蝦夷生計図説

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"カ": 81 件ヒット

第1巻, 6ページ, タイトル:
イナヲは 本邦にいふ幣帛の類なるにや、 都て蝦夷の俗は質素純朴なるによりて、天地の 事より初め神道を尊ひおそるゝ事、其国第一の 戒めたり、然るゆへに何事を為すにつきても、まつ 神明を尊ひ祭る事をつとめとして、是をモイ ノミと称す、  モイは神をいひ、ノミは祈る事をいひて、 神を祈るといふ事也、日本紀に神祈とかきて ミイノミと訓したると同し事なるにや、 委しくはモイノミの部に見ゑたり、モイノミの部未成 其モイノミを行ふには、かならす此イナヲを用る 事故、神明を祭るにさしつひて大切なる物と イナヲとは、わが国でいう幣帛の一種のことと考えられる。「蝦夷」の風俗は、概ねにおいて質素純朴である。彼らの国の開闢以来一番の戒めとして、神道を尊び畏怖することを挙げているほどだ。従って、何事をするにつけても、まず神明を尊び祭ることを旨としており、それをモイノミと称している。 *モイは神を意味し、ノミは祈るという意味であり、神を祈るという意味である。『日本紀』(『日本書紀』)に「神祈」とかいて「ミイノミ」と訓ませている事例と同じことであろうか。詳しくは本書「モイノミの部」を参照されたい。<割注:モイノミの部未成>  モイノミを行なうには、必ずこの図にあるようなイナヲを用いることになっている。それゆえ彼らにとってイナヲは、神明を祭るにあたって重要なものと
第1巻, 7ページ, タイトル:
する事也、是を製せんとすれは、潔斎ともいゝつ へきさまに、まつ其身を慎ミいさきよくす る事をなして、それより図の如くに製する也、    潔斎ともいふへき事は夷語にイコイコイと いひて、身を慎ミいさきよくする事のある也、委し くはモイノミの部にミえたり、 是を製するに、小刀よふの器も、よのつねのは 用ひす、別にイナヲを製するためにたくハへ置 たるを取りいてゝ用ゆ、イナヲに為すへき木ハ何の 木とさたまりたるにもあらねと、いつれ質の白く して潔き木にあらされハ用ひす、其の削り出し たる木のくすといへとも妄にとりすつる事は 位置づけられている。 イナヲを作製するにあたっては、まるで潔斎でもするかのような様子で、その身を慎み清める行ないをしたうえで、図のような作業にかかるのである。  *潔斎でもするかのような行為のことについてであるが、彼らの言葉でイコイコイという、身を慎み清める行ないがある。イコイコイについての詳細は、本稿「モイノミの部」を参照されたい。  イナヲを作製するにあたっては、日常用いている小刀は使用されない。特別にイナヲ作成用としてしまってあるものを取り出して用いるのである。イナヲとなる樹木の種類についてであるが、定まった決まりがあるわけではない。ただし、どんな種類であっても材質が白く清潔な木でなければ用いられることはない。こうした木からイナヲを作製する過程で生じた削りくずといえども、妄りに捨ててしまうことは
第1巻, 8ページ, タイトル:
あらす、 ことーーく家のかたハらのヌシヤサンにおさめ 置事也、    ヌシヤサンの事、モイノミの部にミえたり、 其製するところの形ちは、神を祭るの法にした かひて、ことーーくたかひあり、後の図を見て知へし、 凡て是をイナヲと称し、亦ヌシヤとも称す、此二つの語 未さたかならすといへとも、イナヲはイナボの転語 なるへし、 本邦関東の農家にて正月十五日に 質白なる木をもて稲穂の形ちに作り糞壤にたてゝ    俗にいふこひつかの事也、 五穀の豊穣を祈り、是をイナボと称す、此事いか ない。 それらは一つ残らず家の傍らにあるヌシヤサンに納め置かれるのである。 *ヌシヤサンのことについてであるが、本稿「モイノミの部」を参照されたい。 作製されたイナヲの形状についてであるが、神を祭るに際しての法に従って、ひとつひとつに相違がある。後掲の図を参照されたい。 これらを総称してイナヲまたはヌシヤという。この二つの語源は未詳であるが、うちイナヲはイナボ(稲穂)の転訛と考えられよう。我が国の関東農村において、正月一五日に材質の白い樹木を用いて稲穂の形にこしらえたものを糞壌に立てて *俗にいう「こひつか」(肥塚)のことである。 五穀豊穣を祈る儀礼があるが、その木製祭具を「イナボ」と称している。 この儀礼は、
第1巻, 22ページ, タイトル:
これは家中の安穏を祈るに用ゆ、キケとは 物を削る事をいひ、チは助語なり、ノイといふは 物を捻る事をいひて、削り捻るイナヲといふ事也、 此等の語もほゝ 本邦の野鄙なることはに 通するにや、 本邦の詞に物を削る事をク といふ、クはキケと通すへし、ノイはねへと通して ねちといふの転語なるへし、さらはキケノイヽナヲは かきねちるイナヲといふ事と聞ゆるなり、二種のうち 初の図はシリキシナイといへる所の辺よりビロウと いへる所の辺迄に用ゆ、後の図はビロウの辺より クナシリ島の辺まてに用ゆる也、其形ちの少しく たかへる事は図を見てしるへし、  これは、家中の安穏を祈るのに用いられる。「キケ」とは物を削ることをいい、「チ」は助詞、「ノイ」は物を捻ることを表わし、合わせて「削り捻るイナヲ」という意味である。これらの語も、ほぼ我が国の田舎の言葉に通じているようだ。我が国の言葉では、物を削ることを「かく」という。「かく」は「キケ」に通じるだろうし、「ノイ」は「ねえ」と通じ、「ねじ」という言葉の転語であろう。そうであるならば、キケチノイイナヲとは、「かきねじるイナヲ」という意味に聞こえるのである。なお、二種の図のうち、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。その形状に少々相違がある点は、図によって確認されたい。
第1巻, 27ページ, タイトル:
ハルケとは縄の事をいひて、縄のイナヲといふ事 なり、又一つにはトシイナヲともいふ、トシは舩中に 用ゆる綱の事をいひて、綱のイナヲといふ事 なり、是はこのイナヲの形ち縄の如く、又綱の如く によれたるゆへに、かくは称する也、此イナヲはすへて モイノミを行ふの時、其家の四方の囲ひより初め 梁柱とふに至るまて、 本邦の民家にて 正月注連を張りたる如く奉けかさる也、按るに、  本邦辺鄙の俗、注連にはさむ紙をかきたれと 称し、又人家の門戸に正月あるひは神を祭る 事ある時は、枝のまゝなる竹を杭と同しく立て、 注連を張り、其竹につけたる紙をも又かきたれと  「ハルケ」とは縄のことを表わし、「縄のイナヲ」という意味である。また、別にトシイナヲともいう。「トシ」とは船で用いる綱のことをいい、「綱のイナヲ」という意味である。これは、このイナヲの形状が縄のように、あるいは綱のように撚れているために、こう称されるのである。このイナヲは、モイノミを行なうときに、家の四方の囲いからはじめ、梁柱などに至るまでの隅々を、我が国の民家において正月に注連縄を張るように奉げ飾るのに用いられるのである。按ずるに、我が国の辺鄙の地における風俗に、注連縄に挟む紙を「かきたれ」と称し、また人家の門戸に正月あるいは神事がある時に枝のままの竹を杭のように立て注連縄を張るのであるが、その竹につけた紙のことも「かきたれ」と
第1巻, 30ページ, タイトル:
シユトといへるは、もと杖の名にして、ウルを行ふ 時にもちゆる物也、    ウルといふは、夷人の俗罪を犯したる者あれハ、 それをむちうつ事のある也、シユトは其むち うつ杖の事をいふ、委しくは、ウルの部にミえたり、 此イナヲを製するには、まつ木をシユトの形ちの 如くにして、それより次第に削り立る事をなすに よりて、かくは名つけし也、 本邦の語に 罪人をうつ杖の事をしもとゝいふ、さらはシユトは しもとの転語にして、これ又 本邦の語に 通するにや、このイナヲはいつれの神を祈るにも 通し用ゆる事也、 「シユト」とは、もと杖の意味であり、ウル( )を行なう時に用いられる。 * ウルといって、アイヌの人々のなかで俗罪を犯した者がいた場合、その者を鞭打つことがある。シユトは、その際に用いられる杖のことをいう。詳しくは、本稿「ウルの部」に記してある。このイナヲを作製するときに、まず木をシユトの形のように加工してから順次削っていくことにより、こう名づけられたのである。わが国の言葉で罪人を打つ杖のことを「しもと」という。つまり、「シユト」は「しもと」の転語であり、これまたわが国の言葉と通じていることになろう。なお、このイナヲはどの神を祈るにも共通して用いられるものである。
第1巻, 33ページ, タイトル: チツフイナヲの図
第1巻, 34ページ, タイトル:
ツフとは鳥の事をいふ也、是は養ひ置し 鳥を殺す時は、此イナヲを用ひて、其殺せし鳥の 霊を祭る也、これによりて鳥のイナヲといふ心 にてかく名つけし也、    およそ夷人の俗、熊・狐の類、其外諸鳥をかひ 置て、是を殺す事あるときは、其霊を祭る事 甚た厚く、意味も又ことに深し、別に部類を 分ちてほゝしるしたりといへとも、いまた詳ならさる 事とも多し、追て糺尋の上録すへし、  チツフとは鳥のことを意味する。飼育していた鳥を殺すときに、このイナヲを用いて、その殺した鳥の霊を祭るのである。こうした用途のため、「鳥のイナヲ」という意味で、こう名づけられている。 * 一般的にアイヌの人々の間には、熊や狐の類、そのほか様々な鳥を飼育しておく慣習がある。そして、これらを殺すに際しては、その霊を大変篤く祭ることをなし、又その祭りにこめられる意義にも非常に深いものがある。これについては別に章を改めてその大略を記してあるが、依然として詳らかにされていない事柄が少なくない。追って聞き取りの上、記すことを期したい。
