蝦夷生計図説

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第1巻, 12ページ, タイトル: ベシヤマウシイナヲの図
第1巻, 13ページ, タイトル:
此イナヲは火の神を祭る時に奉け用ゆるなり、 べシヤマウシイナヲと称する事は、ベは火の事をいひ、 シヤマは物のそばをいひ、ウシは立つ事をいひて、 火のそはに立つイナヲといふ事也、此語なとハまさ しく 本邦の語にも通するにや、ベは火の事 をいふにあたれり、    此事ハ語解の部に委しく論したり、こと 長けれはこゝにしるさす、 シヤマはソバの転語にして、ウシはシの転語なる へし、シといへる事は、もと立つ事をいふとミゆる也、 人の脚をあしといへるも立つ事より出たるにや、 机案の類のしたに立たるところをあしといひ、  このイナヲは、火の神を祭るときに奉げ用いるものである。ベシヤマウシイナヲとは、「ベ」が火を、「シヤマ」が物のそばを、「ウシ」が立つことをそれぞれ表わし、合わせて「火のそばに立つイナヲ」という意味である。この語などはまさしく、我が国の言葉にも通じているように思われる。「ベ」とは、まさに火のことを言うのに当たっている。 * 「ベ」が火のことを指すということについては、本稿「語解の部」で詳しく論じている。長くなるのでここには記さない。 「シヤマ」は「そば」の転語であり、「ウシ」は「あし」の転語であろう。「あし」というのは、元来立つことを指していたと考えられる。人の足を「あし」というのも、立つことから出た言葉であろう。机などで下に立ててある部分を「あし」といい、
第1巻, 14ページ, タイトル:
其外雲あし、雨あしなといへる事も、ミなその 立るかたちをいへる也、かく見る時はベシヤマウシ は火のそばに立つといふ事に通するなり、この イナヲは夷地のうちシリキシナイといふ所の辺 よりヒロウといへる所の辺まてにもちゆる也、 またその他「雲あし」・「雨あし」などという事例も、皆それが立っている形を指しての言葉である。こう考えてくると、「ベシヤマウシ」を「火のそばに立つ」と言っていることと相通じてくるのである。このイナヲは、蝦夷地のうちシリキシナイ(尻岸内)という所からヒロウ(広尾)という所の辺りまでの地域で用いられている。
第1巻, 15ページ, タイトル: ビン子ベシヤマウシイナヲの図
第1巻, 16ページ, タイトル: マチ子ベシヤマウシイナヲの図
第1巻, 17ページ, タイトル:
この二つはひとしく火の神を祭るに用ゆれ とも、男女のわかちあるによりて其形ちの替れる なり、ビン子ベシヤマウシイナヲといふは、ビンは男子を いふ、子は助語也、シヤマウシイナヲは前にいへると同し 事にて、男子火のそはに立るイナヲといふ事也、 マチ子ベシヤマウシイナヲといへるは、マチは婦女をいひ、 子は助語なり、ベシヤマウシは前と同し事にて、 婦女火のそはに立るイナヲといふ事也、此イナヲに 男女のわかちある事ハ、火の神に男女あるといふにも あらす、唯祭れるイナヲに男女のわかち有よし也、 これを夷人に糺尋するといへとも、いまた其義の 詳なるを得す、追て考ふへし、思ふに乾男坤女の  この二つは、同じく火の神を祭る際に用いるものであるが、男女の別があるために、その形状が異なっているものである。ビンネベシヤマウシイナヲとは、「ビン」は男子を表わし、「ネ」は助詞、「シヤマウシイナヲ」は前述の通りであり、合わせて「男子の火のそばに立つイナヲ」という意味である。「マチネベシヤマウシイナヲ」とは、「マチ」は婦女を表わし、「ネ」は助詞、「ベシヤマウシ」は前述の通りであり、合わせて「婦女の火のそばに立つイナヲ」という意味である。このイナヲに男女の別があるのは、火の神に男女の別があるからというわけではない。ただ祭るイナヲに男女の別があるのみであるという。このわけについてイヌの人々に聞き尋ねてみたのだが、いまだにその理由を詳らかにできないでいる。追って後考を期したい。ただ思うに、乾男坤女の
第1巻, 18ページ, タイトル:
義にて、たゝ陰陽の二つを男女と分ちたる事なる へし、これらの事誰おしへたるにもあらねと、用る ところのイナヲ男女のミなるにしたかひて、其削れ るかたち自ら仰伏のたかひありて、陰陽の象を 表したること誠に天地の自然に出たるにてそある へき、委しくは図を見てしるへし、夷語に男子を ビンといへる事は、其義いまた詳ならす、婦女を マチといへる事は、まさしく日本紀に命婦とかきて マチと訓したり、此マチ子ベシヤマウシイナヲを一には メノコベシヤマウシイナヲともいへり、メノコといふも女の 事にて、是はとりもなをさす女子なるへし、 此二つのイナヲはヒロウといへる所の辺より 意味合いで、単に陰陽の二つを男女として分けたのではないか。こうした区分を誰が教えたというわけでもなかろうが、用いられるイナヲが男女のみであり、また、その削られた形状も自然と仰伏の相違があり、陰陽の象を表わしている。こうした区分は、誠に天地の自然が為さしめたものであろう。詳しくは、図を御参照ありたい。イヌ語で男子を「ビン」という訳は、いまだ詳らかではない。しかし、婦女のことを「マチ」というのは、まさしく『日本紀』に命婦と書いて「まち」と訓じているのと通じている。また、このマチネベシヤマウシイナヲは別にメノコベシヤマウシイナヲともいう。「メノコ」という語も女を意味しており、これはとりもなおさず女子のことであろう。この二つのイナヲは、ヒロウという所辺りから
第1巻, 23ページ, タイトル: キケハロセイナヲの図二種 
第1巻, 25ページ, タイトル:
これは何とさたまりたる事なくすへて神明を 祈るに用ゆる也、キケは前にいふと同し事にて 削る事をいひ、ハロは物の垂れ揺くかたちをいひ、 セは助語にて、削りたれ揺くイナヲといふ事也、 此ハウロといへることはも 本邦の俗語に、物のかろく 垂れ揺くさまをフリーーーといふ事有、しかれは ハウロはフリと通して、キケハウロイナヲといふは 削りふありとしたるイナヲといふ事と聞ゆる也、 二種の形ちの少しくかハれる事あるは、前のキケ チノイヽナヲにしるせしと同し事にて、前の図はシリ キシナイの辺よりビロウの辺迄に用ひ、後の図はヒロウ の辺よりクナシリ嶌の辺まてにもちゆる也、  これは、特定の定まった対象はないが、神明一般に祈る際に用いられる。「キケ」は前に述べたのと同様削ることをいい、「ハロ」は物の垂れ動くかたちを表わし、「セ」は助詞であり、合わせて「削り垂れ動くイナヲ」という意味である。 この「ハロ」という言葉についてであるが、我が国の俗語で、物が軽く垂れ動く様子を「ふあり、ふあり」ということがある。即ち、「ハウロ」は「ふあり」と通じて、キケハウロイナヲとは「削りふありとしたるイナヲ」という意味に聞こえるのである。 なお、図に掲げた二種の形に少々相違があるのは、前のキケチノイイナヲの個所で記したのと同様、最初の図はシリキシナイという所の辺りからビロウという所の辺りまでに用いられており、後の図はビロウの辺りからクナシリ島の辺りまでに用いられているものである。
第1巻, 28ページ, タイトル:
称す、かきたれといへる事はもと削り垂ると いはんか如き事なるを、紙にて製せし物に称する 事、其義あたれりとも思はれす、これは古へ紙 製の事いまた流布せさりし時にハ、辺鄙の 民家とふにてハ、これらの物ミな質白なる木を 用ひて製せしより、おのつからかきたれとふの 名は唱へしなるへし、今夷人の俗に此イナヲ を用ゆる事は、まさしくかの 本邦上古の 時、木にて製せしかきたれの遺風を伝へし 事とミゆる也、 いるものがある。 「かきたれ」という言葉は、元々は削り垂れるというような意味だったのであろうが、それを紙でつくったものを表わす言葉として用いるのは、意味的に言ってあたっているとは思われない。これは、紙がまだ流布していなかった古い時代に、辺鄙の地の民家などにては、材質の白い木を用いてこうしたものを作っていたため、自ずから「かきたれ」という名が唱えられたものと考えられる。現在イヌの人々がこのイナヲを用いているのは、まさしくわが国における上古の時代に木でつくられた、かの「かきたれ」の遺風を伝えているものと見ることができるのである。
第1巻, 30ページ, タイトル:
シユトといへるは、もと杖の名にして、ウカルを行ふ 時にもちゆる物也、    ウカルといふは、夷人の俗罪を犯したる者あれハ、 それをむちうつ事のある也、シユトは其むち うつ杖の事をいふ、委しくは、ウカルの部にミえたり、 此イナヲを製するには、まつ木をシユトの形ちの 如くにして、それより次第に削り立る事をなすに よりて、かくは名つけし也、 本邦の語に 罪人をうつ杖の事をしもとゝいふ、さらはシユトは しもとの転語にして、これ又 本邦の語に 通するにや、このイナヲはいつれの神を祈るにも 通し用ゆる事也、 「シユト」とは、もと杖の意味であり、ウカル( )を行なう時に用いられる。 * ウカルといって、イヌの人々のなかで俗罪を犯した者がいた場合、その者を鞭打つことがある。シユトは、その際に用いられる杖のことをいう。詳しくは、本稿「ウカルの部」に記してある。このイナヲを作製するときに、まず木をシユトの形のように加工してから順次削っていくことにより、こう名づけられたのである。わが国の言葉で罪人を打つ杖のことを「しもと」という。つまり、「シユト」は「しもと」の転語であり、これまたわが国の言葉と通じていることになろう。なお、このイナヲはどの神を祈るにも共通して用いられるものである。
第1巻, 32ページ, タイトル:
イコシは守りをいひ、ラツケは物を掛け置く事を いひて、守りを懸け置くイナヲといふ事なり、    守りといへるは夷人の身を守護するところの 宝器をいふ也、その宝器はなを 本邦の俗に 小児の守り袋なといはんか如く、身の守りになる よしいひて、殊の外に尊ふ事也、委しくハ宝器の 部にミえたり、 時ありて此イナヲに其宝器をかけ、住居のヌシヤ サンにかさり置て祈る事のある也、其祈る事は ことーーく意味深きよしなれは、夷人の甚秘する 事にて、人にかたらさるゆへ、其義いまた詳ならす、 追て探索の上録すへし、  「イコシ」はお守りを、「ラツケ」は物を掛けて置くことを表わし、合わせて「お守りを掛けて置くイナヲ」という意味である。 * お守りというのは、イヌの人々の身を守護してくれる宝器のことである。その宝器は、わが国で俗に小児の守り袋などのように、身の守りになるといって、大変尊ばれるものである。詳しくは、本稿「宝器の部」に記してある。 時折、このイナヲにその宝器を掛け、住居に附属するヌシヤサンに飾り置いて祈ることがある。何を祈っているかについては、その悉くについて深い意味があるとのことで、イヌの人々は甚だ秘して他人には語らないため、いまだ詳らかにすることはできない。追って探索の上記すこととしたい。
第1巻, 34ページ, タイトル:
チカツフとは鳥の事をいふ也、是は養ひ置し 鳥を殺す時は、此イナヲを用ひて、其殺せし鳥の 霊を祭る也、これによりて鳥のイナヲといふ心 にてかく名つけし也、    およそ夷人の俗、熊・狐の類、其外諸鳥をかひ 置て、是を殺す事あるときは、其霊を祭る事 甚た厚く、意味も又ことに深し、別に部類を 分ちてほゝしるしたりといへとも、いまた詳ならさる 事とも多し、追て糺尋の上録すへし、  チカツフとは鳥のことを意味する。飼育していた鳥を殺すときに、このイナヲを用いて、その殺した鳥の霊を祭るのである。こうした用途のため、「鳥のイナヲ」という意味で、こう名づけられている。 * 一般的にイヌの人々の間には、熊や狐の類、そのほか様々な鳥を飼育しておく慣習がある。そして、これらを殺すに際しては、その霊を大変篤く祭ることをなし、又その祭りにこめられる意義にも非常に深いものがある。これについては別に章を改めてその大略を記してあるが、依然として詳らかにされていない事柄が少なくない。追って聞き取りの上、記すことを期したい。
