蝦夷生計図説

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"ク": 41 件ヒット

第1巻, 19ページ, タイトル:
ナシリ島の辺にいたるまてにもちゆる なり、    但し、此イナヲ、まつはビロウの辺よりナシリ 島の辺まてに限りて多く用ゆれとも、ことに よりては、シリキシナイの辺よりビロウまての 地にても用ゆる事のあるさまなり、追て糺尋 の上、たしかに録すへし、 ナシリ島の辺りまでの地域で用いられるものである。 * 但し、このイナヲは、概ねにおいてビロウの辺りからナシリ島の辺りまでの地域で多く用いられるものであるが、ことによってはシリキシナイの辺りからビロウの辺りまでの地域でも用いられることがあるようである。追って聞き取りのうえ、確実な情報を記したい。
第1巻, 22ページ, タイトル:
これは家中の安穏を祈るに用ゆ、キケとは 物を削る事をいひ、チは助語なり、ノイといふは 物を捻る事をいひて、削り捻るイナヲといふ事也、 此等の語もほゝ 本邦の野鄙なることはに 通するにや、 本邦の詞に物を削る事をカ といふ、カはキケと通すへし、ノイはねへと通して ねちといふの転語なるへし、さらはキケノイヽナヲは かきねちるイナヲといふ事と聞ゆるなり、二種のうち 初の図はシリキシナイといへる所の辺よりビロウと いへる所の辺迄に用ゆ、後の図はビロウの辺より ナシリ島の辺まてに用ゆる也、其形ちの少しく たかへる事は図を見てしるへし、  これは、家中の安穏を祈るのに用いられる。「キケ」とは物を削ることをいい、「チ」は助詞、「ノイ」は物を捻ることを表わし、合わせて「削り捻るイナヲ」という意味である。これらの語も、ほぼ我が国の田舎の言葉に通じているようだ。我が国の言葉では、物を削ることを「かく」という。「かく」は「キケ」に通じるだろうし、「ノイ」は「ねえ」と通じ、「ねじ」という言葉の転語であろう。そうであるならば、キケチノイイナヲとは、「かきねじるイナヲ」という意味に聞こえるのである。なお、二種の図のうち、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからナシリ島の辺りまでに用いられているものである。その形状に少々相違がある点は、図によって確認されたい。
第1巻, 25ページ, タイトル:
これは何とさたまりたる事なくすへて神明を 祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて 削る事をいひ、ハアロは物の垂れ揺くかたちをいひ、 セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、 此ハウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく 垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは ハウロはフアリと通して、キケハウロイナヲといふは 削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、 二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のキケ チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ キシナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ の辺よりナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、  これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハアロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。 この「ハアロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウロ」は「ふあり」と通じて、キケハウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。 なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
第2巻, 4ページ, タイトル:
夷人の食は、鳥獣魚とふの肉を専らに用ると いへとも、不毛の地にして禾穀の類のたえて 生する事なしといふにはあらす、又禾穀の 類をうへて食する事なしといふにも非す、 こゝに図する所はすなハち稗の一種にして、 烏禾の類也、これは蝦夷のうちいつれの地 にても作りて糧食の一助となす事也、    但し、極北の地子モロ・ナシリ島なといへる所の 夷人の如きは、かゝる物作れる事あらす、これは ひとしく蝦夷の地なりといへとも、殊に辺辟 たるにより、その闢けたる事もおそくして、 未かゝる物なと作るへきわさは知るに及ハさる アイヌの人々の食についてであるが、専ら鳥や獣や魚の肉をそれにあてている。しかし、だからといって彼らの住む土地が不毛であり穀類の生育を見ないというわけではない。 ここに掲げた図は稗の一種「烏禾」の仲間である。この作物は、蝦夷地一円に栽培されているもので、糧食の一助として用いられている。 * 但し、蝦夷地の内でも最も北に位置するネモロ(根室)やナシリ(国後)島などといった地域のアイヌの人々は、こうした作物を栽培することはない。なぜならば、同じ蝦夷地とはいえ、根室や国後島は格別辺鄙な地であり、その開闢も遅く、いまだに作物を栽培する技術を知るに至っていない
第2巻, 6ページ, タイトル:
食するに至るまてのわさことに心を用るなり、 其次第は後の図に委しく見へたり、是より 出たる糠といへともミたりにする事あらす、 其捨る所を家の側らに定め置き、ムルタウシ カモイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を 奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には 似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、 荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する 事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷 の地より伝へ来りたるによりてかく称すると 食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。 棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルタウシカモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。 この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて
第2巻, 11ページ, タイトル:
ラタ子と称する事は、ラタツキ子といへるを略せるの 言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ ツキ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、 これは此草の形ちによりてかくは称するなり、 是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、 アユシアマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、 ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り て糧食の助けとなす事なり、    但し、極北の地子モロ・ナシリ島とふの夷人作る 事のなきは、アユシアマヽに論したると同しき ゆへとしるへし、 是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すなハち ラタネとは、「ラタツキネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツキネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。 この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、アユシアママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。 *但し、極北の地であるネモロ・ナシリ島等のアイヌの人々がこれを栽培することがないのは、アユシアママのところで論じたのと同じ理由であろう。 ラタネとは、
第2巻, 29ページ, タイトル: テケヲツタセイコトの図
第2巻, 30ページ, タイトル:
是はアユシアマヽ熟するの時に及て、その穂を きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ ツタセイコトといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト は附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、    これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀 を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ は別に貝類の部にくハしくミえたり、 凡穂をきるにはミなこれを用ひてきる事也、 決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事ハ あらす、奥羽の両国の中まれにハ穂をきるに右の 如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、 これは、アユシアママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コト」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。 * これに用いられる貝を、アイヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
第3巻, 14ページ, タイトル:
ムルとは糠の事をいひ、ヲシヨラとは捨る事を いひて、糠をすつるといふ事也、またムルタと も称す、是は簸事終りてより、その出たる 糠を捨るさま也、此糠をすつるにハことに意味 ある事にて、委しくハ後の図にミえたり、 「ムル」とは糠を、「ヲシヨラ」とは捨てることを表し、合わせて「糠を捨てる」という意味である。また別にムルタともいう。この図は、箕を用いて籾殻をあおり屑を取り除く作業を終えた後、その際に出た糠を捨てる様子である。糠を捨てることは、大変意味のある行為なので、次の図に詳しく示しておいた。
第3巻, 15ページ, タイトル: ムルタウシウンカモイの図 
第3巻, 16ページ, タイトル:
ムルタウシウンカモイと称する事は、ムルタは前に いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、 糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は 聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の 罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに 定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の ムルウタウシウンカモイとは、「ムルタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。 そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の
第4巻, 7ページ, タイトル:
山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、 たつね得るにおよひて、其木の下に至り、 図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その 地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、 シリコルカモイタンチニコレと唱ふ、シリは地を いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは 此といふ事、チニは木をいひ、コレは賜れといふ 事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、 この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の 如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て 後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、 ☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。 この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチニヒリカノヌウハニチツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 12ページ, タイトル:
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチニヒリカノヌウハニチツフカモイキ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 24ページ, タイトル:
とだては舟の艫なり、図に二種出セる事ハ、 所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、 二種のうち前の図はシリキシナイよりヒロウ まての舟にもちゆ、    すへて所により用る物のたかふ事なと、此所 より此所迄とくハしく限りてハいひ難し、 こゝにシキリシナイよりヒロウまてといへ るも、シリキシナイの辺よりヒロウの辺 まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる 事はミな此類と知へし、 夷語に是をイムと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし 「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからヒロウまでの舟で用いている。   <註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと 詳しく限定していうことはできない。ここでシキリシナイからヒロ ウまでといっても、それはシリキシナイのあたりからヒロウのあた りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ とはすべてこの類と知っておいてほしい。> アイヌ語でこれをイムという。  このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
第4巻, 25ページ, タイトル:
後の図はヒロウよりナシリまての舟 に用ゆ、夷語に是をウカキと称す、    此語解しかたし、追々考ふへし、 あとの図はヒロウからナシリまでの舟で用いるもので、アイヌ語でウカキという。   このことばの意味もわからない。やはり追って考えることにしよう。
第4巻, 36ページ, タイトル:
夷語に是をキウリと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし シリキシナイよりヒロウまての舟にハことーーく 此具を用ゆ、これハ北海になるほと風波あら きか故に、舟の堅固ならん事をはかりて なり、シリキシナイよりビロウまてハさのミ 北海にあらすして、風波のしのきかたも やすきゆへ、まれには此具を用ゆる舟も あれと、多くは用ひす、 アイヌ語でキウリという。    このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。 シリキシナイからヒロウまでの舟にはことごとくこの道具を用いている(訳註:ヒロウからナシリまでの誤記か?)。これは北の海になるほど風波が荒いので舟を丈夫にするための工夫である。シリキシナイからヒロウまではそれほど北の海ではなく、風波から守る方法も容易なので、まれにこの道具を用いる舟もあるけれども多くの舟は使用しない。
第4巻, 38ページ, タイトル:
これ舟を造るに板を縫ひあハするの縄なり、 テシカと称するハ、テシは木をとちあはする 事をもいひ、又筵なとをあむことをもいふ、カは糸の 事にて、物をとちあハする糸といふ事也、テシカ に三種あり、一種はニベシといふ、木の皮をはき縄 となして用ゆ、一種は桜の皮をはきて其侭 もちゆ、一種は鯨のひけをはぎて其まゝ 用ゆ、いつれも図を見て知へし、三種の中 鯨のひげをハ多くビロウよりナシリまての 舟にもちゆ、シリキシナイよりビロウ迄の地は 鯨をとる事まれなる故、用るところのテシカ 多くは桜とニベシとの皮を用ゆる也、 これは舟を造るとき、板を縫い合わせる縄である。テシカと称するのは、テシは木を綴じ合わせることもいい、またむしろなどを編むこともいう。カは糸のことで、「物を綴じ合わせる糸」ということである。  テシカに三種類あって、ひとつはニベシという。木の皮を剥いで縄に作って用いる。ひとつは桜の皮を剥いでそのまま使う。いまひとつは鯨の髭を剥いでそのまま用いる。いずれも図で見てほしい。三種類のうち、鯨のひげはビロウからナシリまでの舟で多く使用される。シリキシナイからビロウまでの地方は鯨を捕ることがあまりないので、使用するテシカの多くは桜とニベシの皮である。
第4巻, 45ページ, タイトル:
これ舟の製作全く整ひし所也、二種の うち前の図も、シリキシナイよりビロウ迄に 用る舟也、後の図はビロウよりナシリ まてにもちゆる舟なり、くハしくハ図を 見てかんかふへし、 これは舟の製作が完全に終ったところである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからビロウまでのあいだで用いられる舟である。のちの図はビロウからナシリで用いられている舟である。詳しいことは図を見て考えてほしい。
第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなハりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、カンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、 是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビロウ辺よりナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをアイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビロウ辺からナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 45ページ, タイトル:
蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ 松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし 事也、その貢物を積むところの舟をウイマム チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替 りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の 人に初てまみゆる事をいふ、    此義いまた詳ならす、追て考ふへし チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる 舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は 松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて 貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハ 蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。    この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。 チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。 アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハ
第5巻, 46ページ, タイトル:
の略也、シヤハはかしらだちたる事をいふ、ルは 人といふ事にて、かしらたちたる人をいふ、ロは 語助也、モシリは島をいふ、此義ことに意味有 事なり、夷語に水の流るゝ事をモムといふ、 地の事をシリといふ、モシリはモムシリの略にして、 流るゝ地といふ事也、そのゆへは、凡島の水上に うかひたるを遠くよりのぞめは、流れつ へき地のさましたるゆへに、嶋の事をモシリと 称する也、さすれはシヤモロモリとは、かしら たちたる人の島といふ事にて、 本邦をさして いへるなり、古のとき蝦夷といへともことーーく 本邦に属せし事故、 本邦をさしてかし の略である。シヤハは人の上にたつことをいい、ルは人ということであって、だからシヤハルは「人の上にたつひと」ということをいう。ロは助語である。モシリは島をいう。モシリはことに意味あることであって、アイヌ語で水が流れることをモムという。地のことをシリという。 モシリはモムシリの略であって、「流れる地」ということである。その理由は、そもそも島が水上にうかんでいるのを遠くからのぞめば、流れゆくべき地のようすをしているので、嶋のことをモシリというのである。だからシヤモロモシリとは、人の上にたつひとの島ということであって、日本をさしていう。 古い昔は蝦夷といえどもすべて日本に属していたので、蝦夷は日本をさして
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトと いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、 四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、 シツトといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツト、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 4ページ, タイトル:
本邦よりわたるところのものにて、古き絹の 服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、 殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは   本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用 して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に シツトとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、 もつとも上品の衣とする事也、アツトシ、イタラツベ、モウウリ、 ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮 にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも 下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
第6巻, 5ページ, タイトル:
するなり、たゝアツトシ、イタラツベの二種は夷人の 製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも  本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を 致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてアツトシ の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに 平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは 貴人謁見の時とふの礼式にシツト、シヤランベ、チミツプ 三種の衣なきものは、ミな此アツトシのミを服用する事也、 其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁 断して服する事を許さす、    凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥 獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ 礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の 属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
第6巻, 6ページ, タイトル:
地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の 便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽 せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ 教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、 もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人 物とならん事、何の疑かあるへき、 右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の うちジツトは蝦夷錦と称して 本邦の人 熟知するところの物、シヤランベ、チミツプの二種ハすな はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、 ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣 皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に 録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ まを一種つゝ図にあらハせり、たゝアツトシの一種のミハ
第6巻, 7ページ, タイトル:
其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼 の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末 子細に図に録せるなり、イタラツベといふもアツトシ とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理 なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り 用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に 製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも 多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、ソウといへる四種の草を 日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末 全くアツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて 此書にはたゝアツトシの製しかたのミを録して、 イタラツペのかたは略せるなり、