第1巻, 37ページ, タイトル:
ハシとは木の小枝の事をいふ、すなハち  本邦にいふ柴の類にて、柴のイナヲといふ事也、 是は漁獵をせんとするとき、まつ海岸にて水伯 を祭る事あり、其時此イナヲを柴の□籬の如く ゆひ立て奉くる事なり、其外コタンコルまたはヌシヤ サンなとにも奉け用る事もあり、    コタンコル、ヌシヤサンの事は、モイノミの部に ミえたり、 右に録せし外、イナヲの類あまたありといへとも、 其用るところの義、未詳ならさる事多きか故に、 今暫く欠て録せす、後来糺尋の上、其義の 詳なるをまちて録すへし、  「ハシ」とは木の小枝のことである。即ち、わが国でいう柴の類であり、「柴のイナヲ」という意味である。漁猟をしようとするときには、まず海岸で水伯を祭ることをなす。その時に、このイナウを柴の□籬のように結い立てて奉げるのである。その他、コタンコルまたはヌシヤサンなどにも奉げ用いることもある。 * コタンコルやヌシヤサンのことについては、本稿「モイノミの部」に記してある。 右に記した他にも、イナヲの類は沢山あるが、その用途の意義がいまだに詳らかではないものが多いので、とりあえず今は記さずにおくこととしたい。後日聞き取りの上、その意義が詳らかになるのを待って、記すことを期するものである。
第2巻, 6ページ, タイトル:
食するに至るまてのわさことに心を用るなり、 其次第は後の図に委しく見へたり、是より 出たる糠といへともミたりにする事あらす、 其捨る所を家の側らに定め置き、ムルクタウシ モイと称して、神明の在るところとなし、尊ミ おく事也、これまた後の図にミえたり、此稗を 奥羽の両国及ひ松前の地にてはまれに作れ る者ありて、蝦夷稗と称す、外の穀類には 似す、地の肥瘠にかゝはらすしてよく生熟し、 荒凶の事なしといへり、其蝦夷稗と称する 事ハ 本邦の地には無き物にして、蝦夷 の地より伝へ来りたるによりてかく称すると 食するまでの作法には、ことさら心を用いるのである。その作法の次第は、後掲の図に詳しい。彼らはそこから出る糠といえども粗末にすることはない。 棄てる場所を家の傍らに定めておき、ムルクタウシモイと称し、神明のいますところとみなして、尊ぶのである。この様子も、後に掲げる図に見えるので参照されたい。 この稗についてであるが、奥羽の両国ならびに松前の地では稀に栽培する者がいて、「蝦夷稗」と称されて
第2巻, 14ページ, タイトル: ムンルの図
第2巻, 15ページ, タイトル:
右二種のものを作る事をすへて称してトイタ といふ、トイは土をいひ、タは掘る事をいひて、土を 掘るといふ事也、又一にはトイルともいふ、トイは 上に同しく、ルは造る事をいひて、土を造ると いふ事也、二つともに 本邦の語にしてはなを 耕作なといはんか如く、また場圃なといはん ことし、    耕作と場圃とは殊にかハりたる事なるを、かく いへるものは、すへて夷人の境、太古のさまにして 言語のかすも多からす、為すへき業も又少なし、 しかるゆへに此二種の物を作るか如き、其作り立る の事業をもすへて称してトイタといひ、その 右に掲げた二種の作物を作ることをトイタと総称する。「トイ」は土のことを、「タ」は掘ることを表わし、あわせて「土を掘る」という意味である。また別にトイルともいう。「トイ」は土のことを、「ル」は造ることを表わし、あわせて「土を造る」という意味である。二つの語はともに、我が国の言葉で言えば、耕作といったり場圃といったりしている語を指しているようだ。 * 耕作と場圃という、異なった意味を持つ概念であるものを同じ語で表わしているのは、アイヌの人々の生活境遇が太古の状態にあるため、言葉の数が多くはなく、行なわれる生業活動もまた少なかったためである。 従って、この二種の作物を作るに際して、栽培作業の総称としてトイタの語を用い、
第2巻, 17ページ, タイトル:
かろーーしき事をハせす、さらハ此等の事にも 別に意味のありてかくはなせるにや、其義 未詳ならす、追て糺尋の上録すへし、 是に図したるところは、トイタとなすへき ためにまつ初めに其地の草をかるさま也、ムンル と称する事は、ムンは草をいひ、ルは則ち苅る 事をいひて、草をかるといふ事也、すへて 此のトイタの事は、初め草をかるより種を蒔き、 其外熟するに至て苅りおさむるとふの事 に至るまて、多くは老人の夷あるハ女子の 夷の業とする事也、     草をかるには先つ其ところにイナヲを奉けて 軽々しい行いはしないものだ。そうしたことから考えるに、或いは別の意味があってトイタの地を定めているのかも知れず、その判断基準はいまだ詳らかではない。追って聞き取りの上、後考を期したい。 ここに掲げた図は、トイタとするために先ず初めにその地の草を刈る様子を示したものである。この作業をムンルというのは、「ムン」が草を、「ル」が刈ることを表わし、あわせて草を刈ることを意味することによっている。トイタに関わる作業には、草を刈ることから始まり、種蒔きや稔ってからの収穫に至るまで、その多くに老人や女性が携わることとなっている。 * 草を刈るには、まず刈る場所にイナヲを捧げて
第2巻, 21ページ, タイトル: トイララツの図
第2巻, 22ページ, タイトル:
草を焼てより其地の土を平らかにならす也、 是をトイラヽツと称す、トイは前に同しく、 ラヽツとはすへて物を平らかにする事をいひ て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境 釆槌とふの器もなけれハ、地をならすといへるも、  本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事にハ非す、 唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物 の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく タシロとふのものにてきり除くのミの事也、    タシロといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、 委しくは器材の部にミえたり、 草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。アイヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシロという用具で切り除くだけのことである。   *タシロというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
第2巻, 26ページ, タイトル: ムンルの図
第2巻, 27ページ, タイトル:
是も初めにしるせしムンルと同しく、草を かるといふ事也、されと其義はたかひ有事にて、 前にしるせるは、たゝ草を苅る事をいふ也、こゝに いふところも蒔置たる二種のものゝ芽を出せし より、其たけもやゝのひたる頃に及ひ、其間に 野草の交り生して植し物のさハりとなる故に、 其草を抜きすつる事をいふ也、されハ同しく 草を除くといふにも、其わけはたかひてあれ とも、上に論する如く、夷人の言語は数少く して物をかねていふ事のあるゆへ、これらの 類もひとしくムンルとのミ称する也 、 本邦にて禾菜の類を作るにハおろぬくと これも、初めに記したムンルと同様、草を刈るという言葉である。しかし、その意味内容は異なっている。前に記したものは、ただ草を刈ることをいうのみであった。ここでいうムンルは、蒔いて置いた二種の作物が発芽し、丈もやや伸びた頃に、その間に交じって生えてきて成長の妨げとなる雑草を取り除く作業をいう。従って同じく草を除くという言葉ではあるが、その意味するところは異なっているのである。これは、前述のように、アイヌの人々の言葉は単語の数が少なく、物事を兼ねていうことがあるためである。いま述べた二つの作業について、同じくムンルと称するのは、そのためである。
第3巻, 3ページ, タイトル: プヲツタシツシマの図
第3巻, 4ページ, タイトル:
是は剪り採りし穂を収め置事をいふなり、 フヲツタシツシマといへるは、フとは 本邦にしてハ 蔵なといへる物のことく、物を貯へ置ところ をいふ、    其造れるさまも常の家とは事替りて、 いかにも床を高くなして住居より引はなれたる 所に造り置事也、委しくハ住居の部に ミえたり、 ヲツタは前にいふ如くにの字の意也、シツシマとハ 大事に物を収め置事をいひて、蔵に収め置と いふ事也、其収め置にはサラニツプといへる物に 入れて置も有、あるは俵の如くになして入れ置 これは、刈り取った穂を収め置くことをいう。フヲツタシツシマという語のうち、「フ」はわが国でいうところの蔵のように、物を貯え置く場所を表す。 * その建築形態は通常の家とは異なり、何とか工夫して床を高くしつらえ、住居から引き離れた場所に建てられるものである。詳しくは本稿「住居の部」に記してある。 「ヲツタ」は前述の通り「~に」という語を表す。「シツシマ」とは大事に物を収め置くことをいう。合わせて「蔵に収め置く」という意味である。収めておくに際しては、サラニツプという物に入れておくことがある。また、俵のようにこしらえて入れておく
第3巻, 6ページ, タイトル:
山野には昼の間□蝣あるは蚊なとの類 多して手足をさし、疥瘡のことくになり て、其辛苦をきハむる事いふはかりなし、 山野には昼の間はブヨや蚊などの類が多く、手足を刺し、サブタのようになってしまう。その辛苦は言葉では言い表せないほどなのである。
