蝦夷生計図説

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"キ": 47 件ヒット

第1巻, 14ページ, タイトル:
其外雲あし、雨あしなといへる事も、ミなその 立るかたちをいへる也、かく見る時はアベシヤマウシ は火のそばに立つといふ事に通するなり、この イナヲは夷地のうちシリシナイといふ所の辺 よりヒロウといへる所の辺まてにもちゆる也、 またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「アベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリシナイ(尻岸内)という所からヒロウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。
第1巻, 19ページ, タイトル:
クナシリ島の辺にいたるまてにもちゆる なり、    但し、此イナヲ、まつはビロウの辺よりクナシリ 島の辺まてに限りて多く用ゆれとも、ことに よりては、シリシナイの辺よりビロウまての 地にても用ゆる事のあるさまなり、追て糺尋 の上、たしかに録すへし、 クナシリ島の辺りまでの地域で用いられるものである。 * 但し、このイナヲは、概ねにおいてビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでの地域で多く用いられるものであるが、ことによってはシリシナイの辺りからビロウの辺りまでの地域でも用いられることがあるようである。追って聞き取りのうえ、確実な情報を記したい。
第1巻, 20ページ, タイトル: ケチノイイナヲの図二種
第1巻, 22ページ, タイトル:
これは家中の安穏を祈るに用ゆ、ケとは 物を削る事をいひ、チは助語なり、ノイといふは 物を捻る事をいひて、削り捻るイナヲといふ事也、 此等の語もほゝ 本邦の野鄙なることはに 通するにや、 本邦の詞に物を削る事をカク といふ、カクはケと通すへし、ノイはねへと通して ねちといふの転語なるへし、さらはケノイヽナヲは かきねちるイナヲといふ事と聞ゆるなり、二種のうち 初の図はシリシナイといへる所の辺よりビロウと いへる所の辺迄に用ゆ、後の図はビロウの辺より クナシリ島の辺まてに用ゆる也、其形ちの少しく たかへる事は図を見てしるへし、  これは、家中の安穏を祈るのに用いられる。「ケ」とは物を削ることをいい、「チ」は助詞、「ノイ」は物を捻ることを表わし、合わせて「削り捻るイナヲ」という意味である。これらの語も、ほぼ我が国の田舎の言葉に通じているようだ。我が国の言葉では、物を削ることを「かく」という。「かく」は「ケ」に通じるだろうし、「ノイ」は「ねえ」と通じ、「ねじ」という言葉の転語であろう。そうであるならば、ケチノイイナヲとは、「かきねじるイナヲ」という意味に聞こえるのである。なお、二種の図のうち、最初の図はシリシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。その形状に少々相違がある点は、図によって確認されたい。
第1巻, 23ページ, タイトル: ケハアロセイナヲの図二種 
第1巻, 25ページ, タイトル:
これは何とさたまりたる事なくすへて神明を 祈るに用ゆる也、ケは前にいふと同し事にて 削る事をいひ、ハアロは物の垂れ揺くかたちをいひ、 セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、 此ハウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく 垂れ揺くさまをフアリーーーといふ事有、しかれは ハウロはフアリと通して、ケハウロイナヲといふは 削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、 二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のケ チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ シナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、  これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「ケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハアロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。 この「ハアロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウロ」は「ふあり」と通じて、ケハウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。 なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
第2巻, 9ページ, タイトル:
本邦の人より伝へて作れる夷人ことに多し、    蝦夷のうち、シリシナイなといへる所よりサル なといへる所迄の夷人は、ことーーく作る事也、 これを糧食に供する事も、よのつねの魚鳥の 肉とふに比すへきものにはあらすといひて、其尊ひ 重んする事甚厚し、凡そこれらの事に よらんには、いかんそ蝦夷の地にしては禾穀の 類の生する事なく、蝦夷の人は禾穀の類を 食する事なしとはいふへき、 「本邦の人」から伝えられて作るアイヌの人々が少なくない。 *蝦夷地のうちでも、シリシナイ(尻岸内)という所からサル(沙流)という所までに住むアイヌの人々は、皆作物の栽培を行なっている。 彼らが農作物を糧食に供する場合、主食である魚や鳥の肉等とは比較にならないものだとして、非常に篤く尊び重んじている。こうしたことから考えるに、蝦夷地には禾穀類が生じずアイヌの人々が禾穀類を食することはない、ということは誤りであるといえよう。