第6巻, 9ページ, タイトル:
アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の 皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに 堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、 こゝに図したるところは、すはハちヲヒの皮にして、 山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を アツカフと称する事は、すへてアツトシに織る木の 皮をさしてアツといひ、カプはたゝの木の皮の事 にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は 海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山 中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも 平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、 幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
第6巻, 27ページ, タイトル:
なして衣の製全くとゝのひし図也、是をアツトシミアンベ と称す、ミは著る事をいひ、アンベは物といふ事にて、アツトシ の著るものといふ事也、すへて此衣は夷人の平日服するものなれ とも、他の獣皮・鳥羽とふにて製したる衣とは格別に たかひて、礼式の服のことくに尊ふ事也、ことに女子なとは 時により下に鳥羽・獣皮とふの衣を著する事ありても、 いつれその上にこのアツトシの衣を 本邦の 俗にかいとりともいふへきさまに打かけて服す、もし しからすしてたゝ鳥羽・獣皮とふの衣のミを服する をハ、甚の無礼となして戒る事なり、その厳密なる 事、女子衣服の製度ともいふへし、たゝ女子のミにあらす、 総説にもしるせし如く、男子といへともまた此衣を尊ミて、官 長の人にま見へおよひ、祭祀とふよろつ謹ミの時にのそミては、シツ ト・シヤランベとふ装束ともいふへきものなきものは、ミなこの アツトシのミを服用す、其外鳥羽・獣皮とふの衣はかたく 禁止して著用する事なし、
第7巻, 5ページ, タイトル:
家を焚焼せる事ハ甚意味のある事にて、委し くハ葬送の部にミえたり、 居家の製、其かたちのかハりたる事、東地にしてハ南方 シリキシナイの辺より極北ナシリ島に至るまての間、凡 三種あり、其うちすこしつゝハ大小広狭のたかひあれとも、 先つは右三種のかたちをはなれさる也、三種のかたちハ後の 居家全備の図に其地形をあハせて委しく録せり、    但し、居家のかたちハ三種の外に出すといへとも、其製作の 始末は所によりて同しからぬ事も有也、此書に図したる ところはシリキシナイの辺よりシラヲイ辺まての製作 の始末なり、シラヲイ辺よりナシリ島に至るまての 製作は、また少しくたかひたるところ有といへとも、図に わかちてあらハすへき程の事にあらさるゆへ、略して録せす、 たゝ屋を葺にいたりては茅を用るあり、草を用るあり、 あるハ竹の葉を用ひ、あるハ木の皮を用るとふのたかひ有て、 其製一ならす、いつれも後に出せる図を見てしるへし、 家を燃やすことはとりわけ意味があること で、そのことは「葬送の部」に詳述してある。> ☆家の造りかた、そのかたちが変化すること、東蝦夷地にあっては南はシリキシナイのあたりから、最も北はナシリ島に至るまでの間に、おおよそ三種類ある。そのうち、少しづつは大小や広い狭いの違いはあっても、まず大体は右にいう三種類の形から離れることはない。三種のかたちについては後に出す「居家全備の図」に敷地の形をあわせてくわしく記録してある。   <註:ただし、家のかたちは三種類のほかに出しているけれども、その造りかたの始末は場 所によっては同じではないこともある。この本で図示したものはシリキシナイのあた りからシラヲイあたりまでの製作技法の始末である。シラヲイあたりからナシリ島 に至るまでの技法は、またちょっと違っているところがあるけれども、図をそれぞれ 区別して示すほどのことでもないので略して記さない。> ただ、屋根を葺く技法は、茅を使う場合があり、草を使う場合があり、あるいは竹の葉を使い、あるいは木の皮をつかうなどの違いがあって、その製作技法は同一ではない。そのいずれも後出の図をみて理解してほしい。
第7巻, 6ページ, タイトル: チセチニバツカリの図
第7巻, 7ページ, タイトル:
ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱 とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を はかり、きりそろゆるさまなり、チセチニパツカリと いへるは、チセは家をいひ、チニは木をいひ、パツカリは 度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と 指とにて長短を度る也、手をもて度るをチムといひ、 中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、 追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のミに 限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ 同しく手と指とを用てはかる事なり、 ☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。 チセチニパツカリというのは、チセ【チセ:cise/家】は家の意味、チニ【チニ:cikuni/木】は木の意味、パツカリ【パカリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、アイヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをチム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。  これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。
第7巻, 11ページ, タイトル:
トンドは柱の事也、図に二種出せる事は、上 下の品あるゆへなり、上に図したるは岐頭の木に して、桁のくゝみに其まゝ岐頭のところを用る也、 是をイシベトンドと称す、イシベは岐頭の木を いひ、トンドは柱をいひて、岐頭の木の柱といふ事也、 是を下品の柱とす、下に図したるは常の柱にして、 桁のくゝみを筥の如くなして用る也、これをバロ ウシトンドと称す、バロは口をいひ、ウシは在るをいひて、 口のある柱といふ事なり、是を上品の柱とす、 すへて夷人の境、居家の製はその形ち大小広狭の たかひありて一ならすといへとも、柱の製はこの 二種に限る事なり、 ☆ トンドは柱のことである。二種類を図示したのは、上下の品があるためである。上に図示したのは頭が分かれた二股の木で、桁のくくみ?にそのまま二股のところを使うのである。これをイシベトンドという。イシベ【イ*シペ:ikuspe/柱】は二股の木をいい、トンド【トゥントゥ:tuntu/(大黒)柱】は柱のことで二股の木の柱ということである。これを下品の柱とする。 下に図示したのは通常の柱で、桁のくくみ?を丸い箱のようにして使うのである。これをバロウシトンドという。バロ【パロ:paro/その口】は口のことをいい、ウシ【ウ*シ:us/にある】は在るといって、口のある柱という意味である。これを上品の柱とする。総じてアイヌの人びとの国は、家の製法はその形、大小、広狭の違いがあって、同一ではないといっても、柱の製法はこの二種類に限られているのである。