第3巻, 15ページ, タイトル: ムルクタウシウンモイの図 
第3巻, 16ページ, タイトル:
ムルクタウシウンモイと称する事は、ムルクタは前に いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を いひ、ウンは在る事をいひ、モイは神をいひて、 糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はアユウシ アマヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は 聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の 罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに 定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の ムルクウタウシウンモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「モイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、アユウシアママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。 そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の
第3巻, 17ページ, タイトル:
朽たる根、あるは枯たる葉、其余二種の物に あつかるほとの器具は、臼・杵・鐺・椀より初め、炉上 に穂を干すの簾、あるは自在とふの物に至る まて、破れ損する事あれはひとしく是を右の 所に捨置て他にすつる事決てあらす、ことに其 破れたる器具を水を遣ふの事に用ひ、及ひ 水中に捨る事なとは甚忌ミきらふ事也、 其神を祭るの事はモイノミの部に委しく 見ゑたり、 すべての部分、 たとえば根や枯れた葉、またその接触したすべての器具、たとえば臼・杵・鍋・椀を始め囲炉裏の上で穂を干す簾や自在鈎などの物に至るまで、破損してしまったものがあるとすべて同じ所に捨てることとなっており、決して他の場所に捨てられることはない。特に破損した器具を水をつかう作業に用いたり、水中に捨てることは、大変忌み嫌われている。 こうした神を祭ることについては、本稿「モイノミの部」に詳しく記してある。
第3巻, 26ページ, タイトル:
あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の 事をもて意となさゝる事とミゆる也、 一椀を喰ふことに粥をはアマヽトミモイと唱へ、 魚肉及ひ汁をはチエツプトミモイと唱へてより喰ふ なり、アマヽトミモイといへるは、アマヽは穀食をいひ、 トミは尊き事をいひ、モイは神をいひて、穀食 尊き神といふ事也、チエツプトミモイといへるは、チエ ツプは魚をいひ、トミモイは上と同し事にて、魚の 尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地 神明のたまものにて、人の身命を保つところの 物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を 一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、アイヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。 こうした椀は、一椀ごとに、粥をアママトミモイと唱え、魚肉および汁をチヱツプトミモイと唱えてから食される。アママトミモイとは、「アママ」が穀物を、「トミ」が「尊い」という語を、「モイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。チヱツプトミモイとは、「チヱツプ」が魚を表し、「トミモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。アイヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を
第3巻, 27ページ, タイトル:
尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中 魚を喰ふにもチエツプトミモイと唱へ、汁を喰ふ にもまた同しくチエツプトミモイと唱ふる事は、 前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を 用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを 入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと いふのこゝろにて、同しくチエツプトミモイと唱ふる なり、    これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に よらす其物の名を上に唱へ、某のトミモイと 唱へて食する事、夷人の習俗なり、 一日に両度つゝ食するうち、朝の食は   拝むために唱えられるのが、 この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトミモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトミモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトミモイと唱えているのである。 * これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミモイと唱えてから食事を行なうのが、アイヌの人々の慣習である。 一日に二度の食事のうち朝食は、
第4巻, 4ページ, タイトル:
凡夷人の舟は敷をもて其基本とす、しかるか 故に舟を作んとすれは、まつ初めに山中に 入て敷となすへき大木を求むる事也、    夷人の舟は、敷をもて本とする事、後に くハしく見へたり、 其山中に入んとする時にあたりてハ、かならす先つ 山口にて図の如くイナヲをさゝけて山神を祭り、    イナヲといへるは、 本邦にいふ幣帛の類也、 くハしくはイナヲの部にミえたり、 埼嶇□嶢のミちを歴るといへとも、身に 恙なくかつは猛獣の害にあはさる事とふを 祈る也、其祈る詞にキムンモイヒリ ☆すべてアイヌの舟は船体が基本である。だから舟を作ろうとすれば、まずはじめにおこなうのは山に入って船体とする大木を探し求めることである。  <註:アイヌの舟は船体が基本であることは、後に詳しく述べられている> ☆そのために山の中に入ろうとするときには、かならず最初に山の入り口で図のようにイナウを捧げて山の神を祭り、 <註:イナウというのはわが国でいうところの御幣のたぐいである。詳しく は「イナヲの部」に述べられている> ☆ 崖や@@の道を歩きまわっても、自分のからだにつつがなく、さらに猛獣に襲われないことを祈るのである。その祈りことばに「キムンモイヒリ
第4巻, 5ページ, タイトル:
シコレと唱ふ、キムンは山をいひ、モイは 神をいひ、ヒリは善をいひ、ノは助語なり、 イシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く 山神を祭り終りて、それより山中に入る也、 木を尋る時のミに限らす、すへて深山に入んと すれハ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、 こゝに雪中のさまを図したる事ハ、夷人の 境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、 多くは酷寒風雪のうちにありて、その 艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の 雪のさまを図したるはミな是故としるへし、 シコレ」と唱える。キムンというのは山をいい、モイは神をいい、ヒリは善くをいい、ノは助詞である。 イシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてアイヌの人びとの習俗なのである。 ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、アイヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。
第4巻, 7ページ, タイトル:
山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、 たつね得るにおよひて、其木の下に至り、 図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その 地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、 シリコルモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を いひ、コルは主をいひ、モイは神をいひ、タンは 此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ 事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、 この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の 如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て 後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、 ☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、モイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。 この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはアイヌの人びとの習慣なのである。
