蝦夷生計図説

イナヲを製する図

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イナヲを製する図

イナヲは 本邦にいふ幣帛の類なるにや、
都て蝦夷の俗は質素純朴なるによりて、天地の
事より初め神道を尊ひおそるゝ事、其国第一の
戒めたり、然るゆへに何事を為すにつきても、まつ
神明を尊ひ祭る事をつとめとして、是をカモイ
ノミと称す、

 カモイは神をいひ、ノミは祈る事をいひて、
神を祈るといふ事也、日本紀に神祈とかきて
カミイノミと訓したると同し事なるにや、
委しくはカモイノミの部に見ゑたり、カモイノミの部未成
其カモイノミを行ふには、かならす此イナヲを用る
事故、神明を祭るにさしつひて大切なる物と
する事也、是を製せんとすれは、潔斎ともいゝつ
へきさまに、まつ其身を慎ミいさきよくす
る事をなして、それより図の如くに製する也、

   潔斎ともいふへき事は夷語にイコイコイと
いひて、身を慎ミいさきよくする事のある也、委し
くはカモイノミの部にミえたり、

是を製するに、小刀よふの器も、よのつねのは
用ひす、別にイナヲを製するためにたくハへ置
たるを取りいてゝ用ゆ、イナヲに為すへき木ハ何の
木とさたまりたるにもあらねと、いつれ質の白く
して潔き木にあらされハ用ひす、其の削り出し
たる木のくすといへとも妄にとりすつる事は
あらす、

ことーーく家のかたハらのヌシヤサンにおさめ
置事也、
   ヌシヤサンの事、カモイノミの部にミえたり、

其製するところの形ちは、神を祭るの法にした
かひて、ことーーくたかひあり、後の図を見て知へし、

凡て是をイナヲと称し、亦ヌシヤとも称す、此二つの語
未さたかならすといへとも、イナヲはイナボの転語
なるへし、 本邦関東の農家にて正月十五日に
質白なる木をもて稲穂の形ちに作り糞壤にたてゝ
   俗にいふこひつかの事也、

五穀の豊穣を祈り、是をイナボと称す、此事いか
にも太古よりの遺風とこそミえたれ、さらは
この事の転し伝りてイナホをイナヲとあやまり
称するにや、またヌシヤといへる事はとりもなを
さすヌサの転語にして大麻の事なるへし、

此稲穂と大麻の二つは 本邦にしても、今の
世に及ひては形ちもかハり事も同しからぬよふに
思ひなさるれと、いつれも天地の神明を祭るか
ために設るところの物にして、其用ゆるの意は
ひとしく今の幣帛也、今の幣帛は専らに
紙を用ひ、麻をもちゆれとも、上古の時紙麻とふ
の物流布せさりしには、木のミをもて製せし
事の有けんもしるへからす、其時にあたりてハ稲穂も
大麻もひとしく木をもて製せし事にて、其 
本邦太古のさまの転し伝りたるよりして、自ら
イナヲ、ヌシヤとふの称は存するなるへし、是等の
事によらんには、まさしくイナヲは幣帛の
事をいふか如く、あまりに 本邦の事に近くきこ
えて、蝦夷の事に熟せさらん人は附会のことのよふに
のミそ思ふへけれ、されと此事計りにはあらす、

奥羽の地にして蝦夷の風俗そのまゝ存し残り
たる事多く、又は今の蝦夷にしては失ひたる
事のかへつて奥羽の地に存し残りたる事も
少からす、これらの事委曲に此書の奥にしるし
たれは、此書全備するの日にいたらんには自らかく
いふ事のことーーくよりところありといふ事は
しらるへき事にこそ、

   すへて夷人の言語のことーーく 本邦の語に
通する事は語解の部に委しく論したるゆへ、
其地のところにありてはミな欠て録さす、ひとり
此イナヲの部に限りては事により其語解を
なさすしては会すへからさる事多きか故に、
やむ事を得すして録せし也、此部の中、語解を
論せし事はミな此ゆへと知へし、

イナヲとは、わが国でいう幣帛の一種のことと考えられる。「蝦夷」の風俗は、概ねにおいて質素純朴である。彼らの国の開闢以来一番の戒めとして、神道を尊び畏怖することを挙げているほどだ。従って、何事をするにつけても、まず神明を尊び祭ることを旨としており、それをカモイノミと称している。

