蝦夷生計図説

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第1巻, 16ページ, タイトル: マ子アベシヤマウシイナヲの図
第1巻, 17ページ, タイトル:
この二つはひとしく火の神を祭るに用ゆれ とも、男女のわかちあるによりて其形ちの替れる なり、ビン子アベシヤマウシイナヲといふは、ビンは男子を いふ、子は助語也、シヤマウシイナヲは前にいへると同し 事にて、男子火のそはに立るイナヲといふ事也、 マ子アベシヤマウシイナヲといへるは、マは婦女をいひ、 子は助語なり、アベシヤマウシは前と同し事にて、 婦女火のそはに立るイナヲといふ事也、此イナヲに 男女のわかちある事ハ、火の神に男女あるといふにも あらす、唯祭れるイナヲに男女のわかち有よし也、 これを夷人に糺尋するといへとも、いまた其義の 詳なるを得す、追て考ふへし、思ふに乾男坤女の  この二つは、同じく火の神を祭る際に用いるものであるが、男女の別があるために、その形状が異なっているものである。ビンネアベシヤマウシイナヲとは、「ビン」は男子を表わし、「ネ」は助詞、「シヤマウシイナヲ」は前述の通りであり、合わせて「男子の火のそばに立つイナヲ」という意味である。「マネアベシヤマウシイナヲ」とは、「マ」は婦女を表わし、「ネ」は助詞、「アベシヤマウシ」は前述の通りであり、合わせて「婦女の火のそばに立つイナヲ」という意味である。このイナヲに男女の別があるのは、火の神に男女の別があるからというわけではない。ただ祭るイナヲに男女の別があるのみであるという。このわけについてアイヌの人々に聞き尋ねてみたのだが、いまだにその理由を詳らかにできないでいる。追って後考を期したい。ただ思うに、乾男坤女の
第1巻, 18ページ, タイトル:
義にて、たゝ陰陽の二つを男女と分ちたる事なる へし、これらの事誰おしへたるにもあらねと、用る ところのイナヲ男女のミなるにしたかひて、其削れ るかたち自ら仰伏のたかひありて、陰陽の象を 表したること誠に天地の自然に出たるにてそある へき、委しくは図を見てしるへし、夷語に男子を ビンといへる事は、其義いまた詳ならす、婦女を マといへる事は、まさしく日本紀に命婦とかきて マと訓したり、此マ子アベシヤマウシイナヲを一には メノコアベシヤマウシイナヲともいへり、メノコといふも女の 事にて、是はとりもなをさす女子なるへし、 此二つのイナヲはヒロウといへる所の辺より 意味合いで、単に陰陽の二つを男女として分けたのではないか。こうした区分を誰が教えたというわけでもなかろうが、用いられるイナヲが男女のみであり、また、その削られた形状も自然と仰伏の相違があり、陰陽の象を表わしている。こうした区分は、誠に天地の自然が為さしめたものであろう。詳しくは、図を御参照ありたい。アイヌ語で男子を「ビン」という訳は、いまだ詳らかではない。しかし、婦女のことを「マ」というのは、まさしく『日本紀』に命婦と書いて「まち」と訓じているのと通じている。また、このマネアベシヤマウシイナヲは別にメノコアベシヤマウシイナヲともいう。「メノコ」という語も女を意味しており、これはとりもなおさず女子のことであろう。この二つのイナヲは、ヒロウという所辺りから
第1巻, 20ページ, タイトル: キケノイイナヲの図二種
第1巻, 22ページ, タイトル:
これは家中の安穏を祈るに用ゆ、キケとは 物を削る事をいひ、は助語なり、ノイといふは 物を捻る事をいひて、削り捻るイナヲといふ事也、 此等の語もほゝ 本邦の野鄙なることはに 通するにや、 本邦の詞に物を削る事をカク といふ、カクはキケと通すへし、ノイはねへと通して ねちといふの転語なるへし、さらはキケノイヽナヲは かきねちるイナヲといふ事と聞ゆるなり、二種のうち 初の図はシリキシナイといへる所の辺よりビロウと いへる所の辺迄に用ゆ、後の図はビロウの辺より クナシリ島の辺まてに用ゆる也、其形ちの少しく たかへる事は図を見てしるへし、  これは、家中の安穏を祈るのに用いられる。「キケ」とは物を削ることをいい、「」は助詞、「ノイ」は物を捻ることを表わし、合わせて「削り捻るイナヲ」という意味である。これらの語も、ほぼ我が国の田舎の言葉に通じているようだ。我が国の言葉では、物を削ることを「かく」という。「かく」は「キケ」に通じるだろうし、「ノイ」は「ねえ」と通じ、「ねじ」という言葉の転語であろう。そうであるならば、キケノイイナヲとは、「かきねじるイナヲ」という意味に聞こえるのである。なお、二種の図のうち、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。その形状に少々相違がある点は、図によって確認されたい。
第1巻, 25ページ, タイトル:
これは何とさたまりたる事なくすへて神明を 祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて 削る事をいひ、ハアロは物の垂れ揺くかたちをいひ、 セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、 此ハウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく 垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは ハウロはフアリと通して、キケハウロイナヲといふは 削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、 二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のキケ ノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ キシナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、  これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハアロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。 この「ハアロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウロ」は「ふあり」と通じて、キケハウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。 なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
第1巻, 33ページ, タイトル: カツフイナヲの図
第1巻, 34ページ, タイトル:
カツフとは鳥の事をいふ也、是は養ひ置し 鳥を殺す時は、此イナヲを用ひて、其殺せし鳥の 霊を祭る也、これによりて鳥のイナヲといふ心 にてかく名つけし也、    およそ夷人の俗、熊・狐の類、其外諸鳥をかひ 置て、是を殺す事あるときは、其霊を祭る事 甚た厚く、意味も又ことに深し、別に部類を 分ちてほゝしるしたりといへとも、いまた詳ならさる 事とも多し、追て糺尋の上録すへし、  カツフとは鳥のことを意味する。飼育していた鳥を殺すときに、このイナヲを用いて、その殺した鳥の霊を祭るのである。こうした用途のため、「鳥のイナヲ」という意味で、こう名づけられている。 * 一般的にアイヌの人々の間には、熊や狐の類、そのほか様々な鳥を飼育しておく慣習がある。そして、これらを殺すに際しては、その霊を大変篤く祭ることをなし、又その祭りにこめられる意義にも非常に深いものがある。これについては別に章を改めてその大略を記してあるが、依然として詳らかにされていない事柄が少なくない。追って聞き取りの上、記すことを期したい。