第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリノヌウハニチツフモイキ ヤツイウエンアンベイシヤムヒリノイシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 モイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリは上に同し、 イシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリノヌウハニチツフモイキヤツイウエンアンベイシヤムヒリノイシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、モイは神をいい、キはするといい、ヤツイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリは上と同じ、イシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 12ページ, タイトル:
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリノヌウハニチツフモイキ ヤツイウエンアンベイシヤムヒリノイシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 モイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツイは よつてといふ事、ウエンアンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリは上に同し、 イシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリノヌウハニチツフモイキヤツイウエンアンベイシヤムヒリノイシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、モイは神をいい、キはするといい、ヤツイはよってということ、ウエンアンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリは上と同じ、イシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 25ページ, タイトル:
後の図はヒロウよりクナシリまての舟 に用ゆ、夷語に是をウキと称す、    此語解しかたし、追々考ふへし、 あとの図はヒロウからクナシリまでの舟で用いるもので、アイヌ語でウキという。   このことばの意味もわからない。やはり追って考えることにしよう。
第4巻, 34ページ, タイトル:
草と同しものとおほえたるによりて かくはいふなり、其縫ひあハする縄ハ夷語に テシと称して三種あり、後の図にくハしく見えたり、 草と同じものと思っているのでこのようにいうのである。そこを縫い合わせる縄はアイヌ語でテシといって三種類ある。のちの図に詳しく述べてある。
第4巻, 37ページ, タイトル: テジの図三種
第4巻, 38ページ, タイトル:
これ舟を造るに板を縫ひあハするの縄なり、 テシと称するハ、テシは木をとちあはする 事をもいひ、又筵なとをあむことをもいふ、は糸の 事にて、物をとちあハする糸といふ事也、テシ に三種あり、一種はニベシといふ、木の皮をはき縄 となして用ゆ、一種は桜の皮をはきて其侭 もちゆ、一種は鯨のひけをはぎて其まゝ 用ゆ、いつれも図を見て知へし、三種の中 鯨のひげをハ多くビロウよりクナシリまての 舟にもちゆ、シリキシナイよりビロウ迄の地は 鯨をとる事まれなる故、用るところのテシ 多くは桜とニベシとの皮を用ゆる也、 これは舟を造るとき、板を縫い合わせる縄である。テシと称するのは、テシは木を綴じ合わせることもいい、またむしろなどを編むこともいう。は糸のことで、「物を綴じ合わせる糸」ということである。  テシに三種類あって、ひとつはニベシという。木の皮を剥いで縄に作って用いる。ひとつは桜の皮を剥いでそのまま使う。いまひとつは鯨の髭を剥いでそのまま用いる。いずれも図で見てほしい。三種類のうち、鯨のひげはビロウからクナシリまでの舟で多く使用される。シリキシナイからビロウまでの地方は鯨を捕ることがあまりないので、使用するテシの多くは桜とニベシの皮である。
第5巻, 4ページ, タイトル:
舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプシケタウエンアンベイシヤマヒリノイシコレ」という。 チプは舟をいい、シケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、アンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリは良いということ、イシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る 舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今   本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其 祈る詞に、チプシケタウエンアンベイシヤマヒリ ノイシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、シケタは 上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、アンベは 有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、 ヒリはよきをいひ、イシは守護をいひ、 コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事 ある事なくよく守護を賜へといふ 事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の 安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
第5巻, 6ページ, タイトル: タマヂの図
第5巻, 7ページ, タイトル:
図の如くに木を製し、舟の左右の縁に とち付てこれにンヂといへる物をさしこ ミて舟をこく、    ンヂの図後に見へたり、 是をタマヂと称す、タマは跨く事をいふ、 ヂはすへて小なる物の高く出たるは乳の 如くなるをいふ、此タマヂと称する事、其義 いまた詳ならす、夷人のいふところは、舟を こくにあはら木のある舟はそれに左右の 足をふミあて、左右のタマヂにンヂをさし こミて、跨り居てこぐ、あばら木のなきハ舟 底に横木をいれ、それに足をふミかけ跨り 図のように木で作り、舟の左右の縁に綴じつけて、これにンヂという物を挿し込んで舟を漕ぐ。    <註:ンヂの図はのちに出している> これをアイヌ語で「タマヂ」と称する。タマは跨くことをいう。ヂはとは小さなものが高く突出して乳のようになっているものをいう。これをタマヂということの意味はまだよくわからない。アイヌの人びとがいうには、「あばら木」のある舟はそこに両足を広げて踏みあてて、左右のタマヂにンヂを挿し込んで漕ぐ。「あばら木」のない舟は舟底に横木をいれてそれに両足を広げて踏み
第5巻, 8ページ, タイトル:
居てこぐ、何れまたかる所の左右の ふちに乳の如く高く出たるもの故、ま たがる乳といふ心にてタマヂと唱ふるよしなり、 されとも此義さたかなる解とハおも はれす、追て考ふへし、 あてて漕ぐ。 いずれにしてもまたがるところの左右のふちに乳のように高く出ているものなので、またがる乳というほどの心でタマヂというのであると。しかし、この意味も確かなものとは思われないので追って考えることにしよう。
第5巻, 9ページ, タイトル: ンヂの図
第5巻, 10ページ, タイトル:
是をンヂと称し、左右のタマヂにさし こミて舟をこぐ、ンヂと称する事其義 未た詳ならす、考ふへし、たゞし奥羽の 両国ならびに松前とふの猟船に此具を 用るもありて、くるまかひといふ、これハその 形ちかひに似て、左右の手にてまはしーーー 水をこぐ事、車のめくるか如くなる故、 かくはいへる也、 これをンヂと称して、左右のタマヂに挿し込んで舟を漕ぐ。ンヂと称することの意味はまだはっきりとはわからない。考えておくことにしよう。ただし、奥羽の両国と松前などの漁船にはこのような道具を用いるものがあり、それをくるまかい(車櫂)という。これはその形がかい(櫂)に似ていて左右の手で回すように漕ぐようすが、車が回るようなのでこの名がある。
