蝦夷生計図説

ミよしの図二種 

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ミよしの図二種 

これは敷の初めて成就したる処也、
これより次第に後の図に出せる板等を
あつめて舟の製作にかゝる也、此敷は
夷語にイタシヤキチフと称して、丸木舟と
同しさましたれとも、また説ある事なり、
後の川を乗る舟とならへ図して委しく
論したり、合せ見るへし、
て見聞したる事にあらさる故しる
さす、後来たしかに見聞するの日に及んて記さんとす、後凡エトロフ・ラツコ
とふの事に至りては、ミな欠て録せさるものこのゆへとしるへし、

 これは船体がはじめてできあがったところである。これからだんだんあとのほうの図で示したいたなどを集めて舟の製作に取りかかるのである。船体はアイヌ語でイタシヤキチフといって、丸木舟と同じ形をしているけれども、さらに説明することがある。のちに川舟とともに図示して詳しく説明してあるのであわせて見てほしい。 
親しく見聞したことではないのでここでは記さない。 
のちに確実に見聞できる日がきたら記すことにしよう。この後、エトロフ島やラッコ島のことを記録していないのはそのためであることを知っておいてほしい。

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