第2巻, 23ページ, タイトル: ヒヤリハの図
第2巻, 24ページ, タイトル:
土をならす事終りて、それより種を蒔なり、 是をピヤリパと称す、ピはすへて物の種を いひ、ヤリパは蒔事をいひて、種をまくといふ 事也、凡トイタの事、地の美悪をえらふと いへる事もミえす、又こやしなと用るといふ 事もなけれと、たゝこの種を蒔事のミ殊に 心を用ひて時節をかんかふる事也、その 時節といへるも、もとより暦といふ物もなけ れは、時日をいつの頃と定め置といふ事には あらす、唯ふりつミし雪の消行まゝ、山野 の草のおのつから生しぬるをうかゝひて 種を蒔の時節とはなす事也、 土を均す作業が終わると、それより種蒔きとなる。これを「ピヤリパ」という。「ピ」は種子一般を、「ヤリパ」は蒔くことを表し、合わせて種を蒔くことを意味する。全体的に見て、トイタの作業は、土地の美悪を選ぶということも確認されず、また肥料を用いるということもない。しかし、この作業、即ち種を蒔くことについてだけは、その時期をどうするかの判断に心を用いるのである。その時期であるが、もとより暦を持たないため、日時をいついつの頃とあらかじめ定めて置くわけではない。ただ降り積もった雪が消え行き、山野の草が自ずから芽吹いてくるのに接して、種を蒔く時節を見計らっているのである。
第3巻, 10ページ, タイトル:
ユウタとは舂事をいふ也、ヒロウなといへる所の 辺より奥の夷地に至りてはウタとも称する なり、是は前の図のことく囲炉裏の上にてほし たる穂をそのまゝ臼にいれてつく事なり、 其つく所は常に小棟屋にて為す事多し、    小棟屋は夷語にセセムといひて、住居の側に 立てつきたる小き家をいふ也、 晴天の日なとは、家の外に出てつく事も ある也、  ユウタとは、搗くことを意味する。ヒロウ(広尾)とかいう所の辺りより奥の蝦夷地に行くと、ウタとも称している。これは、前の図に見えるような囲炉裏の上で干した穂を、そのまま臼に入れて搗くことを指している。これを搗く場所であるが、常に小棟屋で行なわれることが多い。 * 小棟屋とは、アイヌ語でセセムといって、住居のそばに建てられる小さな家のことである。 晴天の日などは、屋外に出て搗かれることもある。
第3巻, 26ページ, タイトル:
あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の 事をもて意となさゝる事とミゆる也、 一椀を喰ふことに粥をはアマヽトミカモイと唱へ、 魚肉及ひ汁をはエツプトミカモイと唱へてより喰ふ なり、アマヽトミカモイといへるは、アマヽは穀食をいひ、 トミは尊き事をいひ、カモイは神をいひて、穀食 尊き神といふ事也、エツプトミカモイといへるは、エ ツプは魚をいひ、トミカモイは上と同し事にて、魚の 尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地 神明のたまものにて、人の身命を保つところの 物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を 一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、アイヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。 こうした椀は、一椀ごとに、粥をアママトミカモイと唱え、魚肉および汁をヱツプトミカモイと唱えてから食される。アママトミカモイとは、「アママ」が穀物を、「トミ」が「尊い」という語を、「カモイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。ヱツプトミカモイとは、「ヱツプ」が魚を表し、「トミカモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。アイヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を
第3巻, 27ページ, タイトル:
尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中 魚を喰ふにもエツプトミカモイと唱へ、汁を喰ふ にもまた同しくエツプトミカモイと唱ふる事は、 前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を 用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを 入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと いふのこゝろにて、同しくエツプトミカモイと唱ふる なり、    これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと 唱へて食する事、夷人の習俗なり、 一日に両度つゝ食するうち、朝の食は   拝むために唱えられるのが、 この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもヱツプトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくヱツプトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくヱツプトミカモイと唱えているのである。 * これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。 一日に二度の食事のうち朝食は、
第4巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 ツフ之部上  四
第4巻, 7ページ, タイトル:
山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、 たつね得るにおよひて、其木の下に至り、 図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その 地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、 シリコルカモイタンクニコレと唱ふ、シリは地を いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは 此といふ事、クニは木をいひ、コレは賜れといふ 事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、 この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の 如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て 後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、 ☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。クニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。 この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にクニヒリカノヌウハニツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、クニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、ツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「クニヒリカノヌウハニツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、ツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 12ページ, タイトル:
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にクニヒリカノヌウハニツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、クニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、ツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「クニヒリカノヌウハニツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、ツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 13ページ, タイトル:
なくよく守護たまはれといふ事也、 これは夷人の心に、およそ性ある物にハ ことーーく魂魄ありとおほへたるによりて、 無情の木なれともかくイナヲをさゝけて 祭りをなし、其伐りとりしことハりを のへて尊敬する也、魂魄を夷語にラマと 称す、草木たにかくの如くなれハ、まして 有情の禽獣なと殺すときは、その精を 祭る事甚厚し、 起こらないようによくお守りください」ということである。 これはアイヌの人びとの心のなかに、すべて性?あるものにはことごとく魂魄がそなわっているという考えがあるので、情というもののない樹木でさえも(それを伐採するときには)とのかくイナヲを捧げてお祈りをして、伐採する理由などをのべて敬虔に接するのである。魂魄をアイヌ語でラマという。  草木にたいしてさえこのように接するのだから、情のある鳥やけだものを殺すときはその霊をお祭りすることにはとても敬虔なのである。
第4巻, 19ページ, タイトル:
これは敷の初めて成就したる処也、 これより次第に後の図に出せる板等を あつめて舟の製作にかゝる也、此敷は 夷語にイタシヤキフと称して、丸木舟と 同しさましたれとも、また説ある事なり、 後の川を乗る舟とならへ図して委しく 論したり、合せ見るへし、  これは船体がはじめてできあがったところである。これからだんだんあとのほうの図で示したいたなどを集めて舟の製作に取りかかるのである。船体はアイヌ語でイタシヤキフといって、丸木舟と同じ形をしているけれども、さらに説明することがある。のちに川舟とともに図示して詳しく説明してあるのであわせて見てほしい。 
第4巻, 27ページ, タイトル:
夷語にプラプイタと称す、プは舟をいひ、ラプは羽をいひ、イタは板の事にて、舟の羽板といふ事なり、 アイヌ語でプラプイタという。プは舟をいい、ラプは羽をいい、イタは板のことで、「舟の羽板」ということである。
第5巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷計図説 ツフ之部  五
第5巻, 4ページ, タイトル:
舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「プカシケタウエンアンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。 プは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る 舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今   本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其 祈る詞に、プカシケタウエンアンベイシヤマヒリ カノイカシコレと唱ふ、プは舟をいひ、カシケタは 上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは 有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、 ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、 コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事 ある事なくよく守護を賜へといふ 事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の 安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
第5巻, 28ページ, タイトル:
詳らかならぬ事共多し、追て考ふ へし、此に出せる図は風の左りへ走るさま也、 艫の左右に縄を以て帆を繋き立て、アシナにてかぢを とり走る也、風の右に走んとすれは左右の 縄をくりかへ、帆を左にかたむけ風を請て 走るなり、夷語に是をホイボウフといひ、 又バシテフといひ、亦カヤウシフといふ、ホイ ボウといふも、バシテといふも、皆走る事をいふ、 カヤウシはカヤは帆をいひ、ウシは立る事 をいひて、帆を立るといふ事、フはいつれも 舟の事なれは、三つともに走る舟の事を いふなり、 つまびらかにできないことが多い。改めて考えることとしよう。  ここに出した図は、風の左の方へ航行するようすである。艫の左右に縄で帆を繋ぎ、アシナで梶をとって走るのである。風の右の方に走ろうとすれば、左右の縄をたぐり変えて帆を左に傾け、風をうけて走るのである。 アイヌ語でこれをホイボウフといい、またバシテフといい、あるいはカヤウシフという。ホイボウというも、バシテというも、みな「走る」ことをいう。カヤウシとは、カヤは帆のことをいい、ウシは立るという意味で、「帆を立る」ということ、フは舟のことだから、三つとも「走る舟」のことをいうのである。