*カモイは神を意味し、ノミは祈るという意味であり、神を祈るという意味である。『日本紀』(『日本書紀』)に「神祈」とかいて「カミイノミ」と訓ませている事例と同じことであろうか。詳しくは本書「カモイノミの部」を参照されたい。<割注:カモイノミの部未成>
 カモイノミを行なうには、必ずこの図にあるようなイナヲを用いることになっている。それゆえ彼らにとってイナヲは、神明を祭るにあたって重要なものと
位置づけられている。
イナヲを作製するにあたっては、まるで潔斎でもするかのような様子で、その身を慎み清める行ないをしたうえで、図のような作業にかかるのである。

 *潔斎でもするかのような行為のことについてであるが、彼らの言葉でイコイコイという、身を慎み清める行ないがある。イコイコイについての詳細は、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。

 イナヲを作製するにあたっては、日常用いている小刀は使用されない。特別にイナヲ作成用としてしまってあるものを取り出して用いるのである。イナヲとなる樹木の種類についてであるが、定まった決まりがあるわけではない。ただし、どんな種類であっても材質が白く清潔な木でなければ用いられることはない。こうした木からイナヲを作製する過程で生じた削りくずといえども、妄りに捨ててしまうことは
ない。

それらは一つ残らず家の傍らにあるヌシヤサンに納め置かれるのである。
*ヌシヤサンのことについてであるが、本稿「カモイノミの部」を参照されたい。

作製されたイナヲの形状についてであるが、神を祭るに際しての法に従って、ひとつひとつに相違がある。後掲の図を参照されたい。

これらを総称してイナヲまたはヌシヤという。この二つの語源は未詳であるが、うちイナヲはイナボ(稲穂)の転訛と考えられよう。我が国の関東農村において、正月一五日に材質の白い樹木を用いて稲穂の形にこしらえたものを糞壌に立てて
*俗にいう「こひつか」(肥塚)のことである。

五穀豊穣を祈る儀礼があるが、その木製祭具を「イナボ」と称している。
この儀礼は、いかにも太古からの遺風であるとの印象を受ける。そうだとすれば、こうした儀礼が転じ伝わって「イナホ」が「イナヲ」と誤って称されることになったのではなかろうか。また、「ヌシヤ」と称するのは、これはとりもなおさず「ヌサ」(幣)の転訛であり、大麻を指す言葉が伝播したと考えてよいであろう。

いま稲穂と大麻の二つについて言及したが、我が国について考えるならば、現在ではその形状も用いる儀礼も、太古のそれに比べ変化してきていると思われる。しかし、元来は両者とも天地の神明を祭る目的でつくられたものであり、その用途はいずれも現在の幣帛の持つ機能と同様である。現在幣帛は専ら紙や麻で作製されるが、上古にあって未だ紙や麻が流布していなかった時代には、樹木のみを素材としてつくられていた可能性がある。そう考えると、当時我が国では稲穂も
大麻も等しく樹木により作製されていた、ということになる。こうした太古の我が国において行なわれていた方式が転じ伝わったために、イナヲ、ヌシヤという二つの呼び方が併存しているものと思われる。
以上のことから考えると、イナヲと幣帛とは、まさしく同義のものであると位置付けられよう。イナヲをこう位置付ける事に関しては、あまりに我が国の風俗と同質の性格であると捉えていることから、蝦夷の事情に通じていない向きには牽強付会の説であるとの思いを抱かせるかもしれない。しかし、ことは独りイナヲだけの問題ではない。

例えば奥羽の地である。奥羽地方の習俗に蝦夷のそれがそのまま残存している事例は多い。のみならず現在の蝦夷が失ってしまった習俗が、かえって奥羽地方に残っていることも少なくないのである。こうした事例の様々は、本書の随所で仔細に触れているつもりである。従って、本書の全巻に目を通された暁には、おのずから我が国と蝦夷の風俗が同質であるという説がことごとく
論拠のあるものだということを御理解いただけるはずである。

* 夷人の言葉がことごとく我が国の言葉に語源を有していることについての様々は、本稿「語解の部」に詳述してある。従って、本書の他の部分に関しては一々それを指摘することをしていない。但し、この「イナヲの部」に限っては、語源解釈をせずに論を進めることが困難だったため、やむを得ず触れた次第である。「イナヲの部」において語源解釈を論じているのはこうした理由からであることをご理解いただきたい。