蝦夷生計図説

第一巻表紙

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第一巻表紙

蝦夷生計圖説イナヲ之部一蝦夷生計図説題言

夫蝦夷の称、我 国史の載する所既に久しく、征伐その
国に及し事、亦釈然たりといへとも、悉く奥羽の蝦夷に
して、古来  朝廷の政今の蝦夷島に及し事を
聞かす、嘉吉に到て若州の人武田信広なる者初て
此島に渡り、其南方を開拓し是か治を敷くといへとも、其力
全嶋に及ことあたわす、僅に海隈五六十里にして止む、
是今の松前家の始祖なり、寛政の末、北夷蠶食之
説起り周廻数百里の諸島松前氏之微力□く備を設る
事あたわす、依之  朝廷諸官吏を遣て政教を
布しむるに、蝦夷 聖恩の厚を仰き、日ならすして

全島□て投下し、風俗・言語・飲食・衣服・居家・器械之類
本邦の造に従ふもの少からす、古来未曾有の事にして、

 聖代の鴻業実に仰くに堪たり、顧て思ふに往昔
奥羽の蝦夷今悉く帰化し、其時の遺風今絶て見
る事あたはす、然るに島夷の化に向ふ事、前件の如くなる

時は、風を移し俗を変し、日々に新にて奥羽の夷変し
て今日に至るか如きこと立て待へし、且其国元より文字を
しらす載籍の後世に伝ふへきなく、其今日之遺風百年の後

烏有に帰せん事、亦今日の奥羽の如くなるへし、故に家翁村上島之允

秦檍丸島夷の風俗・言語・飲食・衣服・居家・器械を写し、是の
説を作りて不朽に伝へ、百年之後天下後生をして、蝦夷の古態
を見る事を得セしめんと欲し、此図説を草創セり、其後間宮
林蔵倫宗是を潤色し、遂に八巻をなすといへとも、其後檍
丸ハ早く死し、倫宗は地図を撰するの忙しき、遂に篇を
全くする事あたはす、僅に木幣・造舩・衣服・耕耘之類、
四五条にして業を廃す、然も八巻之書、亦其作業の大概を
閲するに足れるを以て、世往々是を貴重すといへとも、此書
従来無名にして、唯一帖二帖を以て行わる、茲年
 左衛門尉遠山景晋君予か輩に命し、写して蔵本一部を
作らしめらるゝに至て、是か名を施し、且檍丸倫宗か著述
せる本志を誌すへしとの令に依て名つくるに、蝦夷
生計図説を以てし、且其首に題することしかり、

   旹文政六年癸未三月            村上貞助秦一貞謹誌


蝦夷生計図説第一
            伊勢 秦 檍丸 撰
            常陸 間宮倫宗増補

そもそも蝦夷という呼称は、我が国の歴史書に古くからかかれているが、征伐が蝦夷の
国に及んだことは…

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