第2巻, 11ページ, タイトル:
ラタ子と称する事は、ラタツ子といへるを略せるの 言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ ツ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、 これは此草の形ちによりてかくは称するなり、 是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、 アユシアマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、 ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り て糧食の助けとなす事なり、    但し、極北の地子モロ・クナシリ島とふの夷人作る 事のなきは、アユシアマヽに論したると同しき ゆへとしるへし、 是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すなハち ラタネとは、「ラタツネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。 この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、アユシアママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。 *但し、極北の地であるネモロ・クナシリ島等のアイヌの人々がこれを栽培することがないのは、アユシアママのところで論じたのと同じ理由であろう。 ラタネとは、
第3巻, 5ページ, タイトル:
もある也、    サラニツフといへるは草にて作れる物也、俵に するといへるも多くは夷地のナといへる物を 用ゆる也、二つともに委しくハ器財の部にミへたり、 此中来年の種になすへきをよく貯へ置にハ、 よく熟したる穂をゑらひ、茎をつけて剪り、よく たばねて苞となし、同しく蔵に入れをく也、 是にてまつアユウシアマヽを作り立るの業は 終る也、すへて是迄の事平易にして、格別に 艱難なるさまもなきよふにミゆれとも、ことに 然るにあらす、夷人の境よろつの器具とふも心に まかせすして力を労する事も甚しく、また 場合もある。 * サラニツフというのは、草で作られたものである。俵にこしらえる場合も、多くは蝦夷地のナというものが用いられる.詳しくは本稿「器材の部」に記してある。 このなかから来年の種とするものを良い状態で貯えておくには、よく熟した穂を選び、茎をつけたまま刈り、よく束ねて包みとし、他の穂と同様に蔵に入れておく必用がある。 これでアユウシアママを作りたてる作業は終了である。全般にこれまでの作業は平易であり、格別に困難な様子などないように見えるが、そうではない。アイヌの人々の住む地では、諸種の農器具なども手に入らず、従って労力を費やすことが甚だしい。また、
第4巻, 4ページ, タイトル:
凡夷人の舟は敷をもて其基本とす、しかるか 故に舟を作んとすれは、まつ初めに山中に 入て敷となすへき大木を求むる事也、    夷人の舟は、敷をもて本とする事、後に くハしく見へたり、 其山中に入んとする時にあたりてハ、かならす先つ 山口にて図の如くイナヲをさゝけて山神を祭り、    イナヲといへるは、 本邦にいふ幣帛の類也、 くハしくはイナヲの部にミえたり、 埼嶇□嶢のミちを歴るといへとも、身に 恙なくかつは猛獣の害にあはさる事とふを 祈る也、其祈る詞にムンカモイヒリカノ ☆すべてアイヌの舟は船体が基本である。だから舟を作ろうとすれば、まずはじめにおこなうのは山に入って船体とする大木を探し求めることである。  <註:アイヌの舟は船体が基本であることは、後に詳しく述べられている> ☆そのために山の中に入ろうとするときには、かならず最初に山の入り口で図のようにイナウを捧げて山の神を祭り、 <註:イナウというのはわが国でいうところの御幣のたぐいである。詳しく は「イナヲの部」に述べられている> ☆ 崖や@@の道を歩きまわっても、自分のからだにつつがなく、さらに猛獣に襲われないことを祈るのである。その祈りことばに「ムンカモイヒリカノ
第4巻, 5ページ, タイトル:
イカシコレと唱ふ、ムンは山をいひ、カモイは 神をいひ、ヒリカは善をいひ、ノは助語なり、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く 山神を祭り終りて、それより山中に入る也、 木を尋る時のミに限らす、すへて深山に入んと すれハ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、 こゝに雪中のさまを図したる事ハ、夷人の 境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、 多くは酷寒風雪のうちにありて、その 艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の 雪のさまを図したるはミな是故としるへし、 イカシコレ」と唱える。ムンというのは山をいい、カモイは神をいい、ヒリカは善くをいい、ノは助詞である。 イカシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてアイヌの人びとの習俗なのである。 ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、アイヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。