第7巻, 24ページ, タイトル:
是は家のくミたてとゝのひてより、屋をふくさま也、 キタイマコツプといへるは、キタイは屋をいひ、マコツプは葺 事をいひて、屋をふくといふ事也、屋をふかんとすれは、蘆 簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくミたてたる 木の上に敷て、其上に前に録したる葺草の中いつれ なりともあつくかさねてふく也、こゝに図したるところハ 茅を用ひてふくさま也、この蘆簾あるハ網とふのものを 下に敷事ハ、くミたてたる木の間より茅のこほれ落るを ふせくため也、家によりては右の物を用ひす、木の上を すくに茅にてふく事もあれとも、多くは右のものを 下に敷事なり、    ここにいふ蘆簾は夷人の製するところのものなり、 網といへるも同しく夷人の製するところのものにて、 木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり、 すへて夷人の境、障壁とふの事なけれハ、屋のミにかき らす、家の四方といへとも同しくその屋をふくところの ☆これは家の組み立てができてから屋根を葺くようすである。キタイマコツプというのは、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、マコツプ【ア*プ?:akup?/葺く】は葺くことをいうので、屋根を葺くということである。屋根を葺こうとするには、芦簾あるいは網の破れ損じたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前述の葺き草のうち、どれでも厚く重ねて葺くのである。ここに図示したのは茅を用いて葺いているようすである。  この芦簾あるいは網などのものを下に敷くことは、組み立てた木の間より茅が零れ落ちるのを防ぐためである。家によってはそれらを使わず、木の上に直に茅で葺くこともあるけれども多くは右にあげたものを下に敷くのである。    <註:ここでいう芦簾アイヌの人びとが造ったものである。網も同じくアイヌ製のもので 木の皮を綯って造ったものである。> 総じてアイヌの人びとの国には障子や壁などというものがないので、屋根ばかりではなく、家の四周さえも同様にその屋根を葺く茅で囲うの
第7巻, 25ページ, タイトル:
茅をもてかこふ事なり、其かこひをなすに二種の ことなるあり、シリキシナイの辺よりビロウの辺ま てのかこひは、 本邦の藩籬なとのことくに ゆひまハして、家の四方を囲ふなり、ビロウの辺より ナシリ嶋まてのかこひは、屋を葺てより其まゝ 家の四方にふきおろして囲ふ也、委しくハ後の 全備の図を見てしるへし、其茅をふく次第は、家の くミたてとゝのひてより、まつ初に四方の囲ひをなし、 それより屋をふく事也、    凡屋をふくにつきてハ、其わさことに多して、 此図一つにして尽し得へきにあらす、別に器 財の部のうち葺屋の具をわかちて録し 置り、合セ見るへし、 右の如く屋を葺事終りて、其家の右の方に 小きさげ屋を作りて是をチセセムといふ、チセは家 をいひ、セムはさげ屋といふ事なり、 である。その囲いをするのには二種類の方法のちがいがあって、シリキシナイあたりよりビロウあたりまでの囲いは、わが国の垣根などのように茅を結いまわして家の四方を囲うのである。また、ビロウのあたりよりナシリ嶋までの囲いは屋根を葺いてから、そのまま家の四方に葺き下ろして囲うのである。詳しいことは後に示した全備の図をみて理解してほしい。  その茅の葺き方の順序は、家の組み立てがおわってから、まず四方の囲いを造り、それから屋根を葺くのである。    <註:大体において、屋根を葺くための技術はとりわけ多く、この図ひとつでいいつくす ことはできない。別に「器財の部」の中に屋根葺きの道具を分けて記録しておいた ので合わせてみてほしい。>  以上のように屋根を葺き終ると、その家の右のほうに小さな「さげ屋」を造って、これをチセセムという。セム【セ*ム:sem/物置】はさげ屋ということである。
第7巻, 35ページ, タイトル:
是はビロウの辺よりナシリ島にいたるまての 居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて 葺たるなり、是をヤアラキタイチセと称す、ヤア ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、 木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の 皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは 木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け 破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて 重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て 堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる さまは、後の図にミえたり、 ☆ これはビロウのあたりからナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラキタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、キタイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
第7巻, 37ページ, タイトル:
この図もまたビロウの辺よりナシリ嶋に至る まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて ふきたる也、これをトツプラツフキタイチセと称す、 トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、キタイチセは 前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、 これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、 やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て 堅固なりといへとも、力を労する事多きにより て、造れるものまつはまれなりとしるへし、 ☆ この図もまた、ビロウのあたりからナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフキタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。キタイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。 これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
