蝦夷生計図説

イナヲを製する図

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イナヲを製する図

にも太古よりの遺風とこそミえたれ、さらは
この事の転し伝りてイナホをイナヲとあやまり
称するにや、またヌシヤといへる事はとりもなを
さすヌサの転語にして大麻の事なるへし、

此稲穂と大麻の二つは 本邦にしても、今の
世に及ひては形ちもかハり事も同しからぬよふに
思ひなさるれと、いつれも天地の神明を祭るか
ために設るところの物にして、其用ゆるの意は
ひとしく今の幣帛也、今の幣帛は専らに
紙を用ひ、麻をもちゆれとも、上古の時紙麻とふ
の物流布せさりしには、木のミをもて製せし
事の有けんもしるへからす、其時にあたりてハ稲穂も

いかにも太古からの遺風であるとの印象を受ける。そうだとすれば、こうした儀礼が転じ伝わって「イナホ」が「イナヲ」と誤って称されることになったのではなかろうか。また、「ヌシヤ」と称するのは、これはとりもなおさず「ヌサ」(幣)の転訛であり、大麻を指す言葉が伝播したと考えてよいであろう。

いま稲穂と大麻の二つについて言及したが、我が国について考えるならば、現在ではその形状も用いる儀礼も、太古のそれに比べ変化してきていると思われる。しかし、元来は両者とも天地の神明を祭る目的でつくられたものであり、その用途はいずれも現在の幣帛の持つ機能と同様である。現在幣帛は専ら紙や麻で作製されるが、上古にあって未だ紙や麻が流布していなかった時代には、樹木のみを素材としてつくられていた可能性がある。そう考えると、当時我が国では稲穂も