第1巻, 35ページ, タイトル: イシイナヲの図
第2巻, 3ページ, タイトル: ユウシマヽの図
第2巻, 4ページ, タイトル:
夷人の食は、鳥獣魚とふの肉を専らに用ると いへとも、不毛の地にして禾穀の類のたえて 生する事なしといふにはあらす、又禾穀の 類をうへて食する事なしといふにも非す、 こゝに図する所はすなハち稗の一種にして、 烏禾の類也、これは蝦夷のうちいつれの地 にても作りて糧食の一助となす事也、    但し、極北の地子モロ・クナシリ島なといへる所の 夷人の如きは、かゝる物作れる事あらす、これは ひとしく蝦夷の地なりといへとも、殊に辺辟 たるにより、その闢けたる事もおそくして、 未かゝる物なと作るへきわさは知るに及ハさる イヌの人々の食についてであるが、専ら鳥や獣や魚の肉をそれにあてている。しかし、だからといって彼らの住む土地が不毛であり穀類の生育を見ないというわけではない。 ここに掲げた図は稗の一種「烏禾」の仲間である。この作物は、蝦夷地一円に栽培されているもので、糧食の一助として用いられている。 * 但し、蝦夷地の内でも最も北に位置するネモロ(根室)やクナシリ(国後)島などといった地域のイヌの人々は、こうした作物を栽培することはない。なぜならば、同じ蝦夷地とはいえ、根室や国後島は格別辺鄙な地であり、その開闢も遅く、いまだに作物を栽培する技術を知るに至っていない
第2巻, 5ページ, タイトル:
ゆへ也、 絶て米穀の類の生セさる地といふにハ 非す、すてに 本邦の人の行きて住居する ものは、麦あるは菜・大根とふを作るによく生 熟する事也、 是をユウシマヽと称す、ユとは刺をいひ、ウシ とは在るをいひ、マヽは穀食の通称にして、 刺のある穀食といふ事也、この稗の穂には 刺の多くある故にかくはいへる也、夷人の伝言 するところは、この国闢けし初め天より火の神 降り□ひて、此種を伝へたまへり、それよりして かく作る事にはなりたるよし也、然るゆへに 是を尊ふ事大かたならす、其作り立るより からである。 また、蝦夷地はまったく米穀の類が生育しない地であるというわけでもない。実際、既に「本邦の人」が来住している地域では、麦または菜・大根等を栽培しており、よく成熟する様子が見られる。 この図に見える稗の一種は、ユウシママと称されるものである。「ユ」とは刺のこと、「ウシ」は「在る」を表わし、「ママ」は穀類の通称で、つまり「刺のある穀物」という意味の言葉である。この稗の穂に刺が多くあるため、このように呼ばれている。イヌの人々の伝承によれば、国の開けし初め、天から火の神が降臨なされ、この種をお伝えになり、それ以来栽培するようになったということである。そういう由緒を持つことから、イヌの人々はこの作物を非常に尊んでおり、 栽培から
第2巻, 9ページ, タイトル:
本邦の人より伝へて作れる夷人ことに多し、    蝦夷のうち、シリキシナイなといへる所よりサル なといへる所迄の夷人は、ことーーく作る事也、 これを糧食に供する事も、よのつねの魚鳥の 肉とふに比すへきものにはあらすといひて、其尊ひ 重んする事甚厚し、凡そこれらの事に よらんには、いかんそ蝦夷の地にしては禾穀の 類の生する事なく、蝦夷の人は禾穀の類を 食する事なしとはいふへき、 「本邦の人」から伝えられて作るイヌの人々が少なくない。 *蝦夷地のうちでも、シリキシナイ(尻岸内)という所からサル(沙流)という所までに住むイヌの人々は、皆作物の栽培を行なっている。 彼らが農作物を糧食に供する場合、主食である魚や鳥の肉等とは比較にならないものだとして、非常に篤く尊び重んじている。こうしたことから考えるに、蝦夷地には禾穀類が生じずイヌの人々が禾穀類を食することはない、ということは誤りであるといえよう。
第2巻, 11ページ, タイトル:
ラタ子と称する事は、ラタツキ子といへるを略せるの 言葉也、ラとはすへて食する草の根をいひ、タ ツキ子とは短き事をいひて、根短しといふ事也、 これは此草の形ちによりてかくは称するなり、 是亦国の開けたる初め火の神降りたまひて、 ユシマヽと同しく伝へ給ひしよし言ひ伝へて、 ことの外に尊み蝦夷のうちいつれの地にても作り て糧食の助けとなす事なり、    但し、極北の地子モロ・クナシリ島とふの夷人作る 事のなきは、ユシマヽに論したると同しき ゆへとしるへし、 是を 本邦菜類のうちに考ふるに、すなハち ラタネとは、「ラタツキネ」という言葉を略した言葉である。「ラ」とは食用植物の根全般を指し、「タツキネ」は「短い」を表わし、あわせて「根が短い」という意味である。 この草がそういう形をしていることから付いた名称である。これもまた、国の開けし始め、火の神が降臨なさって、ユシママと一緒にお伝えになったと言い伝えられており、ことのほか尊ばれている。この作物も、蝦夷地一円に栽培されており、糧食の一助として用いられている。 *但し、極北の地であるネモロ・クナシリ島等のイヌの人々がこれを栽培することがないのは、ユシママのところで論じたのと同じ理由であろう。 ラタネとは、
第2巻, 12ページ, タイトル:
蔓菁の一種なり、其食するに根葉ともに 用ゆる事全く蔓菁と異なる事あらすして、 味も又同し、夷人のいひ伝ふるところも、此菜ハ よのつねの草とは事替りて、聊か毒の気なし とて、疾病の人といへとも、此菜に限りてハ心を おかすして食せしむる事也、すへて蝦夷のうち 極北の地にあらさるあひたは、土地の美悪にかゝ ハらす作りたにすれはよく生熟する事也、多く 作る事もあらんには、荒凶のとしの備へになさん も、便なるへし、    右の二種は蝦夷の闢けし初より自然に生し たる所にして、外より伝ハり植たる物にハ 我が国に生育する菜類のなかにある 「蔓菁」の一種である。食するときに根と葉とを共に用いることなど全く「蔓菁」と変わるところはなく、味もまた同じである。イヌの人々の言うには、ラタネは通常の草とは異なり、少しも毒気がないとのことである。従ってこの菜に限っては、病人にも安心して食べさせているのである。蝦夷地のうち極北の地を除き、土地の美悪に拘らず、作りさえすればよく成熟するとのことである。よって多く作られた場合、凶作の年の備えとなり、便利なことである。 * 右に掲げたの二種の作物は、蝦夷地開闢以来の自生種であり、外部から伝来して植え付けられたものでは
第2巻, 13ページ, タイトル:
あらす、此うちユシマヽは穀類の一種にして、 ラタ子は菜類の一種なり、是によりて考ふるに、 後来に及ひ人民蕃湿し耕耘の力を致し、 稼穡の務を尽す事あるに至らんにハ、禾穀 菜草の類、森然として蝦夷の地に生せん事も いまた知るへからす、此より後に図するところは、 此二種のものを作り立るより食するに いたるまての次第、夷人ことに心を用る事を録 せるなり、 ない。このうちユシママは穀類の一種であり、ラタネは菜類の一種である。 このことから考えるに、将来蝦夷地に人民が殖え、農耕に力を尽くすことになった場合、禾穀・草菜の類が、この地に森の繁りのように生じてこないとも限らないであろう。なお、これから後に掲げる図は、この二種の作物を栽培するところから食するに至る迄の次第のうちから、イヌの人々が殊に心を用いる場面を収録したものである。
第2巻, 15ページ, タイトル:
右二種のものを作る事をすへて称してトイタ といふ、トイは土をいひ、タは掘る事をいひて、土を 掘るといふ事也、又一にはトイカルともいふ、トイは 上に同しく、カルは造る事をいひて、土を造ると いふ事也、二つともに 本邦の語にしてはなを 耕作なといはんか如く、また場圃なといはん ことし、    耕作と場圃とは殊にかハりたる事なるを、かく いへるものは、すへて夷人の境、太古のさまにして 言語のかすも多からす、為すへき業も又少なし、 しかるゆへに此二種の物を作るか如き、其作り立る の事業をもすへて称してトイタといひ、その 右に掲げた二種の作物を作ることをトイタと総称する。「トイ」は土のことを、「タ」は掘ることを表わし、あわせて「土を掘る」という意味である。また別にトイカルともいう。「トイ」は土のことを、「カル」は造ることを表わし、あわせて「土を造る」という意味である。二つの語はともに、我が国の言葉で言えば、耕作といったり場圃といったりしている語を指しているようだ。 * 耕作と場圃という、異なった意味を持つ概念であるものを同じ語で表わしているのは、イヌの人々の生活境遇が太古の状態にあるため、言葉の数が多くはなく、行なわれる生業活動もまた少なかったためである。 従って、この二種の作物を作るに際して、栽培作業の総称としてトイタの語を用い、
第2巻, 16ページ, タイトル:
作れる地にして場圃のさましたるところをも、又 称してトイタといふ也、凡これらの事、  本邦の事に比しては論し難きところなり、 これより後、其言葉は一にして、其事のたかひ ある事は皆この故としるへし、 夷人のならひ、これらの事をなすに地の美悪を えらふなといへる事はミえす、山中の不平なる 地あるは樹木の陰なとおもトイタとなして作れる 事なり、    但し、地をえらふ事のなしといへるはさたかなる 事にはあらす、外より打見たるさまハかく見 ゆれとも、すへて夷人の性は物事深くかんかへて 栽培地である場圃様の所をもまた、トイタと称するのである。こうした事情につき、我が国における事例を挙げ、比較して論じるのは難しい。以下、本稿において同一語であるにもかかわらず、その示す意味が異なっているのは、皆こうした理由によるものと御承知置き願いたい。 イヌの人々の慣習として、栽培をするに際しては土地の美悪を選ぶことはしない。山中の平らではない土地や樹木の陰になっている土地などをもトイタとなして栽培を行なっている。 * 但し、地を選ぶことがない、という見方は、実ははっきりしたことではない。傍から見ればそのように見えるのであるが、イヌの人々は物事を深く考える
第2巻, 22ページ, タイトル:
草を焼てより其地の土を平らかにならす也、 是をトイラヽツカと称す、トイは前に同しく、 ラヽツカとはすへて物を平らかにする事をいひ て、土をたいらかになすといふ事なり、夷人の境 釆槌とふの器もなけれハ、地をならすといへるも、  本邦にて隴畝なと耕作するか如きの事にハ非す、 唯其地にある木の根、あるは土くれとふの物 の種を蒔、さまたけとなるへき物を図のことく タシロとふのものにてきり除くのミの事也、    タシロといへる物は 本邦にいふ庖丁の類也、 委しくは器材の部にミえたり、 草を焼いてから、その場の土を平らに均す作業を行なう。これをトイララツカという。「トイ」は前に述べた通り、「ララツカ」は物を平らにすること一般を表し、合わせて「土を平らにする」という意味である。イヌの人々は才槌などの器具を持たないため、土を均すといっても、わが国において田畑に畝をしつらえて耕作するような作業を行なうわけではない。ただその場にある木の根や土くれ等のなかで蒔く妨げとなるような物を、図に見えるようなタシロという用具で切り除くだけのことである。   *タシロというのは、わが国で言う包丁の一種である。詳しくは「器材の部」に述べてあるのでご参照ありたい。
第2巻, 25ページ, タイトル:
すへて夷人の境時候ひとしからす、寒暖の 遅速によりて種を蒔の時節も又かハれり、 先つおほよそは 本邦の時節に見んにハ四月の 半より五月の半にあたるへし、 こゝに図したるところは、種を蒔とハいへとも たゝ地上にうち散らしたるのミにて、土を覆ふと いふ事もなけれは、雀なとの小鳥ひろひ喰 ひて自然生のさましたるをしるせるなり、 イヌの人々の住んでいる土地は、地域によって季候が異なっている。寒暖の遅速によって、種を蒔く時節もまた一様ではない。一般的には、わが国の季節でいうと四月の半ばから五月の半ばに相当するだろう。 ここに掲げた図は、種を蒔くとはいいながら、ただ地上に散らしているだけで、土をかぶせるということもしないため、雀などの小鳥がそれを拾って食べてしまう。結局自生と同じ有様であることを示したものである。