第7巻, 44ページ, タイトル:
ふせく事なり、アツウなといへる物を製して 鼠を捕る事もあり、    アツウの図は、器財の部にミえたり、 しかれともいまた猫をやしなふ事流布なさる ゆへ、心を労するのミにして物をそこなハるゝ事 多しと知へし、此板を床柱の上に置ところの さまは前に出せる蔵の図を合セ見てしるへし、 防ぐのである。アツウ【アッ:akku/弓のついた罠】などを造ってねずみを捕らえることもある。      <註:アツウの図は「器財の部」にある。>    しかしながら、いまだに猫を飼うことが広まっていないので、心労のわりには物の害が多いことを理解してほしい。この板を床柱の上に置いたところのようすは前に図示した蔵の図とあわせ見て理解してほしい。
第8巻, 5ページ, タイトル:
たる也、是を行ふ事、たゝに刑罰の事のミとも きこえす、時によりてハ其者を戒め慎ましめんか ために行ふ事もありとミゆる也、後にしるせる 六種の法を見て知へし、 これを行ふの法、すへて六つあり、其一つは前に いふ如く、悪行をなしたるものを打て其罪を督す也、 二つにハ夷人の法に、喧嘩争闘の事あれハ、負たる 者のかたよりあやまりの証として宝器を出す也、 是をツノイと称す、    此宝器といへるは種類甚多して事長き故に、 こゝにしるさす、委しくハ宝器の部に見へたり、 其ツノイを出すへき時にあたりて、ウカルの法を 行ひ拷掠する事あれハ、宝器を出すに及ハすして 其罪を免す事也、三つには人の変死する事有 とき、其子たる者に行ふ事あり、是ハ非業の死なる ゆへ其家の凶事なりとて、其子を拷掠して恐懽 たものである。これを行なうことはただ刑罰のため だけとも解釈できない。時によってはその者を戒めてつつしませるために行なうこ ともあるらしい。後述する六種の法を見て考えてほしい>  ウカルを行なうしきたりにはみんなで六種類ある。  そのひとつは前述のように、悪いことをしたものを打ってその罪をただすことである。ふたつめはアイヌの人びとのおきてに、けんかや争い事があれば、負けた方からお詫びのしるしとして宝物を差し出すことがある。これをツグノイ【トゥナイ?:tukunay?/償い】という。     <註:この宝物というのは種類がとても多く、説明すると長くなるのでここには述べな い。詳しくは「宝器の部」に記してあるので参照されよ。>  そのツグノイを差し出すに際して、ウカルを行なってむち打たれることがあれば、宝物を差し出す必要はなくして、その罪が許されるのである。みっつめは、人が変死したときにその子に行なうことがある。変死というのは非業の死なので、その家の凶事であるから、その子をむち打って怖れ
第8巻, 6ページ, タイトル:
戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子 たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと 生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し 起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の 死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く 戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、 能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の 病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り 立置て、其所の夷人のうち一人にウカルの法を行ひ て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の 病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠 するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる よふに軽く打事也、此ウカルの外に悪事をなしたる 者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、 二つにはサイモン、三つにはツノイ也、イトラスケといふは、 慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。    よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウカルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。  この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。  ウカルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。  ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツノイである。イトラスケというのは、
第8巻, 7ページ, タイトル:
イトは鼻をいひ、ラスケは截るをいひて、鼻を截るといふ 事也、是ハ不義に女を犯したる者を刑する也、凡夷人の 境風俗純朴なるによりて、盗賊とふの事もすくなく、 其あやまりの証として宝器を出さしめ其罪を償ハする なり、此三種の刑罰其義未詳ならさる事共多き ゆへ、まつ其大略をこゝに附して記せる也、追て糺尋のうへ、 部を分ちて録すへし、 イト【エトゥ:etu/鼻】は鼻をいい、ラスケ【ラ*シケ?:raske/を剃る?】は切るという意味だから、鼻を切るということである。これは不義密通で女性と関係もった男へのしおきである。おしなべて、アイヌの人びとの国ぶりは心が素直で人情が厚いので、盗賊などのことも少なく、まして殺人などはまれなので、刑罰の種類も多くはない。ここでいう鼻を切るなどはもっとも重罪にあたるのである。  サイモニというのは、このことばの解釈はまだよくわからないが、その方法は例えば罪を犯したものがあって、取調べをつくしてもあえてその罪を認めないとき、熱湯を用意してそれに手を入れさせて嘘か誠かただすのである。古い記録に武内宿祢がおこなったとある探湯の法というものであろう。この刑を行なうのは多く女性に対してである。  ツノオイというのは、とりもなおさず、償うという意味で、前述のように、罪を犯したことがあればそのお詫びのしるしとして宝物を差し出させて罪を償わせるのである。この三種類の刑罰については、その意味がまだよくわからないことも多くあるけれども、まず、そのおおよそをここにあわせて記しておく。おって聞きただしたうえで、部を分けて記録することにしよう。

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