蝦夷生計図説

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"チエ": 2 件ヒット

第3巻, 26ページ, タイトル:
あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の 事をもて意となさゝる事とミゆる也、 一椀を喰ふことに粥をはアマヽトミカモイと唱へ、 魚肉及ひ汁をはチエツプトミカモイと唱へてより喰ふ なり、アマヽトミカモイといへるは、アマヽは穀食をいひ、 トミは尊き事をいひ、カモイは神をいひて、穀食 尊き神といふ事也、チエツプトミカモイといへるは、チエ ツプは魚をいひ、トミカモイは上と同し事にて、魚の 尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地 神明のたまものにて、人の身命を保つところの 物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を 一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、アイヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。 こうした椀は、一椀ごとに、粥をアママトミカモイと唱え、魚肉および汁をチヱツプトミカモイと唱えてから食される。アママトミカモイとは、「アママ」が穀物を、「トミ」が「尊い」という語を、「カモイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。チヱツプトミカモイとは、「チヱツプ」が魚を表し、「トミカモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。アイヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を
第3巻, 27ページ, タイトル:
尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中 魚を喰ふにもチエツプトミカモイと唱へ、汁を喰ふ にもまた同しくチエツプトミカモイと唱ふる事は、 前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を 用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを 入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと いふのこゝろにて、同しくチエツプトミカモイと唱ふる なり、    これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと 唱へて食する事、夷人の習俗なり、 一日に両度つゝ食するうち、朝の食は   拝むために唱えられるのが、 この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトミカモイと唱えているのである。 * これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。 一日に二度の食事のうち朝食は、

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