第2巻, 27ページ, タイトル:
是も初めにしるせしムンカルと同しく、草を かるといふ事也、されと其義はたかひ有事にて、 前にしるせるは、たゝ草を苅る事をいふ也、こゝに いふところも蒔置たる二種のものゝ芽を出せし より、其たけもやゝのひたる頃に及ひ、其間に 野草の交り生して植し物のさハりとなる故に、 其草を抜きすつる事をいふ也、されハ同しく 草を除くといふにも、其わけはたかひてあれ とも、上に論する如く、夷人の言語は数少く して物をかねていふ事のあるゆへ、これらの 類もひとしくムンカルとのミ称する也 、 本邦にて禾菜の類を作るにハおろぬくと これも、初めに記したムンカルと同様、草を刈るという言葉である。しかし、その意味内容は異なっている。前に記したものは、ただ草を刈ることをいうのみであった。ここでいうムンカルは、蒔いて置いた二種の作物が発芽し、丈もやや伸びた頃に、その間に交じって生えてきて成長の妨げとなる雑草を取り除く作業をいう。従って同じく草を除くという言葉ではあるが、その意味するところは異なっているのである。これは、前述のように、イヌの人々の言葉は単語の数が少なく、物事を兼ねていうことがあるためである。いま述べた二つの作業について、同じくムンカルと称するのは、そのためである。
第2巻, 30ページ, タイトル:
是はユシマヽ熟するの時に及て、その穂を きらんかために手に貝をつけたるさま也、テケヲ ツタセイコトクといへるは、テケは手の事をいひ、ヲツタ は何にといふにの字の意なり、セイは貝をいひ、コト クは附る事をいひて、手に貝を附るといふ事也、    これに用る貝は、夷語にビバセイといふ也、其を小刀 を磨する如くによくときて手に附る也、ヒバセイ は別に貝類の部にくハしくミえたり、 凡穂をきるにはミなこれを用ひてきる事也、 決して小刀よふの物、すへて刃物を用ゆる事ハ あらす、奥羽の両国の中まれにハ穂をきるに右の 如く貝を用ゆる事もあるよしをいへり、 これは、ユシママが稔るに及んで、その穂を切るために手に貝をつけた様子である。テケヲツタセイコトクというのは、「テケ」は手を、「ヲツタ」は「~に」という語を、「セイ」は貝を、「コトク」は「付ける」をそれぞれ表し、合わせて「手に貝を付ける」という意味である。 * これに用いられる貝を、イヌ語でビバセイという。この貝を、小刀を研磨するようによく研いで手に装着するのである。ビバセイについては、別記「貝類の部」に詳細である。
第2巻, 32ページ, タイトル:
是図は前にいへる如く、手に貝をつけてユシ マヽの穂をかるさま也、ウフシトイといへる事は、 ウブシは穂の事をいひ、トイは切る事をいひて、 穂をきるといふ事也、もとより自然に生し たる如くに作りたる事ゆへ、其たけの長短も ひとしからす、穂の熟する事もまた遅速の 不同ありて、残らす熟するをまちて収めん とするには、早く熟したる穂は実の落ち 散る事もあり、或は鳥なとのために喰ひ 尽さるゝ事ありて、其損失ことに多し、しかる ゆへに、大概に熟するを待て実のりに不同ある 事ハ論せすしてきりとる也、其きりとりし この図は、前述のように、手に貝をつけてユシママの穂を刈る様子である。ウフシトイというのは、「ウブシ」は穂を、「トイ」は「切る」を表し、合わせて「穂を切る」という意味である。もとより、自生同様に作ったものであるから、その丈の長短も等しくはない。穂の熟する速度もまちまちであり、残らず熟すのを待って収穫しようとした場合、早く熟した穂は実が落ちてしまうことも、あるいは鳥などにより食い尽くされることもあり、損失が少なくない。従って、大体熟するのを見計らって、その稔りの程度にばらつきがあることには構わず、切り取ってしまうのである。
第3巻, 5ページ, タイトル:
もある也、    サラニツフといへるは草にて作れる物也、俵に するといへるも多くは夷地のキナといへる物を 用ゆる也、二つともに委しくハ器財の部にミへたり、 此中来年の種になすへきをよく貯へ置にハ、 よく熟したる穂をゑらひ、茎をつけて剪り、よく たばねて苞となし、同しく蔵に入れをく也、 是にてまつユウシマヽを作り立るの業は 終る也、すへて是迄の事平易にして、格別に 艱難なるさまもなきよふにミゆれとも、ことに 然るにあらす、夷人の境よろつの器具とふも心に まかせすして力を労する事も甚しく、また 場合もある。 * サラニツフというのは、草で作られたものである。俵にこしらえる場合も、多くは蝦夷地のキナというものが用いられる.詳しくは本稿「器材の部」に記してある。 このなかから来年の種とするものを良い状態で貯えておくには、よく熟した穂を選び、茎をつけたまま刈り、よく束ねて包みとし、他の穂と同様に蔵に入れておく必用がある。 これでユウシママを作りたてる作業は終了である。全般にこれまでの作業は平易であり、格別に困難な様子などないように見えるが、そうではない。イヌの人々の住む地では、諸種の農器具なども手に入らず、従って労力を費やすことが甚だしい。また、
第3巻, 8ページ, タイトル:
ルシヤシヤツヽケと称する事は、ルシヤとハ蘆をあミ て簾の如くなしたる物をいひ、シャツヽケとは干す 事をいひて、簾にほすといふ事也、是は蔵に 入れ置たる穂を食せんとする時に及ひて蔵より とりいてゝ簾にのせ、囲炉裏の上に図の如くに 干す事也、いかなるゆへにやいとま有時といへとも 残らす舂てそれを貯へ置といふ事ハあらす、 いつれ穂のまゝに蔵に収め置て、食するたひ ことに蔵よりとり出し図の如くに干して、 それより舂く事をもなす事なり、  ルシヤシヤツツケとは、「ルシヤ」がシを編んで簾のように作ったものを、「シヤツツケ」が干すことを表し、合わせて「簾に干す」という意味である。これは、蔵に入れておいた穂を食しようとする時に、蔵から取り出して簾に乗せ、囲炉裏の上に図のように干すことを指す。どういうわけか、いくら時間があったとしても、蔵の穂をすべて搗いたうえで貯えるということは行なわれない。 穂のままで蔵に収めておき、食する度ごとに取り出して図のように干したうえで搗くことになっているのである。
第3巻, 10ページ, タイトル:
ユウタとは舂事をいふ也、ヒロウなといへる所の 辺より奥の夷地に至りてはウタとも称する なり、是は前の図のことく囲炉裏の上にてほし たる穂をそのまゝ臼にいれてつく事なり、 其つく所は常に小棟屋にて為す事多し、    小棟屋は夷語にチセセムといひて、住居の側に 立てつきたる小き家をいふ也、 晴天の日なとは、家の外に出てつく事も ある也、  ユウタとは、搗くことを意味する。ヒロウ(広尾)とかいう所の辺りより奥の蝦夷地に行くと、ウタとも称している。これは、前の図に見えるような囲炉裏の上で干した穂を、そのまま臼に入れて搗くことを指している。これを搗く場所であるが、常に小棟屋で行なわれることが多い。 * 小棟屋とは、イヌ語でチセセムといって、住居のそばに建てられる小さな家のことである。 晴天の日などは、屋外に出て搗かれることもある。
第3巻, 16ページ, タイトル:
ムルクタウシウンカモイと称する事は、ムルクタは前に いふか如く糠を捨る事をいひ、ウシは立事を いひ、ウンは在る事をいひ、カモイは神をいひて、 糠を捨る所に立て在る神といふ事也、是はユウシ マヽとラタ子の二種は神より授け給へるよし いひ伝へて尊ひ重んする事、初めに記せる如く なるにより、およそ此二種にかゝはりたる物は 聊にても軽忽にする事ある時は、必らす神の 罰を蒙るよしをいひて、それより出たる糠と いへとも敢て猥りにせす、捨る所を住居のかたハらに 定め置き、イナヲを立て神明の在る所とし、尊ミ をく事也、唯糠のミに限らす、凡て二種の物の ムルクウタウシウンカモイとは、「ムルクタ」は前に述べた通り糠を捨てることを、「ウシ」は立てることを、「ウン」は「在る」という語を、「カモイ」は神をそれぞれ表し、合わせて「糠を捨てる所に立ててある神」という意味である。これについてであるが、ユウシママとラタネの二種類の作物が神から授けられ給うたものと言い伝えて尊び重んじられていることは前に記した通りである。 そして、この二種類の作物に関わる物は、どんなものであっても軽率に扱えば必ず神罰を蒙るといい慣わしている。よってそれらから出た糠といえどもみだりには扱わず、捨てるところを住居の傍らに定めて置き、イナヲを立て、神明のいます所として尊んでいるのである。これは糠に限っての扱いではない。この二種類の作物の
第3巻, 18ページ, タイトル: マヽシユケの図
第3巻, 19ページ, タイトル:
是はユウシマヽを烹るさまを図したる也、 マヽシユケといふは、マヽは穀食の事をいひ、シユケ とは烹る事をいひて、穀食を烹るといふ事也、 穀食は炊くともいふへきを、烹るといへるものは、夷 人の境、未飯に為す事をハしらて、唯水を多く 入れ粥に烹る計りの事なるゆへ、かくは称する なり、又ラタ子を食するは、汁に烹て喰ふ事也、 其食せんとする時、トイタに植をきたるを掘り とり来りて、    ラタ子はよく熟するといへとも、一時に残らす掘 とりて貯へ置といふ事はせす、植たるまゝにて トイタにをき、食するたひことに掘り出して用ゆる この図は、ユシママを煮る様子を描いたものである。ママシユケとは、「ママ」が穀物のことを、「シユケ」が煮ることを表し、合わせて「穀物を煮る」という意味である。 穀物であるから「炊く」というのが通常であろうところを「煮る」といっているのは、イヌの人々の住む地域では、いまだに穀物を飯とすることを知らず、ただ水を多く入れ粥として煮るのみであることによる。また、ラタネは、汁に入れて煮て食する。 ラタネを食べようとするときには、トイタに植えておいたものを掘り取ってきて、 * ラタネは、よく熟した場合でもいっぺんに残らず掘り取って貯えておくようなことはしない。植えたままでトイタに放置しておき、食する度ごとに掘り出して用いる
第3巻, 20ページ, タイトル:
なり、但し寒気の甚しくして土地の氷れる 時に至れは、やむ事を得すしてミな掘り出して 貯へ置く也、 それを根菜ともにきりて、魚の肉と同しく鍋に 入れ、水をもて少しく塩けの有よふに烹て 食する也、是をラタ子ヲハワと称す、ヲハワトは 汁の事をいひて、ラタ子を入れたる汁といふ事也、    すへて汁の実に魚を用ゆる事、夷人の常 食にて、ラタ子は其助けに用ゆる也、然るゆへに、 いつれ魚と雑へ烹る事にて、ラタ子計り烹ると いふ事ハあらす、唯根の格別に大なるは、湯煮 になして食事の外に喰ふ事あり、  のである。 そして寒気が甚だしくなり、地面が凍ってしまうような時に至り、やむを得ず皆掘り出して貯え置くのである。 根と葉を取り除いた上で、それを魚の肉と一緒に鍋に入れ、水により少々塩気がきくように煮て、食するのである。この料理をラタネヲハワという。「ヲハワ」とは汁のことを表し、「ラタネを入れた汁」という意味である。 * 概ねにおいて汁の実に魚を用いるのがイヌの人々の常食であり、ラタネは付け合わせとして用いられる。従って、魚に交えて煮られるものであり、ラタネ単独で煮られるということはない。ただし、格別に大きな根は、そのまま茹でて食事とは別に食されることがある。
第3巻, 21ページ, タイトル:
本邦にいはんには、なを菓子なとに用ゆるか如し、 其汁の実の助となす物は、ラタ子の外にも 海苔あるは草とふを用ゆる事有、其草のかす 又多し、委しくは食草の部にミえたり、 右のうちユウシマヽは 本邦の事に 比していはんには、なを飯の如く、ラタ子はなを 菜汁とふの如き物なれとも、夷人の習ひ然る 事にさたまりたるにハあらす、二つともにいつれも 糧食となす事也、すへて此等の類の飲食に かゝはりたる事は、専ら女の夷人の業となす事、 本邦にことなる事あらす、其食するさまの 委曲は後の図にミえたり、 わが国でいうと、ちょうど菓子などとして用いるようなものである。なお、汁の実のとして付け合わされるものには、ラタネの他に、海苔や草などが挙げられる。その草の種類は少なくない。詳しくは、本稿「食草の部」に記されている。 二種の作物のうちユシママは、わが国でいうならば飯のようなもので、ラタネは同じく菜汁のようなものといえる。しかし、イヌの人々の流儀では、そのように定まっているわけではない。両者ともに等価の糧食としているのである。なお、こうした飲食に関わる作業が専らイヌ女性の領分であることは、わが国のそれと同様である。食事の様子の詳細については、次に掲げた図に示した通りである。
第3巻, 22ページ, タイトル: マヽイヘの図 
第3巻, 23ページ, タイトル:
マヽイベといへる事は、マヽは穀食をいひ、イベ は喰ふ事をいひて、穀食を喰ふといふ事也、 夷人の食事は、多くは一日に両度なり、時に より客なと来りて物語らふ夜なとハ、三四度 其余にも及へる事あり、    但し、食するの度数たしかにかく定り たるといふにはあらす、時によりてかハれる事もあれと、 まつ平常のさまを録せる也、凡是等の事、  本邦食事の度数さたまりたるなとには比して、 論しかたきところ也、 其食せるにハ、まつ初めに汁を食してそれ より粥を食する也、いつれ汁を先に食し粥を ママイベとは、「ママ」が穀物を、「イベ」が食べることを表し、「穀物を食べる」という意味である。イヌの人々の食事は、多くは一日二度である。時によって、来客などがあり、語り合いがなされる夜などは、一日三~四度、あるいはそれ以上に及ぶこともある。   *但し、食事の回数はきっちりとこう定まっている、というわけではなく、時によって変わることもあるが、とりあえず通常の回数を記したまでである。こうした点は、わが国において食事の回数がきっちりと定められているのとは比較して論じ難いところである。 食事の時には、まず最初に汁を食して、それから粥に移る。何としても汁をにして粥を
第3巻, 24ページ, タイトル:
後に食せる事、夷人の習俗なり、    粥を後に食する事、其意味未詳ならすといへとも、 殊に尊ひ重んするよりして、かくはなす事と聞ゆる也、 それも 本邦の事の如く、汁をも粥をも 一同に烹置て、ひとしく食するといふにはあらす、 一つ鍋にて烹る事故、まつ汁を烹て食し終り、 それより又粥を烹て食する也、まれには又 其あとにて魚計りを湯煮になして食する 事もあれとも、まつは汁と粥とを日々の常 食とする事也、其汁と粥とを食せる事も、いつも 右にしるせる如く次第して食ふ事とも又決し 難し、時によりては汁計りを食しをく事も有、 後にするのは、イヌの人々の習慣である。 * 粥を後に食する理由は未詳であるが、穀物を大変尊び重んじていることから、そうしているのではないかと考えられる。 しかも、わが国のように汁と粥とを同時並行で煮て置いて、二つ並べて食するというわけではない。一つの鍋で煮るのである。従って、まず汁を煮て、それを食し終えてから更に粥を煮て食するのである。稀にはその後に又、魚だけを水煮にして食べることもあるが、普通は汁と粥とを日々の常食としている。ただし、汁と粥とによる食事であるが、いつも右に記したような次第でなされると決まっているわけではない。時によっては汁だけの、
第3巻, 25ページ, タイトル:
粥計りを食しをく事もあり、又あるときは 魚はかりを食しをく時もある也、ここに図する ところは粥を食するさまゆへ、マヽイベと題表を しるせし也、右三種のものを食するに、  本邦の人の如くいく椀をもかへて喰ふという 事はあらす、いつれも一椀をもて其限りとす、 三種の物の中あるは二種あるは一種の物を 食する時も、又各一椀つゝをもて限りとする也、    是等の事いかなるゆへによりてかくハ定め たりけん、三種の物ミな次第して烹るときハ、一種を 一椀つゝ喰ひても凡て三椀の食にあたるへし、三種の 物の具さらんにハ、あるは二椀を食するにとゝまり、 あるいは粥だけの食事もある。またある時は魚だけの食事もある。ここに掲げた図は、 粥を食する様子なので、「ママイベ」と表題をつけたのである。いま記した三種類のものを食するに際して、わが国の人のように、幾椀もお代わりして食べるということはない。すべて一椀ずつで済ませてしまう。 三種類のもののうち二種類あるいは一種類だけの食事の場合も、同じく一椀ずつで済ませるのである。 * どうした理由で、こうしたことを定めているのだろうか。三種類のものを皆そろえて煮ることができる場合は、一種類を一椀ずつとしても三椀食することになろう。一方、三種類のものが揃わなかったときは、二椀もしくは
第3巻, 26ページ, タイトル:
あるは一椀を食するに止りて、其□歉ひとし からぬ事あるへきを、夷人の習ひいささか是等の 事をもて意となさゝる事とミゆる也、 一椀を喰ふことに粥をはマヽトミカモイと唱へ、 魚肉及ひ汁をはチエツプトミカモイと唱へてより喰ふ なり、マヽトミカモイといへるは、マヽは穀食をいひ、 トミは尊き事をいひ、カモイは神をいひて、穀食 尊き神といふ事也、チエツプトミカモイといへるは、チエ ツプは魚をいひ、トミカモイは上と同し事にて、魚の 尊き神といふ事也、是は右いつれの食も天地 神明のたまものにて、人の身命を保つところの 物なれは、それーーに主る神ある事故、其神を 一椀を食するに止まることになる。これでは、食事の度に、食べ飽きてしまったり、あるいは逆に食べ足りなくなってしまったりすることが生じてきそうなものである。しかし、イヌの人々の習慣では、こうしたことについて、いささかも意に介していないように見えるのである。 こうした椀は、一椀ごとに、粥をママトミカモイと唱え、魚肉および汁をチヱツプトミカモイと唱えてから食される。ママトミカモイとは、「ママ」が穀物を、「トミ」が「尊い」という語を、「カモイ」が神をそれぞれ表し、合わせて「穀物の尊い神」という意味である。チヱツプトミカモイとは、「チヱツプ」が魚を表し、「トミカモイ」は前に同じであるから、合わせて「魚の尊い神」という意味である。イヌの人々の言うには、右に記したいずれの食材も、天地神明の賜物であり、人の身命を保ってくれるものであるという。従って、食材それぞれに司る神があることでもあるので、その神を
第3巻, 27ページ, タイトル:
尊ミ拝するの詞なるよし夷人いひ伝へたり、此中 魚を喰ふにもチエツプトミカモイと唱へ、汁を喰ふ にもまた同しくチエツプトミカモイと唱ふる事は、 前の条にしるせし如く、汁の実はいつれ魚肉を 用ゆる事、其本にして、ラタ子あるは草とふを 入る事はミな其助けなるゆへ、魚肉を重となすと いふのこゝろにて、同しくチエツプトミカモイと唱ふる なり、    これのミにあらす、すへて食するほとの物ハ何に よらす其物の名を上に唱へ、某のトミカモイと 唱へて食する事、夷人の習俗なり、 一日に両度つゝ食するうち、朝の食は   拝むために唱えられるのが、 この詞なのだそうだ。さてその詞についてであるが、魚を食べるに際してもチヱツプトミカモイと唱え、汁を食するにも同じくチヱツプトミカモイと唱えている。それは何故かというと、前条に記したように、汁の実には大抵魚肉を用いることが基本であり、ラタネあるいは草などを入れるのは付け合せに過ぎないため、魚肉が主であるという考えに立って、同じくチヱツプトミカモイと唱えているのである。 * これだけではなく、食材として用いるもののすべてに対して、それがどんなものであれ、その食材の名称を上に唱え、何々トミカモイと唱えてから食事を行なうのが、イヌの人々の慣習である。 一日に二度の食事のうち朝食は、
第3巻, 28ページ, タイトル:
本邦の時刻にいはんにハ、いつも四ツ時頃より九ツ 時頃に至る也、其ゆへは朝にとく起て其まゝ食 事するといふ事はあらす、いつれの業にても一般 の務をなして、それより朝の食事につく也、 是は男女ともにことなる事なし、たとえは男子 漁獵に出れは、女子も又家に在りてツシにても 織るなといふ如きの事也、食事の時にあたりて 家中の者他に行て其座にあらされは、まつし ハらくひかへて帰るをまち、もし帰る事の晩けれは、 その者の喰ふへき分を椀に盛りてそなへ置、 それより家中の者ミな食事をなすなり、 又食事の時外より人来る事あれは、其人数の わが国の時刻でいえば通常四ツ時頃から九ツ時頃までの間に行なわれる。つまり、朝早く起きて、何らかの一般的な作業を行い、その後に朝食をとることになるのである。 これは、男女ともに同様である。たとえば男子が漁に出れば、女子は家にあってツシなどを織るなどといった具合にである。食事の時に際しては、家族の誰かが他所へ行っていてその座に居合わせなかった場合、まず暫くは帰宅を待ってみる。もし帰ってくるのが遅かった場合は、その者の食べる分を椀に盛って分けておいて、その後に家のもの皆が食事をとるのである。 また、食事のときに外から人が訪ねてきた場合には、その人数の
第3巻, 30ページ, タイトル:
る事あれは、幾日といふ事なく留め置て、食事 の中尤夷人の美とし愛するものを尽くして 供応する事なともある也、是等の事すへて 飲食の事につきても、夷人の性純撲にして、 親愛深く、交際和睦せる事は思ひはかる へし、 ることがあれば、何日でも留め置いて、食事の際にはイヌの人々が最も美とし愛する料理を尽くして供応することなどもある。これらのことは、すべて飲食に関することではあるが、ここからも、イヌの人々の性格が純朴であり、親愛深く交際和睦する性質であることを、知ることができるだろう。
第4巻, 4ページ, タイトル:
凡夷人の舟は敷をもて其基本とす、しかるか 故に舟を作んとすれは、まつ初めに山中に 入て敷となすへき大木を求むる事也、    夷人の舟は、敷をもて本とする事、後に くハしく見へたり、 其山中に入んとする時にあたりてハ、かならす先つ 山口にて図の如くイナヲをさゝけて山神を祭り、    イナヲといへるは、 本邦にいふ幣帛の類也、 くハしくはイナヲの部にミえたり、 埼嶇□嶢のミちを歴るといへとも、身に 恙なくかつは猛獣の害にあはさる事とふを 祈る也、其祈る詞にキムンカモイヒリカノ ☆すべてイヌの舟は船体が基本である。だから舟を作ろうとすれば、まずはじめにおこなうのは山に入って船体とする大木を探し求めることである。  <註:イヌの舟は船体が基本であることは、後に詳しく述べられている> ☆そのために山の中に入ろうとするときには、かならず最初に山の入り口で図のようにイナウを捧げて山の神を祭り、 <註:イナウというのはわが国でいうところの御幣のたぐいである。詳しく は「イナヲの部」に述べられている> ☆ 崖や@@の道を歩きまわっても、自分のからだにつつがなく、さらに猛獣に襲われないことを祈るのである。その祈りことばに「キムンカモイヒリカノ
第4巻, 5ページ, タイトル:
イカシコレと唱ふ、キムンは山をいひ、カモイは 神をいひ、ヒリカは善をいひ、ノは助語なり、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 山神よく守護賜れといふ事也、かくの如く 山神を祭り終りて、それより山中に入る也、 木を尋る時のミに限らす、すへて深山に入んと すれハ、右も祭りを為す事夷人の習俗也、 こゝに雪中のさまを図したる事ハ、夷人の 境、極北辺陲の地にして、舟とふを作るの時、 多くは酷寒風雪のうちにありて、その 艱険辛苦の甚しきさまを思ふによれり、後の 雪のさまを図したるはミな是故としるへし、 イカシコレ」と唱える。キムンというのは山をいい、カモイは神をいい、ヒリカは善くをいい、ノは助詞である。 イカシは守ることをいい、コレはしてくださいなという意味であって、「どうぞ山の神様よろしくお守りくださいませ」ということである。このように、山の神へのお祈りを終えてそれから山の中にはいるということなのである。木を探すときばかりではなく、山の中に入ろうとすれば、右のようなような祭りをすることはすべてイヌの人びとの習俗なのである。 ここに雪中での作業の様子を図にしたのは、イヌの人びと境域?は極北の辺地であって、舟などを作るとき、多くは酷寒の風雪はなはだしい時期におこなわれるので、その作業の困難辛苦のようすを思うためである。後にも雪の中での作業を描いているのはみなその理由であることを知っておいてほしい。
第4巻, 7ページ, タイトル:
山中に入り敷となすへき良材を尋ね求め、 たつね得るにおよひて、其木の下に至り、 図の如くイナヲをさゝけて地神を祭り、その 地の神よりこひうくる也、その祭る詞に、 シリコルカモイタンチクニコレと唱ふ、シリは地を いひ、コルは主をいひ、カモイは神をいひ、タンは 此といふ事、チクニは木をいひ、コレは賜れといふ 事にて、地を主る神此木を賜れといふ事也、 この祭り終りて後、其木を伐りとる事図の 如し、敷の木のミに限らす、すへて木を伐んと すれハ、大小共に其所の地神を祭り、神にこひ請て 後伐りとる事、是又夷人の習俗なり、 ☆ 山中にはいって船体となる良材をさがして歩き、それが見つかったので、その木の下へ行って、図のように木にイナウを捧げて地の神さまをお祭りし、その神さまから譲りうけるのである。その祈りことばは「シリコルカモイタンチクニコレ」と唱えるのである。シリは地をいい、コルは主をいい、カモイは神をいい、タンは此ということ。チクニは木をいい、コレは賜われということであって、「地をつかさどる神さま、この木をくださいな」ということである。 この祭りが終わったあとで、その木をきりとる様子は図に示した。船体の木ばかりではなく、どんな場合でも木を伐ろうとするときは大小の区別なくそのところにまします地の神をまつって、神さまにお願いしたのちに伐採するのはイヌの人びとの習慣なのである。
第4巻, 11ページ, タイトル: 舟敷の大概作り終りて木の精を祭る図
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ ヤツカイウエンンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 12ページ, タイトル:
舟敷の大概つくり終りてより、其伐り とりし木の株ならひに梢にイナヲを さゝけて木の精を祭る事図の如し、其祭る 詞にチクニヒリカノヌウハニチツフカモイキ ヤツカイウエンンベイシヤムヒリカノイカシコレ と唱ふ、チクニは木をいひ、ヒリカはよくといふ事、 ヌウハニは聞けといふ事、チツフは舟をいひ、 カモイは神をいひ、キは為すをいひ、ヤツカイは よつてといふ事、ウエンンベは悪き事を いひ、イシヤムは無きをいひ、ヒリカは上に同し、 イカシは守護をいひ、コレは賜れといふ事にて、 木よく聞け、舟の神となすによつて悪事 ☆ 船体のおおよそを造り終わってから、その伐りとった木の株と梢にイナウを捧げて木の霊をお祭りすることは図にしめしたとおりである。その祈りことばは「チクニヒリカノヌウハニチツフカモイキヤツカイウエンンベイシヤムヒリカノイカシコレ」と唱えるのである。その意味はチクニは木のことをいい、ヒリカはよくということ、ヌウハニは聞けということ、チツフは舟のことをいい、カモイは神をいい、キはするといい、ヤツカイはよってということ、ウエンンベは悪いことをいい、イシヤムは無いということ、ヒリカは上と同じ、イカシは守護をいい、コレはしてくださいということであって、「木よ、よく聞いてください。あなたを舟の神とするので、悪いことが
第4巻, 13ページ, タイトル:
なくよく守護たまはれといふ事也、 これは夷人の心に、およそ性ある物にハ ことーーく魂魄ありとおほへたるによりて、 無情の木なれともかくイナヲをさゝけて 祭りをなし、其伐りとりしことハりを のへて尊敬する也、魂魄を夷語にラマチと 称す、草木たにかくの如くなれハ、まして 有情の禽獣なと殺すときは、その精を 祭る事甚厚し、 起こらないようによくお守りください」ということである。 これはイヌの人びとの心のなかに、すべて性?あるものにはことごとく魂魄がそなわっているという考えがあるので、情というもののない樹木でさえも(それを伐採するときには)とのかくイナヲを捧げてお祈りをして、伐採する理由などをのべて敬虔に接するのである。魂魄をイヌ語でラマチという。  草木にたいしてさえこのように接するのだから、情のある鳥やけだものを殺すときはその霊をお祭りすることにはとても敬虔なのである。
第4巻, 17ページ, タイトル:
おもむきにて、舳・艫両縁より初めすへて形ちの 善悪を考へ、其外水上往来の遅速、波濤を 渉るの便利、あるひは出岸着岸、またハ陸にあけおろ しの事とふまて、子細に舟の様子を 熟慮して、其高低曲直を漸々に削りなをす なり、すへて夷人の境いまた規矩といふものも あらす、唯かゝる工夫のミにて作り出せるゆへ、 心を労し、思を焦し、数月をかさぬるにあらすし ては、敷一つを作り得る事もならさる也、その うち月日を重ね、纔に作りたる数にも彼是の 便利あしけれハ、徒にすつるもありて、其辛苦を きハむる事言葉に尽しかたし、 状態によって、みよしやとも、両側の縁などをは12じめ、船体すべての形を考え、そのほか水上往来の早さ、波をこえる性能、あるいは岸を離れるときや着岸、おかへ上げたりおろしたりといったことにまで、ことこまかに舟の状態を熟慮し、船体の高さかげんや曲がりなどを少しずつ削りなおしていくのである。 イヌの人びとには物差しというものがないので、こういう工夫だけで舟を造り上げていくため、心労やいろいろ考えること数ヶ月にもおよぶことなくしては、船体ひとつを造りだすこともできないのである。そうして月日を重ねてわずかに造った数のうちにもいろいろの不具合があれば、捨ててしまうのもあるようにその辛苦をきわめること、実にことばにいいつくすことは出来ない。
第4巻, 19ページ, タイトル:
これは敷の初めて成就したる処也、 これより次第に後の図に出せる板等を あつめて舟の製作にかゝる也、此敷は 夷語にイタシヤキチフと称して、丸木舟と 同しさましたれとも、また説ある事なり、 後の川を乗る舟とならへ図して委しく 論したり、合せ見るへし、  これは船体がはじめてできあがったところである。これからだんだんあとのほうの図で示したいたなどを集めて舟の製作に取りかかるのである。船体はイヌ語でイタシヤキチフといって、丸木舟と同じ形をしているけれども、さらに説明することがある。のちに川舟とともに図示して詳しく説明してあるのであわせて見てほしい。 
第4巻, 24ページ, タイトル:
とだては舟の艫なり、図に二種出セる事ハ、 所によりて形ちも替り、名も同しからさる故也、 二種のうち前の図はシリキシナイよりヒロウ まての舟にもちゆ、    すへて所により用る物のたかふ事なと、此所 より此所迄とくハしく限りてハいひ難し、 こゝにシキリシナイよりヒロウまてといへ るも、シリキシナイの辺よりヒロウの辺 まてといふ程の事也、後の地名にかゝはる 事はミな此類と知へし、 夷語に是をイクムと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし 「とだて」は舟の艫(とも)のことである。二種類の図を出したのは、地方によって形態が変り、呼び名も共通ではないからである。二種類のうち、前の図はシリキシナイからヒロウまでの舟で用いている。   <註:地方によって使用する物が異なることなどは、ここからここまでと 詳しく限定していうことはできない。ここでシキリシナイからヒロ ウまでといっても、それはシリキシナイのあたりからヒロウのあた りまでというほどのことである。のちにでてくる地名にかかわるこ とはすべてこの類と知っておいてほしい。> イヌ語でこれをイクムという。  このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。
第4巻, 25ページ, タイトル:
後の図はヒロウよりクナシリまての舟 に用ゆ、夷語に是をウカキと称す、    此語解しかたし、追々考ふへし、 あとの図はヒロウからクナシリまでの舟で用いるもので、イヌ語でウカキという。   このことばの意味もわからない。やはり追って考えることにしよう。
第4巻, 27ページ, タイトル:
夷語にチプラプイタと称す、チプは舟をいひ、ラプは羽をいひ、イタは板の事にて、舟の羽板といふ事なり、 イヌ語でチプラプイタという。チプは舟をいい、ラプは羽をいい、イタは板のことで、「舟の羽板」ということである。
第4巻, 29ページ, タイトル:
夷語に是をナムシヤムイタと称す、ナムとは舳を いひ、シャムは出るをいひ、イタは板の事にて、 舳に出る板といふ事なり、 イヌ語でナムシヤムイタという。ナムとは舳をいい、シャムは出ることをいい、イタは板のことをいって、「舳に出る板」ということである。
第4巻, 33ページ, タイトル:
夷語に是をヒンラリツプと称す、ヒンは物のすき まあるをいひ、ラリはふさくをいひ、プは器も のをいふ、すきまをふさく器といふ事なり、 夷人の舟は釘を用ひす、ミな縄にて縫ひ あハするゆへ、いつれ板と板とのあひたすき まある事也、それを此図に出せる苔を下に置き、 その上に木をあて、縄にて縫ひ合る也、 苔は草とたかひ、物のすきまなとにあつる にはいとやハらかにて、 本邦の工家に 用る巻桧皮<俗にまへはたといふ>と同しさまに用ひらるゝ ゆへに、是をよしとする也、苔を夷語にムンと 称す、ムンはもと草の事なるを、夷人苔をも イヌ語でヒンラリツプという。ヒンとは物に隙間があることをいい、ラリは塞ぐことをいい、プは器物をいう。「隙間を塞ぐ器物」ということである。 イヌの舟は釘を用いず、すべて縄で縫い合わすので、どのみち板と板とのあいだに隙間ができるのである。それをここに図示した苔を下に置いてその上に木をあてて、縄にて縫い合わせるのである。苔は草と違って、物の隙間に詰めるのはとてもやわらかいので、日本の工芸家が使う巻桧皮<まきひわだ=俗に「まへはた」という>と同じように用いるので、そのすぐれていることがわかるのである。 苔をイヌ語でムンと称する。ムンはもと草のことであったのを、イヌの人びと苔も
第4巻, 34ページ, タイトル:
草と同しものとおほえたるによりて かくはいふなり、其縫ひあハする縄ハ夷語に テシカと称して三種あり、後の図にくハしく見えたり、 草と同じものと思っているのでこのようにいうのである。そこを縫い合わせる縄はイヌ語でテシカといって三種類ある。のちの図に詳しく述べてある。
第4巻, 36ページ, タイトル:
夷語に是をキウリと称す、    此語解しかたし、追て考ふへし シリキシナイよりヒロウまての舟にハことーーく 此具を用ゆ、これハ北海になるほと風波あら きか故に、舟の堅固ならん事をはかりて なり、シリキシナイよりビロウまてハさのミ 北海にあらすして、風波のしのきかたも やすきゆへ、まれには此具を用ゆる舟も あれと、多くは用ひす、 イヌ語でキウリという。    このことばの意味はわからない。追って考えることにしよう。 シリキシナイからヒロウまでの舟にはことごとくこの道具を用いている(訳註:ヒロウからクナシリまでの誤記か?)。これは北の海になるほど風波が荒いので舟を丈夫にするための工夫である。シリキシナイからヒロウまではそれほど北の海ではなく、風波から守る方法も容易なので、まれにこの道具を用いる舟もあるけれども多くの舟は使用しない。
