。イナヲとなる樹木の種類についてであるが、定まった決まりがあるわけではない。ただし、どんな種類であっても材質が白く清潔な木でなければ用いられることはない。こうした木からイナヲを作製する過程で生じた削りくずといえども、妄りに捨ててしまうことは
第1巻, 8ページ, タイトル:
あらす、 ことーーく家のかたらのヌシヤサンにおさめ 置事也、    ヌシヤサンの事、カモイノミの部にミえたり、 其製するところの形ちは、神を祭るの法にした かひて、ことーーくたかひあり、後の図を見て知へし、 凡て是をイナヲと称し、亦ヌシヤとも称す、此二つの語 未さたかならすといへとも、イナヲはイナボの転語 なるへし、 本邦関東の農家にて正月十五日に 質白なる木をもて稲穂の形ちに作り糞壤にたてゝ    俗にいふこひつかの事也、 五穀の豊穣を祈り、是をイナボと称す、此事いか ない。 それらは一つ残らず家の傍らにあるヌシヤサンに納め置かれるのである。 *ヌシヤサンのことについてであるが、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。 作製されたイナヲの形状についてであるが、神を祭るに際しての法に従って、ひとつひとつに相違がある。後掲の図を参照されたい。 これらを総称してイナヲまたはヌシヤという。この二つの語源は未詳であるが、うちイナヲはイナボ(稲穂)の転訛と考えられよう。我が国の関東農村において、正月一五日に材質の白い樹木を用いて稲穂の形にこしらえたものを糞壌に立てて *俗にいう「こひつか」(肥塚)のことである。 五穀豊穣を祈る儀礼があるが、その木製祭具を「イナボ」と称している。 この儀礼は、
第1巻, 9ページ, タイトル:
にも太古よりの遺風とこそミえたれ、さらは この事の転し伝りてイナホをイナヲとあやまり 称するにや、またヌシヤといへる事はとりもなを さすヌサの転語にして大麻の事なるへし、 此稲穂と大麻の二つは 本邦にしても、今の 世に及ひては形ちもかり事も同しからぬよふに 思ひなさるれと、いつれも天地の神明を祭るか ために設るところの物にして、其用ゆるの意は ひとしく今の幣帛也、今の幣帛は専らに 紙を用ひ、麻をもちゆれとも、上古の時紙麻とふ の物流布せさりしには、木のミをもて製せし 事の有けんもしるへからす、其時にあたりて稲穂も いかにも太古からの遺風であるとの印象を受ける。そうだとすれば、こうした儀礼が転じ伝わって「イナホ」が「イナヲ」と誤って称されることになったのではなかろうか。また、「ヌシヤ」と称するのは、これはとりもなおさず「ヌサ」(幣)の転訛であり、大麻を指す言葉が伝播したと考えてよいであろう。 いま稲穂と大麻の二つについて言及したが、我が国について考えるならば、現在ではその形状も用いる儀礼も、太古のそれに比べ変化してきていると思われる。しかし、元来は両者とも天地の神明を祭る目的でつくられたものであり、その用途はいずれも現在の幣帛の持つ機能と同様である。現在幣帛は専ら紙や麻で作製されるが、上古にあって未だ紙や麻が流布していなかった時代には、樹木のみを素材としてつくられていた可能性がある。そう考えると、当時我が国では稲穂も
第1巻, 13ページ, タイトル:
此イナヲは火の神を祭る時に奉け用ゆるなり、 アべシヤマウシイナヲと称する事は、アベは火の事をいひ、 シヤマは物のそばをいひ、ウシは立つ事をいひて、 火のそはに立つイナヲといふ事也、此語なとまさ しく 本邦の語にも通するにや、アベは火の事 をいふにあたれり、    此事語解の部に委しく論したり、こと 長けれはこゝにしるさす、 シヤマはソバの転語にして、ウシはアシの転語なる へし、アシといへる事は、もと立つ事をいふとミゆる也、 人の脚をあしといへるも立つ事より出たるにや、 机案の類のしたに立たるところをあしといひ、  このイナヲは、火の神を祭るときに奉げ用いるものである。アベシヤマウシイナヲとは、「アベ」が火を、「シヤマ」が物のそばを、「ウシ」が立つことをそれぞれ表わし、合わせて「火のそばに立つイナヲ」という意味である。この語などはまさしく、我が国の言葉にも通じているように思われる。「アベ」とは、まさに火のことを言うのに当たっている。 * 「アベ」が火のことを指すということについては、本稿「語解の部」で詳しく論じている。長くなるのでここには記さない。 「シヤマ」は「そば」の転語であり、「ウシ」は「あし」の転語であろう。「あし」というのは、元来立つことを指していたと考えられる。人の足を「あし」というのも、立つことから出た言葉であろう。机などで下に立ててある部分を「あし」といい、
第1巻, 17ページ, タイトル:
この二つはひとしく火の神を祭るに用ゆれ とも、男女のわかちあるによりて其形ちの替れる なり、ビン子アベシヤマウシイナヲといふは、ビンは男子を いふ、子は助語也、シヤマウシイナヲは前にいへると同し 事にて、男子火のそはに立るイナヲといふ事也、 マチ子アベシヤマウシイナヲといへるは、マチは婦女をいひ、 子は助語なり、アベシヤマウシは前と同し事にて、 婦女火のそはに立るイナヲといふ事也、此イナヲに 男女のわかちある事、火の神に男女あるといふにも あらす、唯祭れるイナヲに男女のわかち有よし也、 これを夷人に糺尋するといへとも、いまた其義の 詳なるを得す、追て考ふへし、思ふに乾男坤女の  この二つは、同じく火の神を祭る際に用いるものであるが、男女の別があるために、その形状が異なっているものである。ビンネアベシヤマウシイナヲとは、「ビン」は男子を表わし、「ネ」は助詞、「シヤマウシイナヲ」は前述の通りであり、合わせて「男子の火のそばに立つイナヲ」という意味である。「マチネアベシヤマウシイナヲ」とは、「マチ」は婦女を表わし、「ネ」は助詞、「アベシヤマウシ」は前述の通りであり、合わせて「婦女の火のそばに立つイナヲ」という意味である。このイナヲに男女の別があるのは、火の神に男女の別があるからというわけではない。ただ祭るイナヲに男女の別があるのみであるという。このわけについてアイヌの人々に聞き尋ねてみたのだが、いまだにその理由を詳らかにできないでいる。追って後考を期したい。ただ思うに、乾男坤女の
第1巻, 23ページ, タイトル: キケアロセイナヲの図二種 
第1巻, 25ページ, タイトル:
これは何とさたまりたる事なくすへて神明を 祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて 削る事をいひ、アロは物の垂れ揺くかたちをいひ、 セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、 此ウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく 垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは ウロはフアリと通して、キケウロイナヲといふは 削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、 二種の形ちの少しくかれる事あるは、前のキケ チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ キシナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、  これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「アロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。 この「アロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ウロ」は「ふあり」と通じて、キケウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。 なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
第1巻, 26ページ, タイトル: ルケイナヲの図
第1巻, 27ページ, タイトル:
ルケとは縄の事をいひて、縄のイナヲといふ事 なり、又一つにはトシイナヲともいふ、トシは舩中に 用ゆる綱の事をいひて、綱のイナヲといふ事 なり、是はこのイナヲの形ち縄の如く、又綱の如く によれたるゆへに、かくは称する也、此イナヲはすへて カモイノミを行ふの時、其家の四方の囲ひより初め 梁柱とふに至るまて、 本邦の民家にて 正月注連を張りたる如く奉けかさる也、按るに、  本邦辺鄙の俗、注連にはさむ紙をかきたれと 称し、又人家の門戸に正月あるひは神を祭る 事ある時は、枝のまゝなる竹を杭と同しく立て、 注連を張り、其竹につけたる紙をも又かきたれと  「ルケ」とは縄のことを表わし、「縄のイナヲ」という意味である。また、別にトシイナヲともいう。「トシ」とは船で用いる綱のことをいい、「綱のイナヲ」という意味である。これは、このイナヲの形状が縄のように、あるいは綱のように撚れているために、こう称されるのである。このイナヲは、カモイノミを行なうときに、家の四方の囲いからはじめ、梁柱などに至るまでの隅々を、我が国の民家において正月に注連縄を張るように奉げ飾るのに用いられるのである。按ずるに、我が国の辺鄙の地における風俗に、注連縄に挟む紙を「かきたれ」と称し、また人家の門戸に正月あるいは神事がある時に枝のままの竹を杭のように立て注連縄を張るのであるが、その竹につけた紙のことも「かきたれ」と
第1巻, 28ページ, タイトル:
称す、かきたれといへる事はもと削り垂ると いはんか如き事なるを、紙にて製せし物に称する 事、其義あたれりとも思はれす、これは古へ紙 製の事いまた流布せさりし時に、辺鄙の 民家とふにて、これらの物ミな質白なる木を 用ひて製せしより、おのつからかきたれとふの 名は唱へしなるへし、今夷人の俗に此イナヲ を用ゆる事は、まさしくかの 本邦上古の 時、木にて製せしかきたれの遺風を伝へし 事とミゆる也、 いるものがある。 「かきたれ」という言葉は、元々は削り垂れるというような意味だったのであろうが、それを紙でつくったものを表わす言葉として用いるのは、意味的に言ってあたっているとは思われない。これは、紙がまだ流布していなかった古い時代に、辺鄙の地の民家などにては、材質の白い木を用いてこうしたものを作っていたため、自ずから「かきたれ」という名が唱えられたものと考えられる。現在アイヌの人々がこのイナヲを用いているのは、まさしくわが国における上古の時代に木でつくられた、かの「かきたれ」の遺風を伝えているものと見ることができるのである。
第1巻, 30ページ, タイトル:
シユトといへるは、もと杖の名にして、ウカルを行ふ 時にもちゆる物也、    ウカルといふは、夷人の俗罪を犯したる者あれ、 それをむちうつ事のある也、シユトは其むち うつ杖の事をいふ、委しくは、ウカルの部にミえたり、 此イナヲを製するには、まつ木をシユトの形ちの 如くにして、それより次第に削り立る事をなすに よりて、かくは名つけし也、 本邦の語に 罪人をうつ杖の事をしもとゝいふ、さらはシユトは しもとの転語にして、これ又 本邦の語に 通するにや、このイナヲはいつれの神を祈るにも 通し用ゆる事也、 「シユト」とは、もと杖の意味であり、ウカル( )を行なう時に用いられる。 * ウカルといって、アイヌの人々のなかで俗罪を犯した者がいた場合、その者を鞭打つことがある。シユトは、その際に用いられる杖のことをいう。詳しくは、本稿「ウカルの部」に記してある。このイナヲを作製するときに、まず木をシユトの形のように加工してから順次削っていくことにより、こう名づけられたのである。わが国の言葉で罪人を打つ杖のことを「しもと」という。つまり、「シユト」は「しもと」の転語であり、これまたわが国の言葉と通じていることになろう。なお、このイナヲはどの神を祈るにも共通して用いられるものである。
第1巻, 32ページ, タイトル:
イコシは守りをいひ、ラツケは物を掛け置く事を いひて、守りを懸け置くイナヲといふ事なり、    守りといへるは夷人の身を守護するところの 宝器をいふ也、その宝器はなを 本邦の俗に 小児の守り袋なといはんか如く、身の守りになる よしいひて、殊の外に尊ふ事也、委しく宝器の 部にミえたり、 時ありて此イナヲに其宝器をかけ、住居のヌシヤ サンにかさり置て祈る事のある也、其祈る事は ことーーく意味深きよしなれは、夷人の甚秘する 事にて、人にかたらさるゆへ、其義いまた詳ならす、 追て探索の上録すへし、  「イコシ」はお守りを、「ラツケ」は物を掛けて置くことを表わし、合わせて「お守りを掛けて置くイナヲ」という意味である。 * お守りというのは、アイヌの人々の身を守護してくれる宝器のことである。その宝器は、わが国で俗に小児の守り袋などのように、身の守りになるといって、大変尊ばれるものである。詳しくは、本稿「宝器の部」に記してある。 時折、このイナヲにその宝器を掛け、住居に附属するヌシヤサンに飾り置いて祈ることがある。何を祈っているかについては、その悉くについて深い意味があるとのことで、アイヌの人々は甚だ秘して他人には語らないため、いまだ詳らかにすることはできない。追って探索の上記すこととしたい。
第1巻, 36ページ, タイトル: シイナヲの図
第1巻, 37ページ, タイトル:
シとは木の小枝の事をいふ、すなち  本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、 是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯 を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ サンなとにも奉け用る事もあり、    コタンコル、ヌシヤサンの事は、カモイノミの部に ミえたり、 右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、 其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、 今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の 詳なるをまちて録すへし、  「シ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。 * コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「カモイノミの部」に記してある。 右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
第2巻, 4ページ, タイトル:
夷人の食は、鳥獣魚とふの肉を専らに用ると いへとも、不毛の地にして禾穀の類のたえて 生する事なしといふにはあらす、又禾穀の 類をうへて食する事なしといふにも非す、 こゝに図する所はすなち稗の一種にして、 烏禾の類也、これは蝦夷のうちいつれの地 にても作りて糧食の一助となす事也、    但し、極北の地子モロ・クナシリ島なといへる所の 夷人の如きは、かゝる物作れる事あらす、これは ひとしく蝦夷の地なりといへとも、殊に辺辟 たるにより、その闢けたる事もおそくして、 未かゝる物なと作るへきわさは知るに及さる アイヌの人々の食についてであるが、専ら鳥や獣や魚の肉をそれにあてている。しかし、だからといって彼らの住む土地が不毛であり穀類の生育を見ないというわけではない。 ここに掲げた図は稗の一種「烏禾」の仲間である。この作物は、蝦夷地一円に栽培されているもので、糧食の一助として用いられている。 * 但し、蝦夷地の内でも最も北に位置するネモロ(根室)やクナシリ(国後)島などといった地域のアイヌの人々は、こうした作物を栽培することはない。なぜならば、同じ蝦夷地とはいえ、根室や国後島は格別辺鄙な地であり、その開闢も遅く、いまだに作物を栽培する技術を知るに至っていない
第2巻, 5ページ, タイトル:
ゆへ也、 絶て米穀の類の生セさる地といふに 非す、すてに 本邦の人の行きて住居する ものは、麦あるは菜・大根とふを作るによく生 熟する事也、 是をアユウシアマヽと称す、アユとは刺をいひ、ウシ とは在るをいひ、アマヽは穀食の通称にして、 刺のある穀食といふ事也、この稗の穂には 刺の多くある故にかくはいへる也、夷人の伝言 するところは、この国闢けし初め天より火の神 降り□ひて、此種を伝へたまへり、それよりして かく作る事にはなりたるよし也、然るゆへに 是を尊ふ事大かたならす、其作り立るより からである。 また、蝦夷地はまったく米穀の類が生育しない地であるというわけでもない。実際、既に「本邦の人」が来住している地域では、麦または菜・大根等を栽培しており、よく成熟する様子が見られる。 この図に見える稗の一種は、アユウシアママと称されるものである。「アユ」とは刺のこと、「ウシ」は「在る」を表わし、「アママ」は穀類の通称で、つまり「刺のある穀物」という意味の言葉である。この稗の穂に刺が多くあるため、このように呼ばれている。アイヌの人々の伝承によれば、国の開けし初め、天から火の神が降臨なされ、この種をお伝えになり、それ以来栽培するようになったということである。そういう由緒を持つことから、アイヌの人々はこの作物を非常に尊んでおり、 栽培から
第2巻, 6ページ, タイトル:
食するに至るまてのわさことに心を用るなり、 其次第は後の図に委しく見へたり、是より 出たる糠といへともミたりにする事あらす、 其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を 奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には 似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、 荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する 事 本邦の地には無き物にして、蝦夷 の地より伝へ来りたるによりてかく称すると 食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。 棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。 この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて
第2巻, 7ページ, タイトル:
いふ事にはあるへからす、 是を 本邦禾穀のうちに考るに、今いふ田稗なるへし、田稗と いへる物は田のミに限らす、すへて痩湿の地 には、植る事をまたすして生熟するものにて、 今の世の人はたゝよのつねの野草と同しもの よふにおほへたる事也、されと上古の時、禾穀の類の いまた豊穣ならさりしには、これらの類をも 作り用ひたる事なるへし、其後禾穀の類の ゆたかになりしよりおのつからこれらの類は 麁細なる物として作れる者もなく、たゝ奥羽 ならひに松前とふの辺地にてのミ稀に作れる 事になりたるとミゆる也、蝦夷稗の名を得たる いる。他の穀類とは異なり、土地の肥瘠に関わらずよく稔り、凶作知らずであるという。 「蝦夷稗」という呼び名は、これが本邦原産ではなく蝦夷地から伝来したものであることによって、そう称されているという訳ではないだろう。我が国に生育する禾穀類のなかに、現在「田稗」というものがあるが、おそらくそれを指すものと考えられる。「田稗」は田にのみ生育するのではなく、湿地でさえあれば、手をかけるまでもなく成熟するものである。従って今では、普通の野草と同じもののように考えられている。しかし、禾穀類がまだ豊穣ではなかった上古の時代には、「田稗」の類も栽培され用いられていたことであろうと考えられる。その後禾穀類が豊かになったことにより、「田稗」の類は取るに足らないものとして、自然と栽培する者もいなくなり、僅かに奥羽ならびに松前といった辺境の地で稀に作られるのみとなったと見ることができる。「蝦夷稗」という名がついたのは
第2巻, 8ページ, タイトル:
事は、今に及ひては専ら蝦夷の地にてのミ 作り用ゆる事よりして、おのつからかゝる名を 唱ふるなるへし、其形ちの如きまさしく田稗と 露たかふ事なしといふにあらねと、これ人の 手によりて其生熟の性をとくると、たゝ原野荒 草のうちに混して生するによりておのつから 形ちに少しくかれるさまのあるなるへし、しか りといへともひとしく稗の一種にして、  本邦の地にも生し、蝦夷の地にも生するといへ る事はいさゝか疑うへき事に非す、是のミにあらす、 近き頃に至りて、蝦夷のうち極北の地に あらさるところは粱・稗・大根・菜とふを 現在ではそれが専ら蝦夷地でのみ作られることから、自然とその名が唱えられるようになったためであろう。「蝦夷稗」の形状は、「田稗」とまったく同様というわけではない。しかし、これは栽培により成熟したものか、原野で野生の植物の中に混じって生育するものかによって、自然とその形状に少々の相違が生じてきたためと捉えられる。但しそうであっても両者は稗の仲間の同一種であり、我が国の土地にも生育し、蝦夷地にも生育するものであるということは、まったく疑う余地がないのである。 なお、近年では蝦夷地で栽培される作物のはこれのみではなく、極北の地を除き、粱・稗・大根・菜などを
第2巻, 11ページ, タイトル:
ラタ子と称する事は、ラタツキ子といへるを略せるの 言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ ツキ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、 これは此草の形ちによりてかくは称するなり、 是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、 アユシアマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、 ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り て糧食の助けとなす事なり、    但し、極北の地子モロ・クナシリ島とふの夷人作る 事のなきは、アユシアマヽに論したると同しき ゆへとしるへし、 是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すな ラタネとは、「ラタツキネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツキネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。 この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、アユシアママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。 *但し、極北の地であるネモロ・クナシリ島等のアイヌの人々がこれを栽培することがないのは、アユシアママのところで論じたのと同じ理由であろう。 ラタネとは、
第2巻, 12ページ, タイトル:
蔓菁の一種なり、其食するに根葉ともに 用ゆる事全く蔓菁と異なる事あらすして、 味も又同し、夷人のいひ伝ふるところも、此菜 よのつねの草とは事替りて、聊か毒の気なし とて、疾病の人といへとも、此菜に限りて心を おかすして食せしむる事也、すへて蝦夷のうち 極北の地にあらさるあひたは、土地の美悪にかゝ らす作りたにすれはよく生熟する事也、多く 作る事もあらんには、荒凶のとしの備へになさん も、便なるへし、    右の二種は蝦夷の闢けし初より自然に生し たる所にして、外より伝り植たる物に 我が国に生育する菜類のなかにある 「蔓菁」の一種である。食するときに根と葉とを共に用いることなど全く「蔓菁」と変わるところはなく、味もまた同じである。アイヌの人々の言うには、ラタネは通常の草とは異なり、少しも毒気がないとのことである。従ってこの菜に限っては、病人にも安心して食べさせているのである。蝦夷地のうち極北の地を除き、土地の美悪に拘らず、作りさえすればよく成熟するとのことである。よって多く作られた場合、凶作の年の備えとなり、便利なことである。 * 右に掲げたの二種の作物は、蝦夷地開闢以来の自生種であり、外部から伝来して植え付けられたものでは
第2巻, 13ページ, タイトル:
あらす、此うちアユシアマヽは穀類の一種にして、 ラタ子は菜類の一種なり、是によりて考ふるに、 後来に及ひ人民蕃湿し耕耘の力を致し、 稼穡の務を尽す事あるに至らんに、禾穀 菜草の類、森然として蝦夷の地に生せん事も いまた知るへからす、此より後に図するところは、 此二種のものを作り立るより食するに いたるまての次第、夷人ことに心を用る事を録 せるなり、 ない。このうちアユシアママは穀類の一種であり、ラタネは菜類の一種である。 このことから考えるに、将来蝦夷地に人民が殖え、農耕に力を尽くすことになった場合、禾穀・草菜の類が、この地に森の繁りのように生じてこないとも限らないであろう。なお、これから後に掲げる図は、この二種の作物を栽培するところから食するに至る迄の次第のうちから、アイヌの人々が殊に心を用いる場面を収録したものである。
第2巻, 15ページ, タイトル:
右二種のものを作る事をすへて称してトイタ といふ、トイは土をいひ、タは掘る事をいひて、土を 掘るといふ事也、又一にはトイカルともいふ、トイは 上に同しく、カルは造る事をいひて、土を造ると いふ事也、二つともに 本邦の語にしてはなを 耕作なといはんか如く、また場圃なといはん ことし、    耕作と場圃とは殊にかりたる事なるを、かく いへるものは、すへて夷人の境、太古のさまにして 言語のかすも多からす、為すへき業も又少なし、 しかるゆへに此二種の物を作るか如き、其作り立る の事業をもすへて称してトイタといひ、その 右に掲げた二種の作物を作ることをトイタと総称する。「トイ」は土のことを、「タ」は掘ることを表わし、あわせて「土を掘る」という意味である。また別にトイカルともいう。「トイ」は土のことを、「カル」は造ることを表わし、あわせて「土を造る」という意味である。二つの語はともに、我が国の言葉で言えば、耕作といったり場圃といったりしている語を指しているようだ。 * 耕作と場圃という、異なった意味を持つ概念であるものを同じ語で表わしているのは、アイヌの人々の生活境遇が太古の状態にあるため、言葉の数が多くはなく、行なわれる生業活動もまた少なかったためである。 従って、この二種の作物を作るに際して、栽培作業の総称としてトイタの語を用い、
第2巻, 16ページ, タイトル:
作れる地にして場圃のさましたるところをも、又 称してトイタといふ也、凡これらの事、  本邦の事に比しては論し難きところなり、 これより後、其言葉は一にして、其事のたかひ ある事は皆この故としるへし、 夷人のならひ、これらの事をなすに地の美悪を えらふなといへる事はミえす、山中の不平なる 地あるは樹木の陰なとおもトイタとなして作れる 事なり、    但し、地をえらふ事のなしといへるはさたかなる 事にはあらす、外より打見たるさまかく見 ゆれとも、すへて夷人の性は物事深くかんかへて 栽培地である場圃様の所をもまた、トイタと称するのである。こうした事情につき、我が国における事例を挙げ、比較して論じるのは難しい。以下、本稿において同一語であるにもかかわらず、その示す意味が異なっているのは、皆こうした理由によるものと御承知置き願いたい。 アイヌの人々の慣習として、栽培をするに際しては土地の美悪を選ぶことはしない。山中の平らではない土地や樹木の陰になっている土地などをもトイタとなして栽培を行なっている。 * 但し、地を選ぶことがない、という見方は、実ははっきりしたことではない。傍から見ればそのように見えるのであるが、アイヌの人々は物事を深く考える
第2巻, 17ページ, タイトル:
かろーーしき事をせす、さら此等の事にも 別に意味のありてかくはなせるにや、其義 未詳ならす、追て糺尋の上録すへし、 是に図したるところは、トイタとなすへき ためにまつ初めに其地の草をかるさま也、ムンカル と称する事は、ムンは草をいひ、カルは則ち苅る 事をいひて、草をかるといふ事也、すへて 此のトイタの事は、初め草をかるより種を蒔き、 其外熟するに至て苅りおさむるとふの事 に至るまて、多くは老人の夷ある女子の 夷の業とする事也、     草をかるには先つ其ところにイナヲを奉けて 軽々しい行いはしないものだ。そうしたことから考えるに、或いは別の意味があってトイタの地を定めているのかも知れず、その判断基準はいまだ詳らかではない。追って聞き取りの上、後考を期したい。 ここに掲げた図は、トイタとするために先ず初めにその地の草を刈る様子を示したものである。この作業をムンカルというのは、「ムン」が草を、「カル」が刈ることを表わし、あわせて草を刈ることを意味することによっている。トイタに関わる作業には、草を刈ることから始まり、種蒔きや稔ってからの収穫に至るまで、その多くに老人や女性が携わることとなっている。 * 草を刈るには、まず刈る場所にイナヲを捧げて
第2巻, 20ページ, タイトル:
刈りたる草を其所にあつめ置て図のことく 火に焼く也、これをムンウフイと称す、ムンは草を いひ、ウフイは焼く事をいひて、草を焼といふ 事也、これは草をやきて地のこやしとなすと いふにもあらす、唯かりたるまゝにすて置ては トイタのさまたけとなる故にかくなす事也、 もし刈るところの草わすかなる事あれ、 そのまゝ其地のかたらにすて置く事も あるなり、 刈り取った草は、その場に集めて、図のように焼却を行なう。これをムンウフイという。「ムン」は草のことを、「ウフイ」は焼くことを表し、合わせて「草を焼く」という意味である。この行為は草を焼いて肥料をつくることを目的としたものではなく、ただ刈ったまま放置しておいてはトイタの妨げになるため行なわれるまでのことである。もし刈った草が僅かの量であった場合には、焼却せず、そのまま畑地の傍らに放置しておくこともある。
第2巻, 22ページ, タイトル:
草を焼てより其地の土を平らかにならす也、 是をトイラヽツカと称す、トイは前に同しく、 ラヽツカとはすへて物を平らかにする事をいひ て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境 釆槌とふの器もなけれ、地をならすといへるも、  本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事に非す、 唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物 の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく タシロとふのものにてきり除くのミの事也、    タシロといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、 委しくは器材の部にミえたり、 草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツカという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツカ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。アイヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシロという用具で切り除くだけのことである。   *タシロというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
第2巻, 23ページ, タイトル: ヒチヤリの図
第2巻, 25ページ, タイトル:
すへて夷人の境時候ひとしからす、寒暖の 遅速によりて種を蒔の時節も又かれり、 先つおほよそは 本邦の時節に見んに四月の 半より五月の半にあたるへし、 こゝに図したるところは、種を蒔といへとも たゝ地上にうち散らしたるのミにて、土を覆ふと いふ事もなけれは、雀なとの小鳥ひろひ喰 ひて自然生のさましたるをしるせるなり、 * アイヌの人々の住んでいる土地は、地域によって季候が異なっている。寒暖の遅速によって、種を蒔く時節もまた一様ではない。一般的には、わが国の季節でいうと四月の半ばから五月の半ばに相当するだろう。 ここに掲げた図は、種を蒔くとはいいながら、ただ地上に散らしているだけで、土をかぶせるということもしないため、雀などの小鳥がそれを拾って食べてしまう。結局自生と同じ有様であることを示したものである。
第2巻, 27ページ, タイトル:
是も初めにしるせしムンカルと同しく、草を かるといふ事也、されと其義はたかひ有事にて、 前にしるせるは、たゝ草を苅る事をいふ也、こゝに いふところも蒔置たる二種のものゝ芽を出せし より、其たけもやゝのひたる頃に及ひ、其間に 野草の交り生して植し物のさりとなる故に、 其草を抜きすつる事をいふ也、され同しく 草を除くといふにも、其わけはたかひてあれ とも、上に論する如く、夷人の言語は数少く して物をかねていふ事のあるゆへ、これらの 類もひとしくムンカルとのミ称する也 、 本邦にて禾菜の類を作るにおろぬくと これも、初めに記したムンカルと同様、草を刈るという言葉である。しかし、その意味内容は異なっている。前に記したものは、ただ草を刈ることをいうのみであった。ここでいうムンカルは、蒔いて置いた二種の作物が発芽し、丈もやや伸びた頃に、その間に交じって生えてきて成長の妨げとなる雑草を取り除く作業をいう。従って同じく草を除くという言葉ではあるが、その意味するところは異なっているのである。これは、前述のように、アイヌの人々の言葉は単語の数が少なく、物事を兼ねていうことがあるためである。いま述べた二つの作業について、同じくムンカルと称するのは、そのためである。
第2巻, 28ページ, タイトル:
いふ事ありて、蒔たる種の一つに叢生したる をは其間をすかし、長し易からん事をはかりて ぬき去る事なとあれと、夷人のするところ 聊かさよふの事もあらす、唯こゝに図する如く 野草なとのはひこり生する事あれ、それを 抜き去るのミにて、其余はたゝ生したるまゝにて 打すてをけとも、自然によく生熟する 事なり、
第2巻, 30ページ, タイトル:
是はアユシアマヽ熟するの時に及て、その穂を きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ ツタセイコトクといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト クは附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、    これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀 を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ は別に貝類の部にくしくミえたり、 凡穂をきるにはミなこれを用ひてきる事也、 決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事 あらす、奥羽の両国の中まれに穂をきるに右の 如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、 これは、アユシアママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトクというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コトク」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。 * これに用いられる貝を、アイヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
第2巻, 32ページ, タイトル:
是図は前にいへる如く、手に貝をつけてアユシ アマヽの穂をかるさま也、ウフシトイといへる事は、 ウブシは穂の事をいひ、トイは切る事をいひて、 穂をきるといふ事也、もとより自然に生し たる如くに作りたる事ゆへ、其たけの長短も ひとしからす、穂の熟する事もまた遅速の 不同ありて、残らす熟するをまちて収めん とするには、早く熟したる穂は実の落ち 散る事もあり、或は鳥なとのために喰ひ 尽さるゝ事ありて、其損失ことに多し、しかる ゆへに、大概に熟するを待て実のりに不同ある 事論せすしてきりとる也、其きりとりし この図は、前述のように、手に貝をつけてアユシアママの穂を刈る様子である。ウフシトイというのは、「ウブシ」は穂を、「トイ」は「切る」を表し、合わせて「穂を切る」という意味である。もとより、自生同様に作ったものであるから、その丈の長短も等しくはない。穂の熟する速度もまちまちであり、残らず熟すのを待って収穫しようとした場合、早く熟した穂は実が落ちてしまうことも、あるいは鳥などにより食い尽くされることもあり、損失が少なくない。従って、大体熟するのを見計らって、その稔りの程度にばらつきがあることには構わず、切り取ってしまうのである。
第2巻, 33ページ, タイトル:
から及ひ根とふはそのまゝにすて置く也、 来年に至りてまた其地に植んとする時、 それを抜去りて焼すつる也、    此穂をきるの時は、おほよそ八月の半より九月の 半にもあたるへし、 切り取った殻及び根などは、そのまま捨て置かれる。来年になってその場所に植えようとする場合は、これらを抜き去って焼き捨てるのである。  *穂を切る季節は、凡そ八月の半ばから九月の半ばにあたるようである。
第3巻, 4ページ, タイトル:
是は剪り採りし穂を収め置事をいふなり、 フヲツタシツカシマといへるは、フとは 本邦にして 蔵なといへる物のことく、物を貯へ置ところ をいふ、    其造れるさまも常の家とは事替りて、 いかにも床を高くなして住居より引はなれたる 所に造り置事也、委しく住居の部に ミえたり、 ヲツタは前にいふ如くにの字の意也、シツカシマと 大事に物を収め置事をいひて、蔵に収め置と いふ事也、其収め置にはサラニツプといへる物に 入れて置も有、あるは俵の如くになして入れ置 これは、刈り取った穂を収め置くことをいう。フヲツタシツカシマという語のうち、「フ」はわが国でいうところの蔵のように、物を貯え置く場所を表す。 * その建築形態は通常の家とは異なり、何とか工夫して床を高くしつらえ、住居から引き離れた場所に建てられるものである。詳しくは本稿「住居の部」に記してある。 「ヲツタ」は前述の通り「~に」という語を表す。「シツカシマ」とは大事に物を収め置くことをいう。合わせて「蔵に収め置く」という意味である。収めておくに際しては、サラニツプという物に入れておくことがある。また、俵のようにこしらえて入れておく
第3巻, 5ページ, タイトル:
もある也、    サラニツフといへるは草にて作れる物也、俵に するといへるも多くは夷地のキナといへる物を 用ゆる也、二つともに委しく器財の部にミへたり、 此中来年の種になすへきをよく貯へ置に、 よく熟したる穂をゑらひ、茎をつけて剪り、よく たばねて苞となし、同しく蔵に入れをく也、 是にてまつアユウシアマヽを作り立るの業は 終る也、すへて是迄の事平易にして、格別に 艱難なるさまもなきよふにミゆれとも、ことに 然るにあらす、夷人の境よろつの器具とふも心に まかせすして力を労する事も甚しく、また 場合もある。 * サラニツフというのは、草で作られたものである。俵にこしらえる場合も、多くは蝦夷地のキナというものが用いられる.詳しくは本稿「器材の部」に記してある。 このなかから来年の種とするものを良い状態で貯えておくには、よく熟した穂を選び、茎をつけたまま刈り、よく束ねて包みとし、他の穂と同様に蔵に入れておく必用がある。 これでアユウシアママを作りたてる作業は終了である。全般にこれまでの作業は平易であり、格別に困難な様子などないように見えるが、そうではない。アイヌの人々の住む地では、諸種の農器具なども手に入らず、従って労力を費やすことが甚だしい。また、
第3巻, 6ページ, タイトル:
山野には昼の間□蝣あるは蚊なとの類 多して手足をさし、疥瘡のことくになり て、其辛苦をきむる事いふはかりなし、 山野には昼の間はブヨや蚊などの類が多く、手足を刺し、カサブタのようになってしまう。その辛苦は言葉では言い表せないほどなのである。