第5巻, 14ページ, タイトル:
夷語に是をヤと称す、図の如くにキナを 用ひて作るなり、    キナは夷地に生る草にて作り、筵の如き もの也、委しくハ器財の部に見えたり 帆をヤと称する事、其義いまたつま ひらかならす、追て考ふへし、 アイヌ語でこれをヤと称する。図のようにキナをもちいて造るのである。     <註:キナは蝦夷地に生える草で作るむしろのようなものである。詳 しくは『器財の部』(これも欠けている)で説明してある>  帆をヤと言うことの意味ははっきりとはわからない。追って考えることとしよう。
第5巻, 16ページ, タイトル:
夷語にこれをワツケプと称す、ワツは水をいひ、 ケはとる事をいひ、フは器をいふ、水を取器といふ 事也、奥羽の海辺ならひに松前とふにて、 右の形ちしたるあかとりをへけと称す、是を 夷語に解するに、ヘは水をいひ、ケはとる事 にて、水とりといふ事也、水を夷語にヘとも いひ、ワツともいふ、今の夷人は専らワツとのミいひて、ヘといふも のは稀也、されとも二つのうちヘと称するは夷人の古語にして、 ワツと称するは近き頃よりのことはなるよし、 老年の夷人はいひ伝へたり、是とふの事、 夷地にしてハ其古言を失ひ、奥羽ならひに アイヌ語でこれをワツケプと称する。ワツとは水のことをいい、ケはとるということをいい、フは物をいう。「水を取る物=あかとり」ということである。  奥羽の沿岸ならびに松前などでは図のような形のあかとりを「へけ」という。これをアイヌ語で解釈するとヘは水をいい、ケはとるということで「水取り」ということである。水をアイヌ語で「ヘ」といい、「ワッ」ともいう。今のアイヌの人びとはワッとのみいっていて、ヘというのは稀になっている。しかし、ふたつのことばのうち「ヘ」というのはアイヌ語の古語であって、ワッというのは近年のことばであるとは老アイヌのいうことである。  このように、蝦夷地ではその古語を失い、奥羽や
第5巻, 21ページ, タイトル:
夷語にこれをイタと称す、三種ある事 図のことし、イタの語解しかたし、追て 考ふへし、 アイヌ語でイタという。図のように三種類ある。イタの語を解すことはむつかしい。追って考えることとしよう。
第5巻, 26ページ, タイトル:
是は上に出せる六種の具ことーーく備りて 海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれハ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、アトイモイ子トヒリノイシコレと唱ふ、アトイは海をいひ、モイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、    俗になきといふか如し、 ヒリノイシコレは前にしるせるか如く、海の 神風波のおたやかなるよふによく守護 たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、 これは上述した六種類の器具が完備して海上を航行しようとする図である。 まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「アトイモイ子トヒリノイシコレ」と唱える。アトイは海のことをいい、モイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリノイシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。  このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、アイヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
第5巻, 28ページ, タイトル:
詳らかならぬ事共多し、追て考ふ へし、此に出せる図は風の左りへ走るさま也、 艫の左右に縄を以て帆を繋き立て、アシナにてかぢを とり走る也、風の右に走んとすれは左右の 縄をくりかへ、帆を左にかたむけ風を請て 走るなり、夷語に是をホイボウチフといひ、 又バシテチフといひ、亦ヤウシチフといふ、ホイ ボウといふも、バシテといふも、皆走る事をいふ、 ヤウシはヤは帆をいひ、ウシは立る事 をいひて、帆を立るといふ事、チフはいつれも 舟の事なれは、三つともに走る舟の事を いふなり、 つまびらかにできないことが多い。改めて考えることとしよう。  ここに出した図は、風の左の方へ航行するようすである。艫の左右に縄で帆を繋ぎ、アシナで梶をとって走るのである。風の右の方に走ろうとすれば、左右の縄をたぐり変えて帆を左に傾け、風をうけて走るのである。 アイヌ語でこれをホイボウチフといい、またバシテチフといい、あるいはヤウシチフという。ホイボウというも、バシテというも、みな「走る」ことをいう。ヤウシとは、ヤは帆のことをいい、ウシは立るという意味で、「帆を立る」ということ、チフは舟のことだから、三つとも「走る舟」のことをいうのである。
第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなハりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、ンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、ンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、アシナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、 是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。ンヂの多少は舟の大小によって異なる。アシナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをアイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビロウ辺からクナシリ辺のアイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 34ページ, タイトル:
時、二人つゝシヨ板に腰をかけならび居て、左 右のンヂを一人にて一つつゝ遣ひこぐ事 もある也、これは北海に至るほと波濤の 急激なるも、甚しく舟のかたちも大ひ なる故、一人にて左右のンチを遣ハん事の 危きを考へ、おのつから二人にてこく事にハ なりゆく也、 二人ずつシヨ板にならんで腰をかけて、左右のンヂを一人で一つずつ使って漕ぐこともある。これは北の海に行くほど波涛が荒く激しくなるし、舟の形も大きくなるので、一人で左右のンヂを使うことの危険性を考慮して、おのずから二人で漕ぐことになるのである。
第5巻, 37ページ, タイトル:
製作にかゝる敷の法を用ひさるはいつの頃より にか有けん、シキヲモキなといふ事の 舩工ともの製作に初りしより、    シキといへるもヲモキといへるも、少し つゝ其製にかハりたる事ハあれとも、 格別にたかふところは非す、いつれも敷を 厚き板にて作り、それに左右の板を釘 にて固くとちつけて、本文にいへるイタシ ヤキチプの如くになし、それより上に左右の 板を次第に付仕立る也、此製至て堅固也、 今の舩工の用る敷の法ミなこれ也、 其製の堅固なるを利として専らそれのミを 製作に、このような船体を用いなくなったのはいつの頃からであろうか。 シキ、ヲモキなどというものが船大工たちの製作にはじまってから、    <註:シキというものも、ヲモキというものも、少しずつその製法に 変化はあるけれども、格別の違いはない。いずれも船体を厚い板で 作り、それに左右の板を釘で固く綴じつけて、本文で述べたイタ シヤキチプのようにして、それより上に左右の板をだんだんに付 けていって仕立てるのである。この製法はとても堅固である。 今の船大工が用いる船体の製法はみなこの方式である。> その製法の堅固であることを利として専らその製法ばかりを
第5巻, 51ページ, タイトル:
三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に 出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、 追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの 三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、 家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり すつる事ハあらす、    ヌシヤサンの事はモイノミの部にくハしく 見えたり かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと 称す、 三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。 ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。    <註:ヌシヤサンのことは「モイノミの部」(これも欠)に詳述してあ る> このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はアイヌ語でハルという。