第5巻, 4ページ, タイトル:
舟の製作が完全に終ってから、図のようにイナヲを舳に立てて、舟神を祭るのである。舟神は、今、日本の船乗りのことばで舟霊(ふなだま)というものと同様である。それを祈ることばに「チプカシケタウエンンベイシヤマヒリカノイカシコレ」という。 チプは舟をいい、カシケタは上にということ、ウエンは悪いことをいい、ンベは有ることをいい、イシヤマは無いということ、ヒリカは良いということ、イカシは守ることをいい、コレは賜れということで、「舟の上で悪いことがあることなくよく守り賜え」ということである。この舟神に祈ることはただ、船上での安全を祈願するだけではない。新しく作る 舟の製作全く整ひて後、図の如くイナヲ を舳に立て舟神を祭るなり、舟神は今   本邦舩師の語に舟霊といふか如し、其 祈る詞に、チプカシケタウエンンベイシヤマヒリ カノイカシコレと唱ふ、チプは舟をいひ、カシケタは 上にといふ事、ウエンは悪き事をいひ、ンベは 有る事をいひ、イシヤマは無き事をいひ、 ヒリカはよきをいひ、イカシは守護をいひ、 コレは賜れといふ事にて、舟の上悪き事 ある事なくよく守護を賜へといふ 事なり、此舟神を祈る事ハ、唯舟上の 安穏を願ふのミにあらす、新たに造れる
第5巻, 7ページ, タイトル:
図の如くに木を製し、舟の左右の縁に とち付てこれにカンヂといへる物をさしこ ミて舟をこく、    カンヂの図後に見へたり、 是をタカマヂと称す、タカマは跨く事をいふ、 ヂはすへて小なる物の高く出たるは乳の 如くなるをいふ、此タカマヂと称する事、其義 いまた詳ならす、夷人のいふところは、舟を こくにあはら木のある舟はそれに左右の 足をふミあて、左右のタカマヂにカンヂをさし こミて、跨り居てこぐ、あばら木のなきハ舟 底に横木をいれ、それに足をふミかけ跨り 図のように木で作り、舟の左右の縁に綴じつけて、これにカンヂという物を挿し込んで舟を漕ぐ。    <註:カンヂの図はのちに出している> これをイヌ語で「タカマヂ」と称する。タカマは跨くことをいう。ヂはとは小さなものが高く突出して乳のようになっているものをいう。これをタカマヂということの意味はまだよくわからない。イヌの人びとがいうには、「あばら木」のある舟はそこに両足を広げて踏みあてて、左右のタカマヂにカンヂを挿し込んで漕ぐ。「あばら木」のない舟は舟底に横木をいれてそれに両足を広げて踏み
第5巻, 11ページ, タイトル: シナプの図
第5巻, 12ページ, タイトル:
是は 本邦の舩に用るかちと同し 事につかふ也、シナプと称するは、シナとは 水をかきて舟をすゝむる事をいひ、フとハ 器をいひて水をかき舟をすゝむる器といふ 事也、奥羽の両国ならひに松前とふの猟 舩に此具を用るもありてねりかひと称す、 たゝし是ハかちに用る計に限らす、時に よりてかひの代りともなす故の名なる へし、 これは日本の船で用いる梶と同様に使うものである。シナプというのは、シナとは「水を掻いて舟を進めること」をいい、フとは「物」のことで、「水を掻きながら舟を進める物」ということである。奥羽の両国と松前の漁船にこの道具を使うものがあってねりかい(練り櫂)という。ただし、これは梶に使うばかりではなく、時には櫂のかわりにもするからこの名がついたのであろう。
第5巻, 14ページ, タイトル:
夷語に是をカヤと称す、図の如くにキナを 用ひて作るなり、    キナは夷地に生る草にて作り、筵の如き もの也、委しくハ器財の部に見えたり 帆をカヤと称する事、其義いまたつま ひらかならす、追て考ふへし、 イヌ語でこれをカヤと称する。図のようにキナをもちいて造るのである。     <註:キナは蝦夷地に生える草で作るむしろのようなものである。詳 しくは『器財の部』(これも欠けている)で説明してある>  帆をカヤと言うことの意味ははっきりとはわからない。追って考えることとしよう。
第5巻, 16ページ, タイトル:
夷語にこれをワツカケプと称す、ワツカは水をいひ、 ケはとる事をいひ、フは器をいふ、水を取器といふ 事也、奥羽の海辺ならひに松前とふにて、 右の形ちしたるあかとりをへけと称す、是を 夷語に解するに、ヘは水をいひ、ケはとる事 にて、水とりといふ事也、水を夷語にヘとも いひ、ワツカともいふ、今の夷人は専らワツカとのミいひて、ヘといふも のは稀也、されとも二つのうちヘと称するは夷人の古語にして、 ワツカと称するは近き頃よりのことはなるよし、 老年の夷人はいひ伝へたり、是とふの事、 夷地にしてハ其古言を失ひ、奥羽ならひに イヌ語でこれをワツカケプと称する。ワツカとは水のことをいい、ケはとるということをいい、フは物をいう。「水を取る物=あかとり」ということである。  奥羽の沿岸ならびに松前などでは図のような形のあかとりを「へけ」という。これをイヌ語で解釈するとヘは水をいい、ケはとるということで「水取り」ということである。水をイヌ語で「ヘ」といい、「ワッカ」ともいう。今のイヌの人びとはワッカとのみいっていて、ヘというのは稀になっている。しかし、ふたつのことばのうち「ヘ」というのはイヌ語の古語であって、ワッカというのは近年のことばであるとは老イヌのいうことである。  このように、蝦夷地ではその古語を失い、奥羽や
第5巻, 17ページ, タイトル:
松前の地にかえつて夷人の古言を伝へ たるなと、古は奥羽の地の夷境に没して ありし事を証すへきにや、 松前の地でかえってイヌ語の古語が残っていることなどは、昔、奥羽の地は蝦夷の中にあったことを証明しているのではないだろうか。
第5巻, 21ページ, タイトル:
夷語にこれをカイタと称す、三種ある事 図のことし、カイタの語解しかたし、追て 考ふへし、 イヌ語でカイタという。図のように三種類ある。カイタの語を解すことはむつかしい。追って考えることとしよう。
第5巻, 26ページ, タイトル:
是は上に出せる六種の具ことーーく備りて 海上に走らんとするの図なり、まつ海上に走らんとすれハ水伯に祈り、海上安穏ならん事を願ふ、其祈る詞に、トイカモイ子トヒリカノイカシコレと唱ふ、トイは海をいひ、カモイは神をいひ、子トは風波の穏かなるをいひ、    俗になきといふか如し、 ヒリカノイカシコレは前にしるせるか如く、海の 神風波のおたやかなるよふによく守護 たまへといふ事也、右の祈り終りてそれ より出帆するなり、すへて夷人の舟を乗るにもことーーく法有ことにて、 これは上述した六種類の器具が完備して海上を航行しようとする図である。 まず、海上を航行しようとすれば、水の神にお祈りして海上での安穏無事をお願いする。その祈り詞は「トイカモイ子トヒリカノイカシコレ」と唱える。トイは海のことをいい、カモイは神をいい、ネトは風波の穏かなことをいい(俗に凪という)、ヒリカノイカシコレは前述したように、「海の神さま、風波のおたやかであるよう、よくお守りしてください」ということである。  このお祈りが終って、それから出帆するのである。総じて、イヌの人びとは舟に乗るにもことごとく法則があって、
第5巻, 27ページ, タイトル:
本邦の舩師にことなる事はあらす、まづ 舟を出さんとするには、其日の天気、風波の 善悪をかんかふるの述もあり、舩中にて忌ミ 憚るの詞もあり、或は風波にあふときハ海神に 祈るの法も有、其外海上を走るといへとも、 凡そ一日に着岸なるやならさるやの程を 計りて、格別に遠く岸を離れて乗る事ハ あらす、常に海岸にそふて走る也、是ハ 北方の海上風波のあらき事甚しきゆへ、 舩を海上に泊する事ハ夷人ことに恐れきらふ か故也、此外舩中にての事は夷人すへて秘密の 事となして、かるーーしくハ人に語らさるゆへ それは日本の船乗りと異なることはない。まず、舟を出そうとするには、その日の天気、風波の良し悪し考えてつげるということもあり、船中での忌み言葉もあり、また風波に遭ったときは海の神に祈ることもある。そのほか、海上を航行するときであっても、およそ一日で着くことができるかできないかの距離をおしはかって、とりわけ遠くまで岸を離れて乗ることはなく、常に海岸に沿って航行するのである。これは北方の海上は風波の激しいことはなはだしく、舟を海上に停泊させることはイヌの人びとのことに恐れ嫌うためである。このほか船中のことはすべて秘密のことであってイヌの人びとは軽々しく人には語らないので、
第5巻, 28ページ, タイトル:
詳らかならぬ事共多し、追て考ふ へし、此に出せる図は風の左りへ走るさま也、 艫の左右に縄を以て帆を繋き立て、シナにてかぢを とり走る也、風の右に走んとすれは左右の 縄をくりかへ、帆を左にかたむけ風を請て 走るなり、夷語に是をホイボウチフといひ、 又バシテチフといひ、亦カヤウシチフといふ、ホイ ボウといふも、バシテといふも、皆走る事をいふ、 カヤウシはカヤは帆をいひ、ウシは立る事 をいひて、帆を立るといふ事、チフはいつれも 舟の事なれは、三つともに走る舟の事を いふなり、 つまびらかにできないことが多い。改めて考えることとしよう。  ここに出した図は、風の左の方へ航行するようすである。艫の左右に縄で帆を繋ぎ、シナで梶をとって走るのである。風の右の方に走ろうとすれば、左右の縄をたぐり変えて帆を左に傾け、風をうけて走るのである。 イヌ語でこれをホイボウチフといい、またバシテチフといい、あるいはカヤウシチフという。ホイボウというも、バシテというも、みな「走る」ことをいう。カヤウシとは、カヤは帆のことをいい、ウシは立るという意味で、「帆を立る」ということ、チフは舟のことだから、三つとも「走る舟」のことをいうのである。
第5巻, 33ページ, タイトル:
此図は海上をこぐところ也、其乗るところハ 水伯を祈るよりはしめ、ことーーく走セ舟にこと なる事なし、二種のうち、前の図はこ くところの具ことーーくそなハりたるさまを 図したる也、後の図はすなはち海上をこくさま也、 こく時はシヨ板に腰を掛、カンヂを 左右の手につかひてこぐ、其疾き事飛か 如し、カンヂの多少は舟の大小によりて 立る也、シナフを遣ふ事ハ走せ舟に同し、 是を夷語にチプモウといふ、チブは舟をいひ、 モウは乗るをいふ、舟を乗るといふ事也、但し ビロウ辺よりクナシリ辺の夷人はこれをこぐの この図は海上をこぐところである。それに乗るには水の神に祈ることからはじめ、すべて「走る舟」と異なることはない。 二種類のうち、前の図の舟は漕ぐ道具が完備したようすを図示したものである。あとの図は海上を漕ぐようすである。 漕ぐときはシヨ板に腰をかけて、左右の手にカンヂをつかんで漕ぐ。その早いこと、飛ぶがごとくである。カンヂの多少は舟の大小によって異なる。シナフを使うことも「走る舟」と同じである。 これをイヌ語でチプモウという。チブは舟のこと、モウは乗るをいう。「舟を乗る」ということである。 ただしビロウ辺からクナシリ辺のイヌの人びとはこれを漕ぐとき、
第5巻, 36ページ, タイトル:
是は前に出せる舟敷の事也、夷語に イタシヤキチプと称するは、イタは板をいひ、シヤ キは無きをいひ、チプは舟の事にて、板なき 舟といふ事也、もと舩の敷なるをかくいふ ものは、丸木をくりたるまゝにて左右の板を 付す、夷人河を乗るところの舟とことならさる故、 時によりては其まゝにて川を乗る 事も有ゆへにかくはいえるなり、万葉集に 棚なし小舟といへるはこれなるにや、今に 至りて舩工の語に、敷より上に付る板を 棚板といふ、さらは無棚小舟は棚板なき舟と いふの心なるへし、今 本邦の舩の これは前述した船体のことである。イヌ語でイタシヤキチプというのは、イタは板のことをいい、シヤキは無いということ、チプは舟のことであって、「板の無い舟」ということである。もともと船体であるものをこのようにいうのは、丸木を刳りぬいたままで左右の板をつけず、イヌの人びとが川で用いるところの舟と変らないし、場合によっては、そのままで川で乗ることもあるのでこのようにいうのである。 万葉集に「棚なし小舟」というのはこれではなかろうか。現在の船大工のことばに、船体より上につける板を棚板という。それならば「無棚小舟」は「棚板なき舟」といういみであろう。今、日本の船の
第5巻, 38ページ, タイトル:
用ひしより、終に其法をは失ひし成へし、 今奥羽の両国松前とふにてハ、なを其法を 伝へて猟舩にはことーーく敷に右のイタシヤキ チプを用ゆ、是をムダマと称す、ムタマはムタナの 転語にして、とりもなをさす棚板なき舟といふ心也 、 其敷に左右の板をつけ、夷人の舟と ひとしく仕立たるをモチフと称す、モチフは モウイヨツプの略にして、舟の事也、凡そ夷地 にしては舟の事をチプといふ事よのつねな れとも、その実はモウイヨツプといへるが舟の 実称にして、チブといへるは略していふの詞なる よし、老人の夷はいひ伝ふる事也、モウは乗る 用いてから、ついに「無棚小舟」の製法は伝承されなくなったのである。今、奥羽の両国と松前などでは、まだその方法を伝えていて、漁船にはことごとく船体に右のイタシヤキチプを用いていて、これをムダマと称している。ムダマはムタナの転語であって、とりもなおさず「棚板なき舟」という意味である。 船体に左右の板をつけ、イヌの人びとの舟と同様に作ったものをモチフという。モチフは「モウイヨツプ」の略語であって舟のことである。そもそも蝦夷地においては舟のことをチプということがあたりまえであるけれども、その実は「モウイヨツプ」というのが舟の実称であって、チプというのは略していうことばであるとは、老人のイヌのいい伝えることである。モウは乗る
第5巻, 45ページ, タイトル:
蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ 松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし 事也、その貢物を積むところの舟をウイマム チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替 りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の 人に初てまみゆる事をいふ、    此義いまた詳ならす、追て考ふへし チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる 舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は 松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて 貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル 蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。    この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。 チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。 イヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
第5巻, 46ページ, タイトル:
の略也、シヤハはかしらだちたる事をいふ、クルは 人といふ事にて、かしらたちたる人をいふ、ロは 語助也、モシリは島をいふ、此義ことに意味有 事なり、夷語に水の流るゝ事をモムといふ、 地の事をシリといふ、モシリはモムシリの略にして、 流るゝ地といふ事也、そのゆへは、凡島の水上に うかひたるを遠くよりのぞめは、流れつ へき地のさましたるゆへに、嶋の事をモシリと 称する也、さすれはシヤモロモリとは、かしら たちたる人の島といふ事にて、 本邦をさして いへるなり、古のとき蝦夷といへともことーーく 本邦に属せし事故、 本邦をさしてかし の略である。シヤハは人の上にたつことをいい、クルは人ということであって、だからシヤハクルは「人の上にたつひと」ということをいう。ロは助語である。モシリは島をいう。モシリはことに意味あることであって、イヌ語で水が流れることをモムという。地のことをシリという。 モシリはモムシリの略であって、「流れる地」ということである。その理由は、そもそも島が水上にうかんでいるのを遠くからのぞめば、流れゆくべき地のようすをしているので、嶋のことをモシリというのである。だからシヤモロモシリとは、人の上にたつひとの島ということであって、日本をさしていう。 古い昔は蝦夷といえどもすべて日本に属していたので、蝦夷は日本をさして
第5巻, 47ページ, タイトル:
らの人の嶋と称せし也、其貢物を献せしと いへる事を夷人のいひ伝へたるは、いかにもさた かなる事にや、日本紀の中に此事をのせたる ところあまた見へたり、 ウヘマムチプよそをひの具三種 「かしらの人の嶋」といっていたのである。貢ぎ物を献上したということをイヌの人びとがいいつたえるのは、いかにも確かなことではないか。日本書紀にはこのことにふれた記事はたくさん見えている。 ウイマムチプ装おう道具 三種類
第5巻, 51ページ, タイトル:
三種の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとハ、前に 出せるとことならす、トムシの義いまた詳ならす、 追て考ふへし、ウヘマムチプに用る此よそをひの 三種は、破れ損すといへともことーーく尊敬して ゆるかせにせす、もし破れ損する事あれは、 家の側のヌシヤサンに収め置て、ミたりにとり すつる事ハあらす、    ヌシヤサンの事はカモイノミの部にくハしく 見えたり かくの如くせされは、かならす神の罸を蒙る とて、ことにおそれ尊ふ事也、罸は夷語にハルと 称す、 三種類の中、ナムシヤムイタとウムシヤムイとは、前述のものと違いはないし、トムシの意味はまだよくわからないので、改めて考えることとしたい。 ウイマムチプで用いるこの装具三種類は、破損したとしてもことごとく尊敬しておろそかにしない。もし破損することがあれば、家の側にあるヌシヤサンに収めておいて、みだりに捨てたりすることはない。    <註:ヌシヤサンのことは「カモイノミの部」(これも欠)に詳述してあ る> このようにしなければ、かならず神罸をこうむるからといって、ことに怖れ尊ぶという。罸はイヌ語でハルという。
第6巻, 1ページ, タイトル: 蝦夷生計図説 ツシカル之部  六
第6巻, 3ページ, タイトル: 衣服製作の総説
衣服製作の総説 凡夷人の服とするもの九種あり、一をジツトクと いひ、二をシヤランベといひ、三をチミツプといひ、 四をツトシといひ、五をイタラツペといひ、六をモウウリといひ、 七をウリといひ、八をラプリといひ、九をケラといふ、 シツトクといへるは其品二種あり、一種ハ 本邦より わたるところのものにて、綿繍をもて製し、かたち 陣羽織に類したるもの也、一種は同しく綿繍 にて製し、形ち明服に類したるものなり、夷人の 伝言するところは、極北の地サンタンといふ所の人カラ フト島に携へ来て獣皮といふ物と交易するよしを いへり、すなはち今 本邦の俗に蝦夷にしきと いふものこれ也、この二種の中、 本邦よりわた るところのものは多してサンタンよりきたるといふ ものハすくなしとしるへし、シヤランベといへるは 衣服製作の総説 ☆一般にイヌの人びとが衣服としているものに九種類ある。一はジツトク、二はシヤランベ【サランペ:saranpe/絹】、三はチミツプ【チミ*プ:cimip/衣服】、四はツトシ【ットゥ*シ:attus/木の内皮を使った衣服】、五はイタラツペ【レタ*ラペ?:retarpe?/イラクサ製の衣服】、六はモウウリ【モウ*ル:mour/女性の肌着】、七はウリ【ウ*ル:ur/毛皮の衣服】、八はラプリ【ラプ*ル:rapur/鳥の羽の衣服】、そして九はケラ【ケラ:kera/草の上着】である。 ☆ジットクというものには二種類ある。一種は本邦より渡ったもので、錦で作られたもので、かたちは陣羽織に類するものである。いまひとつはおなじく錦で作られており、そのかたちは明の朝服に類するものである。イヌの人びとの伝えていうには、極北のサンタン【サンタ:santa/ムール川周辺】というところの地に住んでいる人びとがカラフト【カラ*プト:karapto/樺太】島へ持ってきて、イヌの人びとのもつ獣皮というものと物々交換するのであると。これがいま世間でいう「蝦夷にしき」なのである。この二種類のジットクのうち、わが国からわたったものが多く、サンタンから来たものはすくないと知っておくべきである。
第6巻, 4ページ, タイトル:
本邦よりわたるところのものにて、古き絹の 服なり、チミツブといへるも同しく 本邦より わたるところの古き木綿の服なり、此三種の衣は いつれも其地に産せさるものにて得かたき品ゆへ、 殊の外に重んし、礼式の時の装束ともいふへきさま になし置き、鬼神祭礼の盛礼か、あるは   本邦官役の人に初て謁見するとふの時にのミ服用 して、尋常の事にもちゆる事はあらす、其中殊に シツトクとシヤランベの二種は、其品も美麗なるをもて、 もつとも上品の衣とする事也、ツトシ、イタラツベ、モウウリ、 ウリ、ラプリ、ケラこの六種の衣はいつ れも夷人の製するところのもの也、その中、モウウリ は水豹の皮にて造りしをいひ、ウリはすへて獣皮 にて造りしをいひ、ラフリは鳥の羽にて造りしを いひ、ケラは草にて造りしをいふ、この四種はいつれも 下品の衣として礼服とふには用る事をかたく禁
第6巻, 5ページ, タイトル:
するなり、たゝツトシ、イタラツベの二種は夷人の 製するうちにて殊に上品の衣とす、其製するさまも  本邦機杼の業とひとしき事にて、心を尽し力を 致す事尤甚し、此二種のうちにもわけてツトシ の方を重んする事にて、夷地をしなへて男女ともに 平日の服用とし、前にしるせし鬼神祭祀の時あるは 貴人謁見の時とふの礼式にシツトク、シヤランベ、チミツプ 三種の衣なきものは、ミな此ツトシのミを服用する事也、 其外の鳥羽・獣皮とふにて製せし衣はかたく禁 断して服する事を許さす、    凡この衣服の中、機杼より出たるをは尊ミ、鳥 獣の羽皮とふにて製したるを賤しミ、かつ 礼式ともいふへき時に服用する衣は製禁を もふけ置く事なと、辺辟草莽の地にありてハ いかにも尊ふへき事なり、其左衽せるをもて戎狄の 属といはん事、尤以て然るへからす、教といふ事のなき
第6巻, 6ページ, タイトル:
地なれは、其人から小児とことなる事なし、左手の 便なるものは左衽し、右手の便なるものは右衽 せるなるへし、すてに蝦夷のうちまれにハたれ 教るにもあらすして、右衽せるものもあるなり、 もし教化の明に開けんには、靡然として 本邦の人 物とならん事、何の疑かあるへき、 右九種の服のうち、其上下の品わかりたる事かく の如し、今この書に其図を録せんとするに、九種の うちジツトクは蝦夷錦と称して 本邦の人 熟知するところの物、シヤランベ、チミツプの二種ハすな はち 本邦の服なるをもて、此三種の衣は いつれも図をあらはすに及ハす、モウウリ、ウリ、 ラプリ、ケラ四種のものはいつれもたゝ鳥羽・獣 皮とふにて造れる事ゆへ、其製しかた別に 録すへきよふもあらす、こゝをもて唯其全備のさ まを一種つゝ図にあらハせり、たゝツトシの一種のミハ