第3巻, 8ページ, タイトル:
ルシヤシヤツヽケと称する事は、ルシヤと蘆をあミ て簾の如くなしたる物をいひ、シャツヽケとは干す 事をいひて、簾にほすといふ事也、是は蔵に 入れ置たる穂を食せんとする時に及ひて蔵より とりいてゝ簾にのせ、囲炉裏の上に図の如くに 干す事也、いかなるゆへにやいとま有時といへとも 残らす舂てそれを貯へ置といふ事あらす、 いつれ穂のまゝに蔵に収め置て、食するたひ ことに蔵よりとり出し図の如くに干して、 それより舂く事をもなす事なり、  ルシヤシヤツツケとは、「ルシヤ」がアシを編んで簾のように作ったものを、「シヤツツケ」が干すことを表し、合わせて「簾に干す」という意味である。これは、蔵に入れておいた穂を食しようとする時に、蔵から取り出して簾に乗せ、囲炉裏の上に図のように干すことを指す。どういうわけか、いくら時間があったとしても、蔵の穂をすべて搗いたうえで貯えるということは行なわれない。 穂のままで蔵に収めておき、食する度ごとに取り出して図のように干したうえで搗くことになっているのである。
第3巻, 14ページ, タイトル:
ムルとは糠の事をいひ、ヲシヨラとは捨る事を いひて、糠をすつるといふ事也、またムルクタと も称す、是は簸事終りてより、その出たる 糠を捨るさま也、此糠をすつるにことに意味 ある事にて、委しく後の図にミえたり、 「ムル」とは糠を、「ヲシヨラ」とは捨てることを表し、合わせて「糠を捨てる」という意味である。また別にムルクタともいう。この図は、箕を用いて籾殻をあおり屑を取り除く作業を終えた後、その際に出た糠を捨てる様子である。糠を捨てることは、大変意味のある行為なので、次の図に詳しく示しておいた。
第3巻, 16ページ, タイトル:
ムルクタウシウンカモイと称する事は、ムルクタは前に いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、 糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は 聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の 罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたらに 定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の ムルクウタウシウンカモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。 そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の
第3巻, 19ページ, タイトル:
是はアユウシアマヽを烹るさまを図したる也、 アマヽシユケといふは、アマヽは穀食の事をいひ、シユケ とは烹る事をいひて、穀食を烹るといふ事也、 穀食は炊くともいふへきを、烹るといへるものは、夷 人の境、未飯に為す事をしらて、唯水を多く 入れ粥に烹る計りの事なるゆへ、かくは称する なり、又ラタ子を食するは、汁に烹て喰ふ事也、 其食せんとする時、トイタに植をきたるを掘り とり来りて、    ラタ子はよく熟するといへとも、一時に残らす掘 とりて貯へ置といふ事はせす、植たるまゝにて トイタにをき、食するたひことに掘り出して用ゆる この図は、アユシアママを煮る様子を描いたものである。アママシユケとは、「アママ」が穀物のことを、「シユケ」が煮ることを表し、合わせて「穀物を煮る」という意味である。 穀物であるから「炊く」というのが通常であろうところを「煮る」といっているのは、アイヌの人々の住む地域では、いまだに穀物を飯とすることを知らず、ただ水を多く入れ粥として煮るのみであることによる。また、ラタネは、汁に入れて煮て食する。 ラタネを食べようとするときには、トイタに植えておいたものを掘り取ってきて、 * ラタネは、よく熟した場合でもいっぺんに残らず掘り取って貯えておくようなことはしない。植えたままでトイタに放置しておき、食する度ごとに掘り出して用いる
第3巻, 20ページ, タイトル:
なり、但し寒気の甚しくして土地の氷れる 時に至れは、やむ事を得すしてミな掘り出して 貯へ置く也、 それを根菜ともにきりて、魚の肉と同しく鍋に 入れ、水をもて少しく塩けの有よふに烹て 食する也、是をラタ子ヲワと称す、ヲワトは 汁の事をいひて、ラタ子を入れたる汁といふ事也、    すへて汁の実に魚を用ゆる事、夷人の常 食にて、ラタ子は其助けに用ゆる也、然るゆへに、 いつれ魚と雑へ烹る事にて、ラタ子計り烹ると いふ事あらす、唯根の格別に大なるは、湯煮 になして食事の外に喰ふ事あり、  のである。 そして寒気が甚だしくなり、地面が凍ってしまうような時に至り、やむを得ず皆掘り出して貯え置くのである。 根と葉を取り除いた上で、それを魚の肉と一緒に鍋に入れ、水により少々塩気がきくように煮て、食するのである。この料理をラタネヲワという。「ヲワ」とは汁のことを表し、「ラタネを入れた汁」という意味である。 * 概ねにおいて汁の実に魚を用いるのがアイヌの人々の常食であり、ラタネは付け合わせとして用いられる。従って、魚に交えて煮られるものであり、ラタネ単独で煮られるということはない。ただし、格別に大きな根は、そのまま茹でて食事とは別に食されることがある。
第3巻, 21ページ, タイトル:
本邦にいはんには、なを菓子なとに用ゆるか如し、 其汁の実の助となす物は、ラタ子の外にも 海苔あるは草とふを用ゆる事有、其草のかす 又多し、委しくは食草の部にミえたり、 右のうちアユウシアマヽは 本邦の事に 比していはんには、なを飯の如く、ラタ子はなを 菜汁とふの如き物なれとも、夷人の習ひ然る 事にさたまりたるにあらす、二つともにいつれも 糧食となす事也、すへて此等の類の飲食に かゝはりたる事は、専ら女の夷人の業となす事、 本邦にことなる事あらす、其食するさまの 委曲は後の図にミえたり、 わが国でいうと、ちょうど菓子などとして用いるようなものである。なお、汁の実のとして付け合わされるものには、ラタネの他に、海苔や草などが挙げられる。その草の種類は少なくない。詳しくは、本稿「食草の部」に記されている。 二種の作物のうちアユシアママは、わが国でいうならば飯のようなもので、ラタネは同じく菜汁のようなものといえる。しかし、アイヌの人々の流儀では、そのように定まっているわけではない。両者ともに等価の糧食としているのである。なお、こうした飲食に関わる作業が専らアイヌ女性の領分であることは、わが国のそれと同様である。食事の様子の詳細については、次に掲げた図に示した通りである。
第3巻, 23ページ, タイトル:
アマヽイベといへる事は、アマヽは穀食をいひ、イベ は喰ふ事をいひて、穀食を喰ふといふ事也、 夷人の食事は、多くは一日に両度なり、時に より客なと来りて物語らふ夜なと、三四度 其余にも及へる事あり、    但し、食するの度数たしかにかく定り たるといふにはあらす、時によりてかれる事もあれと、 まつ平常のさまを録せる也、凡是等の事、  本邦食事の度数さたまりたるなとには比して、 論しかたきところ也、 其食せるに、まつ初めに汁を食してそれ より粥を食する也、いつれ汁を先に食し粥を アママイベとは、「アママ」が穀物を、「イベ」が食べることを表し、「穀物を食べる」という意味である。アイヌの人々の食事は、多くは一日二度である。時によって、来客などがあり、語り合いがなされる夜などは、一日三~四度、あるいはそれ以上に及ぶこともある。   *但し、食事の回数はきっちりとこう定まっている、というわけではなく、時によって変わることもあるが、とりあえず通常の回数を記したまでである。こうした点は、わが国において食事の回数がきっちりと定められているのとは比較して論じ難いところである。 食事の時には、まず最初に汁を食して、それから粥に移る。何としても汁をにして粥を
第3巻, 25ページ, タイトル:
粥計りを食しをく事もあり、又あるときは 魚はかりを食しをく時もある也、ここに図する ところは粥を食するさまゆへ、アマヽイベと題表を しるせし也、右三種のものを食するに、  本邦の人の如くいく椀をもかへて喰ふという 事はあらす、いつれも一椀をもて其限りとす、 三種の物の中あるは二種あるは一種の物を 食する時も、又各一椀つゝをもて限りとする也、    是等の事いかなるゆへによりてかく定め たりけん、三種の物ミな次第して烹るとき、一種を 一椀つゝ喰ひても凡て三椀の食にあたるへし、三種の 物の具さらんに、あるは二椀を食するにとゝまり、 あるいは粥だけの食事もある。またある時は魚だけの食事もある。ここに掲げた図は、 粥を食する様子なので、「アママイベ」と表題をつけたのである。いま記した三種類のものを食するに際して、わが国の人のように、幾椀もお代わりして食べるということはない。すべて一椀ずつで済ませてしまう。 三種類のもののうち二種類あるいは一種類だけの食事の場合も、同じく一椀ずつで済ませるのである。 * どうした理由で、こうしたことを定めているのだろうか。三種類のものを皆そろえて煮ることができる場合は、一種類を一椀ずつとしても三椀食することになろう。一方、三種類のものが揃わなかったときは、二椀もしくは
第3巻, 27ページ, タイトル:
尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中 魚を喰ふにもチエツプトミカモイと唱へ、汁を喰ふ にもまた同しくチエツプトミカモイと唱ふる事は、 前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を 用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを 入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと いふのこゝろにて、同しくチエツプトミカモイと唱ふる なり、    これのミにあらす、すへて食するほとの物何に よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと 唱へて食する事、夷人の習俗なり、 一日に両度つゝ食するうち、朝の食は   拝むために唱えられるのが、 この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトミカモイと唱えているのである。 * これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。 一日に二度の食事のうち朝食は、
第3巻, 28ページ, タイトル:
本邦の時刻にいはんに、いつも四ツ時頃より九ツ 時頃に至る也、其ゆへは朝にとく起て其まゝ食 事するといふ事はあらす、いつれの業にても一般 の務をなして、それより朝の食事につく也、 是は男女ともにことなる事なし、たとえは男子 漁獵に出れは、女子も又家に在りてアツシにても 織るなといふ如きの事也、食事の時にあたりて 家中の者他に行て其座にあらされは、まつし らくひかへて帰るをまち、もし帰る事の晩けれは、 その者の喰ふへき分を椀に盛りてそなへ置、 それより家中の者ミな食事をなすなり、 又食事の時外より人来る事あれは、其人数の わが国の時刻でいえば通常四ツ時頃から九ツ時頃までの間に行なわれる。つまり、朝早く起きて、何らかの一般的な作業を行い、その後に朝食をとることになるのである。 これは、男女ともに同様である。たとえば男子が漁に出れば、女子は家にあってアツシなどを織るなどといった具合にである。食事の時に際しては、家族の誰かが他所へ行っていてその座に居合わせなかった場合、まず暫くは帰宅を待ってみる。もし帰ってくるのが遅かった場合は、その者の食べる分を椀に盛って分けておいて、その後に家のもの皆が食事をとるのである。 また、食事のときに外から人が訪ねてきた場合には、その人数の
第3巻, 29ページ, タイトル:
多少をいはす家中の者とひとしく食事をすゝめ、 凡て微少の食物といへとも一人にて喰ふといふ 事の夷あるは重病とふの夷住居近きに在りて、 養ふへき人もなく、飲食心に任せさる 者には、食事のたひことにかならす持行きて喰 しむ、大ひに漁獵とふありし時は、親類朋友を まねきて 本邦にて俗に振舞ひなといふか 如きの事をなす事もあり、遠方より旅人来 多少を問わず、家族同様に料理を勧め、たとえ食料が僅かであったとしても、それを独り占めして食べるということはない。食事の座についている人に悉く配分して、同じ量を食するのである。ただし、もしそこにある食料がごくごく僅かであり、配分することすら叶わない場合には、その座のうちの老人あるいは小児一人のみに食べさせるということもある。また、老衰あるいは重病等であり、なおかつその近所に養ってくれる人がおらず、飲食に差し支えがある者には、隣近所の者が食事の度ごとに必ず食料を持って行って食べさせる。大いに漁猟等があったときは、親類朋友などを招いて、わが国で俗に「振る舞い」などというような行いをすることもある。遠方から旅人が来
第4巻, 4ページ, タイトル:
凡夷人の舟は敷をもて其基本とす、しかるか 故に舟を作んとすれは、まつ初めに山中に 入て敷となすへき大木を求むる事也、    夷人の舟は、敷をもて本とする事、後に くしく見へたり、 其山中に入んとする時にあたりて、かならす先つ 山口にて図の如くイナヲをさゝけて山神を祭り、    イナヲといへるは、 本邦にいふ幣帛の類也、 くしくはイナヲの部にミえたり、 埼嶇□嶢のミちを歴るといへとも、身に 恙なくかつは猛獣の害にあはさる事とふを 祈る也、其祈る詞にキムンカモイヒリカノ ☆すべてアイヌの舟は船体が基本である。だから舟を作ろうとすれば、まずはじめにおこなうのは山に入って船体とする大木を探し求めることである。  <註:アイヌの舟は船体が基本であることは、後に詳しく述べられている> ☆そのために山の中に入ろうとするときには、かならず最初に山の入り口で図のようにイナウを捧げて山の神を祭り、 <註:イナウというのはわが国でいうところの御幣のたぐいである。詳しく は「イナヲの部」に述べられている> ☆ 崖や@@の道を歩きまわっても、自分のからだにつつがなく、さらに猛獣に襲われないことを祈るのである。その祈りことばに「キムンカモイヒリカノ
第4巻, 5ページ, タイトル:
イカシコレと唱ふ、キムンは山をいひ、カモイは 神をいひ、ヒリカは善をいひ、ノは助語なり、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く 山神を祭り終りて、それより山中に入る也、 木を尋る時のミに限らす、すへて深山に入んと すれ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、 こゝに雪中のさまを図したる事、夷人の 境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、 多くは酷寒風雪のうちにありて、その 艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の 雪のさまを図したるはミな是故としるへし、 イカシコレ」と唱える。キムンというのは山をいい、カモイは神をいい、ヒリカは善くをいい、ノは助詞である。 イカシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてアイヌの人びとの習俗なのである。 ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、アイヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。
第4巻, 7ページ, タイトル:
山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、 たつね得るにおよひて、其木の下に至り、 図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その 地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、 シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは 此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ 事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、 この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の 如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと すれ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て 後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、 ☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。 この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
第4巻, 10ページ, タイトル:
木を伐り倒し、そのまゝの株のかたらに おきて、まつ図の如く敷をつくるなり、 されとも舟の善悪はたゝ此敷による事 にて、其作りよふことに容易ならす、こゝにて まつ其形の大概を作る也、委しく後の 舟敷作り立る図に見ゑたり、 木を伐り倒してそのまま切り株のそばで、まず、図のような船体を作るのである。しかしながら舟のよしあしは、この船体の出来にかかってくるのだから、その造り方はことのほか大変である。ここではまずそのかたちをおおまかに造るのである。詳しくはのちの船体を造り立てる図に見える。
第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウニチツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 12ページ, タイトル:
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウニチツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 13ページ, タイトル:
なくよく守護たまはれといふ事也、 これは夷人の心に、およそ性ある物に ことーーく魂魄ありとおほへたるによりて、 無情の木なれともかくイナヲをさゝけて 祭りをなし、其伐りとりしことりを のへて尊敬する也、魂魄を夷語にラマチと 称す、草木たにかくの如くなれ、まして 有情の禽獣なと殺すときは、その精を 祭る事甚厚し、 起こらないようによくお守りください」ということである。 これはアイヌの人びとの心のなかに、すべて性?あるものにはことごとく魂魄がそなわっているという考えがあるので、情というもののない樹木でさえも(それを伐採するときには)とのかくイナヲを捧げてお祈りをして、伐採する理由などをのべて敬虔に接するのである。魂魄をアイヌ語でラマチという。  草木にたいしてさえこのように接するのだから、情のある鳥やけだものを殺すときはその霊をお祭りすることにはとても敬虔なのである。
第4巻, 16ページ, タイトル:
木の精を祭る事終りて、其大概作りたる 舟敷を山中より出し、住居のかたらに移し 置て、それより作り立るの工夫にかゝる也、 まつ前の図のことくに敷の両縁のうちに 横木をいれ、内へしほまさるよふになし、また 舳・艫に筵よふの物をあつく巻き、ひゝの入り 損せさるよふにして、幾日といふ 事なく日にさらし置く也、その木のよくーー乾きか たまりてゆかミくるいとふの出さるをまち、夫より 後の図の如く地に角木をならへしき、其上に 敷をすへ、うちに大小の石を入れ、すりの穏か なるよふになし、さて水を十分にもる也、此水の ☆ 木の霊をまつる儀礼が終わると、おおよそできあがった船体を山からおろして、家のそばに移しておく。そうして完成までの工程にとりかかるのである。 まず、前の図のように、船体の両縁の内側に横木をいれて内側に船体がしぼまないようにし、またみよしとともには筵のようなものを厚く巻いてひびがはいって壊れないように手当てをしておいていくにちも日にさらしておくのである。そしてその木がよく乾燥してゆがみや狂いが出なくなるのをまつ。それから、後の図のように、地面に角材を並べて敷いてその上に船体を置きそしてその中に大小の石ををいれてすわりを整えてから水を十分にいれるのである。 この水の
第4巻, 17ページ, タイトル:
おもむきにて、舳・艫両縁より初めすへて形ちの 善悪を考へ、其外水上往来の遅速、波濤を 渉るの便利、あるひは出岸着岸、また陸にあけおろ しの事とふまて、子細に舟の様子を 熟慮して、其高低曲直を漸々に削りなをす なり、すへて夷人の境いまた規矩といふものも あらす、唯かゝる工夫のミにて作り出せるゆへ、 心を労し、思を焦し、数月をかさぬるにあらすし ては、敷一つを作り得る事もならさる也、その うち月日を重ね、纔に作りたる数にも彼是の 便利あしけれ、徒にすつるもありて、其辛苦を きむる事言葉に尽しかたし、 状態によって、みよしやとも、両側の縁などをは12じめ、船体すべての形を考え、そのほか水上往来の早さ、波をこえる性能、あるいは岸を離れるときや着岸、おかへ上げたりおろしたりといったことにまで、ことこまかに舟の状態を熟慮し、船体の高さかげんや曲がりなどを少しずつ削りなおしていくのである。 アイヌの人びとには物差しというものがないので、こういう工夫だけで舟を造り上げていくため、心労やいろいろ考えること数ヶ月にもおよぶことなくしては、船体ひとつを造りだすこともできないのである。そうして月日を重ねてわずかに造った数のうちにもいろいろの不具合があれば、捨ててしまうのもあるようにその辛苦をきわめること、実にことばにいいつくすことは出来ない。
第4巻, 24ページ, タイトル:
とだては舟の艫なり、図に二種出セる事、 所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、 二種のうち前の図はシリキシナイよりヒロウ まての舟にもちゆ、    すへて所により用る物のたかふ事なと、此所 より此所迄とくしく限りていひ難し、 こゝにシキリシナイよりヒロウまてといへ るも、シリキシナイの辺よりヒロウの辺 まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる 事はミな此類と知へし、 夷語に是をイクムと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし 「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからヒロウまでの舟で用いている。   <註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと 詳しく限定していうことはできない。ここでシキリシナイからヒロ ウまでといっても、それはシリキシナイのあたりからヒロウのあた りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ とはすべてこの類と知っておいてほしい。> アイヌ語でこれをイクムという。  このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
第4巻, 33ページ, タイトル:
夷語に是をヒンラリツプと称す、ヒンは物のすき まあるをいひ、ラリはふさくをいひ、プは器も のをいふ、すきまをふさく器といふ事なり、 夷人の舟は釘を用ひす、ミな縄にて縫ひ あするゆへ、いつれ板と板とのあひたすき まある事也、それを此図に出せる苔を下に置き、 その上に木をあて、縄にて縫ひ合る也、 苔は草とたかひ、物のすきまなとにあつる にはいとやらかにて、 本邦の工家に 用る巻桧皮<俗にまへはたといふ>と同しさまに用ひらるゝ ゆへに、是をよしとする也、苔を夷語にムンと 称す、ムンはもと草の事なるを、夷人苔をも アイヌ語でヒンラリツプという。ヒンとは物に隙間があることをいい、ラリは塞ぐことをいい、プは器物をいう。「隙間を塞ぐ器物」ということである。 アイヌの舟は釘を用いず、すべて縄で縫い合わすので、どのみち板と板とのあいだに隙間ができるのである。それをここに図示した苔を下に置いてその上に木をあてて、縄にて縫い合わせるのである。苔は草と違って、物の隙間に詰めるのはとてもやわらかいので、日本の工芸家が使う巻桧皮<まきひわだ=俗に「まへはた」という>と同じように用いるので、そのすぐれていることがわかるのである。 苔をアイヌ語でムンと称する。ムンはもと草のことであったのを、アイヌの人びと苔も
第4巻, 34ページ, タイトル:
草と同しものとおほえたるによりて かくはいふなり、其縫ひあする縄夷語に テシカと称して三種あり、後の図にくしく見えたり、 草と同じものと思っているのでこのようにいうのである。そこを縫い合わせる縄はアイヌ語でテシカといって三種類ある。のちの図に詳しく述べてある。
第4巻, 36ページ, タイトル:
夷語に是をキウリと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし シリキシナイよりヒロウまての舟にことーーく 此具を用ゆ、これ北海になるほと風波あら きか故に、舟の堅固ならん事をはかりて なり、シリキシナイよりビロウまてさのミ 北海にあらすして、風波のしのきかたも やすきゆへ、まれには此具を用ゆる舟も あれと、多くは用ひす、 アイヌ語でキウリという。    このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。 シリキシナイからヒロウまでの舟にはことごとくこの道具を用いている(訳註:ヒロウからクナシリまでの誤記か?)。これは北の海になるほど風波が荒いので舟を丈夫にするための工夫である。シリキシナイからヒロウまではそれほど北の海ではなく、風波から守る方法も容易なので、まれにこの道具を用いる舟もあるけれども多くの舟は使用しない。
第4巻, 38ページ, タイトル:
これ舟を造るに板を縫ひあするの縄なり、 テシカと称する、テシは木をとちあはする 事をもいひ、又筵なとをあむことをもいふ、カは糸の 事にて、物をとちあする糸といふ事也、テシカ に三種あり、一種はニベシといふ、木の皮をはき縄 となして用ゆ、一種は桜の皮をはきて其侭 もちゆ、一種は鯨のひけをはぎて其まゝ 用ゆ、いつれも図を見て知へし、三種の中 鯨のひげを多くビロウよりクナシリまての 舟にもちゆ、シリキシナイよりビロウ迄の地は 鯨をとる事まれなる故、用るところのテシカ 多くは桜とニベシとの皮を用ゆる也、 これは舟を造るとき、板を縫い合わせる縄である。テシカと称するのは、テシは木を綴じ合わせることもいい、またむしろなどを編むこともいう。カは糸のことで、「物を綴じ合わせる糸」ということである。  テシカに三種類あって、ひとつはニベシという。木の皮を剥いで縄に作って用いる。ひとつは桜の皮を剥いでそのまま使う。いまひとつは鯨の髭を剥いでそのまま用いる。いずれも図で見てほしい。三種類のうち、鯨のひげはビロウからクナシリまでの舟で多く使用される。シリキシナイからビロウまでの地方は鯨を捕ることがあまりないので、使用するテシカの多くは桜とニベシの皮である。
