蝦夷生計図説

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"ノイ": 9 件ヒット

第1巻, 20ページ, タイトル: キケチノイイナヲの図二種
第1巻, 22ページ, タイトル:
これは家中の安穏を祈るに用ゆ、キケとは 物を削る事をいひ、チは助語なり、ノイといふは 物を捻る事をいひて、削り捻るイナヲといふ事也、 此等の語もほゝ 本邦の野鄙なることはに 通するにや、 本邦の詞に物を削る事をカク といふ、カクはキケと通すへし、ノイはねへと通して ねちといふの転語なるへし、さらはキケノイヽナヲは かきねちるイナヲといふ事と聞ゆるなり、二種のうち 初の図はシリキシナイといへる所の辺よりビロウと いへる所の辺迄に用ゆ、後の図はビロウの辺より クナシリ島の辺まてに用ゆる也、其形ちの少しく たかへる事は図を見てしるへし、  これは、家中の安穏を祈るのに用いられる。「キケ」とは物を削ることをいい、「チ」は助詞、「ノイ」は物を捻ることを表わし、合わせて「削り捻るイナヲ」という意味である。これらの語も、ほぼ我が国の田舎の言葉に通じているようだ。我が国の言葉では、物を削ることを「かく」という。「かく」は「キケ」に通じるだろうし、「ノイ」は「ねえ」と通じ、「ねじ」という言葉の転語であろう。そうであるならば、キケチノイイナヲとは、「かきねじるイナヲ」という意味に聞こえるのである。なお、二種の図のうち、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。その形状に少々相違がある点は、図によって確認されたい。
第1巻, 25ページ, タイトル:
これは何とさたまりたる事なくすへて神明を 祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて 削る事をいひ、ハアロは物の垂れ揺くかたちをいひ、 セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、 此ハウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく 垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは ハウロはフアリと通して、キケハウロイナヲといふは 削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、 二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のキケ チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ キシナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、  これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハアロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。 この「ハアロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウロ」は「ふあり」と通じて、キケハウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。 なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 12ページ, タイトル:
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第5巻, 4ページ, タイトル:
舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。 チプは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る 舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今   本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其 祈る詞に、チプカシケタウエンアンベイシヤマヒリ カノイカシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、カシケタは 上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは 有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、 ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、 コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事 ある事なくよく守護を賜へといふ 事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の 安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
第5巻, 26ページ, タイトル:
是は上に出せる六種の具ことーーく備りて 海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれハ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、アトイカモイ子トヒリカノイカシコレと唱ふ、アトイは海をいひ、カモイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、    俗になきといふか如し、 ヒリカノイカシコレは前にしるせるか如く、海の 神風波のおたやかなるよふによく守護 たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、 これは上述した六種類の器具が完備して海上を航行しようとする図である。 まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「アトイカモイ子トヒリカノイカシコレ」と唱える。アトイは海のことをいい、カモイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリカノイカシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。  このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、アイヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
第8巻, 5ページ, タイトル:
たる也、是を行ふ事、たゝに刑罰の事のミとも きこえす、時によりてハ其者を戒め慎ましめんか ために行ふ事もありとミゆる也、後にしるせる 六種の法を見て知へし、 これを行ふの法、すへて六つあり、其一つは前に いふ如く、悪行をなしたるものを打て其罪を督す也、 二つにハ夷人の法に、喧嘩争闘の事あれハ、負たる 者のかたよりあやまりの証として宝器を出す也、 是をツクノイと称す、    此宝器といへるは種類甚多して事長き故に、 こゝにしるさす、委しくハ宝器の部に見へたり、 其ツクノイを出すへき時にあたりて、ウカルの法を 行ひ拷掠する事あれハ、宝器を出すに及ハすして 其罪を免す事也、三つには人の変死する事有 とき、其子たる者に行ふ事あり、是ハ非業の死なる ゆへ其家の凶事なりとて、其子を拷掠して恐懽 たものである。これを行なうことはただ刑罰のため だけとも解釈できない。時によってはその者を戒めてつつしませるために行なうこ ともあるらしい。後述する六種の法を見て考えてほしい>  ウカルを行なうしきたりにはみんなで六種類ある。  そのひとつは前述のように、悪いことをしたものを打ってその罪をただすことである。ふたつめはアイヌの人びとのおきてに、けんかや争い事があれば、負けた方からお詫びのしるしとして宝物を差し出すことがある。これをツグノイ【トゥクナイ?:tukunay?/償い】という。     <註:この宝物というのは種類がとても多く、説明すると長くなるのでここには述べな い。詳しくは「宝器の部」に記してあるので参照されよ。>  そのツグノイを差し出すに際して、ウカルを行なってむち打たれることがあれば、宝物を差し出す必要はなくして、その罪が許されるのである。みっつめは、人が変死したときにその子に行なうことがある。変死というのは非業の死なので、その家の凶事であるから、その子をむち打って怖れ
第8巻, 6ページ, タイトル:
戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子 たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと 生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し 起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の 死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く 戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、 能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の 病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り 立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の 病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠 するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる 者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、 二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、 慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。    よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。  この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。  ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。  ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、

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