蝦夷生計図説

蝦夷生計図説について

(1)『蝦夷生計図説』(えぞせいけいずせつ) 

本図説は、江戸時代(19世紀初頭ころ)のアイヌの人びとの生活ぶりが記録されるアイヌ民族の生活絵巻である。最初に用語について簡単に説明する。

蝦夷(えぞ)には、ふたつの意味がある。

  1. 地名「蝦夷地」として:明治時代以前に現在の北海道・周辺島嶼一帯の呼称
    蝦夷、蝦夷島ともいう。現在の北海道と付属の島々を指すが、西蝦夷(地)、東蝦夷(地)と分けることもある。西蝦夷地は現在の日本海・オホーツク海沿岸の地域をいい、東蝦夷地は現在の噴火湾・太平洋沿岸の地域を指す。東・西蝦夷地の境界は今日の知床岬である。東蝦夷地にはクナシリ、エトロフ両島が含まれる。
  2. 民族名「蝦夷」として:明治時代以前に現在のアイヌ民族の呼称
    日本列島の北に古くから住んでいる先住民族名である。アイヌ語を話し、狩猟・漁労を中心とした生業を営みながら固有の社会文化を育んできた。アイヌの人びとが住んでいる地域をアイヌモシリ(人間の大地)といい、その範囲は現在の北東北(東北アイヌ)、北海道・クナシリ・エトロフ(北海道アイヌ)、カラフト(カラフト・アイヌ)、中部・北千島(千島アイヌ)におよんでいた。

生計図説とは、生活のようす「生計」を、絵と文章とで解説する「図説」という意味である。

(2)『蝦夷生計図説』の構成

全8巻、6部で構成されている。

  • 第一巻 イナヲ之部(幣帛をつくる)
  • 第ニ巻 トイタ之部上(畑をおこす) 
  • 第三巻 トイタ之部下(畑をおこす)
  • 第四巻 チッフ之部上(舟をつくる)
  • 第五巻 チッフ之部下(舟をつくる)
  • 第六巻 アツシカル之部(服をつくる)
  • 第七巻 チセカル之部(家をつくる)
  • 第八巻 ウカル之部(槌でうつ)

カタカナ表記はアイヌ語である。

(3)『蝦夷生計図説』の作者

本図説は秦檍麿(はた・あわきまろ)、別名村上島之允(むらかみ・しまのじょう)によって構想された。寛政10年(1798)、幕府の一員として蝦夷地に赴き、ほぼ10年滞在した秦檍麿は、その地の先住アイヌ民族の習俗、社会文化を観察し、『蝦夷見聞記』など数々の記録を著した。秦檍麿はアイヌ語もアイヌ文化も日本語や日本文化の古い形が残っていると考え、その古い形態をアイヌ文化を知らない人々に伝えようと意図し、寛政12年には『蝦夷生計図説』の原型となる『蝦夷島奇観』を完成させる。

『蝦夷生計図説』は、構想した秦檍麿の死去(45歳)後、養子秦一貞(はた・いってい)、別名村上貞助に引き継がれ、秦檍麿の門弟でもある間宮林蔵の協力を得て完成する。序文によると遠山景晋(とおやま・かげみち)の強い意向があったといわれ、当事業を幕府高官も評価していたことを窺わせる。

秦檍麿はクナシリ島を含む東蝦夷地、西蝦夷地とほぼ蝦夷地全域をまわっていいる。本図説ではクナシリ島を含、主として東蝦夷地のアイヌ文化が紹介されている。