第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、は為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、はするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 12ページ, タイトル:
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイ ヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、は為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイヤツカイウエンアンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、はするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 19ページ, タイトル:
これは敷の初めて成就したる処也、 これより次第に後の図に出せる板等を あつめて舟の製作にかゝる也、此敷は 夷語にイタシヤチフと称して、丸木舟と 同しさましたれとも、また説ある事なり、 後の川を乗る舟とならへ図して委しく 論したり、合せ見るへし、  これは船体がはじめてできあがったところである。これからだんだんあとのほうの図で示したいたなどを集めて舟の製作に取りかかるのである。船体はアイヌ語でイタシヤチフといって、丸木舟と同じ形をしているけれども、さらに説明することがある。のちに川舟とともに図示して詳しく説明してあるのであわせて見てほしい。 
第4巻, 24ページ, タイトル:
とだては舟の艫なり、図に二種出セる事ハ、 所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、 二種のうち前の図はシリシナイよりヒロウ まての舟にもちゆ、    すへて所により用る物のたかふ事なと、此所 より此所迄とくハしく限りてハいひ難し、 こゝにシリシナイよりヒロウまてといへ るも、シリシナイの辺よりヒロウの辺 まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる 事はミな此類と知へし、 夷語に是をイクムと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし 「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリシナイからヒロウまでの舟で用いている。   <註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと 詳しく限定していうことはできない。ここでシリシナイからヒロ ウまでといっても、それはシリシナイのあたりからヒロウのあた りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ とはすべてこの類と知っておいてほしい。> アイヌ語でこれをイクムという。  このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
第4巻, 25ページ, タイトル:
後の図はヒロウよりクナシリまての舟 に用ゆ、夷語に是をウカと称す、    此語解しかたし、追々考ふへし、 あとの図はヒロウからクナシリまでの舟で用いるもので、アイヌ語でウカという。   このことばの意味もわからない。やはり追って考えることにしよう。
第4巻, 36ページ, タイトル:
夷語に是をウリと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし シリシナイよりヒロウまての舟にハことーーく 此具を用ゆ、これハ北海になるほと風波あら きか故に、舟の堅固ならん事をはかりて なり、シリシナイよりビロウまてハさのミ 北海にあらすして、風波のしのきかたも やすきゆへ、まれには此具を用ゆる舟も あれと、多くは用ひす、 アイヌ語でウリという。    このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。 シリシナイからヒロウまでの舟にはことごとくこの道具を用いている(訳註:ヒロウからクナシリまでの誤記か?)。これは北の海になるほど風波が荒いので舟を丈夫にするための工夫である。シリシナイからヒロウまではそれほど北の海ではなく、風波から守る方法も容易なので、まれにこの道具を用いる舟もあるけれども多くの舟は使用しない。
第4巻, 38ページ, タイトル:
これ舟を造るに板を縫ひあハするの縄なり、 テシカと称するハ、テシは木をとちあはする 事をもいひ、又筵なとをあむことをもいふ、カは糸の 事にて、物をとちあハする糸といふ事也、テシカ に三種あり、一種はニベシといふ、木の皮をはき縄 となして用ゆ、一種は桜の皮をはきて其侭 もちゆ、一種は鯨のひけをはぎて其まゝ 用ゆ、いつれも図を見て知へし、三種の中 鯨のひげをハ多くビロウよりクナシリまての 舟にもちゆ、シリシナイよりビロウ迄の地は 鯨をとる事まれなる故、用るところのテシカ 多くは桜とニベシとの皮を用ゆる也、 これは舟を造るとき、板を縫い合わせる縄である。テシカと称するのは、テシは木を綴じ合わせることもいい、またむしろなどを編むこともいう。カは糸のことで、「物を綴じ合わせる糸」ということである。  テシカに三種類あって、ひとつはニベシという。木の皮を剥いで縄に作って用いる。ひとつは桜の皮を剥いでそのまま使う。いまひとつは鯨の髭を剥いでそのまま用いる。いずれも図で見てほしい。三種類のうち、鯨のひげはビロウからクナシリまでの舟で多く使用される。シリシナイからビロウまでの地方は鯨を捕ることがあまりないので、使用するテシカの多くは桜とニベシの皮である。
第4巻, 45ページ, タイトル:
これ舟の製作全く整ひし所也、二種の うち前の図も、シリシナイよりビロウ迄に 用る舟也、後の図はビロウよりクナシリ まてにもちゆる舟なり、くハしくハ図を 見てかんかふへし、 これは舟の製作が完全に終ったところである。二種類のうち、前の図はシリシナイからビロウまでのあいだで用いられる舟である。のちの図はビロウからクナシリで用いられている舟である。詳しいことは図を見て考えてほしい。
第5巻, 14ページ, タイトル:
夷語に是をカヤと称す、図の如くにナを 用ひて作るなり、    ナは夷地に生る草にて作り、筵の如き もの也、委しくハ器財の部に見えたり 帆をカヤと称する事、其義いまたつま ひらかならす、追て考ふへし、 アイヌ語でこれをカヤと称する。図のようにナをもちいて造るのである。     <註:ナは蝦夷地に生える草で作るむしろのようなものである。詳 しくは『器財の部』(これも欠けている)で説明してある>  帆をカヤと言うことの意味ははっきりとはわからない。追って考えることとしよう。
第5巻, 35ページ, タイトル: イタシヤチプの図 
第5巻, 36ページ, タイトル:
是は前に出せる舟敷の事也、夷語に イタシヤチプと称するは、イタは板をいひ、シヤ は無きをいひ、チプは舟の事にて、板なき 舟といふ事也、もと舩の敷なるをかくいふ ものは、丸木をくりたるまゝにて左右の板を 付す、夷人河を乗るところの舟とことならさる故、 時によりては其まゝにて川を乗る 事も有ゆへにかくはいえるなり、万葉集に 棚なし小舟といへるはこれなるにや、今に 至りて舩工の語に、敷より上に付る板を 棚板といふ、さらは無棚小舟は棚板なき舟と いふの心なるへし、今 本邦の舩の これは前述した船体のことである。アイヌ語でイタシヤチプというのは、イタは板のことをいい、シヤは無いということ、チプは舟のことであって、「板の無い舟」ということである。もともと船体であるものをこのようにいうのは、丸木を刳りぬいたままで左右の板をつけず、アイヌの人びとが川で用いるところの舟と変らないし、場合によっては、そのままで川で乗ることもあるのでこのようにいうのである。 万葉集に「棚なし小舟」というのはこれではなかろうか。現在の船大工のことばに、船体より上につける板を棚板という。それならば「無棚小舟」は「棚板なき舟」といういみであろう。今、日本の船の
第5巻, 37ページ, タイトル:
製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より にか有けん、カシヲモなといふ事の 舩工ともの製作に初りしより、    カシといへるもヲモといへるも、少し つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、 格別にたかふところは非す、いつれも敷を 厚き板にて作り、それに左右の板を釘 にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ ヤチプの如くになし、それより上に左右の 板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、 今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、 其製の堅固なるを利として専らそれのミを 製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。 カシ、ヲモなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、    <註:カシというものも、ヲモというものも、少しずつその製法に 変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で 作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ シヤチプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付 けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。 今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。> その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
第5巻, 38ページ, タイトル:
用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、 今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を 伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤ チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの 転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也 、 其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地 にしては舟の事をチプといふ事よのつねな れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の 実称にして、チブといへるは略していふの詞なる よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る 用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。 船体に左右の板をつけ、アイヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のアイヌのいい伝えることである。モウは乗る
第5巻, 42ページ, タイトル:
これ俗にいふ丸木舟の事也、製作すること イタシヤチプとことなる事なし、形ちの小し くたかひたるハ、図を見て考ふへし、二種の中、 前の図は流の緩き川ならひに沼とふを乗る 舟なり、後の図は急流の川をのり、または 川に格別の高底ありて水の落す事飛泉の 如くなるところをさかさのほる事とふある時、 水の入らさるかために、舟の舳に板をとち付たるさまなり、 これは俗にいふ丸木舟のことである。製作する方法はイタシヤチプとことなることはない。形が少しく違っていることは、図を見て考えてほしい。二種類の中、前の図は流が緩い川ならひに沼などで乗る舟である。後の図は急流の川で乗ったり、または川にとくに高低があって、水が落ること飛泉のようなところをさかのぼることなどがある時、舟に水が入らないようにするために、舳に板を綴じつけたところである。
第6巻, 9ページ, タイトル:
アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の 皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツ シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに 堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、 こゝに図したるところは、すはハちヲヒクの皮にして、 山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を アツカフと称する事は、すへてアツトシに織る木の 皮をさしてアツといひ、カプはたゝの木の皮の事 にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は 海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山 中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも 平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、 幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
第6巻, 12ページ, タイトル:
此図は剥来りしヲビウの皮を糸になさんとして、先温泉に ひたしやはらかになすさま也、図のことく温泉の所に持行て、 浅瀬に皮を□し、うへに木をのせ流れさるよふになし、日数 四五日程もつけ置、其皮のよくやハらかになるを待て温泉より 出し、湯のあかをとくと洗ひ落して日に□し、是をアツヲン といふ、アツはアツトシを織る木の皮をいひ、ヲンはやハらかになる事 をいひて、アツやハらかに成といふ事也、かくのことく温泉にひたし 日にさらして糸にさく計になしたるを、いつれの夷人も力の及ふ 限りハ貯へ置事、糧食の備をなし置と異なる事あらす、其皮を やハらかになさんとするに、もし温泉なき地にてハ、止事を得すし て常の池沼とふに□す事あれとも、皮のやハらきあしきゆへ 多くは是をなさす、遠方の地といへとも必す温泉の有 所に持行てひたす也、其辛苦せる事思ひはかるへし、すへて 皮を剥あつむるよりこれまてのわさハ夷人男女のわかち なく、ともーーに為すといへとも、糸につくるより後の事ハ 女子の業にかきる事なり、
第6巻, 15ページ, タイトル: カタの図
この図は前にしるせし如く、岐頭の木に巻たる糸を 玉に作りしさまなり、    本邦の語に、糸を図の如く丸く作りたるを玉といへり、 これをカタと称す、カタはカタマといへるを略 するの言葉にして、カは糸をいひ、タマは玉をいひ、 は造る事をいひ、糸を玉につくるといふ事也、是にて まつ糸を製するの業は終れりとす、これよりこの 糸をもて、はたに綜る事、下の図の如し、
第6巻, 20ページ, タイトル:
是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し たるなり、アツトシカルといへるは、アツトシはすなハち 製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、 アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイとも いへり、シタイといふは、なを 本邦の語にうつと いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、    本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、 其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委 しく録し置り、合せ見るへし、
第7巻, 5ページ, タイトル:
家を焚焼せる事ハ甚意味のある事にて、委し くハ葬送の部にミえたり、 居家の製、其かたちのかハりたる事、東地にしてハ南方 シリシナイの辺より極北クナシリ島に至るまての間、凡 三種あり、其うちすこしつゝハ大小広狭のたかひあれとも、 先つは右三種のかたちをはなれさる也、三種のかたちハ後の 居家全備の図に其地形をあハせて委しく録せり、    但し、居家のかたちハ三種の外に出すといへとも、其製作の 始末は所によりて同しからぬ事も有也、此書に図したる ところはシリシナイの辺よりシラヲイ辺まての製作 の始末なり、シラヲイ辺よりクナシリ島に至るまての 製作は、また少しくたかひたるところ有といへとも、図に わかちてあらハすへき程の事にあらさるゆへ、略して録せす、 たゝ屋を葺にいたりては茅を用るあり、草を用るあり、 あるハ竹の葉を用ひ、あるハ木の皮を用るとふのたかひ有て、 其製一ならす、いつれも後に出せる図を見てしるへし、 家を燃やすことはとりわけ意味があること で、そのことは「葬送の部」に詳述してある。> ☆家の造りかた、そのかたちが変化すること、東蝦夷地にあっては南はシリシナイのあたりから、最も北はクナシリ島に至るまでの間に、おおよそ三種類ある。