第6巻, 7ページ, タイトル:
其造れるさまも殊に艱難にて、 本邦機杼 の業とひとしき事ゆへ、其製しかたの始終本末 子細に図に録せるなり、イタラツベといふもツトシ とひとしき物ゆへ、これ又委しく録すへき理 なりといへとも、此衣は夷地のうち南方の地とふにてハ造り 用る者尤すくなくして、ひとり北地の夷人のミ稀に 製する事ゆへ、其製せるさま詳ならぬ事とも 多し、しかれともその製するに用る糸は夷語に モヲセイ、ニハイ、ムンハイ、クソウといへる四種の草を 日にさらし、糸となして織事ゆへ、其製方の始末 全くツトシとことならさるよしをいへり、こゝをもて 此書にはたゝツトシの製しかたのミを録して、 イタラツペのかたは略せるなり、
第6巻, 8ページ, タイトル: ツカプの図 
第6巻, 9ページ, タイトル:
ツトシを製するには、夷語にヲピウといへる木の 皮を剥て、それを糸となし織事なり、またツキ シヤニといへる木の皮を用る事あれとも、衣に なしたるところ軟弱にして、久しく服用するに 堪さるゆへ、多くはヲビウの皮のミをもちゆる事也、 こゝに図したるところは、すはハちヲヒクの皮にして、 山中より剥来りしまゝのさまを録せるなり、是を ツカフと称する事は、すへてツトシに織る木の 皮をさしてツといひ、カプはたゝの木の皮の事 にて、ツの木の皮といふ事也、此ヲビウといへる木は 海辺の山にはすくなくして、多く沢山窮谷の中に あり、夷人これを尋ね求る事もつとも艱難の わさとせり、専ら厳寒積雪のころに至りて、山 中の遠路ことーーくに埋れ、高低崎嶇たるところも 平になり歩行なしやすき時をまちて深山に入り、 幾日となく山中に日をかさねて尋る事也、其外
第6巻, 11ページ, タイトル: ツヲンの図 
第6巻, 12ページ, タイトル:
此図は剥来りしヲビウの皮を糸になさんとして、先温泉に ひたしやはらかになすさま也、図のことく温泉の所に持行て、 浅瀬に皮を□し、うへに木をのせ流れさるよふになし、日数 四五日程もつけ置キ、其皮のよくやハらかになるを待て温泉より 出し、湯のあかをとくと洗ひ落して日に□し、是をツヲン といふ、ツはツトシを織る木の皮をいひ、ヲンはやハらかになる事 をいひて、ツやハらかに成といふ事也、かくのことく温泉にひたし 日にさらして糸にさく計になしたるを、いつれの夷人も力の及ふ 限りハ貯へ置事、糧食の備をなし置と異なる事あらす、其皮を やハらかになさんとするに、もし温泉なき地にてハ、止事を得すし て常の池沼とふに□す事あれとも、皮のやハらきあしきゆへ 多くは是をなさす、遠方の地といへとも必す温泉の有 所に持行てひたす也、其辛苦せる事思ひはかるへし、すへて 皮を剥あつむるよりこれまてのわさハ夷人男女のわかち なく、ともーーに為すといへとも、糸につくるより後の事ハ 女子の業にかきる事なり、
第6巻, 13ページ, タイトル: フンカルの図
フンカルといへるは、フンは糸をいひ、カルは造る 事にて、糸を造るといふ事なり、是は前にいふ 如くツの皮をよくーーやはらかになしてより、 麻を績する如くいつにもさきて次第につなき、 岐頭の木に巻つくる事図のことし、そのさまさなから 奥羽の両国にてしな太布を織る糸を績くとこと なる事なし、
第6巻, 14ページ, タイトル:
しな太布といふは、しなといへる木の皮にて織し ものなり、是は奥羽の民家にて此布をもて 衣に製し、農務およひ力を労する業をなす時 に服するものなり、とりもなをさす今蝦夷の 人服用するツトシは、此製の遺風を伝へたると 見ゆるなり、 凡衣服を製する業のうち、此糸を績事尤かた き事にて、日かすを重ぬるにあらされは就しさる ゆへ、昼夜のわかちなく、聊のいとまもすてをかす して勤る也、時ありて旅行する事なとあれハ、 そのツの皮を持行て夜々投宿のところおよひ 途中休息のところにても是を為す、其業を 勤るの心純一にして辛苦をかへりミさる事憐に たへたり、
第6巻, 19ページ, タイトル: ツトシカルヲケレの図 
第6巻, 20ページ, タイトル:
是は糸を綜る事とゝのひてより織さまを図し たるなり、ツトシカルといへるは、ツトシはすなハち 製するところの衣の名なり、カルは造る事をいひて、 ツトシを造るといふ事也、またツトシシタイキとも いへり、シタイキといふは、なを 本邦の語にうつと いはんか如く、ツトシをうつといふ事なり、    本邦の語に、釧条の類を組む事をうつといへり、 其織る事の子細は、この図のミにしては尽し難き ゆへ、別に器材の部の中、織機の具をわかちて委 しく録し置り、合せ見るへし、
第6巻, 21ページ, タイトル: ツトシカルヲケレの図 
第6巻, 22ページ, タイトル:
此図はツトシを織りあけたるさま也、ツトシカル ヲケレといふは、ツトシルは前にしるせしと同しく、 ヲケレは終る事にて、ツトシ造る事終るといふ事也、 其織りあけたるまゝのツトシをウセフツトシといへり、 ウセフは純色といふか如き事にて、織りあけたるまゝの ツトシといふ心なり、 本邦の語に、木綿の織りたる まゝにて、何の色にも染さるを白木綿といふか如し、ツトシ の織りあけたるさま図の如くに、下のかたの幅を狭くなし たる事は、上の方は身衣となすへきつもりゆへ、幅を 広く織り、下の方は袖となすへきつもり故、幅を狭く 織るなり、その身衣幅と袖幅とに織りわくるさかひを トシヤトイと称す、トシヤは袖をいひ、トイは切る事をいひ て、袖を切るといふ事なり、又衣に製するところの 長短もかねて、著る人のたけをはかり定め置て、少しの 余尺もなきよふに織事なり、
第6巻, 23ページ, タイトル: ツトシウカウカの図
ツトシウカウカといへるは、ウカウカは縫ふ事を いひて、ツトシを縫ふといふ事なり、是は前に しるせる如く、著る人の形ちにより、たけの長短をハ かねてよりはかり定めて織る事ゆへ、衣を縫んと すれは、まつ初めにたけを定め置たるところより
第6巻, 24ページ, タイトル:
切り、またそれを二つにきりてこれを身衣になし、背の ところは上より下まて縫ひ通す也、それより肩の 左右を弐寸五分ほとに切りて、其きりしところに木綿 にてもツトシにても外のきれを入れて縫ひつくる なり、其かたちまつ襟ともいふへきか如し、委しくハ 図を見てしるへし、すへてその縫ふといへるはツトシ の耳と耳とを合セ、糸をもて巻さまに縫ふ事也、 かくの如くに縫ふ事終りてより、背のところに木綿 の切をもて種々のかたちを刺繍する事、後の 全備の図のことし、
第6巻, 25ページ, タイトル: トシヤウカウカの図 
是は織りあけたるツトシのうち、前にしるせし ことく身衣を切りとりて、その残りたるところにて 図の如くなる筒袖を造るなり、これをトシヤウカ ウカと称す、トシヤは袖の事にて、袖を縫ふと いふ事なり、
第6巻, 26ページ, タイトル: ツトシミンベの図
これは前にしるせし身衣と袖とを縫ひ合セ、背の ところに刺繍の文をつけ、其外袖と裾との縁にもかさりを
第6巻, 27ページ, タイトル:
なして衣の製全くとゝのひし図也、是をツトシミンベ と称す、ミは著る事をいひ、ンベは物といふ事にて、ツトシ の著るものといふ事也、すへて此衣は夷人の平日服するものなれ とも、他の獣皮・鳥羽とふにて製したる衣とは格別に たかひて、礼式の服のことくに尊ふ事也、ことに女子なとは 時により下に鳥羽・獣皮とふの衣を著する事ありても、 いつれその上にこのツトシの衣を 本邦の 俗にかいとりともいふへきさまに打かけて服す、もし しからすしてたゝ鳥羽・獣皮とふの衣のミを服する をハ、甚の無礼となして戒る事なり、その厳密なる 事、女子衣服の製度ともいふへし、たゝ女子のミにあらす、 総説にもしるせし如く、男子といへともまた此衣を尊ミて、官 長の人にま見へおよひ、祭祀とふよろつ謹ミの時にのそミては、シツ トク・シヤランベとふ装束ともいふへきものなきものは、ミなこの ツトシのミを服用す、其外鳥羽・獣皮とふの衣はかたく 禁止して著用する事なし、
第7巻, 3ページ, タイトル: 居家経営の総説
居家経営の総説 凡夷人の境には郷里村邑の界といふ事もあらす、 然るゆへに住居をなすところといへとも人々自己の 地とさたまりたる事なし、いつれの地にても 心にまかせて住居をかまへ、又外に転し移る事も 思ひーー、いつれの地になりとも住居をかふるなり、た ゝ家を造るに至ては殊に法ある事多し、 まつ家を造らんとすれハ、其処の地の善悪を かんかふるをもて造営の第一とす、地の善悪といへ るも猟業ならひに水草とふのたよりよき地を えらふなといふ事にはあらす、其地にて古より人の 変死なとにてもありしか、あるは人の屍なと埋ミし 事にてもなきか、其外すへて凶怪の事とふありて 清浄ならさる事にてもなかりしにやといふ事をよくーー たゝしきハめ、いよーー何のさはりもなき時ハ、其外は 居家経営の総説 一般にイヌの人びとの住む土地には、生まれ育ったところとか村里の堺ということもなく、だから住まいをかまえるところといっても、人びとそれぞれの所有する土地と決まったことがない。。どの土地であっても、心のままに住居をつくりまた外の土地に移転することも思いのままで、どこの土地であっても住居をかえるのである。   ただ、家を造ることに及んでは、とくにきまりあることが多い。 まず家を造ろうとすれば、それを建てるところの土地の善悪を判断することをもって家造りの第一とする。   地の善悪というのも狩猟などのなりわいや水草などの便利がいい地を選ぶということではない。その地において昔、人が変死したことはないか、あるいは人の死体を埋めたことはなかったか、そのほか、総じてまがまがしいことやあやしいことなどがあって、清らかではないことなどもなかったかということを、よくよく聞きただして、いよいよ何のさわりもないとなったときには、そのほかは
第7巻, 7ページ, タイトル:
ここに図したるところは、家を造るへき地をかんかへ さためたるうへ、山中に入りて材木を伐り出し、梁・柱 とふのものを初め、用るところにしたかひて長短を はかり、きりそろゆるさまなり、チセチクニパツカリと いへるは、チセは家をいひ、チクニは木をいひ、パツカリは 度る事にて、家の木を度るといふ事也、其度ると いへるも、夷人の境すへて寸尺の法なけれは、たゝ手と 指とにて長短を度る也、手をもて度るをチムといひ、 中指にてはかるをモウマケといひ、食指にてはかるを モウサといふ也、此語の解未いつれも詳ならす、 追てかんかふへし、是はたゝ木をはかる事のミに 限るにあらす、いつれの物にても長短をはかるにハ 同しく手と指とを用てはかる事なり、 ☆ここに図示したところのものは、家を造る土地を考えて決めた上で、山中に入って材木を伐り出し、梁や柱などのものをはじめ、使うところの場所場所に従って長短を計って切り揃えているようすである。 チセチクニパツカリというのは、チセ【チセ:cise/家】は家の意味、チクニ【チクニ:cikuni/木】は木の意味、パツカリ【パカリ:pakari/計る】は計るという意味であって、家の木を測るということである。測るといっても、イヌの国には総じて度量衡の規則などということがないため、もっぱら手と指とで長短を測るのである。手で測ることをチム【テ*ム:tem/両手を伸ばした長さ(1尋)】といい、中指で測ることをモウマケ【●?】といい、食指で測ることをモウサ【モウォ?:/人差し指と親指を広げた長さ】という。これらのことばの解釈はいまだどれも定かではない。改めて考えることにしよう。  これはただ木を測るだけではなく、どんなものでも長短を測るには同じように手と指を持って測るのである。

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