第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなハりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、カンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、 是を夷語にプモウといふ、ブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをアイヌ語でプモウという。ブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビロウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 34ページ, タイトル:
時、二人つゝシヨ板に腰をかけならび居て、左 右のカンヂを一人にて一つつゝ遣ひこぐ事 もある也、これは北海に至るほと波濤の 急激なるも、甚しく舟のかたちも大ひ なる故、一人にて左右のカンを遣ハん事の 危きを考へ、おのつから二人にてこく事にハ なりゆく也、 二人ずつシヨ板にならんで腰をかけて、左右のカンヂを一人で一つずつ使って漕ぐこともある。これは北の海に行くほど波涛が荒く激しくなるし、舟の形も大きくなるので、一人で左右のカンヂを使うことの危険性を考慮して、おのずから二人で漕ぐことになるのである。
第5巻, 35ページ, タイトル: イタシヤキプの図 
第5巻, 36ページ, タイトル:
是は前に出せる舟敷の事也、夷語に イタシヤキプと称するは、イタは板をいひ、シヤ キは無きをいひ、プは舟の事にて、板なき 舟といふ事也、もと舩の敷なるをかくいふ ものは、丸木をくりたるまゝにて左右の板を 付す、夷人河を乗るところの舟とことならさる故、 時によりては其まゝにて川を乗る 事も有ゆへにかくはいえるなり、万葉集に 棚なし小舟といへるはこれなるにや、今に 至りて舩工の語に、敷より上に付る板を 棚板といふ、さらは無棚小舟は棚板なき舟と いふの心なるへし、今 本邦の舩の これは前述した船体のことである。アイヌ語でイタシヤキプというのは、イタは板のことをいい、シヤキは無いということ、プは舟のことであって、「板の無い舟」ということである。もともと船体であるものをこのようにいうのは、丸木を刳りぬいたままで左右の板をつけず、アイヌの人びとが川で用いるところの舟と変らないし、場合によっては、そのままで川で乗ることもあるのでこのようにいうのである。 万葉集に「棚なし小舟」というのはこれではなかろうか。現在の船大工のことばに、船体より上につける板を棚板という。それならば「無棚小舟」は「棚板なき舟」といういみであろう。今、日本の船の
第5巻, 37ページ, タイトル:
製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より にか有けん、カシキヲモキなといふ事の 舩工ともの製作に初りしより、    カシキといへるもヲモキといへるも、少し つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、 格別にたかふところは非す、いつれも敷を 厚き板にて作り、それに左右の板を釘 にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ ヤキプの如くになし、それより上に左右の 板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、 今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、 其製の堅固なるを利として専らそれのミを 製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。 カシキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、    <註:カシキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に 変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で 作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ シヤキプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付 けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。 今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。> その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
第5巻, 38ページ, タイトル:
用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、 今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を 伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ プを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの 転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也 、 其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と ひとしく仕立たるをモフと称す、モフは モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地 にしては舟の事をプといふ事よのつねな れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の 実称にして、ブといへるは略していふの詞なる よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る 用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。 船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモフという。モフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、プというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
第5巻, 42ページ, タイトル:
これ俗にいふ丸木舟の事也、製作すること イタシヤキプとことなる事なし、形ちの小し くたかひたるハ、図を見て考ふへし、二種の中、 前の図は流の緩き川ならひに沼とふを乗る 舟なり、後の図は急流の川をのり、または 川に格別の高底ありて水の落す事飛泉の 如くなるところをさかさのほる事とふある時、 水の入らさるかために、舟の舳に板をとち付たるさまなり、 これは俗にいふ丸木舟のことである。製作する方法はイタシヤキプとことなることはない。形が少しく違っていることは、図を見て考えてほしい。二種類の中、前の図は流が緩い川ならひに沼などで乗る舟である。後の図は急流の川で乗ったり、または川にとくに高低があって、水が落ること飛泉のようなところをさかのぼることなどがある時、舟に水が入らないようにするために、舳に板を綴じつけたところである。