そのうち、少しづつは大小や広い狭いの違いはあっても、まず大体は右にいう三種類の形から離れることはない。三種のかたちについては後に出す「居家全備の図」に敷地の形をあわせてくわしく記録してある。   <註:ただし、家のかたちは三種類のほかに出しているけれども、その造りかたの始末は場 所によっては同じではないこともある。この本で図示したものはシリシナイのあた りからシラヲイあたりまでの製作技法の始末である。シラヲイあたりからクナシリ島 に至るまでの技法は、またちょっと違っているところがあるけれども、図をそれぞれ 区別して示すほどのことでもないので略して記さない。> ただ、屋根を葺く技法は、茅を使う場合があり、草を使う場合があり、あるいは竹の葉を使い、あるいは木の皮をつかうなどの違いがあって、その製作技法は同一ではない。そのいずれも後出の図をみて理解してほしい。
第7巻, 14ページ, タイトル:
さすといへるは、もと 本邦の言葉にして、 茅葺の屋を造る時図の如く左右より木を合せ たるものをいふ也、是を夷人の語に何といひしにや 尋る事をわすれたる故、追て糺尋すへし、    本邦に用るところとハ少しくたかひたるゆへに図し たる也、此外屋に用る諸木のうち、棟木は造れる さま常の柱とたかふ事あらす、是を夷語にタイ ヲマニといふ、タイは上をいひ、ヲマは入る事をいひ、ニは 木をいひて、上に入る木といふ事なり、梁は前に図し たる桁と同しさまに造りて用ゆ、是を夷語に イテメニといふ、其義解しかたし、追て考へし、又   本邦の茅屋にながわ竹を用る如くにつかふ物をリカ ニといふ、是は細き木の枝をきりてゆかミくるいとふ有 ところは削りなをして用る也、此三種のもの大小のたかひ あるのミにて、いつれも常の柱とことなる事ハなきゆへ、 別に図をあらハすに及はす、 ☆ 「さす」というのはもともとわが国のことばで、茅葺きの家を造るとき、図のように左右から木を合わせたものをいうのである。これをアイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。 (さすは)わが国で用いているものとはすこし違っているので図示したのである。このほか、家で使う種々の木のうち、棟木を造るようすは通常の柱と違うことはない。これをアイヌ語でタイヲマニという。タイ【タイ:kitay/てっぺん、屋根】は上ということ、ヲマ【オマ:oma/にある、に入っている】は入ることをいい、ニ【ニ:ni/木】は木をいうから上に入る木ということである。 梁は前に図示した桁と同じように造って使う。これをアイヌ語でイテメニ【イテメニ:itemeni/梁】という。その意味は解釈できない。改めて考えてみたい。 また、わが国の萱葺きの家でながわ竹?を用いるように使うものをリカニという。これは細い木の枝を切って、ゆがみや狂いなどがあるときは削りなおして使うのである。これらの三種類のものは、大小の違いあるのみで、どれも通常の柱と違いはないので、格別、図示することはしない。
第7巻, 15ページ, タイトル: ハルケの図 
ハルケは縄をいふ也、此語の解いまた詳ならす、追て かんかふへし、凡夷人の縄として用るもの三種有、 其一は菅に似たる草をかりて、とくと日にほし、 それを縄になひて用ゆ、この草は松前の方言に ヤラメといふものなり、    此草の名夷語に何といひしにや尋る事をわすれ たるゆへ、追て糺尋すへし、夷人の用る筵よふのものにて ナと称するものもミな此草を編て作れる也、夷地の ☆ ハルケ【ハ*ラカ:harkika/縄】は縄のことをいうのである。このことばの解釈はまだよくわからないので、改めて考えることにしたい。総じて、アイヌの人びとが縄として使うものには三種類がある。そのひとつは、 菅に似た草を刈って、よく日に干してそれを縄に綯って使う。この草は松前の方言でヤラメというものである。   <註:この草の名をアイヌ語でなんというのか聞くことを忘れたので、改めて聞きただす ことにしたい。アイヌの人びとが用いる筵のようなもので、ナ【ナ:kina/ござ】というものもすべ てこの草を編んで作るのである。蝦夷地の
第7巻, 21ページ, タイトル: リタフニの図
第7巻, 22ページ, タイトル:
タフニと称する事は、リタは天上といはんか 如し、フニは持掲る事をいひて、天上に持掲ると いふ事なり、是は前にいふか如く、柱を立ならふる 事終りてより、数十の夷人をやとひあつめてくミたてたる 屋を柱の上に荷ひあくるさま也、屋を荷ひあくる事終れハ、それより柱の根を はしめ、すへてゆるきうこきとふなきよふによ くーーかたむる事なり、 ☆リタフニということ、リタ【リ*ク タ:rik ta/高い所 に】は天上という意味であり、フニ【プニ:puni/を持ち上げる】は持ち上げることをいって、天上に持ち上げるということである。これは前にいったように、柱を立て並べることがおわってから、数十のひとを雇い集めて、組み立てておいた屋根を柱の上にかつぎ上げるさまである。屋根をかつぎ上げることが終ったら、それから柱の根をはじめ、みんな揺るぎ動くことがないようによくよく固めるのである。
第7巻, 23ページ, タイトル: タイマコツプの図 
第7巻, 24ページ, タイトル:
是は家のくミたてとゝのひてより、屋をふくさま也、 タイマコツプといへるは、タイは屋をいひ、マコツプは葺 事をいひて、屋をふくといふ事也、屋をふかんとすれは、蘆 簾あるは網の破れ損したるなとを屋をくミたてたる 木の上に敷て、其上に前に録したる葺草の中いつれ なりともあつくかさねてふく也、こゝに図したるところハ 茅を用ひてふくさま也、この蘆簾あるハ網とふのものを 下に敷事ハ、くミたてたる木の間より茅のこほれ落るを ふせくため也、家によりては右の物を用ひす、木の上を すくに茅にてふく事もあれとも、多くは右のものを 下に敷事なり、    ここにいふ蘆簾は夷人の製するところのものなり、 網といへるも同しく夷人の製するところのものにて、 木の皮にてなひたる縄にてつくりたるものなり、 すへて夷人の境、障壁とふの事なけれハ、屋のミにかき らす、家の四方といへとも同しくその屋をふくところの ☆これは家の組み立てができてから屋根を葺くようすである。タイマコツプというのは、タイ【タイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、マコツプ【アク*プ?:akup?/葺く】は葺くことをいうので、屋根を葺くということである。屋根を葺こうとするには、芦簾あるいは網の破れ損じたものなどを屋根を組み立てる木の上に敷いて、その上に前述の葺き草のうち、どれでも厚く重ねて葺くのである。ここに図示したのは茅を用いて葺いているようすである。  この芦簾あるいは網などのものを下に敷くことは、組み立てた木の間より茅が零れ落ちるのを防ぐためである。家によってはそれらを使わず、木の上に直に茅で葺くこともあるけれども多くは右にあげたものを下に敷くのである。    <註:ここでいう芦簾アイヌの人びとが造ったものである。網も同じくアイヌ製のもので 木の皮を綯って造ったものである。> 総じてアイヌの人びとの国には障子や壁などというものがないので、屋根ばかりではなく、家の四周さえも同様にその屋根を葺く茅で囲うの
第7巻, 25ページ, タイトル:
茅をもてかこふ事なり、其かこひをなすに二種の ことなるあり、シリシナイの辺よりビロウの辺ま てのかこひは、 本邦の藩籬なとのことくに ゆひまハして、家の四方を囲ふなり、ビロウの辺より クナシリ嶋まてのかこひは、屋を葺てより其まゝ 家の四方にふきおろして囲ふ也、委しくハ後の 全備の図を見てしるへし、其茅をふく次第は、家の くミたてとゝのひてより、まつ初に四方の囲ひをなし、 それより屋をふく事也、    凡屋をふくにつきてハ、其わさことに多して、 此図一つにして尽し得へきにあらす、別に器 財の部のうち葺屋の具をわかちて録し 置り、合セ見るへし、 右の如く屋を葺事終りて、其家の右の方に 小きさげ屋を作りて是をチセセムといふ、チセは家 をいひ、セムはさげ屋といふ事なり、 である。その囲いをするのには二種類の方法のちがいがあって、シリシナイあたりよりビロウあたりまでの囲いは、わが国の垣根などのように茅を結いまわして家の四方を囲うのである。また、ビロウのあたりよりクナシリ嶋までの囲いは屋根を葺いてから、そのまま家の四方に葺き下ろして囲うのである。詳しいことは後に示した全備の図をみて理解してほしい。  その茅の葺き方の順序は、家の組み立てがおわってから、まず四方の囲いを造り、それから屋根を葺くのである。    <註:大体において、屋根を葺くための技術はとりわけ多く、この図ひとつでいいつくす ことはできない。別に「器財の部」の中に屋根葺きの道具を分けて記録しておいた ので合わせてみてほしい。>  以上のように屋根を葺き終ると、その家の右のほうに小さな「さげ屋」を造って、これをチセセムという。セム【セ*ム:sem/物置】はさげ屋ということである。
第7巻, 27ページ, タイトル: タイチセの図
第7巻, 29ページ, タイトル:
此図はシリシナイの辺よりシラヲイの辺に 至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を もて葺さる也、是をタイチセと称す、は 茅をいひ、タイは屋をいひ、チセは家をいひて、茅の 屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら 茅と草との二種にかきりて用るなり、チセコツと いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、チセは家を いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、 総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす からんかためなり、後に図したる二種はミな此故と しるへし、 ☆ この図はシリシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをタイチセという。:ki/カヤ】は茅をいい、タイ【タイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。    チセコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。チセは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はミナこの理由によるのである。
第7巻, 30ページ, タイトル: シヤリタイチセの図
第7巻, 32ページ, タイトル:
此図はシラヲイの辺よりヒロウの辺にいたる まての居家全備のさまにして、屋は蘆をもて 葺たるなり、是をシヤリタイチセと称す、シヤリ は蘆をいひ、タイは屋をいひ、チセは家を いひて、蘆の屋の家といふ事なり、此辺の居家 にては多く屋をふくに蘆のミをもちゆ、下品 の家にてはまれに茅と草とを用る事もある なり、 右二種の製は四方のかこひを藩籬の如くになし たるなり、 ☆この図はシラヲイのあたりからヒロウのあたりまでの家の完備したようすで、屋根は芦で葺いている。これをシヤリタイチセという。シヤリ【サ*ラ:sarki/アシ、ヨシ】は芦のこと、タイ【タイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから、芦の屋根の家ということである。このあたりの家の多くは屋根を葺くのに芦だけを使う。下品の家ではまれに茅と草とを用いることもある。 右に図示した二種の造りは四方の囲いを垣根のようにしてある。
第7巻, 33ページ, タイトル: ヤアラタイチセの図
第7巻, 35ページ, タイトル:
是はビロウの辺よりクナシリ島にいたるまての 居家全備のさまにして、屋は木の皮をもて 葺たるなり、是をヤアラタイチセと称す、ヤア ラは木の皮をいひ、はタイチセは前と同しことにて、 木の皮の屋の家といふ事なり、たゝしこの木の 皮にてふきたる屋は、日数六七十日をもふれは 木の皮乾きてうるをひの去るにしたかひ裂け 破るゝ事あり、其時はその上に草茅とふをもて 重ね葺事也、かくの如くなす時は、この製至て 堅固なりとす、しかれとも力を労する事ことに深き ゆへ、まつはたゝ草と茅とのミを用ひふく事多し と知へし、木の皮の上を草茅とふにてふきたる さまは、後の図にミえたり、 ☆ これはビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすである。屋根は木の皮で葺いている。これをヤアラタイチセという。ヤアラ【ヤ*ラ:yar/樹皮】は木の皮をいい、タイチセは前とおなじことで、木の皮の屋根の家ということである。ただし、この木の皮で葺いた屋根は日数六、七十日もたてば、木の皮が乾いて潤いがなくなるにしたがって、裂けて破れることがある。そのときは上に草や茅などでもって重ねて葺くのである。このようにしたときは、造りはいたって丈夫であるという。しかしながら、この作業は労力がたいへんなので、一応は草と茅だけを使って葺くことが多いと理解しておいてほしい。木の皮の上に草や茅などでふいているさまは後に図示してある。
第7巻, 36ページ, タイトル: トツプラツプタイチセの図
第7巻, 37ページ, タイトル:
この図もまたビロウの辺よりクナシリ嶋に至る まての居家全備のさまにして、屋を竹の葉にて ふきたる也、これをトツプラツフタイチセと称す、 トツプは竹をいひ、ラツプは葉をいひ、タイチセは 前と同し事にて、竹の葉の屋の家といふ事也、 これ又木の皮と同し事にて、葺てより日かすを ふれは竹の葉ミな枯れしほミて雨露を漏すゆへ、 やかて其上を草と茅にてふく也、この製又至て 堅固なりといへとも、力を労する事多きにより て、造れるものまつはまれなりとしるへし、 ☆ この図もまた、ビロウのあたりからクナシリ島にいたる家屋完備のようすであって、屋根を竹の葉で葺いている。これをトツプラツフタイチせという。トツプ【ト*プ:top/竹、笹】はたけをいい、ラツプ【ラ*プ:rap/竹などの葉】は葉をいう。タイチセは前とおなじだから、竹の葉の屋根の家ということである。 これまた、木の皮とおなじで葺いてから日数がたてば、竹の葉はみんな枯れしぼんで雨露を漏らすようになるので、やがてその上を草と茅とで葺くのである。この造りはまたとても丈夫なのだけれども労力がたいへんなので、これを造っているものはまず少ないと理解してほしい。
第7巻, 43ページ, タイトル: エリモシヨアルイタの図 
エリモシヨアルイタといふは、エリモは鼠を いひ、シヨアルは来らすといはんか如し、 イタは板の事にて、鼠の来らさる板といふ事なり、 是は前に図したる如く、蔵の床を高くなし て鼠をふせくといへとも、なを柱をつたひ上らん事を はかりて、床柱の上に図の如くなる板を置、のほる 事のならさるよふになす也、すへて夷人の境、鼠 多して物をそこなふゆへ、さまーーに心を用ひて ☆ エリモシヨアルイタというのは、エリモ【エ*レム、エル*ム:ermu, erum/ネズミ】はねずみをいい、シヨアル【ソモ ア*ラ:somo arki/ない 来る→来ない】は来ないというような意味、イタ【イタ:ita/板】は板のことで、ねずみが来ない板という意味である。 これは前に図示したように蔵の床が高くなっていてそれでねずみを防ぐのではあるけれども、さらに柱を伝いあがってくるかもしれないことを考えて、床柱の上に図のような板をおいて、登ることがないようにするのである。総じて、アイヌの人びとの国はねずみが多くて物が被害にあうのでさまざまに用心して
第8巻, 9ページ, タイトル:
是はウカルを行ふの時、拷掠するに用る杖なり、 シユトと称する事はシモトの転語なるへし、    本邦の語に□笞をしもとゝ訓したり、 これを製するには、いつれの木にても質の堅固 なる木をもて製するなり、其形ちさまーー変り たるありて、名も又同しからす、後に出せる図を 見てしるへし、此に図したるをルヲイシユト と称す、ルとは樋をいひ、ヲイは在るをいひて、 樋の在るシユトといふ事也、後に図したる如く 種類多しといへとも、常にはこのルヲイシユト のミを用ゆる事多し、夷人の俗、此具をことの 外に尊ひて、男の夷人はいつれ壱人に壱本 つゝを貯蔵する事也、人によりてハ壱人にて 三、四本を蔵するもあり、女の夷人なとには 聊にても手をふるゝ事を許さす、かしらの ところにハルケイナヲを巻て枕の上に懸置也、 ☆ これはウカルをおこなうとき、むち打つのに用いる杖である。シユトという語はシモトの転語であろう。    <註:わが国のことばで楉笞を「しもと」と訓じている>  これを作るには、どんな木でも木質の堅い木を用いる。そのかたち、いろいろ変ったものがあって、名称も同じではない。あとに出した図を見て理解してほしい。  ここに図示したものをルヲイシユト【ruosutuあるいはruunsutu→ruuysutuか?】という。ル【ル:ru/筋】は樋をいい、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、樋の在るシユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】ということである。後に図示したように種類は多くあるが、通常はこのルヲイシユトのみを使うことが多い。  アイヌの人びとのならいでは、この道具をことのほか尊んで、男はみなひとり一本づつもっているのである。ひとによっては、ひとりで三、四本をもっているものもあるが、女などにはわずかでも手を触れることを許さない。その頭のところにはハルケイナヲ【ハ*ラ● イナウ:harki inaw/●】を巻いて、枕の上に掛けておくのである。

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