蝦夷生計図説

ウイマムチプの図 

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ウイマムチプの図 

蝦夷の地、松前氏の領せし間は、其場所ーーの
ヲトナと称するもの、其身一代のうち一度ツヽ
松前氏に目見へに出ることありて、貢物を献せし
事也、その貢物を積むところの舟をウイマム
チプと称す、其製作のさまよのつねの舟と替
りたる事は図を見て知へし、ウイマムは官長の
人に初てまみゆる事をいふ、
   此義いまた詳ならす、追て考ふへし

チプは舟の事にて、官長の人に初てまミゆる
舟といふ事なるへし、老夷のいひ伝へに、古は
松前氏へ貢する如くシヤモロモリへも右の舩にて
貢物を献したる事也といへり、シヤモはシヤハクル
の略也、シヤハはかしらだちたる事をいふ、クルは
人といふ事にて、かしらたちたる人をいふ、ロは
語助也、モシリは島をいふ、此義ことに意味有
事なり、夷語に水の流るゝ事をモムといふ、
地の事をシリといふ、モシリはモムシリの略にして、
流るゝ地といふ事也、そのゆへは、凡島の水上に
うかひたるを遠くよりのぞめは、流れつ
へき地のさましたるゆへに、嶋の事をモシリと
称する也、さすれはシヤモロモリとは、かしら
たちたる人の島といふ事にて、 本邦をさして
いへるなり、古のとき蝦夷といへともことーーく
本邦に属せし事故、 本邦をさしてかし
らの人の嶋と称せし也、其貢物を献せしと
いへる事を夷人のいひ伝へたるは、いかにもさた
かなる事にや、日本紀の中に此事をのせたる
ところあまた見へたり、

ウヘマムチプよそをひの具三種

蝦夷の地、松前氏が領していた間、場所場所のヲトナと称するものは、その身一代のうち、一度は松前の殿様に目見えに出て、貢物を献上するのである。その貢物を積む舟をウイマムチプという。その作り方は普通の舟とかわっていることは図を見ればわかるだろう。ウイマムというのは官長の人(役人のおさ)に初めてお目にかかることをいう。
   この意味はまだよくわからない。改めて考えることとしよう。

チプは舟のことだから「官長の人に初めて目見える舟」ということである。
アイヌの故老がいいつたえるには、昔は松前の殿様に貢ぐようにシヤモロモ
シリへもウイマムチプで出かけ貢物を献上したのだという。シヤモというのはシヤハクル
の略である。シヤハは人の上にたつことをいい、クルは人ということであって、だからシヤハクルは「人の上にたつひと」ということをいう。ロは助語である。モシリは島をいう。モシリはことに意味あることであって、アイヌ語で水が流れることをモムという。地のことをシリという。
モシリはモムシリの略であって、「流れる地」ということである。その理由は、そもそも島が水上にうかんでいるのを遠くからのぞめば、流れゆくべき地のようすをしているので、嶋のことをモシリというのである。だからシヤモロモシリとは、人の上にたつひとの島ということであって、日本をさしていう。
古い昔は蝦夷といえどもすべて日本に属していたので、蝦夷は日本をさして
「かしらの人の嶋」といっていたのである。貢ぎ物を献上したということをアイヌの人びとがいいつたえるのは、いかにも確かなことではないか。日本書紀にはこのことにふれた記事はたくさん見えている。
ウイマムチプ装おう道具 三種類