第5巻, 43ページ, タイトル: ウイマムプの図 
第5巻, 45ページ, タイトル:
蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ 松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし 事也、その貢物を積むところの舟をウイマム プと称す、其製作のさまよのつねの舟と替 りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の 人に初てまみゆる事をいふ、    此義いまた詳ならす、追て考ふへし プは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる 舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は 松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて 貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル 蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。    この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。 プは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。 アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ シリへもウイマムプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
第5巻, 47ページ, タイトル:
らの人の嶋と称せし也、其貢物を献せしと いへる事を夷人のいひ伝へたるは、いかにもさた かなる事にや、日本紀の中に此事をのせたる ところあまた見へたり、 ウヘマムプよそをひの具三種 「かしらの人の嶋」といっていたのである。貢ぎ物を献上したということをアイヌの人びとがいいつたえるのは、いかにも確かなことではないか。日本書紀にはこのことにふれた記事はたくさん見えている。 ウイマムプ装おう道具 三種類
第5巻, 51ページ, タイトル:
三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に 出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、 追て考ふへし、ウヘマムプに用る此よそをひの 三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、 家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり すつる事ハあらす、    ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく 見えたり かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと 称す、 三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。 ウイマムプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。    <註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ る> このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと いひ、二をシヤランベといひ、三をミツプといひ、 四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、 シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はミツプ【ミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 4ページ, タイトル:
本邦よりわたるところのものにて、古き絹の 服なり、ミツブといへるも同しく 本邦より わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、 殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは   本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用 して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、 もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、 ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮 にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも 下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
第6巻, 5ページ, タイトル:
するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の 製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも  本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を 致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに 平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは 貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、ミツプ 三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、 其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁 断して服する事を許さす、    凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥 獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ 礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の 属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