第6巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 アツシル之部  六
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、 四をアツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、 シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人ラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にアイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はアツトシ【アットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。アイヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/アムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがラフト【ラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、アイヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 8ページ, タイトル: アツプの図 
第6巻, 9ページ, タイトル:
アツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の 皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに 堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、 こゝに図したるところは、すはハちヲヒクの皮にして、 山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を アツフと称する事は、すへてアツトシに織る木の 皮をさしてアツといひ、プはたゝの木の皮の事 にて、アツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は 海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山 中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも 平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、 幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
第6巻, 13ページ, タイトル: アフンルの図
アフンルといへるは、アフンは糸をいひ、ルは造る 事にて、糸を造るといふ事なり、是は前にいふ 如くアツの皮をよくーーやはらかになしてより、 麻を績する如くいつにもさきて次第につなき、 岐頭の木に巻つくる事図のことし、そのさまさなから 奥羽の両国にてしな太布を織る糸を績くとこと なる事なし、
第6巻, 15ページ, タイトル: タキの図
この図は前にしるせし如く、岐頭の木に巻たる糸を 玉に作りしさまなり、    本邦の語に、糸を図の如く丸く作りたるを玉といへり、 これをタキと称す、タキはタマキといへるを略 するの言葉にして、は糸をいひ、タマは玉をいひ、 キは造る事をいひ、糸を玉につくるといふ事也、是にて まつ糸を製するの業は終れりとす、これよりこの 糸をもて、はたに綜る事、下の図の如し、
第6巻, 16ページ, タイトル: ヽリケムの図 
ヽリケムといふは、は糸をいひ、リは巻をいひ、 ケムは針をいひて、糸を巻く針といふ事なり、是ハ 前にしるせし如く、玉になし置たる糸を巻て、  本邦の機に梭子をつかふ如くに用る事也、その針と 称する事は、其義解しかたし、
第6巻, 19ページ, タイトル: アツトシルヲケレの図 
第6巻, 20ページ, タイトル:
是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し たるなり、アツトシルといへるは、アツトシはすなハち 製するところの衣の名なり、ルは造る事をいひて、 アツトシを造るといふ事也、またアツトシシタイキとも いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと いはんか如く、アツトシをうつといふ事なり、    本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、 其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委 しく録し置り、合せ見るへし、
第6巻, 21ページ, タイトル: アツトシルヲケレの図 
第6巻, 22ページ, タイトル:
此図はアツトシを織りあけたるさま也、アツトシル ヲケレといふは、アツトシアルは前にしるせしと同しく、 ヲケレは終る事にて、アツトシ造る事終るといふ事也、 其織りあけたるまゝのアツトシをウセフアツトシといへり、 ウセフは純色といふか如き事にて、織りあけたるまゝの アツトシといふ心なり、 本邦の語に、木綿の織りたる まゝにて、何の色にも染さるを白木綿といふか如し、アツトシ の織りあけたるさま図の如くに、下のかたの幅を狭くなし たる事は、上の方は身衣となすへきつもりゆへ、幅を 広く織り、下の方は袖となすへきつもり故、幅を狭く 織るなり、その身衣幅と袖幅とに織りわくるさかひを トシヤトイと称す、トシヤは袖をいひ、トイは切る事をいひ て、袖を切るといふ事なり、又衣に製するところの 長短もかねて、著る人のたけをはかり定め置て、少しの 余尺もなきよふに織事なり、
第6巻, 23ページ, タイトル: アツトシウの図
アツトシウといへるは、ウは縫ふ事を いひて、アツトシを縫ふといふ事なり、是は前に しるせる如く、著る人の形ちにより、たけの長短をハ かねてよりはかり定めて織る事ゆへ、衣を縫んと すれは、まつ初めにたけを定め置たるところより
第6巻, 25ページ, タイトル: トシヤウの図 
是は織りあけたるアツトシのうち、前にしるせし ことく身衣を切りとりて、その残りたるところにて 図の如くなる筒袖を造るなり、これをトシヤウと称す、トシヤは袖の事にて、袖を縫ふと いふ事なり、
第7巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 チセル之部  七
第7巻, 6ページ, タイトル: チセチクニバツリの図
第7巻, 7ページ, タイトル:
ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱 とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を はかり、きりそろゆるさまなり、チセチクニパツリと いへるは、チセは家をいひ、チクニは木をいひ、パツリは 度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と 指とにて長短を度る也、手をもて度るをチムといひ、 中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、 追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のミに 限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ 同しく手と指とを用てはかる事なり、 ☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。 チセチクニパツリというのは、チセ【チセ:cise/家】は家の意味、チクニ【チクニ:cikuni/木】は木の意味、パツリ【パリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、アイヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをチム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。  これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。
第7巻, 14ページ, タイトル:
さすといへるは、もと 本邦の言葉にして、 茅葺の屋を造る時図の如く左右より木を合せ たるものをいふ也、是を夷人の語に何といひしにや 尋る事をわすれたる故、追て糺尋すへし、    本邦に用るところとハ少しくたかひたるゆへに図し たる也、此外屋に用る諸木のうち、棟木は造れる さま常の柱とたかふ事あらす、是を夷語にキタイ ヲマニといふ、キタイは上をいひ、ヲマは入る事をいひ、ニは 木をいひて、上に入る木といふ事なり、梁は前に図し たる桁と同しさまに造りて用ゆ、是を夷語に イテメニといふ、其義解しかたし、追て考へし、又   本邦の茅屋にながわ竹を用る如くにつかふ物をリ ニといふ、是は細き木の枝をきりてゆかミくるいとふ有 ところは削りなをして用る也、此三種のもの大小のたかひ あるのミにて、いつれも常の柱とことなる事ハなきゆへ、 別に図をあらハすに及はす、 ☆ 「さす」というのはもともとわが国のことばで、茅葺きの家を造るとき、図のように左右から木を合わせたものをいうのである。これをアイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。 (さすは)わが国で用いているものとはすこし違っているので図示したのである。このほか、家で使う種々の木のうち、棟木を造るようすは通常の柱と違うことはない。これをアイヌ語でキタイヲマニという。キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は上ということ、ヲマ【オマ:oma/にある、に入っている】は入ることをいい、ニ【ニ:ni/木】は木をいうから上に入る木ということである。 梁は前に図示した桁と同じように造って使う。これをアイヌ語でイテメニ【イテメニ:itemeni/梁】という。その意味は解釈できない。改めて考えてみたい。 また、わが国の萱葺きの家でながわ竹?を用いるように使うものをリニという。これは細い木の枝を切って、ゆがみや狂いなどがあるときは削りなおして使うのである。これらの三種類のものは、大小の違いあるのみで、どれも通常の柱と違いはないので、格別、図示することはしない。
第7巻, 15ページ, タイトル: ハルケの図 
ハルケは縄をいふ也、此語の解いまた詳ならす、追て かんかふへし、凡夷人の縄として用るもの三種有、 其一は菅に似たる草をかりて、とくと日にほし、 それを縄になひて用ゆ、この草は松前の方言に ヤラメといふものなり、    此草の名夷語に何といひしにや尋る事をわすれ たるゆへ、追て糺尋すへし、夷人の用る筵よふのものにて キナと称するものもミな此草を編て作れる也、夷地の ☆ ハルケ【ハ*ラキ:harkika/縄】は縄のことをいうのである。このことばの解釈はまだよくわからないので、改めて考えることにしたい。総じて、アイヌの人びとが縄として使うものには三種類がある。そのひとつは、 菅に似た草を刈って、よく日に干してそれを縄に綯って使う。この草は松前の方言でヤラメというものである。   <註:この草の名をアイヌ語でなんというのか聞くことを忘れたので、改めて聞きただす ことにしたい。アイヌの人びとが用いる筵のようなもので、キナ【キナ:kina/ござ】というものもすべ てこの草を編んで作るのである。蝦夷地の
第7巻, 16ページ, タイトル:
うち卑湿なるところに多く生するもの也、 二にハ藤葛を用ゆ、三には野蒲萄の皮をはきて其侭 用ゆ、藤葛を夷語に何といひしにや尋る事をわすれ たるゆへ、追て糺尋すへし、野蒲萄の皮はシトフといへり、 シトは蒲萄をいひ、フは皮をいふ也、此三種のうち草を なひたる縄と藤葛の二つは材木を結ひ合セ、屋のくミ たてをなすとふの事に用ひ、野蒲萄の皮ハ屋を葺に用 ゆる也、まれにハ前の二種を用て屋を葺事あれとも 腐る事すミやかにして便ならす、たゝ野蒲萄の皮のミハ ことに堅固にして、数年をふるといへとも朽腐する事なき ゆへに多くハ是のミを用る也、三種のさまのかハりたるは図を 見て知へし、屋を葺の草すへて五種あり、一つにハ 茅を用ひ、二にハ蘆を用ひ、三には笹の葉を用ひ、四にハ 木の皮を用ひ、五にハ草を用ゆ、此五種のうち多くハ草と茅 との二種を用る也、五種のもの各同しからさる事は、後の 居家全備の図に委しくミえたる故、別に図をあらはすに及ハす、 なかで土地が低くて湿気が多いところに 多くはえているのである。>   ふたつめは藤葛を使用する。みっつめは野葡萄の皮を剥いで使う。藤葛をアイヌ語で アイヌ語でなんというのか聞くのを忘れたので、改めて聞きただすことにしよう。野葡萄の皮はシトフという。シト【ストゥ:sutu/ぶどうづる】は葡萄をいい、フ【*プ:kap/皮】は皮をいうのである。この三種類のうち、草を綯った縄と藤葛のふたつは材木を結び合わせて家屋の組み立てをするなどのことに用い、野葡萄の皮は屋根を葺くのに用いるのである。まれには前のふたつ(草と藤葛)を使って屋根をふく事があるけれども腐ることが早いので都合がよいとはいえない。わずかに野葡萄の皮だけがとりわけ丈夫で、数年たっても朽ちたり腐ったりすることがないので、多くはこれだけを使うのである。三種類のようすの違いは図を見て理解してほしい。  屋根を葺く草はみんなで五種類ある。ひとつには茅を使い、ふたつには芦を使い、みっつめは笹の葉を使い、四つめは木の皮、いつつめは草を使う。このいつつのうち、多くは草と茅の二種類を用いるのである。この五種がおのおの同じでないことは後の「居家全備の図」に詳述したのでここではかくべつ図示はしない。
第7巻, 17ページ, タイトル: シリルの図
第7巻, 18ページ, タイトル:
前に図したるものミな備りてより、家を立る にかゝるなり、先つ初めに屋のくミたてをなす 事図の如し、是をシリルと称す、シリは下の事 をいひ、タは方といはんか如し、ルは造る事をいひ て、下の方にて造るといふ事なり、これは夷人の境、 万の器具そなハらすして、梯とふの製もたゝ独木に 脚渋のところを施したるのミなれは、高きところに 登る事便ならす、まして 本邦の俗に足代 なといふ物の如き、つくるへきよふもあらす、然るゆへ に柱とふさきに立るときは屋をつくるへきた よりあしきによりて、先つ地の上にて屋のくミ立を なし、それより柱の上に荷ひあくる事也、これ屋の下の 方にて造れるをもてシリルとはいふ也、右屋の くミたて調ひ荷ひあくる計りになし置て、其大小 広狭にしたかひて柱を立る事後の図のことし、 ☆ 以上に図示したものがみんなそろってから、家を建てるのにかかるのである。まずはじめに屋根の組みたてをすること図のとおりである。これをシリルという。シリ【シ*リ:sir/地面】は下のことをいい、タ【 タ:ka ta/の上 で】は方というのとおなじであり、ル【*ラ:kar/作る】は作ることをいって、下の方で造るということである。 これはアイヌの人びとの国ではたくさんの有用な道具がそろっていないので、はしごなどをこしらえるのもただ丸木に足がかりを彫っただけなので高いところに上るには向いていない。まして、わが国のならわしにある足がかり?などというようなものを造ることもしない。だから、柱などをはじめに建ててしまったら、屋根を造るのにぐあいが悪いので、まず、地上で屋根の組み立てをおこなって、それから柱の上にかつぎ上げるのである。このように、屋根を下の方で造るのでシリルというのである。右のように、屋根を組み立て整えておいて、かつぎ上げるばかりにしておいて、その家の大小や広い狭いにしたがって柱を建てるようすは後の図に示しておいた。
第7巻, 29ページ, タイトル:
此図はシリキシナイの辺よりシラヲイの辺に 至るまての居家全備のさまにして、屋は茅を もて葺さる也、是をキキタイチセと称す、キは 茅をいひ、キタイは屋をいひ、チセは家をいひて、茅の 屋の家といふ事なり、前にしるせし如く、屋をふく にはさまーーのものあれとも、此辺の居家は専ら 茅と草との二種にかきりて用るなり、チセコツと いへるは其家をたつる地の形ちをいふ也、チセは家を いひ、コツは物の蹤跡をいふ、この図をならへ録せる事ハ、 総説にもいへる如く、居屋を製するの形ちはおほ よそ三種にかきれるゆへ、其三種のさまの見わけやす からんかためなり、後に図したる二種はミな此故と しるへし、 ☆ この図はシリキシナイのあたりからシラヲイのあたりまでの家の完備したすがたで、屋根は茅で葺いてある。これをキキタイチセという。キ【キ:ki/ヤ】は茅をいい、キタイ【キタイ:kitay/てっぺん、屋根】は屋根をいい、チセ【チセ:cise/家】は家をいうから茅の屋根の家ということである。前述のように屋根の葺き方にはさまざまなものがあるが、このあたりの家はもっぱら、茅と草の二種だけを使うのである。    チセコツというのは、その家を建てる敷地のかたちをいう。チセは家をいい、コツ【コッ:kot/跡、くぼみ】はものの あとかたをいう。この敷地の図を並べて記すのは総説でものべておいたように、家を造る際のかたちはだいたい三種類に限られるので、その三種類の形体を見分けやすくしようと考えたためである。後に図示した二種はミナこの理由によるのである。
第7巻, 39ページ, タイトル:
此図は木の皮にてふきたる屋の上を草と茅 とにてかさね葺たる家のさま也、竹の葉にて ふきたる屋の上を草と茅とにてふきたる家も、 又たゝ草と茅とはかりにてふきたる家も、其形ち 図にあらハしたるところにてはいさゝかかはれる事な きゆへ、此図一を録して右二の図をは略せる也、 右に録せる数種の家、いつれにても経営の事全く 終りてより移住セんとするには、まつ爐を開きて 火神を祭り、また屋の上にイナヲをたてゝ日神を 祭り、それより 本邦にいふわたましなとの 如き事を行ふよし也、然れともこれらの事いまた詳 ならさる事多きゆへ、子細に録しかたし、追て糺尋 の上録すへし、    火神・日神とふを祭る事ハ、委しくモイノミ の部に見えたり、 ☆ この図は木の皮で葺いた屋根の上に草と茅とを重ねて葺いた家のさまである。竹の葉で葺いた屋根の上を草と茅とで吹いた家も、また、ただ草と茅ばかりで葺いた家も、そのかたちを図にあらわしたら、すこしもかわるところはないので、この図ひとつを記してあとのふたつは略してある。 右に記した数種の家はいずれも建築がおわってから移り住もうとするには、まず、炉をきって 火の神をまつり、また屋根の上にイナヲをたてて日の神をまつり、それからわが国でいう「わたまし?」などのようなことをおこなうのだという。しかしながら、これらのことはまだよくわからないことが多いのでくわしくしるすことはできない。いずれ改めて聞きただした上でき記録することにしよう。    <註:火の神・日の神などを祭る事は、詳しく「モイノミの部」に記してある。>