第4巻, 45ページ, タイトル:
これ舟の製作全く整ひし所也、二種の うち前の図も、シリキシナイよりビロウ迄に 用る舟也、後の図はビロウよりクナシリ まてにもちゆる舟なり、くしく図を 見てかんかふへし、 これは舟の製作が完全に終ったところである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからビロウまでのあいだで用いられる舟である。のちの図はビロウからクナシリで用いられている舟である。詳しいことは図を見て考えてほしい。
第5巻, 4ページ, タイトル:
舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。 チプは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る 舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今   本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其 祈る詞に、チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリ カノイカシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、カシケタは 上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは 有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、 ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、 コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事 ある事なくよく守護を賜へといふ 事なり、此舟神を祈る事、唯舟上の 安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
第5巻, 5ページ, タイトル:
舟に神霊を招き移すといふ心もありて、 ことーーく意味ある事也、委しくは神 祈りの部に見えたり、    これにて先舟の製作は全く備る也、 これより後に出せる器具はミな舟中に もちゆるところの物にして、此しなーー とゝのひてより海上をはしる事も乗る事も なる也、くしくは後の図を見てしるへし、 舟に神霊を招き移すという心でもあって、すべて意味のあることなのである。詳しくは本書の『神祈りの部』(この部門はない)で述べてある。 これで舟の製作は完了する。こののちにだした器具はみな舟の中で用いるもので、この品々がそろってから海上を走ることも乗ることもできるのである。詳しくはのちの図を見てほしい。    
第5巻, 7ページ, タイトル:
図の如くに木を製し、舟の左右の縁に とち付てこれにカンヂといへる物をさしこ ミて舟をこく、    カンヂの図後に見へたり、 是をタカマヂと称す、タカマは跨く事をいふ、 ヂはすへて小なる物の高く出たるは乳の 如くなるをいふ、此タカマヂと称する事、其義 いまた詳ならす、夷人のいふところは、舟を こくにあはら木のある舟はそれに左右の 足をふミあて、左右のタカマヂにカンヂをさし こミて、跨り居てこぐ、あばら木のなき舟 底に横木をいれ、それに足をふミかけ跨り 図のように木で作り、舟の左右の縁に綴じつけて、これにカンヂという物を挿し込んで舟を漕ぐ。    <註:カンヂの図はのちに出している> これをアイヌ語で「タカマヂ」と称する。タカマは跨くことをいう。ヂはとは小さなものが高く突出して乳のようになっているものをいう。これをタカマヂということの意味はまだよくわからない。アイヌの人びとがいうには、「あばら木」のある舟はそこに両足を広げて踏みあてて、左右のタカマヂにカンヂを挿し込んで漕ぐ。「あばら木」のない舟は舟底に横木をいれてそれに両足を広げて踏み
第5巻, 8ページ, タイトル:
居てこぐ、何れまたかる所の左右の ふちに乳の如く高く出たるもの故、ま たがる乳といふ心にてタカマヂと唱ふるよしなり、 されとも此義さたかなる解とおも はれす、追て考ふへし、 あてて漕ぐ。 いずれにしてもまたがるところの左右のふちに乳のように高く出ているものなので、またがる乳というほどの心でタカマヂというのであると。しかし、この意味も確かなものとは思われないので追って考えることにしよう。
第5巻, 10ページ, タイトル:
是をカンヂと称し、左右のタカマヂにさし こミて舟をこぐ、カンヂと称する事其義 未た詳ならす、考ふへし、たゞし奥羽の 両国ならびに松前とふの猟船に此具を 用るもありて、くるまかひといふ、これその 形ちかひに似て、左右の手にてまはしーーー 水をこぐ事、車のめくるか如くなる故、 かくはいへる也、 これをカンヂと称して、左右のタカマヂに挿し込んで舟を漕ぐ。カンヂと称することの意味はまだはっきりとはわからない。考えておくことにしよう。ただし、奥羽の両国と松前などの漁船にはこのような道具を用いるものがあり、それをくるまかい(車櫂)という。これはその形がかい(櫂)に似ていて左右の手で回すように漕ぐようすが、車が回るようなのでこの名がある。
第5巻, 12ページ, タイトル:
是は 本邦の舩に用るかちと同し 事につかふ也、アシナプと称するは、アシナとは 水をかきて舟をすゝむる事をいひ、フと 器をいひて水をかき舟をすゝむる器といふ 事也、奥羽の両国ならひに松前とふの猟 舩に此具を用るもありてねりかひと称す、 たゝし是かちに用る計に限らす、時に よりてかひの代りともなす故の名なる へし、 これは日本の船で用いる梶と同様に使うものである。アシナプというのは、アシナとは「水を掻いて舟を進めること」をいい、フとは「物」のことで、「水を掻きながら舟を進める物」ということである。奥羽の両国と松前の漁船にこの道具を使うものがあってねりかい(練り櫂)という。ただし、これは梶に使うばかりではなく、時には櫂のかわりにもするからこの名がついたのであろう。
第5巻, 14ページ, タイトル:
夷語に是をカヤと称す、図の如くにキナを 用ひて作るなり、    キナは夷地に生る草にて作り、筵の如き もの也、委しく器財の部に見えたり 帆をカヤと称する事、其義いまたつま ひらかならす、追て考ふへし、 アイヌ語でこれをカヤと称する。図のようにキナをもちいて造るのである。     <註:キナは蝦夷地に生える草で作るむしろのようなものである。詳 しくは『器財の部』(これも欠けている)で説明してある>  帆をカヤと言うことの意味ははっきりとはわからない。追って考えることとしよう。
第5巻, 16ページ, タイトル:
夷語にこれをワツカケプと称す、ワツカは水をいひ、 ケはとる事をいひ、フは器をいふ、水を取器といふ 事也、奥羽の海辺ならひに松前とふにて、 右の形ちしたるあかとりをへけと称す、是を 夷語に解するに、ヘは水をいひ、ケはとる事 にて、水とりといふ事也、水を夷語にヘとも いひ、ワツカともいふ、今の夷人は専らワツカとのミいひて、ヘといふも のは稀也、されとも二つのうちヘと称するは夷人の古語にして、 ワツカと称するは近き頃よりのことはなるよし、 老年の夷人はいひ伝へたり、是とふの事、 夷地にして其古言を失ひ、奥羽ならひに アイヌ語でこれをワツカケプと称する。ワツカとは水のことをいい、ケはとるということをいい、フは物をいう。「水を取る物=あかとり」ということである。  奥羽の沿岸ならびに松前などでは図のような形のあかとりを「へけ」という。これをアイヌ語で解釈するとヘは水をいい、ケはとるということで「水取り」ということである。水をアイヌ語で「ヘ」といい、「ワッカ」ともいう。今のアイヌの人びとはワッカとのみいっていて、ヘというのは稀になっている。しかし、ふたつのことばのうち「ヘ」というのはアイヌ語の古語であって、ワッカというのは近年のことばであるとは老アイヌのいうことである。  このように、蝦夷地ではその古語を失い、奥羽や
第5巻, 23ページ, タイトル:
シヨは座する事をいひ、イタは板の事にて、 座する板といふ事也、是を舟敷の上に 横に入れ、舟をこく時足を左右のあら木に ふミかけ、腰を此板に掛てこぐ也、    右七種の具は、舟の大小によりて製作も また大小あり、此具備りてより初て舟に 乗る事、後の図のことし、 シヨは坐ることであり、イタは板のことで、「坐る板」ということである。 これを船体のなかに横に入れて、足を左右のあばら木に踏み掛けて腰をこの板におろして漕ぐのである。    <註:以上の七種類の器具は舟の大小によりまた作りかたにも大小があ る。この器具がすべて備わってはじめて舟にのることができる。 そのようすはのちの図に出しておいた>
第5巻, 26ページ, タイトル:
是は上に出せる六種の具ことーーく備りて 海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、アトイカモイ子トヒリカノイカシコレと唱ふ、アトイは海をいひ、カモイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、    俗になきといふか如し、 ヒリカノイカシコレは前にしるせるか如く、海の 神風波のおたやかなるよふによく守護 たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、 これは上述した六種類の器具が完備して海上を航行しようとする図である。 まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「アトイカモイ子トヒリカノイカシコレ」と唱える。アトイは海のことをいい、カモイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリカノイカシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。  このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、アイヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
第5巻, 27ページ, タイトル:
本邦の舩師にことなる事はあらす、まづ 舟を出さんとするには、其日の天気、風波の 善悪をかんかふるの述もあり、舩中にて忌ミ 憚るの詞もあり、或は風波にあふとき海神に 祈るの法も有、其外海上を走るといへとも、 凡そ一日に着岸なるやならさるやの程を 計りて、格別に遠く岸を離れて乗る事 あらす、常に海岸にそふて走る也、是 北方の海上風波のあらき事甚しきゆへ、 舩を海上に泊する事夷人ことに恐れきらふ か故也、此外舩中にての事は夷人すへて秘密の 事となして、かるーーしく人に語らさるゆへ それは日本の船乗りと異なることはない。まず、舟を出そうとするには、その日の天気、風波の良し悪し考えてつげるということもあり、船中での忌み言葉もあり、また風波に遭ったときは海の神に祈ることもある。そのほか、海上を航行するときであっても、およそ一日で着くことができるかできないかの距離をおしはかって、とりわけ遠くまで岸を離れて乗ることはなく、常に海岸に沿って航行するのである。これは北方の海上は風波の激しいことはなはだしく、舟を海上に停泊させることはアイヌの人びとのことに恐れ嫌うためである。このほか船中のことはすべて秘密のことであってアイヌの人びとは軽々しく人には語らないので、
第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、カンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、アシナフを遣ふ事走せ舟に同し、 是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをアイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビロウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 34ページ, タイトル:
時、二人つゝシヨ板に腰をかけならび居て、左 右のカンヂを一人にて一つつゝ遣ひこぐ事 もある也、これは北海に至るほと波濤の 急激なるも、甚しく舟のかたちも大ひ なる故、一人にて左右のカンチを遣ん事の 危きを考へ、おのつから二人にてこく事に なりゆく也、 二人ずつシヨ板にならんで腰をかけて、左右のカンヂを一人で一つずつ使って漕ぐこともある。これは北の海に行くほど波涛が荒く激しくなるし、舟の形も大きくなるので、一人で左右のカンヂを使うことの危険性を考慮して、おのずから二人で漕ぐことになるのである。
第5巻, 37ページ, タイトル:
製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より にか有けん、カシキヲモキなといふ事の 舩工ともの製作に初りしより、    カシキといへるもヲモキといへるも、少し つゝ其製にかりたる事あれとも、 格別にたかふところは非す、いつれも敷を 厚き板にて作り、それに左右の板を釘 にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ ヤキチプの如くになし、それより上に左右の 板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、 今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、 其製の堅固なるを利として専らそれのミを 製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。 カシキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、    <註:カシキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に 変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で 作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ シヤキチプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付 けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。 今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。> その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
第5巻, 38ページ, タイトル:
用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、 今奥羽の両国松前とふにて、なを其法を 伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの 転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也 、 其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地 にしては舟の事をチプといふ事よのつねな れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の 実称にして、チブといへるは略していふの詞なる よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る 用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。 船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
第5巻, 42ページ, タイトル:
これ俗にいふ丸木舟の事也、製作すること イタシヤキチプとことなる事なし、形ちの小し くたかひたる、図を見て考ふへし、二種の中、 前の図は流の緩き川ならひに沼とふを乗る 舟なり、後の図は急流の川をのり、または 川に格別の高底ありて水の落す事飛泉の 如くなるところをさかさのほる事とふある時、 水の入らさるかために、舟の舳に板をとち付たるさまなり、 これは俗にいふ丸木舟のことである。製作する方法はイタシヤキチプとことなることはない。形が少しく違っていることは、図を見て考えてほしい。二種類の中、前の図は流が緩い川ならひに沼などで乗る舟である。後の図は急流の川で乗ったり、または川にとくに高低があって、水が落ること飛泉のようなところをさかのぼることなどがある時、舟に水が入らないようにするために、舳に板を綴じつけたところである。
第5巻, 45ページ, タイトル:
蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ 松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし 事也、その貢物を積むところの舟をウイマム チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替 りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の 人に初てまみゆる事をいふ、    此義いまた詳ならす、追て考ふへし チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる 舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は 松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて 貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤクル 蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。    この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。 チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。 アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤクル
第5巻, 46ページ, タイトル:
の略也、シヤはかしらだちたる事をいふ、クルは 人といふ事にて、かしらたちたる人をいふ、ロは 語助也、モシリは島をいふ、此義ことに意味有 事なり、夷語に水の流るゝ事をモムといふ、 地の事をシリといふ、モシリはモムシリの略にして、 流るゝ地といふ事也、そのゆへは、凡島の水上に うかひたるを遠くよりのぞめは、流れつ へき地のさましたるゆへに、嶋の事をモシリと 称する也、さすれはシヤモロモリとは、かしら たちたる人の島といふ事にて、 本邦をさして いへるなり、古のとき蝦夷といへともことーーく 本邦に属せし事故、 本邦をさしてかし の略である。シヤは人の上にたつことをいい、クルは人ということであって、だからシヤクルは「人の上にたつひと」ということをいう。ロは助語である。モシリは島をいう。モシリはことに意味あることであって、アイヌ語で水が流れることをモムという。地のことをシリという。 モシリはモムシリの略であって、「流れる地」ということである。その理由は、そもそも島が水上にうかんでいるのを遠くからのぞめば、流れゆくべき地のようすをしているので、嶋のことをモシリというのである。だからシヤモロモシリとは、人の上にたつひとの島ということであって、日本をさしていう。 古い昔は蝦夷といえどもすべて日本に属していたので、蝦夷は日本をさして
第5巻, 51ページ, タイトル:
三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイと、前に 出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、 追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの 三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、 家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり すつる事あらす、    ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくしく 見えたり かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にルと 称す、 三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。 ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。    <註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ る> このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でルという。
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、 四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、 シツトクといへるは其品二種あり、一種 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 5ページ, タイトル:
するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の 製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも  本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を 致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに 平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは 貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツプ 三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、 其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁 断して服する事を許さす、    凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥 獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ 礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありて いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の 属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
第6巻, 6ページ, タイトル:
地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の 便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽 せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにたれ 教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、 もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人 物とならん事、何の疑かあるへき、 右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人 熟知するところの物、シヤランベ、チミツプの二種すな はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は いつれも図をあらはすに及す、モウウリ、ウリ、 ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣 皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に 録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ まを一種つゝ図にあらせり、たゝアツトシの一種のミ
第6巻, 7ページ, タイトル:
其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼 の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末 子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理 なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにて造り 用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に 製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも 多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に モヲセイ、ニイ、ムンイ、クソウといへる四種の草を 日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末 全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて 此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、 イタラツペのかたは略せるなり、