第6巻, 6ページ, タイトル:
地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の 便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽 せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ 教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、 もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人 物とならん事、何の疑かあるへき、 右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人 熟知するところの物、シヤランベ、ミツプの二種ハすな はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、 ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣 皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に 録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種のミハ
第7巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 セカル之部  七
第7巻, 6ページ, タイトル: クニバツカリの図
第7巻, 7ページ, タイトル:
ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱 とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を はかり、きりそろゆるさまなり、クニパツカリと いへるは、セは家をいひ、クニは木をいひ、パツカリは 度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と 指とにて長短を度る也、手をもて度るをムといひ、 中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、 追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のミに 限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ 同しく手と指とを用てはかる事なり、 ☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。 クニパツカリというのは、セ【セ:cise/家】は家の意味、クニ【クニ:cikuni/木】は木の意味、パツカリ【パカリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、アイヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。  これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。
第7巻, 25ページ, タイトル:
茅をもてかこふ事なり、其かこひをなすに二種の ことなるあり、シリキシナイの辺よりビロウの辺ま てのかこひは、 本邦の藩籬なとのことくに ゆひまハして、家の四方を囲ふなり、ビロウの辺より クナシリ嶋まてのかこひは、屋を葺てより其まゝ 家の四方にふきおろして囲ふ也、委しくハ後の 全備の図を見てしるへし、其茅をふく次第は、家の くミたてとゝのひてより、まつ初に四方の囲ひをなし、 それより屋をふく事也、    凡屋をふくにつきてハ、其わさことに多して、 此図一つにして尽し得へきにあらす、別に器 財の部のうち葺屋の具をわかちて録し 置り、合セ見るへし、 右の如く屋を葺事終りて、其家の右の方に 小きさげ屋を作りて是をセセムといふ、セは家 をいひ、セムはさげ屋といふ事なり、 である。その囲いをするのには二種類の方法のちがいがあって、シリキシナイあたりよりビロウあたりまでの囲いは、わが国の垣根などのように茅を結いまわして家の四方を囲うのである。また、ビロウのあたりよりクナシリ嶋までの囲いは屋根を葺いてから、そのまま家の四方に葺き下ろして囲うのである。詳しいことは後に示した全備の図をみて理解してほしい。  その茅の葺き方の順序は、家の組み立てがおわってから、まず四方の囲いを造り、それから屋根を葺くのである。    <註:大体において、屋根を葺くための技術はとりわけ多く、この図ひとつでいいつくす ことはできない。別に「器財の部」の中に屋根葺きの道具を分けて記録しておいた ので合わせてみてほしい。>  以上のように屋根を葺き終ると、その家の右のほうに小さな「さげ屋」を造って、これをセセムという。セム【セ*ム:sem/物置】はさげ屋ということである。
第7巻, 26ページ, タイトル:
さげ屋といふは、すへて 本邦の俗語に 本屋のつゝきに小き家を造り足す事をさげ 屋といふ事なり、 この家の図の右の方に、口のあきてあるは、其 セセムを造るへきために明け置事也、後の全備 の図を見てその造れるさまをしるへし、是にて まつ居家経営の事は終れり、これより後に 録するところは全備のさまをしるせるなり、 <註:さげ屋というのは、総じてわが国の俗語で、本屋に続きに小さな小屋を造り足すこ とをいう。>  この家の図の右の方に口を明けてあるのは、セセムを造るためにあけたのである。後の全備の図をみてその様子を知ることができる。 ☆ これで、とりあえず、家の建て方についてのことは終わる。これから後に記録してあるのは完成した様子を記してある。
第7巻, 27ページ, タイトル: キキタイセの図
第7巻, 28ページ, タイトル: セコツの図 
第7巻, 29ページ, タイトル:
此図はシリキシナイの辺よりシラヲイの辺に 至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を もて葺さる也、是をキキタイセと称す、キは 茅をいひ、キタイは屋をいひ、セは家をいひて、茅の 屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら 茅と草との二種にかきりて用るなり、セコツと いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、セは家を いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、 総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす からんかためなり、後に図したる二種はミな此故と しるへし、 ☆ この図はシリキシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをキキタイセという。キ【キ:ki/カヤ】は茅をいい、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、セ【セ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。    セコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。セは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はミナこの理由によるのである。