第8巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 ウル之部 八  大尾
第8巻, 3ページ, タイトル: ウルの図
第8巻, 4ページ, タイトル:
夷人のうち悪事をなす者あれハ、其所の夷人 ならひに親族のもの集りて、図の如くに其者を 拷掠し、罪を督す事也、是をウルといふ、此語の 解未さたかならすといへとも、夷語に戦の事をも ウルといふ事あり、    戦の事をイトミともいひ、またウルとも いふ也、夷人の戦といへる事ハ、意味殊に深き事にて、 委しくハ戦の部にみえたり、 これハ 本邦辺鄙の人の言葉に、人を強く うち倒す事をウチスムルといふ事あり、戦は いつれ人をうち倒すをもて事とするゆへ、此 言葉を略してウルとはいふなるへし、さらは 此処にて人の罪あるを督すも、又拷掠するを 以てのゆへに同しくウルとハ称するにや、    ここにウルのさまを図したる事ハ、夷人に 望て其行ふさまをなさしめて其侭を図し ☆ アイヌのなかで悪事をはたらくものがあれば、そのところのアイヌの人びとやかれの親族のものが集まって、図のようにかれをむち打って罪を責めとがめることがある。これをウル【ウ*ラ?:ukar?】というが、このことばの意味はまだよくわからないけれども、アイヌ語にいくさのことをウルということがある。    <註:いくさのことはイトミ【イトゥミ:itumi/戦争】ともいい、またウルともいうのである。アイヌの人びとの いくさというのは、その意味にことさら深いものがあるが、詳しくは「いくさの部」 に述べてある>  これはわが国の辺鄙な土地に住んでいる人びとのことばに、人を強く打ち倒すことをウチスムルということがある。いくさはどのみち人を打ち倒すことが目的なので、このことばを略してウルというのであろう。そうであるならばこのところで人の罪をただすのも、また、むち打って罪を責めとがめるということであるからおなじくウルというのではなかろうか。    <註:ここにウルのようすを図示したのは、アイヌの人びと頼んでそれを行なうようす をしてもらってそのままを描い
第8巻, 5ページ, タイトル:
たる也、是を行ふ事、たゝに刑罰の事のミとも きこえす、時によりてハ其者を戒め慎ましめんか ために行ふ事もありとミゆる也、後にしるせる 六種の法を見て知へし、 これを行ふの法、すへて六つあり、其一つは前に いふ如く、悪行をなしたるものを打て其罪を督す也、 二つにハ夷人の法に、喧嘩争闘の事あれハ、負たる 者のかたよりあやまりの証として宝器を出す也、 是をツクノイと称す、    此宝器といへるは種類甚多して事長き故に、 こゝにしるさす、委しくハ宝器の部に見へたり、 其ツクノイを出すへき時にあたりて、ウルの法を 行ひ拷掠する事あれハ、宝器を出すに及ハすして 其罪を免す事也、三つには人の変死する事有 とき、其子たる者に行ふ事あり、是ハ非業の死なる ゆへ其家の凶事なりとて、其子を拷掠して恐懽 たものである。これを行なうことはただ刑罰のため だけとも解釈できない。時によってはその者を戒めてつつしませるために行なうこ ともあるらしい。後述する六種の法を見て考えてほしい>  ウルを行なうしきたりにはみんなで六種類ある。  そのひとつは前述のように、悪いことをしたものを打ってその罪をただすことである。ふたつめはアイヌの人びとのおきてに、けんかや争い事があれば、負けた方からお詫びのしるしとして宝物を差し出すことがある。これをツグノイ【トゥクナイ?:tukunay?/償い】という。     <註:この宝物というのは種類がとても多く、説明すると長くなるのでここには述べな い。詳しくは「宝器の部」に記してあるので参照されよ。>  そのツグノイを差し出すに際して、ウルを行なってむち打たれることがあれば、宝物を差し出す必要はなくして、その罪が許されるのである。みっつめは、人が変死したときにその子に行なうことがある。変死というのは非業の死なので、その家の凶事であるから、その子をむち打って怖れ
第8巻, 6ページ, タイトル:
戒慎せしめ、子孫の繁栄を祈る心なり、又其子 たる者親の非業の死をかなしミ憂苦甚しく、ほとんと 生をも滅せん事をおそれ、拷掠して其心気を励し 起さんかために行ふ事も有よし也、四つにハ父母の 死にあふ者に行ふ事有、是ハ其子たるものを強く 戒しめて父母存在せる時のことくに万の事をつゝしミ、 能家をさめしめん事を思ひて也、五つにハ流行の 病とふある時、其病の来れる方に草にて偶人を作り 立置て、其所の夷人のうち一人にウルの法を行ひ て、その病を祓ふ事有、六つにハ日を連て烈風暴雨等ある とき、天気の晴和を祈て行ふ事有、此流行の 病を祓ふと天気の晴和をいのるの二つは、同しく拷掠 するといへとも、シユトに白木綿なとを巻て身の痛まさる よふに軽く打事也、此ウルの外に悪事をなしたる 者あれハ、それを罰するの法三つ有、一つにはイトラスケ、 二つにはサイモン、三つにはツクノイ也、イトラスケといふは、 慎ませて子孫の繁栄を祈るこころなのである。また、その子は親の非業の死を悲しみうれうることがはなはだしく、ほとんど命を失わんばかりになることを心配して、むち打つことでかれの気持ちを奮い起こすために行なうこともあるという。    よっつめは父母の死にあったものに行なうことがある。これはその子どもを強く戒めて両親が生きていたときのように万事を慎んで、うまく家を守るようにと願ってのことである。いつつめは、伝染病が流行したときなど、伝染病が来る方向に草で作った人形を立ておいて、その村の住人のひとりにウルを行なって、病気のお祓いをするのである。むっつめは連日、暴風雨が吹き荒れたとき、天候の回復を祈って行なうことがある。  この伝染病のお払いと、天気の回復を祈ることのふたつは、おなじむち打つといっても、シユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】に白木綿などを巻いてからだが痛まないように軽く打つのである。  ウルのほかに、悪いことをしたものがあれば、かれを罰する方法にみっつある。  ひとつはイトラスケ、二はサイモン【サイモン:saymon/神判、盟神探湯】、三はツクノイである。イトラスケというのは、
第8巻, 9ページ, タイトル:
是はウルを行ふの時、拷掠するに用る杖なり、 シユトと称する事はシモトの転語なるへし、    本邦の語に□笞をしもとゝ訓したり、 これを製するには、いつれの木にても質の堅固 なる木をもて製するなり、其形ちさまーー変り たるありて、名も又同しからす、後に出せる図を 見てしるへし、此に図したるをルヲイシユト と称す、ルとは樋をいひ、ヲイは在るをいひて、 樋の在るシユトといふ事也、後に図したる如く 種類多しといへとも、常にはこのルヲイシユト のミを用ゆる事多し、夷人の俗、此具をことの 外に尊ひて、男の夷人はいつれ壱人に壱本 つゝを貯蔵する事也、人によりてハ壱人にて 三、四本を蔵するもあり、女の夷人なとには 聊にても手をふるゝ事を許さす、かしらの ところにハルケイナヲを巻て枕の上に懸置也、 ☆ これはウルをおこなうとき、むち打つのに用いる杖である。シユトという語はシモトの転語であろう。    <註:わが国のことばで楉笞を「しもと」と訓じている>  これを作るには、どんな木でも木質の堅い木を用いる。そのかたち、いろいろ変ったものがあって、名称も同じではない。あとに出した図を見て理解してほしい。  ここに図示したものをルヲイシユト【ruosutuあるいはruunsutu→ruuysutuか?】という。ル【ル:ru/筋】は樋をいい、ヲイ【オ:o/にある。ウン→ウイ?:un→uy?/ある?】は在るということで、樋の在るシユト【ストゥ:sutu/棍棒、制裁棒】ということである。後に図示したように種類は多くあるが、通常はこのルヲイシユトのみを使うことが多い。  アイヌの人びとのならいでは、この道具をことのほか尊んで、男はみなひとり一本づつもっているのである。ひとによっては、ひとりで三、四本をもっているものもあるが、女などにはわずかでも手を触れることを許さない。その頭のところにはハルケイナヲ【ハ*ラキ● イナウ:harki inaw/●】を巻いて、枕の上に掛けておくのである。
第8巻, 12ページ, タイトル: アムシユトの図
ムシユトと いへるは、アムは車を いひて、車のシユト といふ事なり、此 製作は節々の 高く出たるところ 車の輪のことく なる故にかくは いへるなり、 ☆アムシユトというのは、アム【ア*ム:akam/輪】は車のことで、車のシユトという意味である。この作りようは節ぶしが高く出たところが車輪のようなのでこのようにいうのである。
第8巻, 13ページ, タイトル: ラヽシユトの図二種
第8巻, 14ページ, タイトル:
ラヽシユトと いへるは、ラヽは 滑なる事をいひ て、滑なるシユトと いふ事也、此二つの 製作外のシユトに くらふれは彫刻 せるもの少もなく して、滑なる故に かくはいへるなり、 ☆ラヽシユトというのは、ラヽ【ララ*ク:rarak/すべすべした】は滑らかなことで、滑らかなシユトということである。これは前述のふたつのシユトに比べれば彫刻したところが少しもなく滑らかなのでこのように言うのである。

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