第6巻, 9ページ, タイトル:
アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の 皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに 堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、 こゝに図したるところは、すはちヲヒクの皮にして、 山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を アツカフと称する事は、すへてアツトシに織る木の 皮をさしてアツといひ、カプはたゝの木の皮の事 にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は 海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山 中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも 平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、 幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
第6巻, 10ページ, タイトル:
夷人男女とも、平日何事につきても山中に入る 事あれは、いつも心にかけて此木を尋るをもて その習とす、もし尋ね得る時はことーーくに皮を 剥てその麁皮を去り、中の糸筋の通りよき所を えらひとるなり、    ヲビウの皮は麁皮を去り、指をもていくつにも さくときは麻の如くにさくるものなり、 これを糸になさんとするに、そのまゝにては皮強く して糸になし難きゆへ、温泉にひたしてやら かになす事、後の図の如し、
第6巻, 12ページ, タイトル:
此図は剥来りしヲビウの皮を糸になさんとして、先温泉に ひたしやはらかになすさま也、図のことく温泉の所に持行て、 浅瀬に皮を□し、うへに木をのせ流れさるよふになし、日数 四五日程もつけ置キ、其皮のよくやらかになるを待て温泉より 出し、湯のあかをとくと洗ひ落して日に□し、是をアツヲン といふ、アツはアツトシを織る木の皮をいひ、ヲンはやらかになる事 をいひて、アツやらかに成といふ事也、かくのことく温泉にひたし 日にさらして糸にさく計になしたるを、いつれの夷人も力の及ふ 限り貯へ置事、糧食の備をなし置と異なる事あらす、其皮を やらかになさんとするに、もし温泉なき地にて、止事を得すし て常の池沼とふに□す事あれとも、皮のやらきあしきゆへ 多くは是をなさす、遠方の地といへとも必す温泉の有 所に持行てひたす也、其辛苦せる事思ひはかるへし、すへて 皮を剥あつむるよりこれまてのわさ夷人男女のわかち なく、ともーーに為すといへとも、糸につくるより後の事 女子の業にかきる事なり、
第6巻, 14ページ, タイトル:
しな太布といふは、しなといへる木の皮にて織し ものなり、是は奥羽の民家にて此布をもて 衣に製し、農務およひ力を労する業をなす時 に服するものなり、とりもなをさす今蝦夷の 人服用するアツトシは、此製の遺風を伝へたると 見ゆるなり、 凡衣服を製する業のうち、此糸を績事尤かた き事にて、日かすを重ぬるにあらされは就しさる ゆへ、昼夜のわかちなく、聊のいとまもすてをかす して勤る也、時ありて旅行する事なとあれ、 そのアツの皮を持行て夜々投宿のところおよひ 途中休息のところにても是を為す、其業を 勤るの心純一にして辛苦をかへりミさる事憐に たへたり、
第6巻, 16ページ, タイトル: カヽリケムの図 
カヽリケムといふは、カは糸をいひ、カリは巻をいひ、 ケムは針をいひて、糸を巻く針といふ事なり、是 前にしるせし如く、玉になし置たる糸を巻て、  本邦の機に梭子をつかふ如くに用る事也、その針と 称する事は、其義解しかたし、
第6巻, 20ページ, タイトル:
是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し たるなり、アツトシカルといへるは、アツトシはすなち 製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、 アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイキとも いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、    本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、 其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委 しく録し置り、合せ見るへし、
第6巻, 23ページ, タイトル: アツトシウカウカの図
アツトシウカウカといへるは、ウカウカは縫ふ事を いひて、アツトシを縫ふといふ事なり、是は前に しるせる如く、著る人の形ちにより、たけの長短を かねてよりはかり定めて織る事ゆへ、衣を縫んと すれは、まつ初めにたけを定め置たるところより
第6巻, 24ページ, タイトル:
切り、またそれを二つにきりてこれを身衣になし、背の ところは上より下まて縫ひ通す也、それより肩の 左右を弐寸五分ほとに切りて、其きりしところに木綿 にてもアツトシにても外のきれを入れて縫ひつくる なり、其かたちまつ襟ともいふへきか如し、委しく 図を見てしるへし、すへてその縫ふといへるはアツトシ の耳と耳とを合セ、糸をもて巻さまに縫ふ事也、 かくの如くに縫ふ事終りてより、背のところに木綿 の切をもて種々のかたちを刺繍する事、後の 全備の図のことし、
第6巻, 27ページ, タイトル:
なして衣の製全くとゝのひし図也、是をアツトシミアンベ と称す、ミは著る事をいひ、アンベは物といふ事にて、アツトシ の著るものといふ事也、すへて此衣は夷人の平日服するものなれ とも、他の獣皮・鳥羽とふにて製したる衣とは格別に たかひて、礼式の服のことくに尊ふ事也、ことに女子なとは 時により下に鳥羽・獣皮とふの衣を著する事ありても、 いつれその上にこのアツトシの衣を 本邦の 俗にかいとりともいふへきさまに打かけて服す、もし しからすしてたゝ鳥羽・獣皮とふの衣のミを服する を、甚の無礼となして戒る事なり、その厳密なる 事、女子衣服の製度ともいふへし、たゝ女子のミにあらす、 総説にもしるせし如く、男子といへともまた此衣を尊ミて、官 長の人にま見へおよひ、祭祀とふよろつ謹ミの時にのそミては、シツ トク・シヤランベとふ装束ともいふへきものなきものは、ミなこの アツトシのミを服用す、其外鳥羽・獣皮とふの衣はかたく 禁止して著用する事なし、
第6巻, 29ページ, タイトル:
此衣は水豹の皮を縫ひ合せて造れるなり、これ をモウウリと称す、モウとは二つあるものの一つに 合ふよふなる事をいひて、 本邦の語にもろ ともなといふか如し、されは夷人は夫婦の事をも モウといへり、ウリといふは裘の事也、これは此製し かた外の裘とたかひて、前のところにて左右の衽 より下まてひしと縫ひ合せ、袋の如くにつくりたる ゆへ、左右の衽ひとつに合ひたる裘といふ心にてかく 称するなるへし、其形ちのたかひたる事外の 裘の図と合せ見てしるへし、これは夷人のうち、 多く女子の下著に用る事なり、
第7巻, 3ページ, タイトル: 居家経営の総説
居家経営の総説 凡夷人の境には郷里村邑の界といふ事もあらす、 然るゆへに住居をなすところといへとも人々自己の 地とさたまりたる事なし、いつれの地にても 心にまかせて住居をかまへ、又外に転し移る事も 思ひーー、いつれの地になりとも住居をかふるなり、た ゝ家を造るに至ては殊に法ある事多し、 まつ家を造らんとすれ、其処の地の善悪を かんかふるをもて造営の第一とす、地の善悪といへ るも猟業ならひに水草とふのたよりよき地を えらふなといふ事にはあらす、其地にて古より人の 変死なとにてもありしか、あるは人の屍なと埋ミし 事にてもなきか、其外すへて凶怪の事とふありて 清浄ならさる事にてもなかりしにやといふ事をよくーー たゝしきめ、いよーー何のさはりもなき時、其外は 居家経営の総説 一般にアイヌの人びとの住む土地には、生まれ育ったところとか村里の堺ということもなく、だから住まいをかまえるところといっても、人びとそれぞれの所有する土地と決まったことがない。。どの土地であっても、心のままに住居をつくりまた外の土地に移転することも思いのままで、どこの土地であっても住居をかえるのである。   ただ、家を造ることに及んでは、とくにきまりあることが多い。 まず家を造ろうとすれば、それを建てるところの土地の善悪を判断することをもって家造りの第一とする。   地の善悪というのも狩猟などのなりわいや水草などの便利がいい地を選ぶということではない。その地において昔、人が変死したことはないか、あるいは人の死体を埋めたことはなかったか、そのほか、総じてまがまがしいことやあやしいことなどがあって、清らかではないことなどもなかったかということを、よくよく聞きただして、いよいよ何のさわりもないとなったときには、そのほかは
第7巻, 4ページ, タイトル:
よろつの事不便なる地にてもえらふに及はす、 其所を住居つくるへき場所とさため、それより山中 に入りて材木を伐出し、次第に造営する事なり、    山中に入り材木を伐出す事は、山神を祭るより 初め、舟の部に委しく見えたり、 家を外にかへ移す事は、其家の主人死するか、あるは 主人にあらされとも変死する者あるか、其外すへて其家の うち、又は其家のかたらにて凶怪の事とふあるときは、 そのまゝ家を焚焼して外の地の潔き所に移て 住居す、また凶怪の事あるにあらて、たゝ年久しく 住たるゆへ破壊せるに至りても、其所にて造りかふると いふ事はあらす、多くは外の地に改めたつるなり、    但し、凶怪の事にあらすして造りかふる時は、ことにより 其まゝ旧居のあとにたつる事もあり、又その破壊し たる家の古き材木をもとり用ひて、  本邦にいはゝ修復なといふ如くなる事もある也、 万事不便なところであっても、選ばないということはなく、そこを家を造るべき場所と決めて、それから山中に入って材木を伐りだして家造りをはじめるのである。   <註:山中に入って材木を伐りだすことは、山の神を祀ることからはじめるが、「舟の部」で 詳しく述べてある。> ☆ 家をほかに替え移ることは、その家の主人が死んだときか、あるいは主人ではなくとも変死したものがあるとか、そのほか総じて、その家のうちやそばでまがまがしいことなどあったときには、そのまま家を燃やして、ほかの清浄な場所に移って住まいするのである。     またまがまがしいことではなく、ただ長年住んでいたため老朽化して壊さざるをえなくな っても、そのところで造りかえるということではなく、多くの場合、ほかの場所に改めて建 てるのである。 <註:ただし、まがまがしいことがあって建てかえるのではないときは、場合によっては そのまま旧居のあとに建てることもある。また、壊した家の古材を用いて、わが国で いう修復などというようなこともある。
第7巻, 5ページ, タイトル:
家を焚焼せる事甚意味のある事にて、委し く葬送の部にミえたり、 居家の製、其かたちのかりたる事、東地にして南方 シリキシナイの辺より極北クナシリ島に至るまての間、凡 三種あり、其うちすこしつゝ大小広狭のたかひあれとも、 先つは右三種のかたちをはなれさる也、三種のかたち後の 居家全備の図に其地形をあせて委しく録せり、    但し、居家のかたち三種の外に出すといへとも、其製作の 始末は所によりて同しからぬ事も有也、此書に図したる ところはシリキシナイの辺よりシラヲイ辺まての製作 の始末なり、シラヲイ辺よりクナシリ島に至るまての 製作は、また少しくたかひたるところ有といへとも、図に わかちてあらすへき程の事にあらさるゆへ、略して録せす、 たゝ屋を葺にいたりては茅を用るあり、草を用るあり、 ある竹の葉を用ひ、ある木の皮を用るとふのたかひ有て、 其製一ならす、いつれも後に出せる図を見てしるへし、 家を燃やすことはとりわけ意味があること で、そのことは「葬送の部」に詳述してある。> ☆家の造りかた、そのかたちが変化すること、東蝦夷地にあっては南はシリキシナイのあたりから、最も北はクナシリ島に至るまでの間に、おおよそ三種類ある。そのうち、少しづつは大小や広い狭いの違いはあっても、まず大体は右にいう三種類の形から離れることはない。三種のかたちについては後に出す「居家全備の図」に敷地の形をあわせてくわしく記録してある。   <註:ただし、家のかたちは三種類のほかに出しているけれども、その造りかたの始末は場 所によっては同じではないこともある。この本で図示したものはシリキシナイのあた りからシラヲイあたりまでの製作技法の始末である。シラヲイあたりからクナシリ島 に至るまでの技法は、またちょっと違っているところがあるけれども、図をそれぞれ 区別して示すほどのことでもないので略して記さない。> ただ、屋根を葺く技法は、茅を使う場合があり、草を使う場合があり、あるいは竹の葉を使い、あるいは木の皮をつかうなどの違いがあって、その製作技法は同一ではない。そのいずれも後出の図をみて理解してほしい。

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