第7巻, 30ページ, タイトル: シヤリキキタイセの図
第7巻, 32ページ, タイトル:
此図はシラヲイの辺よりヒロウの辺にいたる まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて 葺たるなり、是をシヤリキキタイセと称す、シヤリ キは蘆をいひ、キタイは屋をいひ、セは家を いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家 にては多く屋をふくに蘆のミをもちゆ、下品 の家にてはまれに茅と草とを用る事もある なり、 右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし たるなり、 ☆この図はシラヲイのあたりからヒロウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリキキタイセという。シヤリキ【サ*ラキ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、セ【セ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。 右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。
第7巻, 33ページ, タイトル: ヤアラキタイセの図
第7巻, 35ページ, タイトル:
是はビロウの辺よりクナシリ島にいたるまての 居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて 葺たるなり、是をヤアラキタイセと称す、ヤア ラは木の皮をいひ、はタイセは前と同しことにて、 木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の 皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは 木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け 破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて 重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て 堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる さまは、後の図にミえたり、 ☆ これはビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
第7巻, 36ページ, タイトル: トツプラツプキタイセの図
第7巻, 37ページ, タイトル:
この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて ふきたる也、これをトツプラツフキタイセと称す、 トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイセは 前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、 これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、 やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て 堅固なりといへとも、力を労する事多きにより て、造れるものまつはまれなりとしるへし、 ☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。 これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
第8巻, 4ページ, タイトル:
夷人のうち悪事をなす者あれハ、其所の夷人 ならひに親族のもの集りて、図の如くに其者を 拷掠し、罪を督す事也、是をウカルといふ、此語の 解未さたかならすといへとも、夷語に戦の事をも ウカルといふ事あり、    戦の事をイトミともいひ、またウカルとも いふ也、夷人の戦といへる事ハ、意味殊に深き事にて、 委しくハ戦の部にみえたり、 これハ 本邦辺鄙の人の言葉に、人を強く うち倒す事をウカスムルといふ事あり、戦は いつれ人をうち倒すをもて事とするゆへ、此 言葉を略してウカルとはいふなるへし、さらは 此処にて人の罪あるを督すも、又拷掠するを 以てのゆへに同しくウカルとハ称するにや、    ここにウカルのさまを図したる事ハ、夷人に 望て其行ふさまをなさしめて其侭を図し ☆ アイヌのなかで悪事をはたらくものがあれば、そのところのアイヌの人びとやかれの親族のものが集まって、図のようにかれをむち打って罪を責めとがめることがある。これをウカル【ウカ*ラ?:ukar?】というが、このことばの意味はまだよくわからないけれども、アイヌ語にいくさのことをウカルということがある。    <註:いくさのことはイトミ【イトゥミ:itumi/戦争】ともいい、またウカルともいうのである。アイヌの人びとの いくさというのは、その意味にことさら深いものがあるが、詳しくは「いくさの部」 に述べてある>  これはわが国の辺鄙な土地に住んでいる人びとのことばに、人を強く打ち倒すことをウカスムルということがある。いくさはどのみち人を打ち倒すことが目的なので、このことばを略してウカルというのであろう。そうであるならばこのところで人の罪をただすのも、また、むち打って罪を責めとがめるということであるからおなじくウカルというのではなかろうか。    <註:ここにウカルのようすを図示したのは、アイヌの人びと頼んでそれを行なうようす をしてもらってそのままを描い
第8巻, 10ページ, タイトル:
またセコルヌシヤサンの棚の上に納め置事も あり、旅行する事なとあれハかならす身 をはなさす携へ持する事なり、年久しく家に 持伝へたるなとにハ、人をたひーー拷掠なしたるに よりて、打たるところに皮血とふ乾き付て、 いかにもつよく拷掠したるさまミゆるなり、 それをは殊に尊敬して家に伝へ置事也、 またセコルヌシャサン【セコ*ロヌササン:cisekornusasan/屋内の祭壇】の棚の上に納めて置くこともあり、また、旅行をすることがあれば、かならず身からはなさず携えているのである。長年、家に伝世したものなどには、ひとをたびたびむち打ったので、打ったところには皮や血などが乾き付いていて、確かに強く打ったようすがみえるのである。それをまことに尊敬して家に伝えていくのである。

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